東海大学文学部叢書;東海大学出版会;(借覧);A5判;縦組;上製;xii+191頁;;ISBN978-4-486-01784-4;
「国民国家」は、十全な機能を保持するために、「標準語」の存在を必要とする。たとえば、江戸時代までの――「国民国家」成立以前の――日本には、「標準語」がなかった(このため、明治維新の際、藩を異にする武士同士では会話が困難を極め、わざわざ謡曲の詞章を使って意思の疎通を図ったとされる)。しかし、他の「みんな」と共有できる言語がなければ、「国民」が「みんなと同じように」国家に所属している意識を持つことはできない。しかも、その「共有できる言語」は、なるべく「人工臭」が薄いものである必要がある(謡曲の詞章のような、誰にとっても非日常的な言語のみを共有することは、逆に相互の隔絶感を強めてしまう)。こうした要請から、「国民国家」が成立すると、洋の東西を問わず「標準的な話し言葉」――多くの場合、首都近辺での日常語をベースとする――が国家によって制定される。さらには、文章語をそうした「標準的な話し言葉」に近づけて行く運動が、国家の支援を受けながら勃興する。このようして成立した「標準的な話し言葉」と「話し言葉に近い文章語」は、これも「国民国家」の成立と共に普及した「義務教育」によって広められて行く
(pp.64-65)、てまたみてきたやうなことを。
WEB時代におけるPR誌という紙媒体の在り方の問題など、『ウフ.』を取り巻く環境が厳しくなり、やむなく休刊の決断に至りました。
八本松は、山陽本線の駅では最も標高が高く、二五五メートルある。ここから次の瀬野までの十・六キロで、大山峠を一気に下る。この区間は、「セノハチ」と呼ばれる有名な難所で、上り貨物列車はいまでも補助機関車を連結しないと超えられないとか、広島駅について、
ここは私が最も好きな大都市駅のホームである。同じ平面に改札口があり、入口と出口が離れた構造は、戦前の面影をよく保っている。こういう駅はほかにないだろうとか、毎日のやうに利用してるのにぜんぜんしらなかつた。
PingURL :