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五十九 無茶、滅多、無闇
諺草に「無差」を擧げて「ムッサ」「ムッタ」「ムタクタ」「ムタカ」は並に誤なりといへり。此の「無差」も假借なるべきが、以下すべて其の變音なるべきは明なり。「ムサ」「ムタ」「ムチヤ」「メチヤ」「メタ」メッタ」などの轉訛の次第を見るべし。「無性」も「ムシャ」の長音便にして「滅相」も「メッサ」の轉か。「ムヤミ」は「ムヤ〳〵」「ヤミ」などの形容語より出でたらんとは思へど慥ならず。
六十 面倒
「面伏」を面倒と書きて音讀せるものと解くは如何あらん。「目厭ハシ」「メイトホシ」「メンドホシ」といふ語にて煩はしき意なるを、「ドホ」を字音のやうに聞きて活用もシク活よりナリ活に轉じ更には「メンドイ」とク活にも言ふなり。
六十一 最
「最中」のモは稍當れり。「最早」の「モ」は當らず「今」の義なるべし。「モソット」「モチット」なども「今」の「モ」にて、「已ニ」の「モ」と同じ。
六十二 矢張、矢鱈、矢來、やくざ
矢張矢鱈の義考へ得ず。「矢來」は「やらひ」にて人を追ひのけ遣らふ義なり。「ヤクザ」は「芥」の訛か。「ヤクタイモ無イ」も同語なるべし、此に「藥袋モ無イ」と宛てゝ荊軻の折の故事など引けるものあるは面白し。
六十三 油斷
涅槃經の文を引きて説く習なれど、通ずべしとは覺えず。「寛ニス」の音便といふ説當れるが如し。「ユタニ」といふ語は古來通用せるものなれば最難なかるべけれど、慥なる證據はいまだ見出でず。
六十四 腕白
腕白き惡戯小僧ならば、さしたる程にはあらじ、此は「蠻貊」の支那音ワンパクなるべしなどいふ説は、まづ面白しとや言はん。案ずるに大人は理非分別あるものなれば「大人シ」と形容詞にして温順の義にも轉じ、小兒即「童」は分別なき者なれば「ヤンチヤ」なる義に用うるにて、「ワラハ」が「ワッパ」となることは「小童」「河童」の例にて知るべく、「ワッパ」が「ワンパ」となりて下に「ク」を添へたらんとは容易に想像し得ることなるべきか。
六十五 穢多
の説は古來多し。「穢」を「ヱ」といふは古來の通用なれど、「多」の字は解しがたし。此は「穢多」が「穢取ラン」と觸れ歩きし聲の「ヱタラン」と變じ「ヱタ」と下略し、「ヱッタ」ともいふにて「多」は全くの假借なるべくや。
以上三回に亘りて貴重なる誌面を塞げること讀者諸君に別して謝する所なり。此の次に繼字・振假名字などの沙汰もすべき豫定なりしも、あまり面白くもあるまじく氣づきたれば、此にて今回の「宛字」一編は完結とせんとす。讀者之を諒とし給へ。
かどわき・しゅんすけ(門脇俊介);2004/1;フッサール 心は世界にどうつながっているのか;
シリーズ・哲学のエッセンス;日本放送出版協会;1,000円(借覧);B6判;縦組;並製;110頁;;ISBN4-14-009311-0;
うがや・ひろみち(烏賀陽弘道);2005/4;Jポップとは何か―巨大化する音楽産業―;
岩波新書(新赤版)945;岩波書店;780円(借覧);新書判;縦組;並製;x+235頁;;ISBN4-00-430945-X;
かりや・たけひこ(苅谷剛彦)/にし・けん(西研);2005/3;考えあう技術――教育と社会を哲学する;
ちくま新書522;筑摩書房;780円(借覧);新書判;縦組;並製;270頁;;ISBN4-480-06222-X;
こーだんしゃぶんげーぶんこ(講談社文芸文庫)[編];2003/9;戦後短篇小説再発見14 自然と人間;
講談社文芸文庫[こ J15];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;248頁;;ISBN4-06-198344-X;[著者]ひの・あしへー(火野葦平)/こんどー・けーたろー(近藤啓太郎)/いのうえ・やすし(井上靖)/かんばやし・あかつき(上林暁)/たけにし・ひろこ(竹西寛子)/おざき・かずお(尾崎一雄)/まるやま・けんじ(丸山健二)/さかた・ひろお(阪田寛夫)/かとー・ゆきこ(加藤幸子)/たわだ・よーこ(多和田葉子)
しみず・かずよし(清水一嘉);2001/12;自転車に乗る漱石 百年前のロンドン;
朝日選書689;朝日新聞社;1,400円(借覧);四六判;縦組;並製;297頁;;ISBN4-02-259789-5;
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