the view from nowhere : 2009-01-05 (Mon)

Article

よこい・たかし(横井孝)/くげ・ひろとし(久下裕利)[編];2008/11;源氏物語の新研究――本文と表現を考える;

;新典社;(借覧);A5判;縦組;上製;398頁;;ISBN978-4-7879-2719-4;

青表紙本は別本の一種だつて阿部秋生はそんなこといつたのか、そして本文研究はなんか最近そんな風潮だけどほんとにそれでいいの、といふ横井論文のつぎに、そんな風に本文系統を2分類したうへに河内本群を甲類、別本群を乙類とよぶことを提唱する伊藤論文がならんでゐると、わたくしのやうな門外漢は混乱するよ。にしても、伊藤論文の〈平安時代の物語本文の復元〉という夢を追う時代は終わった。〈二種類の本文系統を読む受容形態〉が、おぼろげながらも見えて来たのではないか、と思っている(p.83)といふのはかつこいいなあ(でも、もはやかりそめに祭り上げられた聖典にすがりついた無邪気な本文読解の時代は過ぎ去ったのである。ただ一つの紫式部原本または藤原定家校訂本に辿り着く幻想を捨てて、目の前の諸伝本を他ならぬ本文自体によって一回的かつ歴史的な存在として正確に測定しなければならない(pp.144-145、中村論文)といふのは、なんかちよつとな)。

あと、浜口論文の東久邇家旧蔵本だと意味が通じるからこれはいい本だ、といふのはなんか無邪気すぎな気がするのだけれど。普通さういふのは、あとからの意改をかんがへるものなんぢやないかな、と思ふけど、本文研究にあかるくないのでよくわからない。

ところで、『源氏物語』における本文の中でも、和歌に関しては比較的本文に異同がすくないとされている(p.49)といふのは、まへにもどこかでみたことがあつて、小松英雄がどこかで和歌以外は鎌倉時代語みたいなことをかいてゐたやうな気もするのだけれど、すこしまへに山路の露だつたかの本文研究で、むしろ和歌のはうがどんどんかはるやうなことををしへられて、そんなものなのか、と思つたのもついでにメモつとく。

以下一往、目次をうつしておく。

けふの買物

en-taxi WINTER 2009 VOL.24
扶桑社
sabra 2 2009 FEBRUARY
小学館
アップルの人
宮沢章夫・新潮文庫

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