the view from nowhere : 2005-07-12 (Tue)

Article

三矢重松「宛字」(4)

三 ケ

片假名「ケ」を「カ」「ヵ」と讀むこと不審なりと一般の人の言ふはさることなれど、誠は此の字の「ケ」にあらずして漢字の「个」なり。个は、古賀の切又居賀の切にて音歌、枚也と釋する字、枚は即「箇」にて今之をヒラと狹く訓ずるには限らざるなり。我が古文にては枚を常に箇の義に用う。箇は説文に竹枝なりと釋し、韻會に「徐曰、人言㆓一箇一枚㆒依㆓竹木㆒而言㆑之」とあり。けだし「个」は竹の字の片傍なるべし。又个は介と相通じ、介は音カイなるよりケともなれば、片假字のケも此の个の字の草形なる平假名「〓{个の草形}」より出でたりとも言はる。されば「三ケ日」「十ケ月」など用うるは訛れる中にても正用にて、「鶴ケ岡」「市ケ谷」など用うるは助辭の「ガ」に代へたるにて、更に轉用せるものなりと知るべし。

四 〆

此の字を「シメ」又は「シメテ」と讀むこと如何なる仔細か明ならず。嬉遊笑覧に「今封のしめを〆と書く是引墨なり。北山抄に封字のかはりに近代は忽引墨とも見えたり」とあり。引墨とは封じ目に斜なる十字形の墨を引くことにて、今も用ゐ、支那にもある風なるが、其の×と二筆に書くこと少し文字らしく〆としたる由なり。然るに安齋隨筆には、之を「卜」の字と見、卜占の卜にて「シム」と訓むより用ゐたるなりと説けり。余思ふに、後説非にして前説正しかるべし。然れば〆は原は符牒に過ぎざりしが、文字の樣になりたるものなり。之を「貫」の字に代用するは一貫を一シメの義に取りたるもの、「合計」の塲合に用うるは「シメ」といふ讀聲より借りたるものなるべし。

五 匁

を和字と思へる人多し、或はさも言ふべし。されど此は「錢」の一體なる「〓{錢の一體}」の少しく畫を變へたるのみにて、尚訛字といふを當れりとすべし。此の「〓{錢の一體}」の字、支那にては常に「錢」の略筆の如く使用し、我が國にては徳川初世の板本また之を用ゐ、今の「匁」の如く第二畫を横斜に曲ぐることなし。此の字を「錢」の省畫なりとは既に古人の言へる所なるが、余の淺學いまだ其の由來を明に記せる書を見ず。案するに、「錢」の金偏を省ける「戔」の篆體右方の兩點なき「戔」即「〓{戈-丶}」を重ねたる形を、匆の如く畫の斷續を混視し、「勹」の内の二線を一線にしたるにもあるべきか。然らば「〓{錢の一體}」の第二畫を曲折して今の「匁」と作るも、原形より見れば無理なる訛にもあらざるべし。錢は錢貨の稱にして又量の名、一錢量を一文目といふは錢を文に代へたるのみ、「一匁」を一文目と呼ぶはといふ語を餘分に添へたる讀法にて、又「一セン」とも讀むべきなり。匁は和字にて文目モンメと訓ずるのみ音はなしといふは、通俗の言なり、「文」の字と片假字の「メ」との合字なりといふは謬説なり。

スティーブン・ピンカー[著]・やました・あつこ(山下篤子)[訳];2002=2004/9;人間の本性を考える[下] 心は「空白の石版」か;

NHKブックス[1012];日本放送出版協会;1,200円(借覧);B6判;縦組;並製;301+41頁;;ISBN4-14-091012-7;[原題]Steven Pinker, The Blank Slate

こーの・てつや(河野哲也);2003/6;エコロジカルな心の哲学 ギブソンの実在論から;

双書エニグマ(1);勁草書房;(借覧);四六判;縦組;上製;vi+233+22頁;;ISBN4-326-19904-0;

こやの・あつし(小谷野敦);2005/7;帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて;

ちくま新書546;筑摩書房;700円(1割引);新書判;縦組;並製;215頁;;ISBN4-480-06246-7;

こいけだ・まや(小池田マヤ);2005/7;CGH!;

FC[こ-3-1];祥伝社;905円(550円);A5判;;並製;175頁;;ISBN4-396-76361-1;

けふの買物

CLOVER(4)
CLAMP・Amie KC
ジェンダーの日本近代文学
中山和子・江種満子・藤森清編・翰林書房
なぜ、だれも私を認めないのか
勢古浩爾・講談社+α文庫
en-taxi 10 SUMMER 2005
扶桑社

Trackback

PingURL :

Comment

名前:
URL or E-Mail:
本文:
Generated by lily 0.1.5
Powered by ruby 1.8.5
snob@s1.xrea.com