the view from nowhere : 2006-01-14 (Sat)

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くらたに・しげる(倉谷滋);2005/7;個体発生は進化をくりかえすのか;

岩波科学ライブラリー108;岩波書店;1,200円(借覧);B6判;縦組;並製;ix+112頁;;ISBN4-00-007448-2;

こいけ・せーじ(小池清治);2003/6;日本語は悪魔の言語か?――ことばに関する十の話;

角川oneテーマ21 B-44;角川書店;667円(借覧);新書判;縦組;並製;213頁;;ISBN4-04-704131-9;

国号「日本」は「相手基準の自己定位」だといふ点、終止形の連体形への合流の要因のひとつに東国方言(アクセント)の影響があるといふ点、おはや、ありがたは関西弁だといふ点などもう少し論証がほしいと思つた。

こーのす・ゆきこ(鴻巣友季子);2005/10;明治大正 翻訳ワンダーランド;

新潮新書138;新潮社;680円(借覧);新書判;縦組;並製;204頁;;ISBN4-10-610138-6;

本書の著者があるところで、日本語がかはつてきた、「久住は悲しい」というのは日本語では一応言いにくかった。だけど、最近の小説を見ると主人公の描写で「彼は悲しかった」というのが出てきて云云といふやうなことを発言してゐたのだけれど、心情形容詞述語文での主語の一人称限定は現在形でのはなしだつたはず。

あべ・よしお(阿部善雄);1983/9→1994/8;最後の「日本人」 朝河貫一の生涯;

同時代ライブラリー195;岩波書店;1,100円(借覧);B6変型判;縦組;並製;viii+305頁;;ISBN4-00-260195-1;

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森 洋介
「最近の小説」と言ふのは謬見もいいところでせうが、「明治以降の」位にしておけばそれなりに同意を得られたかも。といふのも日本近代文學研究で、「彼は悲しかった」の不自然さに注目してこの心情形容詞述語文の三人稱過去形こそが小説文體ならではの特徴だとする論があるので。曾根博義「昭和文学史 戦前・戦中の文学」(『昭和文学全集別巻』小学館)・「田山花袋の描写論とその実際」(中西進編『日本文学における「私」』河出書房新社)・「小説の言葉と描写」(『早稲田文学』九一年八月號)、等。更にこれには鈴木貞美「日本の小説話法の特殊性をめぐって――曽根博義『小説の方法』批判」(『現代日本文学の思想』五月書房)が議論を吹っ掛けたのですが、惜しくもそれ以上の論爭にならず、忘れられつつある模樣。でも恐らく、國語學・日本語學の方から見たら文學畑の物語論なぞ愚劣に見えることもあるのでは?
猪川
情報ありがたうございます。そんな論争があつたのですね。人称制限については、西尾寅弥「形容詞の意味・用法の記述的研究」に書いてあるのだと思ひます(
http://www.juen.ac.jp/lab/nomura/keyhyousi.html
の「感情表現」の項に研究史が簡潔にまとめられてゐます)。なかなか語学と文学とのクロスオーバーといふのはなりがたいものです。
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