最近、漢検情報誌の樫の木をみる機会があつて、そのなかの連載、小林芳規、古典のなかの漢字ものがたり 第2話 : 漢字をつかってなぞなぞ遊び : 字体の話(第293号)を見て、後奈良院御撰何曾に、漢字をつかつたなぞがあることを知つた(樫の木誌はウェブでも公開されてゐる)。といふか、このなぞだてのことは、母には二度のなぞでしか知らなくつて、全体をみたことがなかつたなあ、と思つたので、ついでに、本居内遠の後奈良院御撰何曾之解を入力した(日本語学研究事典の後奈良院御撰何曽の項で、鈴木棠三を鈴木栄三
にあやまつてゐるところがあるのに気づいた)。
母にはの謎とその答への本居内遠の解釈は失当ではあるのだけれど、近世音韻学にすでに濁音バ行に対応する清音がパ行であること、上田万年以前にやはり漢字音研究にもとづいて三宅米吉、大槻文彦、大島正健にハ行唇音説があつたことなど、内田智子、上田万年「P音考」の学史上の評価について(名古屋大学国語国文学97)で教はつたことも、ついでにメモ。
ところで小林先生は、牛の角文字「ひ」説なんだなあ。これも最近になつて、遠藤邦基、牛の角文字 : 「い」説への疑問(関西大学文学論集49(1))をみたのだけれど(そして、まううろ覚えなのだけれど)、こ、し、く、といつた代表的な仮名字体を解としてゐるといふことは内親王が仮名文字遣(異体仮名の使ひ分け)を知つてゐたといふことで、それならば仮名遣も知つてゐたはずだ、といふのはあまり説得的にも思へなかつたな。全然関係ないけど、なにかを受賞してゐたのでこれも最近になつてのぞいてみた、蔦清行、ミの世界(国語国文74(12)も、ミ語法の表記が万葉集の用字法において動詞、見ると共通するところがあるといふのはさうなのだらうと思ふのだけれど、それと語原とはまた別の話なんぢやないか、といふやうなことを思つた(のだけれど、こちらの理解のゆきとどかないことを暴露してゐるだけだらう)。
シリーズ ヒトの科学6;岩波書店;2,400円(借覧);四六判;縦1、2段組;並製;xv+232頁;;ISBN4-00-006956-4;[執筆者]のえ・けーいち(野家啓一)/やまだ・ひとし(山田仁史)/おざき・あきひろ(尾崎彰宏)/くまの・すみひこ(熊野純彦)/かなもり・おさむ(金森修)/はせがわ・としかず(長谷川寿一)/とだやま・かずひさ(戸田山和久)/くろさき・まさお(黒崎政男)/みや・よしゆき(三輪敬之)
講談社選書メチエ382;講談社;1,500円(借覧);B6判;縦組;並製;238頁;;ISBN978-4-06-258382-4;
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