の文字明ならず。饅頭屋本節用集に此の火闥といふ文字を用ゐ、骨董集には火燵と作り、今も多く使用す。また火踏といふ字あり、炬燵は最新しき字ならむ、最意を得ず。コタツのコは
再三といふ字に對して通ずるやうなれど、さては又再三より度數の少きやうにも思はる。此は
草紙・草子の
といふ字、今の儀式の言辭といふ如き意味には適當すれど、古には無き字なり。ジギは尚時宜にて時の宜しきに叶へる挨拶の言辭・會釋・謙讓・辭退・態度等に亘りて稱する語なり。叩頭・低頭など書きてジギはオジギなど讀まするは皆振假名宛字なり。挨拶はウツ義にて應接贈答などの意は直接には無けれど、アドウツ如く彼我互に挨拶問答する禪家などの作法より今の用法に轉じたるを併せ思ふべし。
といふ字、ツカサドルといふ義を聞かせんとての思付と見ゆれど、支配といふ通用字にて其の義はあるなり。俚言集覽に、尾陽漫録を引きて胡三省通鑑の注に『支は分なり配は隷なり支記は今人の品配と言ふが如し』とあるを取り、官僚の屬類を支配といふと解せるぞ當れる。かくて名詞より動詞に轉ぜるか、又は始より動詞の義もあるなるべし。
といふ字面、一見目遠けれども、推擧といふも事々しく當らざる塲合多きを見れば、なほ吹聽・披露などに近く、吹嘘の字の古きに從ふべし。
ショタイ又セタイといふに世間に出でゝ一身代を持つやうの意あるより世帶を正字正語と思へる人多し。されど其の帶の字の解しがたきを如何にせん。所帶は所領と同じく所帶之庄園の義にして、財産又は一家などの義と轉ぜるなり。ショをセと轉ずるは
大根を細く切りたるを千六本といふは面白き字面なり。されど總べて野菜などを「セン」に切るといふ、其の「セン」が「千」ならば、大根の塲合「六本」は餘分になりて整はず。「セン」は纎にて、葛切を水纎といふ如く、
此の字、朱雲の故事より出づといふは如何あらん。責勘などが却つて當れるにあらじか。切勘とも書きたれば、切諫の字も有るべく思はる。諫の字イサムと訓じて、同語には上より下に對するにも用うるなり。
の字解しがたし。大壯・大造などの字もあれど、大相が最當れるか。或は又サマの音便なるサウにて、
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講談社文芸文庫[こ J12];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;237頁;;ISBN4-06-198334-2;[著者]たけだ・たいじゅん(武田泰淳)/まつもと・せいちょー(松本清張)/みしま・ゆきお(三島由紀夫)/しーな・りんぞー(椎名麟三)/くらはし・ゆみこ(倉橋由美子)/おーおか・しょーへー(大岡昇平)/のさか・あきゆき(野坂昭如)/なかがみ・けんじ(中上健次)/みやもと・てる(宮本輝)/ふじさわ・しゅー(藤沢周)
マーガレットコミックス;集英社;390円(200円);新書判;縦組;並製;176頁;;ISBN4-08-847784-7;
;吉川弘文館;(借覧);A5判;縦組;上製;6+336頁;;ISBN4-642-01313-X;
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