けふからしばらくのあひだ、三矢重松(みつや・しげまつ、1871-1937)の「宛字」といふ論文を入力してゆかうと思ひます。まとめたファイルはhttp://mpcp.hp.infoseek.co.jp/ateji/に置きます。
太閤の右筆が「醍醐」といふ字を忘れて思案せしに、萬事早速なる太閤は「大五」と教へたりし由相傳ふ。醍醐と大五とは、字畫の繁簡意義の懸隔せること固より霄壞も啻ならず、唯其の音の同じきより通ずる所あるなるが、世人はかゝる文字の用法を許さず、宛字なりとして直に之を排斥す。されど「參議」を「三木」とし、「几帳」を「木丁」とするが如きは、符牒に類したる記法なるが、尚古來通用して一種の便法とせり。薩摩に「五代」といふ地名と苗字とあり、其の「五代」は「五大院」の下略なる「五大」の變字にして、「五大院」は又「後醍院」とも書せしを見れば、太閤が「醍」に「大」を代へたると同じ事の既に世に通用せるなり。同じ「ダイ」といふ音にて、仙臺・千體・千代・川内などの例も乏しからず。又近江の「余吾」は與胡・余呉・余湖とも記し、平維茂の余五を余吾とも記す例に考ふれば、醐より湖・胡・吾を經て五に至るも當然の事にして、太閤の「大五」は理に於いて何等の不都合なきに、而も世人はなほ之を當然の事として視ざるは、別に事情の存するなり。
そも〳〵漢字は意義ある文字なれば、同音なりとて妄に通用すべからざるは、動かざる根本の定にして、我が國書にありても此の定をば遵守せり。されど外國の意字を用ゐて此の間の事を書記せんとするには、勢おのづから一種の變法を用ゐざるべからず。こゝに記・紀・萬葉の假借法あるなり。片假字平假字の製作あるに及びては、彼の假借法を用ゐざるも能く國文を記すべき理なれども、助辭にこそ假字はふさはしけれ、名詞其の他の品詞に假字を用うるは當時の人の喜ばざりし所にして、一千有餘年の今日も尚その風を改めず、甚しきは指定の助動辭「ナリ」を假名書にしては勢力なき心地すとて「也」の字を用ゐて得々たる文士もある體なり。此等に由りて考ふるに、現時の國文に於ける漢字の用法には、其の根本的正用法と日本的假借法との兩樣の原則あるを認めざるべからず。此の兩樣の法則が、如何に世人に行はれ學者に研究せられたるか、正字學上の緊要なる問題なるべし。
近來やかましく漢字の正俗僞を論ずることの學術教育界に行はるゝは、いづれ正しきを教へんとする良風には相違なけれど、其の説く所は一字一畫の正否にのみ存して、一般に如何に漢字を用うべきかといふ大體を失せりと見えて、吾人の目に觸るゝ印刻物の文字は十年前に比して誤謬を加へたる觀あり。「長處」「短處」の處を所とするは「所長」「所短」に混じたるなるべく、「某氏の述ふる處によれば」など記すは「所説」「所述」などいふ文字を知らざるなるべし。所と處と通用するやうに見ゆることも無きにあらねど、其の根本の差を無視するは如何あらん。此・是・之・斯などは、相通の例古くより有りて、根本的の區別をするは誰も難んずる所なれど、さりとて「之ハ」「之ノ」「之等」などいふ字類を見ては一驚を吃せざるを得ず。「達」の字の旁は土羊にして幸にあらず、「聖」の字の下部は王にあらず壬にあらず
なり。「全」の字の上「内」の字の中は入にして人にあらずなどいふ教も惡しからねど、漢字に篆隷楷行草等の書體ありて、其等の書體に於ける字形の變化を知らざるが如きは、學者論としても成り立つべからず、教育には殊に危險なりと謂はざるべからず。又書道書法といふものありて手書の際に異同の生ずることあるを知らざるが如きも癡なり。 説文と康煕字典とを只管虎の卷と心得たらん人は、日本の辭書は言海なり、日本の語は言海に依據すべしと思ひたらんが如し、志は可なれども愚は憐まざること能はず。要するに漢字の根本的正用法の中にも幾多の種類あるを知らざるべからず。
日本的假借法は、之に比すれば更に多岐にして、或る意義に於いては更に知り難きものあり。記・紀・萬葉の時代に在りては、アイウエオに阿伊字衣於を用うる假音あり、カキケコに香木毛子を用うる假訓あり、「
さて世にいふ宛字とは如何程のものをいふぞといふに、前に言へる支那に於ける假借をも指す塲合なきにもあらねど、先は日本的假借法の文字をいふが如し。余は此の意味に於いて宛字の現今行はるゝ者に就き、多少の解説を試み、大方の取捨を待たんとす。固より字書風に組織的に之を網羅せんことを期するにあらず、唯思ひ出づるに隨つて之を數へ立てんと欲するのみ。その大略の種類
PingURL :