the view from nowhere : 2008-09-28 (Sun)

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今週のエビちゃんカレンダー(38)

白のニットのうへに、黒の、これはなんといふのか、袖なしチュニックでいいのか、よくわからん。水色のソファにこしかけて、ちよつと小首をかしげるやうにして(といふ表現は「ちよつと」と「小」が重複してるかなあ)、くちもとに笑みをふくんで、こちらを見てゐるのが、とてもかはいらしい。

いろかわ・だいきち(色川大吉);1994/4→2007/9;北村透谷;

近代日本の思想家6;東京大学出版会;2,800円(借覧);四六判;縦組;並製;ix+320頁;;ISBN978-4-13-014156-7;

いつだつか、わりに最近、なんだつたかのメディアで本書の著者をめにしたとき、金髪でびつくりした。

鶴田法男監督、おろち@広島バルト11

うーん、あんまり。自己申告の血液型だけで輸血はしないだらうよとか、門前葵の最後のレティサンスがあからさまにすぎるとか、さういふのはおいとくにしても、結局、男のかんがへるところの、女ッてこはい、といふはなしになつちやつてたやうで、あまりおもしろからぬ感じ。原作もそんなだつたつけ。

ふじた・さとる(藤田覚);2007/7;田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし―;

ミネルヴァ日本評伝選[050];ミネルヴァ書房;2,800円(借覧);四六判;縦組;上製;2+xxiii+271+11頁;;ISBN978-4-623-04941-7;

寛政二年(一七九〇)一月に、幕府の役人たちは、つぎのような注意を口頭で申し渡された(『御触書天保集成』下、五一四二号)。それは、幕府役人たちの最近の風潮に対する警鐘だった。その風潮とは、人への応対の仕方や文書の文面が丁寧すぎる、というものだった。相手の身分や地位に応じた振舞いをし、文言を用いるはずなので、その度を超すとかえって相手に対して不敬になってしまうのだ、としてその例をあげる。

老中、若年寄、側用人などの幕府重職には、月に数回、登城前対客がある。それは、登城する前に大名や幕臣が陳情などのために老中らの屋敷を訪れ、面談をする機会である。その登城前対客に訪問した幕府役人が、ずっと平伏したままでいる挙動を問題にする。たとえ下級の役人であっても、お辞儀のとき以外は、その顔が老中らに見えるようにすべきだ、と諭す。

ついで、奉行らが老中へ上申するときの文書に、「ご覧に入れ奉り候」「お渡し遊ばされ候」「畏まり奉り候」といった語句を用いていることを、問題にしている。「お目にかけ候」「ご覧にいれ候」「お渡しなされ候」「承知し奉り候」「承知つかまつり候」といった文言でよいのではないか、と言う。老中らの安否を問い合わせる文書に、「機嫌尋ねられ候」などの文言が使われているが、たとえお目見え以下の御家人身分の者であっても、老中に「機嫌尋ねられ候」といった文言を使うべきではないし、「有り難い」などという語句も、将軍に関わらないことに使うべきではない、と戒めている。

丁寧すぎる振舞いや文面は、老中ら幕府重職に対するときだけではなかったらしい。地位や格式の面で上下関係のない同輩同士の文通でも、文面があまりに丁寧すぎて、かえって礼儀に反している、と指摘する。その結果、人情が軽薄になるのでそこのところをよく理解するように、と注意を与えている。相手の人の身分や地位はどうであれ、とにかくへりくだり、慇懃で馬鹿丁寧な応対をしたり、丁寧すぎる文面の手紙や上申書を書く風潮があり、かえって礼儀にそぐわない事態が生まれている、と警告する。幕臣たちの昨今の風潮、とくに丁寧すぎる風潮をわざわざ戒告するのだから、寛政の改革期の老中たちにとってよほど目に余ったのだろう。

この申渡しを読んだ京都町奉行所与力の神沢杜口が、解説を加えている。対等の関係同士ならば、昔は「何々殿」と書いた。それが、いまでは「何々様」と書く。ちなみに江戸時代は、殿と様では様の方が相手を尊んだ使い方である。「何々令しむ」と書くのを止めて「何々致す」に替え、それでも丁寧すぎるのに、上の者におもねって「何々仕る」と書く者もいるほどである。なお、「致す」の方が、「令しむ」より相手を敬っている表現だった。古い書き方を変えない人は、「横柄者」に見られるので、心ならずもおもねった文面にしているのだという。

このような社会の風潮は、この三、四十年でますます強まり、地位が対等の者同士の間でも、まるで主君に宛てて書くかのように、「御機嫌よく」「恐悦」「有り難い」「献上」などと書く。これでは上下の区別もなく、「慇懃尾龍」になる。京都町奉行所でも、奉行が与力に「貴様」と言っている。下僚に対して「貴様」とはどういうことなのだ、と神沢は疑問を投げかける。このように、相手の身分や地位にふさわしい応対の仕方や手紙の文面などが崩れてしまった。相手もところも構わず、とにかくめったやたらに慇懃を尽くし、馬鹿丁寧にすればよいという風潮は、ここ三十年来のことであり、それは意次が台頭してきてからのことだ、と指摘する(「翁草」4)。

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