の音轉訛して「アクセク」となりたる者と考ふるは、宛字の中にても無理のなき方なれど、固有語の形容を言ふに、「アツクリ」「ワク/\」「セク/\」などの例多きを見れば、字音説は信ずべからず。「阿房」「阿呆」「安本丹」の類も同じく愚癡を形容する固有語なり。
の「間」の字の假惜なるは、「淺
一向なるをいひ、一點張とも書ける、此の「天」「點」の義解し難し。此の語の賭博より出でたること明なる上は「一
「糸惜シ」は平安朝より有る字面なるが、「
建仁寺の工事に榮西が己の名を懸聲にして呼ばしめしより起るといふは、例の牽強なり。「エイヤサ」とも「エンヤサ」とも「エンサカホイ」とも、「ヨイヤサ」とも「エツサクサ」とも「ヨイシヨ」とも色々に言ふ、皆自然の固有の聲なり。(此の類以下擧げず)
;日本評論社;1,300円(借覧);四六判;縦組;上製;277頁;;;
なかなか中公文庫版をみつけられないので。
シリーズ〈日本語探究法〉4;朝倉書店;2,800円(借覧);A5判;横組;並製;vi+180頁;;ISBN4-254-51504-9;
lexicon-itemなのであると書いてゐるけど(p.2)、さうすると本書でいふ語彙はvocabularyではなくてlexiconなのかなあ。
中公新書1779;中央公論新社;740円(借覧);新書判;縦組;並製;221頁;;ISBN4-12-101779-X;
マーガレットコミックス;集英社;390円(1割引);新書判;縦組;並製;174頁;;ISBN4-08-847877-0;
平假名片假名が漢字の音訓を假りたる者なるを知る時は、謂はゆる宛字も亦音訓を假借するに於いて極めて自由なるべきを想ふべし。其の音にして他の音を假りたるは、前回之を擬音字として概説したれば、今は訓なるに音を假りたる、他の訓を假りたる、或は音なるに訓を假
の類を述べんとす。(音なるに訓を假りたる者は殆無し)而して此等の宛字を品詞の上より見るに、全然其の異同を顧みざるものにして、其の矛盾の中に一種滑稽的なるをかしみを感得したる者の如し。前例「ヒサゴ」といふ一語を「柄杓」の二字に分ち、動詞の「見」を形容詞の「美」に變へて「美事」とし、感動詞の「アナ」を名詞の「穴」にて寫し、「羨シ」といふ一形容詞を二名詞「浦」と「山」とに動詞「敷」を加へて三字とせるが如く、「也」といふ感辭を指定助動辭「ナリ」に宛て、「得」といふ動詞「共」といふ副詞を「候ヘドモ」の動詞の語尾とテニヲハとに宛て、名詞「
固有名詞特に地名の大部分は音訓假借の文字に依ること誰しも知る所なり。是は今の北海道樺太の地名の無理千萬なる宛字を用ゐたるにても推知すべく、古は其の上に二個の佳字を配用せんなどの餘計なる注文まで附けし爲に、愈むづかしき者となりたるなり。此等の地名が苗字となりて更に紛亂を重ねたり。
;新潮社;(借覧);四六判;縦組;上製;285頁;;ISBN4-10-367103-3;
;青山学院大学文学部日本文学科[発行];(借覧);A5判;縦組;上製;161頁;;;[執筆者]やじま・いずみ(矢嶋泉)/さとー・まこと(佐藤信)/NAM PUNG-HYUN(南豊鉉)[趙大夏訳]/小林芳規/安田尚道/おがわ・やすひこ(小川靖彦)/たかだ・ひろひこ(高田祐彦)
3月に行はれたシンポジウムをもとにした論文集。
ポストモダン・ブックス;岩波書店;(借覧);B6判;縦組;上製;vii+111頁;;ISBN4-00-027075-3;[原題]Jeremy Fox, Chomsky and Globalisation
1928年うまれで今年77歳なんだなあ。喜寿とか超似合はねえ。生田英考の解説によるとジョージ・スタイナーも同い年。
呑氣など書き、又
の腑の字、解すべからず。或は天賦の賦にもあるべきかとも思へども、甲斐ナシにて事足りたる語なるより考ふれば、「不」の字にて二重打消の語にもあるべし、「
