;勉誠出版;(借覧);A5判;縦組;上製;9+426頁;;ISBN978-4-585-03165-9;
余滴にちかいものなら、私のやうなものでもたのしめるだらうと思つて借りたのだけれど、案の定、古写本を覗く一篇を中心におもしろくよめた。なんか、どんどん引きたいな。
わが国では漢籍の古鈔本といえば、これを極めて貴重視し、古版本と並べて大切に扱い、その数も少なくない。これに対し、中国に於ては、鈔本というものは版本が成立して刊行される迄の、謂わば資料としての段階にあるものと見なされている。従って、版本が出来上った時点で、その時資料として使われた写本は用済みとなり、不要として扱われるわけである。つまり、飽くまでも版本が主体である。そう考えると、この国に貴重書の写本類が――一般書も同様――殆んど絶無の状態に近いのも故なしとしない(pp.(8)-(9))。
それから、五島美術館でですね、あるときに、金沢文庫本の『白氏文集』を全巻カラーで出しましょうかと、そういうことを言われたんですね。それは止めたほうがいいと、私は即座に申しました。カラーですれば、実物を正確に写し出せるか、ということなのですが……。(板書)ちょうどそのころ、上野の博物館に法隆寺の書物や資料などを展示する別館ができまして、そこに調べに行きまして、そこの聖徳太子関係のものを、実物とそれからカラーにした影印本とを比べて見たわけですが、そうしますと、とくに朱で書いた仮名文字というものが、これは撮影のとき写されたそのままのものではなしに、カラーは後から職人が手を加えて朱を入れている、という操作が加わっていることが判りました。聞いてみますと、やはりそうなんですね。たとえば、(板書)古くはラリルレロのレは、元来は「礼」の旁りなのですから、こういう、ほとんど直角に書きまして、今と形が違っております。ところが、その朱の仮名を見てみますと、レは皆いまの字体になっている。〈おかしいなぁ、鎌倉時代の本なのに、どうしてこんなレがあるんだろうか〉と思いまして、その実物を見ますと、実物はまさしく古体が使われています。つまり、カラーの朱の色を明瞭に出すために、後で旧い片仮名の字体の知識のない職人が手を加えている。そういうことが平気で行われていたわけで、そのために鎌倉時代にいまのレという字体がある、なんていうことになってしまうわけです。つまり、カラーにすれば完全に実物が朱まで全部正確に写せるということにはならない、ということがわかってまいりまして、「カラーにしましょうか」というのに対して、即座に、「カラーは止めたほうがいい」ということを申しました。まぁそんな話もありますが……。もっとも、最近は写真印刷の技術も一段と進んだと聞いております(p.244、pp.280-281にも同旨の文あり)。
カラー、絵巻物というものの色ですね、撮影した後、その色校正というものが非常に、これは難しいということです。蛍光灯の下では絶対駄目で、晴天の午前十時から午後二時までに限られるそうです。この天然の光線じゃなければ色校正は駄目だと、これが徳川(義宣)さんの信念で、「時間がどれだけかかり、色合はせを何回必要としても、原本に忠実な“色”を再現する」とか、「校正の際の視点、光線角度を定め、その時見える原本の状態に於て色を合はせる」と、後に刊行されたときの解説で述べておられます。ですから、カラー校正というものには一つのはっきりした条件がある。そうしますと、それと同じように、角筆を見るにも一つの条件があって然るべきです。私はそれで、角筆を調べるのに一番好条件なときといえば、午後三時から五時まで、それからもう一つは、必ず複数の人が見ると言うことです。一人だけではやはり、いろいろ……。私もそのとき見たのですが、みているうちに、どれもこれも角筆に見えてくる、ちょっと紙に皺の寄ってるのが角筆に見える。で帰りの新幹線の中でちょっと目をつぶっていますと角筆が頭に、こう出てくるわけなんですね(pp.246-247)。
ルーペはあくまでも補助の機器であるわけですから、肉眼での訓練を経ないで、いきなりこれを使うということはもっとも危険だと思うわけで、あくまでもこれは肉眼で古写本に対してある程度の熟練をした人が初めて使いうるということみたいだしな(pp.252-253)。
