原作と映画はまるで無関係である――の、わたくしにはまつたく理解しかねるところの司城家の兄妹愛を、亡母追憶の線でわりときれいに処理してゐた(気がする)。
角川文庫12487[あ 39-1];角川書店;514円(1割引);文庫判;縦組;並製;292頁;;ISBN4-04-365601-7;
光文社新書242;光文社;720円(借覧);新書判;縦組;並製;240頁;;ISBN4-334-03342-3;
本書の記述を見て、思つたことなど適当に:
イギリスやアメリカの学校の授業に「古文」はない。アルファベットでしか書けぬ西洋語は、文字が発音の変化を忠実に反映しすぎて、綴りが百年単位で変動してしまうため、千年もたつと「外国語」になってしまうのだ。英語の最古の叙事詩『ベーオウルフ』は、八世紀の作品であるが、一般の英米人はこれを音読することさえできない(pp.12-13)。これは東アジアでの詩経や論語に対して、書いてゐる文章だからちよつとちがふことだけれど、さて、しかし古事記や万葉集だつてよめるのか。
よんどころなきぎこれあるそうろうとき、とよんでゐるけど(p.14)、これあり、ではないか。
現代日本語でも、明るい太陽を「真っ赤な太陽」、淡く輝く月を「青い月」などというのは、古代の名残である(p.26)。ああなるほど。
「ほとけ」の語源は浮屠家(ふとけ)、浮屠=仏塔を礼拝する、家=学派から来ている、つてWikipediaはすごい自信だ。
古くはγと表示といふのは、あんまり雁の飛ぶかたちには見えない。と書いたのは、大辞林や大辞泉の画像のやうなの(下掲の沿革図の「ロ」の段階)を符号化されたもののなかで示さうとしてゐるのだらうけど、それは無理があるなあ、と思つてのことだつたのだけれど、小林芳規「返点の沿革」(『訓点語と訓点資料』54)を見返してみたら、ガンマでもをかしくないかもなあ、と思ひかへされたのでした。
。返点に関してついでに言へば、加藤書に、
高麗の返り点は日本と違う独特の記号(星点という)だった(p.86)とあるのは誤解をまねくやうな記述だなあ。といふか、単点(星点)を漢字の左下等に打つて返読をしめすのは日本でも行はれてゐたことだし。
漢文訓読やそれに伴う訓点の加点は、日本で独自に発生したもののように説明されていますが、実はそうではありません。古い資料を見ると、中国の漢字文化が及んだ周辺諸国(いわゆる漢字文化圏)で共通に見られる現象です。しかもそれは単なる翻訳ではなく、伝統的な中国古典籍(漢籍)や漢訳仏典の受容とともに取り入れられた、極めて巧妙な方法であると考えられます。したがって、訓読とは、いわばkundokuとして、当時の国際的(漢字文化圏)標準だったと言えるかもしれません)とかも一般にわかりやすく書かれるとよいのだけれどなあ。
日野龍夫著作集第一巻;ぺりかん社;8,500円(借覧);A5判;縦組;上製;544頁;;ISBN4-8315-1102-1;
この著作集はえらく早く出たなあ、もしかしたら生前から準備があつたのかなあ、と思つてゐたのだけれど、本巻あとがきによると、葬儀の日に発議があつた由。
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