は「タシカ」と讀む字なるが、如何にしてタシカといふ義に用ゐらるゝといふこと明ならず。此の字此の塲合の外には和漢とも用例なく、唯中庸に「君子胡不慥々爾」といふ語ある、慥々をば「篤實之貌」と注したるより、篤實の義が「タシカ」「確實」といふことになるにやと思ふ人もあり。されど此の
」即心偏に送の字を書けるを見れば、中庸の慥の字にあらざること先づ知らざるべからず。然らば「
」の字は如何なる義ぞと見るに、此はまた漢字書にはふつに見當らざるものなり。是に於いて考ふるに、漢字の匚といふ畫の左下を辶(
に作れること干祿字書に見ゆ)なるが、此等より類推するに「
」の旁の之繞も
の變なるべく、![]()
より愜となり、愜といふ本字に歸するなり。此は故佐藤誠實博士の所説なるが、古書の字畫を見ること多きに隨ひて余は愈この説の眞なるべきを信ず。北の頃、日本逸史に載する、延暦十五年五月渤海王の書の禮を失へるを責めたる國書を見たる中に、『今檢㆓定琳所㆑上之啓㆒首尾不㆑慥既違㆓舊義㆒者』といふ句あり、其の慥は
の本字なる愜より訛れること疑ふべからず。愜はカナフと訓じて、こゝは「首尾カナハズ」なり、カナフは「正にタシカにカナフ」にて、愜の字はタシカといふ意義を有すべきなり。(此の時の渤海王の書に「謹差㆓庭諫大夫工部郎中呂定琳等㆒」とある「庭」の字一本には
に作る。前にいへる如く、
は
に作るより廷に紛れ庭とも誤るなり。恐らくは
諫と作るが正しかるべし、字義ふさはしく思はる)
タシカといふ語、古はカを添へず「タシ」とも言へるにや、古事記雄畧天皇の御歌に「たしみ竹たしにはゐねず」といひ、允恭紀に「さゝばに打つや霰のたし〳〵に」といふ語あり、出雲國造神賀詞に「大和心〈乎〉
柄![]()
に誤れり拾穗本に從ふ)は玉篇に言行相應貌とあり云々」と注せり。此の考誰にも起るものと見えて、漢字の慥にて可なりといふ人もあれど、余は從はず。三善清行の十二條封事の中に
伏望申勅㆓諸國㆒差㆓史生以上一人㆒率㆓祝部㆒令㆑受㆓取此祭物㆒
致㆓本社㆒以存㆓如在之禮㆒(第一條)
伏望依㆑舊置㆓判事六人㆒皆擇㆘明通㆓法律㆒者㆖補㆓任之㆒使㆘之倶議㆓科文㆒詳定㆗修章㆖各
㆓其意㆒(第六條)
と
の字は二つあるを、言行相應・篤實之貌を以て解すべしや。愜は、字彙に快・足・適㆑意也、應劭曰志滿也と釋し、それと同字の
には漢文帝紀の天下人民未㆑有㆑
㆑志といふを引き、康煕字典には説文の快也を引けり。今此の清行の文の第一條のは今のタシカニといふに略同じければ、篤實などの義に當らざるにはあらざれど、第六條のに至りては文帝紀の文の如く快・足・適・滿にあらざれば釋すべからず。さるは此の刑罰を定むるに判事の數を少くしては寃罪或は過重の刑を課する恐ある實詞を擧げて、民意の滿足するやりに設備すべしといへるなれば、愜其意とありてこそ文義もよく通ずるなれ。和訓栞に又類聚國史の「上下不㆑慥欵」とあるを引けるが、此も亦愜の義なり。日本書紀に「切」の字をタシカと訓じ,新撰字鏡に「綢」を釋して纒也、韜也、綢繆密也、束也といひ、「繆」には靜也、綢也、纒綿也と釋し、二字の下に「
さてタシカを假字がきにせるものに、竹取・空穂・源氏・枕草紙・宇治拾遺などに彼此見えたるが,古今集の序に喜撰法師の歌を評して「詞かすかにして始終たしかならず」といへるを漢文の序には「其詞花麗而首尾停滯」と作れる、拙語にはあれど、「停滯」は「不愜」に通すべきも「不慥々」にては全く句も義も成さゞるべし。
源氏物語末摘花の湖月抄頭注に白樂天の三友の詩句を引きて「一彈
に似たる
と作りて「タクマシフス」と右訓を施せるは、愜に足滿の義あるに叶ひ、史記司馬相如傳の「愉乎」を八尾板の右訓には「ヨイカナ」とせるに、左訓には「タシカナルカナ」とせるは、愜に快の義ありて愉とも相通ずるよりの古訓なるべし。
不良なるテキストの濫造かもしれない。しかし、青空文庫にもなにもはひつてゐないし、同じ国学院でも折口信夫とは大違ひだ。
橋本進吉によって命名された、とあるのはちがふんぢやなからうか――らがあんだ「国語の新研究」所収の同論文では、上記2点は両方とも訂正されてゐる(おひおひ全体の異同を確認したい)。
はじめのうちはいまひとつな感じだけれど、「第七官界彷徨」以後晩年の辺はそれなりに。
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