橋本(進吉)博士が「合点とは、いくつかの訓の中の良いものに合点を付ける」とされ、これが今でも通用しているようです。ところが、一つしかない訓に三つ合点がついている、しかもそのどれも色がついている、ということになれば、これは一体何を意味するのか、ちょっと理解しにくい。私は以前から、合点には二つの役割があると解しております。つまり青い色で示されたテキストの訓、あるいは、赤、黄色、これも同じなんですが、要するに、ある訓に青色で合点がつけられていれば、青色で示される写本にも同じ訓が施されていることを示す、つまり、合点とは一つにはダブリの符号だと私は解しております(p.254)。
後には、「反」という字は不吉だということで「所連切」と表記しますが(p.279、同ページの、
伝とふらくは変)。
元来はもっと大きな字引だったんです。その大きな字引の一部が宮内庁の書陵部にありますが、それをコンパクトにしたのがこの一冊本の『類聚名義抄』です。もと東寺の観智院に蔵されていましたので、観智院本と呼びます(p.289)。改編本系は、(和訓の)増補といふことでだけ考へてゐて、コンパクトとは思つたことがなかつたなあ。原撰本が零本でなければ、どれだけの分量になるのかな。
先ず、次の表に、敦煌本に於て使用されている漢字の別体字(ここでは普通使用される異体字という表現は使用しない)の一斑を示す。(挙例略)
ここで挙げた例は、何れも、平安時代以来のわが旧鈔本類にも普通に使われている例であり(その尠なからざるものが現代のわが国の常用漢字にもそのまま襲用されている)、漢字の書写に筆が使用されてきたという、この前提条件が共通ならば、省画その他によって形成された別体字など中国での長年使い慣れたその前例は、ごく自然にわが国でも受け容れられ、そのまま生かされたことを示している。這般の事情をわきまへないやうな、活字正字体をそのまま手書きするといふ趣旨の本がでてゐた。(pp.355-356、ほかに別体字では、p.81、「門+非」・「闕」)。
尚、表の文字は慶応義塾大学文学部(国文)学生武藤康史君の筆になる、といふ一文があつた(p.41)。異体ではなく別体といふ語をもちゐる理由も書いてあつて、
『類偏碑別字』(羅氏原著北川博邦編、雄山閣刊)の解説に於て、北川氏は、近年わが国で多用される「異体字」なる名称は、中国では本来「別字」「別体」といわれたと述べられ、また、異体字という場合は、先ず正字を想定し、又正異はその間に是非善悪の等差をつけるようだともいわれ、これに対し、別字というときは、本字と同格であり、対等であるとされる、といふのに同意してのことである由(p.28)。
- ふたたび (5)
- 第一 東国特に鎌倉に於ける不動明王信仰資料について 3
- 第二 成田山仏教研究所所蔵白氏文集巻三・四元禄写本について : 附・同巻四の翻印 59
- 第三 成田山仏教研究所所蔵白氏文集巻三・四元禄写本について(承前) : 附・同巻三の翻印 139
- 第四 白楽天と空海 201
- 第五 古写本を覗く 229
- 第六 内典の古写本について 263
- 第七 白居易と道林禅師との問答について 299
- 第八 フランス国立図書館所蔵『敦煌本元白詩抄』について 343
- 主要編著書并論文目録 414
- あとがき 422
ついでに、本編である上中巻の目次も写しておく。
- 上巻 本編
- はじめに
- 第一編 平安末写三教指帰敦光注について : 解題と翻印
- 第二編 秘蔵宝鑰鈔平安末写零本について
- 第三編 尊経閣文庫蔵三教勘注抄について
- 第四編 東寺観智院旧蔵三教指帰〔注〕文安写本について
- 第五編 尊経閣文庫蔵〔注三教指帰〕鎌倉鈔本について
- 第六編 旧鈔本と刊本の間 : 三教指帰古注釈類を繞って
- 第七編 『聾瞽指帰』と『三教指帰』 : 附・天理図書館蔵仁平四年写本の翻字
- 中巻 本編(承前)
- 第八編 『聾瞽指帰』を拝見して : 料紙及び筆者を繞って
- 第九編 『聾瞽指帰』と『三教指帰』との本文の吟味 : 附・『聾瞽指帰』の翻字及び校注
- 第十編 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の本文について
- 第十一編 東寺宝菩提院三密蔵『三教勘注抄』巻五〔鎌倉初〕写本について : 附・本文の翻印
- 第十二編 高野山宝寿院『三教勘注抄』巻一・二〔平安末鎌倉初間〕写本について : 附・本文の翻印
- 第十三編 空海「綜藝種智院式」に関する私見 : 私立学校の創設を繞って
- 第十四編 高山寺旧蔵本高野雑筆集平安末鈔本について
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