the view from nowhere : 2006-07-12 (Wed)

Article

のえ・けーいち(野家啓一);1996/7→2005/2;物語の哲学;

岩波現代文庫[学術139];岩波書店;1,300円(借覧);文庫判;縦組;並製;vi+374頁;;ISBN4-00-600139-8;

じんの・たかし(甚野尚志)[編];2006/4;東大駒場連続講義 歴史をどう書くか;

講談社選書メチエ359;講談社;1,600円(借覧);四六判;縦組;並製;249頁;;ISBN4-06-258359-3;[執筆者]よしえ・あきお(義江彰夫)/みたに・ひろし(三谷博)/じんの・たかし(甚野尚志)/おりも・かつや(折茂克哉)/ひらかわ・みなみ(平川南)/みうら・あつし(三浦篤)/いまはし・えーこ(今橋映子)/いさか・りほ(井坂理穂)/たきた・よしこ(瀧田佳子)/いとー・あびと(伊藤亜人)

従来、貫頭衣は幅の広い布の真中に穴を開けて着るものと考えられてきた。しかし服装史研究家髙田倭男氏は、考古学発掘で出てきた当時の機が三〇センチほどしかないことに注目されて、貫頭衣は二枚の布を縫い合わせ、中央に穴を開けて着たものととらえた(p.12)。稲の品種木簡のことなど面白くよんだ。

おーたけ・ふみお(大竹文雄);2005/12;経済学的思考のセンス お金がない人を助けるには;

中公新書1824;中央公論新社;780円(借覧);新書判;縦組;並製;xiv+4+232頁;;ISBN4-12-101824-9;

かしまだ・まき(鹿島田真希);2005/6;六〇〇〇度の愛;

;新潮社;1,400円(借覧);四六判;縦組;上製;173頁;;ISBN4-10-469502-5;

Trackback

PingURL :

Comment

森 洋介
 野家啓一著はこの増補版で、物語行爲としての動態性を持たせるため表記を「物語」から「物語り」に改めたことを述べてゐましたが、そんな重大な意味は送り假名一字にとっては負擔に過ぎやしないかと餘計な心配をさせられました。さういへば最近岩波文庫から續いて出る伊藤整も「物語り」と書くのが癖で、昔、平野謙がなぜだらうと訝しんでゐました(全集四卷所收『わが戦後文学史』だったか)。瑣末事にて失禮。
猪川
たしか書名も、物語*り*の哲学にしたいみたいなことを書いてましたね。▼たまたまいま読んでゐる長谷川鑛平の本と校正に、移動の場合は「来る」、変化の場合には「くる」と書き分ける翻訳者の例をあげて、「無償の努力」と評してゐましたが(p.68)、似たやうなものを感じます。▼全然関係ないことですが、昨秋、生野家啓一を見たのでした。風姿はまるで思ひ出せなませんすが。▼伊藤整にそのやうな癖があるとは存じませんでした。いま手もとにある小説の方法を見てみると、たしかに「決して小説の約束が先行するのではない。形式(敍事詩、詩劇、物語り、自傳等)はその社會の構造の相似形であるときに正しい。日本の三味線、ヨーロッパのオーケストラ、ダンテの敍事詩、バルザックの物語り等」(河出文庫版、p.236)と書いてゐました。さすが平野謙。▼平野謙といへば、坪内祐三が同時代も歴史であるで、一章(戦時の「傷」は暴かれるのを待っている)を杉野要吉のある批評家の肖像にあててゐるのは、早稲田の同僚ぼめぢやないか、と思つてしまつたのは単なるげすの勘ぐりですかね。やつぱり。
名前:
URL or E-Mail:
本文:
Generated by lily 0.1.5
Powered by ruby 1.8.5
snob@s1.xrea.com