the view from nowhere : 2005-07-25 (Mon)

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三矢重松「宛字」(8)

十一 一應・一所・一圖・一過

國語のイチオーは一ワウにて一ワタリの義なること論なし。一往といふ語、通鑑漢献帝紀にありと諺草に云へり。一應は無意味に書き出せる字かと思ひしに、支那の俗語にありて、一切の義、「一應財物」「一應親戚故舊」なき用うるなり。往はユク・ワタルにて應とは混ずべからず。共にすることを『イッショ』といふは一處なるべし。一所と書くは字畫の簡なるを用うるなり。一緒は物好なる人の書き出しけん字か。イッシュ又はイッシュウとも言ふは訛言にて其より一集などいふ字を出でたるか。一筋なるとイチヅといふは一途の字なり。一圖と書く人あるは、近頃漢音流行して一途を「イット」と讀む別義の語あればなるべし。「一過イツクワは凌ぐ」などいふ一過といふ字當れりや。諺草に邵康節の「風花雪月一過乎眼」といふ句を引きて、「かりそめなる事」と解せる、さもあるべきか、斷じ得ず。

十二 衣桁

ケタの桁の字を書くこと,其の形より見れば通ぜざるにもあらねど、尚古來「衣架」と書けるイカの音便にて長音になれるものなること疑なし。

十三 街道

といふ字何時頃より有りや、腑に落ちず。古は皆「海道」とこそ書したれ。是は、諸國往還の大道は、東海道を海道と略稱せしに傚ひて海道といへるにて、其の義よく聞えたり。街路と言はゞ街衢の路として通ずる常語なれど、街衢を外れたる田野山澤の道を街道といふことあるベからず。

十四 岩乘

丈夫なるをいふは、馬の岩石をも乘るに堪へたる義なりといふは信じ難し。強性ガンジヤウなりといふは稍考へ得べし、或は強情にや、強盛とも書けり。東北地方にては牝馬を雜役ザフヤク、牲馬をガンジョウといふ。岩牆・岩重・五調・頑丈・岩丈・岩疊など種々の字あれども、據る所あるを聞かず。凡俗語には此の如く語原の明ならざる者隨分多し。以下悉く擧げず。

十五 鬼胎

危惧するを「鬼胎を懷く」と書くは、字面人の意表に出でて面白けれども、危殆キタイの本字なること疑ふべからず。疑殆とも宛つるは面白からず。

十六 奇態

は正しき漢語にて通ずるが如くなれども、不可思議の義には少し物遠し。「希代キタイ」の字面古より有れば、希代を正字とせざるべからず。今言ふキタイは奇の義にはあらで、めづらしく希有ケウの意なること、愛敬の愛嬌にあらざると相似たり。

十七 下郎

にても下人の義は聞ゆれど、此と對する上臈を上郎と書く事なければ、なほ下臈も捨てがたし。更に案ずるに下司ゲスといふ語も今下人の義に用うれど、誠は文字の表す如く下役人の義より一般の下人にも用うるにて、下臈も官位の低き下級官人を言へる言の轉用せらるゝなるを知るべし。此の如く我が俗語には官塲用語の成り下れる者あるを忘るべからず。

家來は家禮なるべき事古より詳説あれば、(家隷といふ説は漢語に泥みたるものなるべし)此に揚げず。

よしざわ・かつひろ(芳澤勝弘);2005/5;白隠―禅画の世界;

中公新書1799;中央公論新社;820円(借覧);新書判;縦組;並製;2+ii+269頁;;ISBN4-12-101799-4;

はしもと・おさむ(橋本治);2004/11;蝶のゆくえ;

;集英社;1,600円(借覧);四六判;縦組;上製;251頁;;ISBN4-08-774717-4;

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