今井源衛著作集 第12巻;笠間書院;(借覧);A5判;縦組;上製;ix+439頁;;ISBN978-4-305-60091-2;
今さらながら、合掌。以下、いろいろ抜書き(なぜか捕捉してくださつてゐる a:id:kasamashoin2 の中のかたに怒られるかな)。
私自身の書いた『紫式部』(人物叢書)は、従来の説とはかなり異なった内容を持っているので、すぐわかるのだが、評論家某氏が数年前某有力誌に掲載した紫式部の略伝は、ほとんど拙著をそのままなぞったものであった、にもかかわらず、その旨一字の断り書きもなかった(論文とは、p.7)。誰だろ。
とにかく、ある程度は文字が読め、だいたいの書写年代がわかり、適当にメモが取れる程度にはありたい(文献学と私、p.40)。うーん、できないな。
話は少し変わりますが、さきほどお話ししました文庫調査の時、今さらのように「群書類従」のありがたさを痛感したことでした。いつもその中の索引一冊を持ち歩いて、まず調査する本の書名がその中にあるかないかを調べてみて、あれば、さっそくその文庫にある「群書類従」本と本文を合わせる。ほぼ同じなら問題外とし、違っていれば、巻頭巻末あたりを書き抜いて帰宅後、さらに別方法で調べる。たいたいの文庫には「群書類従」はありますから、それであらましは見当がつきます。詳しいことはもちろんだめですが、荒ごなしはできるのです。「群書類従」の編集や刊行は中国にならったものには違いありませんが、それにしても塙保己一とは凄い人だとあらためて感心したものです(文献・資料と文学研究、p.52)。
それと同様に、たまたま目の前に現われた一冊の古書あるいは断簡について、その崩し字が読めない、おおよその書写年代もわからない、あるいはどうやって扱ってよいかも知らない、というようなばあい、その人が活字本でいくらりっぱに見える論文を書いたとしても、はたして古典学者と呼べるのか。「わかる」「わからない」ももちろん程度はいろいろですが、たとえば版本の字ならばまずまず読める、また奥書も行書ぐらいならばなんとかあるとか、室町の字と江戸末期の字の区別ぐらいはある程度つくとか、それぐらい、あるいはもう少し上ぐらいのことです。今いった程度のことは、いかめしく「学」と名付けるほどのことでもなく、古典文学の研究に携わる者にとっての最低・不可欠の常識に類することだと思います。近代文学でも似たような事情は大なり小なりありそうな気もしますが、それについていうのはさし控えましょう(同上、p.56)。前前項と同旨。
ということは卒業論文に現代文を選ぶ人が多いってことです。私どもの九大でも卒業生が毎年一五、六人出る中で、現代文をやる人が三、四人から五人くらいいる(同上、p.81)。昭和44年3月掲載のもの。
恩恵を受ける人間が、先方の施しのしかたにケチをつけるのは、身勝手が過ぎるというもので、そういう目に会うのがいやな人は、資料探訪とか収集などということは、考えないほうがよい。りっぱな研究者であって、卑屈になりたくないから、個人の蔵書は探訪しない、という人も多いのである(文庫訪問の心得、pp.106-107)。
格好はヤボでも、日曜大工に使う安物の木製折畳み式一メートル差しが便利である(同上、p.110)。
初めての訪問に際しては、やはり、菓子折の一つくらいは名刺代わりにさし出すようにしたい。(……)
しかし、このばあい、二〇〇〇円以上もするような大きな菓子箱とか、またそれ以上値段のはるようなことごとしいものをさし出すのは禁物である。かえって、いやしい印象を与えかねない(同上、pp.111-112)。
巻末まで披き終わったら、今度は逆に巻き戻すわけだが、これが初心者にはかなり難しい。自信がなければ無理をせずに、文庫の係りの人にそういって、巻き戻してもらうほうがよい。貴重書の多い文庫では、巻子の巻き返しは閲覧者にさせずに、必ず係員が行うことになっている所がある。(……)
また、巻き戻しに当たって巻物の天(上部)・地(下部)の両コグチをきれいにそろえるためには、右にのべた作業の途中で、何度となくこまめに右手の人指ゆびと中ゆびとで天の巻軸の両側のコグチを圧さえ、同時に左手の親ゆびの腹で地のコグチを下から圧さえるようにして整えるとよい。この際、時々巻軸の頭を上あるいは下から圧さえるのはよいが、前述のとおり、つまんで回してはならぬ(同上、pp.115-116)。コグチつてをさへていいんだ! (私は先輩にをさへちやダメつて教はつて、でもすごいガタガタになるんで、いつもこそこそなほしてた)。
参詣の「詣」の旁の旨が崩れた形だという説もあるよしであるが、これは明らかに、ひらがなの「まゐる」が連続してなかば記号化したものと推察できるのである(文庫めぐりの思い出、p.128)。
かつて紛争以前には、ある大学のさる教授は、日々に助手にその昼食用のパンを買いに走らせていたが、その代金を俸給日かにまとめて請求されるや、「そんなものは、助手が処理すべきもので、いちいち教授にいうべきではない」といったとか、また他のさる教授は冬の間は毎朝、自分の出勤前に部屋のストーブには火を入れておくように命じた、とか。また助手は助手で、先生の靴のひものほどけたのまで結ばんばかりであったという。今に伝わる助手残酷物語のさまざまは、どこまで事実かはしらないが、まったくの作りばなしとも思えない(研究室のあれこれのこと、p.177)。
週間文春(私の履歴書、p.257)。この文章の最後の論文名が、平安宮廷の裸踊り、といふのもおもしろいな。
春秋くらべの条の「ころ」が「ろう」の誤写と推定されて「ろん(論)」に(猪八戒の弁、p.266)。
『古事記』所伝出雲神話その他が実は民俗神話ではなく、仏典神話に影響された創作説話ではないかと、大胆な推測(目加田さくを『物語作家圏の研究――その位相及び教養からみたる物語の形成』、p.310)。
大言海に、「於(お)」を「た」と間違えた「たとり腹」という珍妙な語が出ているという話もその時に伺った(池田亀鑑先生の霊前に愧づ、p.398)。
今も感謝の念とともに思い出されるのは、いつだったか、論文か書物か何かに手紙を同封してお送りすると、そのご返事に「一言忠告するが」とあって、「物を送る際に手紙を同封するのは法律違反として過料を取られるから、今後注意するように」との趣旨の文字があった。私は無知の恥ずかしさはともかくも、私のような後輩に対する真実な思い遣りに、心を打たれた。誠実とはああいう好意をさしていう言葉かと、今でも折にふれて思い出すのである(松尾聰先生の思い出、p.403)。
猛暑の中、特に風のない土蔵の中だから、午後の日盛りの暑さの中をランプをつけての写真撮影には死ぬ思いであった。同行の長谷川強氏と私は背広の上着とズボンを脱ぎ、ステテコ姿になって仕事をしたが、先生は平然として、背広にネクタイ姿を崩されないのである。さすがに気がひけて「先生、やっぱり洋服着てないとまずいですかねえ」とお伺いを立てると、「まあ、そうやろなア」とニコニコしながらいわれる。これには弱った(中村幸彦先生の思い出、p.408)。
『紫林残照 続国文学やぶにらみ』の跋文(昭56・4)(p.435)とあるのは、書名か年紀かどつちかが間違ひ。
中公文庫[M391];中央公論社;580円(100円);文庫判;縦組;並製;427頁;;ISBN4-12-201556-1;
日本歴史誌に追悼文がのつてゐてお亡くなりになつたのを知つたので。合掌。
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