答へ得ずして口を閉ぢて屈服する義に通ずれど、平降といふ字も八幡愚童訓に見えて捨てがたし。又閉口は十訓抄に見えたれば新しき字にはあらず。されど俗に屈服を降參といふ如く、平降の方その義廣く、閉口は狹ければ、平降の字正しかるべし。
は
「
通ずるが如くなれど、語の歴史は濫妨にて、鎌倉時代に他の所領を濫に妨ぐるを稱せし語なり。其の後には亂防などいふ字もあれど尚非なり。
和訓栞に、「立羽の字にて鳥の羽をのすに比したる詞なりといへり。されど立派の音なるべし、一派を立つるといふと同じ意なり」といへるは受けられず。扶桑略記に『延文四年十月廿五日行㆓幸圓宗寺㆒始修㆓二會八講㆒有㆓因明論義㆒問者云立㆓破眞僞㆒无㆑過㆓因明㆒』とあり,法然上人繪詞「凡立破の道は先所破の義をよく〳〵心得てこそ破する習なるに云々」とあり、空海秘藏寳鑰に「今造㆓諸論疏㆒者皆破㆑他立㆑自」などあれば、破他立自の論法のあざやかなるを言ふより出でたる語にて立破を本字とす。右は俚言集覽に梅園日記稿を引きて載せたる所なれど、一般の人の爲に此に掲ぐ。なほ平家物語宗論(秘句とて普通本になし)の中に、『成佛遲速の立破には云々』といふ語ありてあざやかなる義に用ゐたり。此の立破を長門本には「流派」と書き、肝文の卷及植木氏本には「リツハ」と假名に記せるを見れば、昔は之を「リウハ」とも言ひしなり。
横着とは何の義ならん、東京地方にて「オーヂャク」とて、濁る處あり、もしは
「暢気」の項で「暖と同字なり」と書いてゐるのは、口偏に旁が「而」のしたに「大」の字(さういへば、めゆがまへ
つてなにから採取したんだろ)。
新潮OH!文庫108;新潮社;562円(100円);文庫判;縦組;並製;286頁;;ISBN4-10-290108-6;「怪しい人びと」改題
「ちくま」(8月号)もらふ。
の文字明ならず。饅頭屋本節用集に此の火闥といふ文字を用ゐ、骨董集には火燵と作り、今も多く使用す。また火踏といふ字あり、炬燵は最新しき字ならむ、最意を得ず。コタツのコは
再三といふ字に對して通ずるやうなれど、さては又再三より度數の少きやうにも思はる。此は
草紙・草子の
といふ字、今の儀式の言辭といふ如き意味には適當すれど、古には無き字なり。ジギは尚時宜にて時の宜しきに叶へる挨拶の言辭・會釋・謙讓・辭退・態度等に亘りて稱する語なり。叩頭・低頭など書きてジギはオジギなど讀まするは皆振假名宛字なり。挨拶はウツ義にて應接贈答などの意は直接には無けれど、アドウツ如く彼我互に挨拶問答する禪家などの作法より今の用法に轉じたるを併せ思ふべし。
といふ字、ツカサドルといふ義を聞かせんとての思付と見ゆれど、支配といふ通用字にて其の義はあるなり。俚言集覽に、尾陽漫録を引きて胡三省通鑑の注に『支は分なり配は隷なり支記は今人の品配と言ふが如し』とあるを取り、官僚の屬類を支配といふと解せるぞ當れる。かくて名詞より動詞に轉ぜるか、又は始より動詞の義もあるなるべし。
といふ字面、一見目遠けれども、推擧といふも事々しく當らざる塲合多きを見れば、なほ吹聽・披露などに近く、吹嘘の字の古きに從ふべし。
ショタイ又セタイといふに世間に出でゝ一身代を持つやうの意あるより世帶を正字正語と思へる人多し。されど其の帶の字の解しがたきを如何にせん。所帶は所領と同じく所帶之庄園の義にして、財産又は一家などの義と轉ぜるなり。ショをセと轉ずるは
大根を細く切りたるを千六本といふは面白き字面なり。されど總べて野菜などを「セン」に切るといふ、其の「セン」が「千」ならば、大根の塲合「六本」は餘分になりて整はず。「セン」は纎にて、葛切を水纎といふ如く、
此の字、朱雲の故事より出づといふは如何あらん。責勘などが却つて當れるにあらじか。切勘とも書きたれば、切諫の字も有るべく思はる。諫の字イサムと訓じて、同語には上より下に對するにも用うるなり。
の字解しがたし。大壯・大造などの字もあれど、大相が最當れるか。或は又サマの音便なるサウにて、
は
