;トランスビュー;2,800円(借覧);四六判;縦組;上製;i+9+381+XXI頁;;ISBN4-901510-42-8;
エピソードの摘録をはじめると結局全部うつすことになりさうなほどおもしろかつたり興味ぶかかつたりするのだけれど、いくつか写しておく。
あるとき「大塚(久雄)君には参ったよ。敗戦直後、進駐軍の兵隊がドロボーをしたという新聞記事が載ったときに、彼は“それは黒人だったにちがいない”と言ったので、あいた口がふさがらなかった」というエピソードを教えてくれた(飯塚浩二。p.19)。
退官講義は、ゆるやかなスロープの大きな階段教室で開かれた。多くの哲学者や他分野の学者が列席していたが、高齢の寿岳文章氏が車椅子に乗って最前列にいたのは印象的だった(p.37)。
同様にさまざまな分野において林達夫は有力な新人を発掘し、関係のあるジャーナリズムに登場させることを好んだ。例えば十年程前、ご高齢の波多野完治氏は自分が若いときにレトリック論で最初に『思想』に登場できたのは林達夫の推薦によるものだ、と話して下さった(p.45)。
が、一度「地球」の話になると、当時ようやく形をとりつつあったプレートテクトニクスに対して、ブルジョワ理論、エセ科学といった批判が口から飛び出す始末だった(湊正雄。p.67)。
凸版印刷の社長であった鈴木和夫氏と初めて会ったとき、「弟がいつもお世話になっております」とあいさつされ、大いに恐縮した(鈴木孝夫。p.85)。
私のいとこの一人である詩人で翻訳家の矢川澄子(故人)は、秋山氏の親しい友人であった(秋山さと子。p.125)。
大江健三郎氏が自らの創作の過程を開示した折には、メンバーの誰もが仰天した。氏は、『同時代ゲーム』だったと思うが、その第一稿が、第二稿、第三稿、そして決定稿と、どう変化していくかを明らかにした。第一稿では、志賀直哉ばりの文章だったのが、第二稿、第三稿となるにしたがって、大江氏独特の文章として完成されていく(「例の会」。p.132)。
そしてこの本はたんにチョムスキーの評伝、紹介をこえて、言語学の本として、ずっと生きつづけると思っています。これは老いの自画自賛ではなくて、学問をやる人にとって必要な勇気のもんだいです(田中克彦からの手紙。p.151)。
中井氏本人の分析によれば、京都には京大にいた時代のトラウマがあり、無意識のうちに京都に行くことを回避したのだ、という話だった。それに対して、笠原氏も河合氏もなるほどと言って不思議そうな顔一つしなかったのには驚いたものだ(中井久夫。p.161)。
服部四郎氏の『音声学(カセットテープ付)』について触れておこう。この本のテキスト部分は、一九五一(昭和二十六)年に刊行された、岩波全書の『音声学』をもとにしている。服部氏は、刊行後三十年経過した著書に、参考文献など多少の追加は行ったものの、改変の要を一切認めなかった。心配した氏の後輩である教授諸氏が集まって協議した結果、当時ある有名大学の言語学科主任教授であるU氏が代表となって、最低限訂正した方がよいと思われる百数十個所のリストを持参し、服部氏と相談することとなった。担当編集者である私にもついて来てほしいとのことなので、従って行った。結論を言えば、その結果訂正されるに至った個所は一つもなかった。またテープに録音する作業は容易でなかった。つくり代えた入れ歯がうまく収まらずに、服部氏自身納得のゆく発音がなかなかできなかったからだ。しかし、何とか刊行することができた。/この編集作業を通して、私は一大の碩学の偉大さと、ある意味での悲惨さを学ばなければならなかった。氏に関わるエピソードはたくさんある。しかし文章にするには支障がありすぎて、とても不可能だ。残念なことである(pp.228-229)。
『メイエルホルド――粛清と名誉回復』は、佐藤恭子氏に訳してもらった。佐藤恭子氏は佐藤信夫氏の妹さんだ。西洋中世の修辞学を研究していた信夫氏とは、よく会って話をした。大学を出て、フランスの化粧品会社か何かの日本支配人を経て、研究者になったという経歴の持ち主で、氏のレトリック論などはとても面白かった(p.317)。
活版印刷の最後の本(精興社の場合)になった(p.339)。
中国の歴史05;講談社;2,600円(借覧);四六判;縦組;上製;6+382頁;;ISBN4-06-274055-9;
幻冬舎新書012;幻冬舎;740円(借覧);新書判;縦組;並製;230頁;;ISBN4-344-98011-5;
文春文庫[た-17-5];文藝春秋;619円(100円);文庫判;縦組;並製;382頁;;ISBN4-16-741105-9;
大阪商大初代学長・河田嗣郎を祖父に持つ日系三世(p.165)。
『源氏物語』研究の清水好子さん(関西大学名誉教授)は、万葉学者の旦那と結婚した。彼女には子どもこそおりませんでしたが、ずっとご母堂が一家を切盛りしていた。/そのお母さんが亡くなりましたら、清水さんは家事がなにもできない。ずっと『源氏』と格闘していたわけですから、しょうがないんです。だから、ただちにご亭主を連れて老人ホームに入ってしまった(p.253)。風巻景次郎、清水好子の源語解説を谷沢永一解説で復刊してゐるのを書店で見た(源氏物語 : 時代が見える人物が解る)。
PingURL :