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四十二 可愛、廉、駕籠、瓦斯
「カハユキ」を「カハイヽ」「カアイヽ」と訛りて「可愛」などの宛字となれるは説明を要せじ。諺等に之を反對に説けるは例の漢意なり。「一廉」「前廉」「廉々」など「段」とか「件」とか謂ふべき處に「カド」といひて「廉」の字を書くこと、不當なるが如くなれど、「角」のカドと多少用法を變へたるは自然の成行なるべきが、やゝ面白し。角、廉、才、智、みな「カド」と訓ずべく、カドに段件などの義あれば、漢字を宛つる塲合には前の塲合の如き、廉の字最適せりといふべし。次に「籠」は古は「コ」とのみ言へれど、後世は専「カゴ」といへば、「籠」一字にて足るべきに、さては人間乘用の物と魚菜などの籠との區別なきにより、言葉には「ノリカゴ」と言はざれど、文字にのみ「籠」の字を加へて「駕籠」と重箱讀の如く見せかけたる、一種の現象なり。瓦斯はガスの假名違の宛字なるに、字を見て「グヮス」「グヮシ」を正音と思ふ人ありたらんには氣の毒といふべし。外國音の宛字には此の種の危險頗多し。
四十三 貴樣
昔はキヤ ̄ウと音讀せしこともあれば「貴樣」は「貴殿」と同じく貴の本義に用ゐられたるかとも思はるれど、固有語「キミ」を略して「キ」とのみ言ふこと、「樣」を「サ」、「殿」を「ド」といふと同じく古よりの慣例なれば、「キサマ」は「キミ樣」の略なりといはんが穩當なり。「兄貴」「ヲヂ貴」の類皆是にて、其の「キ」の敬語却つて輕蔑に近く變じたるは、「熊公」「八君」「吉先住」の公・君・先生などに同じ。
四十四 草臥
「クタビレ」に此の字を用うる故由古來明ならず。「クタビレ」は又「クタブレ」ともいふ、「クタ」は腐又は「クタ〳〵」の義、「ビレ」「ブレ」は其の状になる意味の動詞接尾語なりと見る説は大抵人の一致する所なるべし。扨その「クタ」を草臥の「クサ」に假り、「ブレ」のブのみを「ブシ」のブに宛てたりと見んはいかに。「ビレ」と「ブレ」とは相通ずるなり。諺草に「憊勞する事をいふ是山伏の入峰修行より起れる詞にして今日は平人の事にもいへり」とあるは、如何なる根據を有するにか、野伏・山伏・草ブシと並べての想像説にあらじか、「クタビル」といふ語は平安朝の半より有り、草臥を宛つるは太平記に見えたり。古事類苑禮式部に引ける和長卿記の明應九年の條に「主上(後土御門)御草臥也〈御冠許/著御〉」とあるは、正臥にあらざる草臥即略臥にて、崩御二日前御危篤の折の樣ならんと見ゆるが、草臥といふ語もし他にも有らば、クタビレて苟且に草臥するより、結果を表す文字を以て其の原因をいふ語に宛てたりとも見るべし。併せ記して參考に供す。
四十五 怪我
「ケガ、アヤマチ」のケガに宛つるは何時頃よりならん、延寳の本朝世諺俗談及元祿の諺草には「怪瑕」に作り、享保の節用集には「瑕又作㆑我」と記せり。「思ひ設けずして疵を被るを怪瑕といふ」など釋せる、一わたりは叶へる樣にもあれど、疵・傷を瑕といふも如何なり。「怪我」の字面は過失にてすること故、「我ヲ怪ム」といふこと稍通ずれども、出典なければ决しがたし。和訓栞に、「ケガレ」の下略なりといへる、罪・過・流血などを穢としたる國俗より思へば誠にさなりと諾はるれど、ケガレを明にケガといへる證もなく、今のケガといふ處にケガレといひて通ずべしとも思はれず、旁我はいまだ此の語の源を定めかねたり。奇怪不思議神祕なる事に「ケチ」といふ事あるは、「怪事」の轉音なりとの説勢力あり。「物の氣」を「物の怪」、ともじり、物怪より物怪(勿怪)と變ずる、其の後世(平家物語など)の「モツケ」は平安朝の「物の氣」と同事ながら、怪は結局宛字なり。今方言に「氣の毒だ」を「モツケダ」といふ形容詞も名詞の物怪と同語なり。
つじもと・まさし(辻本雅史);1999/3;「学び」の復権――模倣と習熟;
;角川書店;(借覧);四六判;縦組;上製;250頁;;ISBN4-04-883565-3;
こくりつれきしみんぞくはくぶつかん(国立歴史民俗博物館)/ひらかわ・みなみ(平川南)[編];2005/3;〈歴博フォーラム〉 古代日本 文字の来た道――古代中国・朝鮮から列島へ;
;大修館書店;2,400円(借覧);A5判;縦1,2段組;上製;199頁;;ISBN4-469-29089-0;[パネリスト]あつじ・てつじ(阿辻哲次)/り・そんし(李成市)/いぬかい・たかし(犬飼隆)/とーの・はるゆき(東野治之)/かわだ・じゅんぞー(川田順造)/[司会]ひらかわ・みなみ(平川南)
国語文字史研究会/前田富祺[編];2000/5;国語文字史の研究 五;
;和泉書院;(借覧);A5判;縦組;上製;298頁;;ISBN4-7576-0034-8;[執筆者]いとー・まさみつ(伊藤雅光)/これさわ・のりみつ(是澤範三)/おくだ・としひろ(奥田俊博)/にしはら・かずゆき(西原一幸)/こーの・としひろ(河野敏宏)/ふかの・ひろふみ(深野浩史)/こーり・ちずこ(郡千寿子)/くぼた・えりこ(窪田恵理子)/うちだ・そーいち(内田宗一)/ヤン・チヤンス(楊昌洙)/つちや・しんいち(土屋信一)/さたけ・ひでお(佐竹秀雄)/たんぼ・けんいち(丹保健一)/にー・えーめー(倪永明)/まえだ・とみよし(前田富祺)
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