講談社文芸文庫[こ J12];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;237頁;;ISBN4-06-198334-2;[著者]たけだ・たいじゅん(武田泰淳)/まつもと・せいちょー(松本清張)/みしま・ゆきお(三島由紀夫)/しーな・りんぞー(椎名麟三)/くらはし・ゆみこ(倉橋由美子)/おーおか・しょーへー(大岡昇平)/のさか・あきゆき(野坂昭如)/なかがみ・けんじ(中上健次)/みやもと・てる(宮本輝)/ふじさわ・しゅー(藤沢周)
マーガレットコミックス;集英社;390円(200円);新書判;縦組;並製;176頁;;ISBN4-08-847784-7;
;吉川弘文館;(借覧);A5判;縦組;上製;6+336頁;;ISBN4-642-01313-X;
國語のイチオーは一
ケタの桁の字を書くこと,其の形より見れば通ぜざるにもあらねど、尚古來「衣架」と書けるイカの音便にて長音になれるものなること疑なし。
といふ字何時頃より有りや、腑に落ちず。古は皆「海道」とこそ書したれ。是は、諸國往還の大道は、東海道を海道と略稱せしに傚ひて海道といへるにて、其の義よく聞えたり。街路と言はゞ街衢の路として通ずる常語なれど、街衢を外れたる田野山澤の道を街道といふことあるベからず。
丈夫なるをいふは、馬の岩石をも乘るに堪へたる義なりといふは信じ難し。
危惧するを「鬼胎を懷く」と書くは、字面人の意表に出でて面白けれども、
は正しき漢語にて通ずるが如くなれども、不可思議の義には少し物遠し。「
にても下人の義は聞ゆれど、此と對する上臈を上郎と書く事なければ、なほ下臈も捨てがたし。更に案ずるに
家來は家禮なるべき事古より詳説あれば、(家隷といふ説は漢語に泥みたるものなるべし)此に揚げず。
中公新書1799;中央公論新社;820円(借覧);新書判;縦組;並製;2+ii+269頁;;ISBN4-12-101799-4;
;集英社;1,600円(借覧);四六判;縦組;上製;251頁;;ISBN4-08-774717-4;
;岩波書店;2,800円(借覧);四六判;縦1,2段組;上製;xv+280+2頁;;ISBN4-00-022139-6;[編者]かけひ・くみこ(筧久美子)/かけひ・ふみお(筧文生)/うおずみ・かずあき(魚住和晃)/[執筆者]あおやま・ゆきこ(青山由起子)/あかまつ・ゆみこ(赤松由美子)/うちだ・せーいち(内田誠一)/こー・せんげー(高倩藝)/さとー・なほこ(佐藤菜穂子)/そばじま・しな(傍島史奈)/たけうち・まさひこ(竹内真彦)/なかじま・わかこ(中島和歌子)/なかやま・ふみ(中山文)/にわ・ひろゆき(丹羽博之)/のはら・やすひろ(野原康宏)/はまなか・ひとし(濵中仁)/はやし・かな(林香奈)/ふじさわ・じろー(藤澤次郎)/ふじわら・ゆーこ(藤原祐子)/ふなさか・ふみこ(舩阪富美子)/ほー・かこー(彭佳紅)/みずもと・けーすけ(水本圭亮)/みの・とよひろ(三野豊浩)/もりおか・ゆき(森岡優紀)/りゅー・うちん(劉雨珍)
新潮文庫[あ-3-1];新潮社;388円(100円);文庫判;縦組;並製;265頁;;ISBN4-10-111001-8;
岩波新書(青版)846;岩波書店;(借覧);新書判;縦組;並製;v+188頁;;;
光文社新書213;光文社;740円(1割引);新書判;縦組;並製;244+13頁;;ISBN4-334-03313-X;
少しぐらい一致してもいいではないかと私は思うのだが、左/右の二項対立図式の下では、そうした“利敵行為”は許されないらしい――対立し合っている二つの陣営が実は同じ前提を無自覚に共有していることを、二項対立と言う。(p.12.)
商品世界を生き生きと見せている資本の回転速度についていけなくてテンポがズレているおかげで、少しだけ覚醒していられる遊歩者は、自分の方向性を自分で決められない、頼りない主体である。(p.206.)
