the view from nowhere : 2005-07-15 (Fri)

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三矢重松「宛字」(7)

第二 擬音字

今諸學校にて生徒の誤字宛字を書く者多きを歎ずる其の宛字の多數は、世には通ぜぬ一人限の宛字にて、畢竟は誤字とも謂ふべきが、適その字音などの通ずるより許して宛字とはいふなり。國語には音訓の區別の明ならざる者あり、又字音なりとは推定せらるれど、漢籍に思ひ當らざる語には隨時おもひ〳〵の文字を擬してに合すること、無理もなき次第なれど、學者は又其の當否を研究して之を一般に報告するも無用の事にあらじ。さて前號序説に言へる、長處短處の處を所に誤り、特徴を特長とし、神髓を眞髓に作るが如き近來の誤用は姑く措きて、やゝ古く一般的なる擬音の宛字を取ひ出で見んとす。(字音を訓語に宛てたるは次章に(讓りて此に出さず。)

八 愛嬌

人の言動相に「愛嬌」といふケウの字通ずべきが如くなれど、嬌の本義より言ふときは、コブルやうの氣味ありて其の人を好く言ふ事には當らず。此の語の本字は愛敬アイキヤウにて、愛すべく敬すべき所すなはち愛敬せらるゝ所を言へるなり。かくて愛敬の二字連濁にてアイギヤウと發音し、其の敬は添字の如く意味輕く二字にて「愛」の一字ばかりの意味に用うるやうになりしが、漢字の隆興時即徳川氏の頃には此の連濁といふ事やう〳〵廢れ行きてアイキャウと發音する事とはなれり。ここに漢籍にいふ愛ケイは人を愛し敬することなれば、それを本と心得たる人は意義に相應せざる字面なるを感じ、遂にあらぬ矯の字を宛つるに至れるなり。愛ギヤウの本義は愛すべく而も敬すべく、狎るべからず、上品なるに在れば、嬌とは書くべからざるなり。同字を漢音呉音にて讀み分くること不便なりといふ人もあるべけれど、萬歳を「バンゼイ」「マンザイ」「バンザイ」と讀み分くる例もあれば、已むことを得ざるなり。

九 鹽梅

といふ字書經より出でゝ調味料理の意に廣く用うること誰しも知る所なり。然るに増補俚言集覽には之を附會なりとして安排・按排の字を取れるはいかゞ。莊子に安排の字ありといへば、それもさることなれど、尚我が國語となれるアンバイは鹽梅なるべし。按配といふ字も義をなせば、此等は適當なる塲合には通用すべきか。

十 右筆

此の字雲州消息・難太平記などに見えて執筆の義なるを、秘書の意にも用うるは右筆者の義なり。祐筆と書くが非なる由は伊勢貞丈言へり。平家物語卷一殿上闇打の段に「われ右の身にあらず武勇ブヨウの家に生れて」と弼の字を書ける本あるは、文を以て政務を補弼すなどいふ事に思ひよそヘたるのみにて、當れるにはあらじ。

じゅがく・あきこ(寿岳章子);1979/10;日本語と女;

岩波新書(黄版)99;岩波書店;320円(借覧);新書判;縦組;並製;ii+227+7頁;;;

合掌。

あさの・ゆーいち(浅野裕一);2005/4;古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争―;

岩波新書(新赤版)944;岩波書店;700円(借覧);新書判;縦組;並製;iii+200頁;;ISBN4-00-430944-1;

おがえり・よしお(魚返善雄);1966/12;漢文入門;

現代教養文庫578;社会思想社;280円(-);文庫判;縦組;並製;219頁;;;

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