岩波文庫[青 N104-1];岩波書店;700円(借覧);文庫判;縦組;並製;335頁;;ISBN4-00-381041-4;
;和泉書院;(借覧);A5判;縦組;上製;382頁;;ISBN4-87088-883-1;[執筆者]まえだ・とみよし(前田富祺)/やだ・つとむ(矢田勉)/たむら・なつき(田村夏紀)/みほ・ただお(三保忠夫)/こーり・ちずこ(郡千寿子)/さかい・けんじ(酒井憲二)/ささはら・ひろゆき(笹原宏之)/うちだ・そーいち(内田宗一)/よでん・くみ(余田弘美)/ふじた・やすゆき(藤田保幸)/ふくだ・やすのり(福田安典)
講談社文芸文庫[こ J11];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;268頁;;ISBN4-06-198270-2;[著者]うちだ・ひゃっけん(内田百閒)/いしかわ・じゅん(石川淳)/いながき・たるほ(稲垣足穂)/こじま・のぶお(小島信夫)/あべ・こーぼー(安部公房)/ふじえだ・しずお(藤枝静男)/はんむら・りょー(半村良)/つつい・やすたか(筒井康隆)/しぶさわ・たつひこ(澁澤龍彦)/たかはし・げんいちろー(高橋源一郎)/しょーの・よりこ(笙野頼子)/よしだ・ともこ(吉田知子)
高橋源一郎「連続テレビ小説ドラえもん」の出典が、一九九二年八月刊集英社文庫 高橋源一郎『連続テレビ小説ドラえもん』
、になつてるんだけど、「ペンギン村に陽は落ちて」のまちがひだよね。まだ私がわかくて(中学生くらゐ?)「現代文学」の存在をしらなかつたころ、本屋でなぜかこの文庫をぱらぱらと見て、ああこの人はきつとアラレちゃんのことをよくしらないんだな、可哀想に、と思つたやうな記憶があるのだれど、もしかしらたら捏造された記憶かもしれない。平野啓一郎が登場したときに浅田彰が、「さようなら、ギャングたち」以降の文学史といふものがあつてね、とかなんとか苦言を呈したやうな記憶もあるのだけれど、これはもつとさだかでない。
中古文学研究叢書6;若草書房;(借覧);A5判;縦組;上製;636頁;;ISBN4-948755-22-2;
花田清輝著作集IV;900円(借覧);未来社;A5判;縦組;上製;433頁;;;「月報No.4」(広末保、6頁)
;新潮社;1,400円(借覧);四六判;縦組;上製;152頁;;ISBN4-10-469501-7;
;岩波書店;3,800円(借覧);A5判;縦組;上製;viii+315頁;;ISBN4-00-001187-1;
文春新書164;文藝春秋;660円(100円);新書判;縦組;並製;198頁;;ISBN4-16-660164-4;
講談社+α文庫[A 84-1];講談社;648円(300円);文庫判;縦組;並製;251頁;;ISBN4-06-256922-1;「自分様と馬の骨――なぜ認められたいか?」改題加筆訂正
時枝誠記博士論文集 第二册;岩波書店;3,000円(借覧);A5判;縦組;上製;xii+315頁;;;
今諸學校にて生徒の誤字宛字を書く者多きを歎ずる其の宛字の多數は、世には通ぜぬ一人限の宛字にて、畢竟は誤字とも謂ふべきが、適その字音などの通ずるより許して宛字とはいふなり。國語には音訓の區別の明ならざる者あり、又字音なりとは推定せらるれど、漢籍に思ひ當らざる語には隨時おもひ〳〵の文字を擬して
人の言動相に「愛嬌」といふ
といふ字書經より出でゝ調味料理の意に廣く用うること誰しも知る所なり。然るに増補俚言集覽には之を附會なりとして安排・按排の字を取れるはいかゞ。莊子に安排の字ありといへば、それもさることなれど、尚我が國語となれるアンバイは鹽梅なるべし。按配といふ字も義をなせば、此等は適當なる塲合には通用すべきか。
此の字雲州消息・難太平記などに見えて執筆の義なるを、秘書の意にも用うるは右筆者の義なり。祐筆と書くが非なる由は伊勢貞丈言へり。平家物語卷一殿上闇打の段に「われ右弼の身にあらず
岩波新書(黄版)99;岩波書店;320円(借覧);新書判;縦組;並製;ii+227+7頁;;;
合掌。
岩波新書(新赤版)944;岩波書店;700円(借覧);新書判;縦組;並製;iii+200頁;;ISBN4-00-430944-1;
現代教養文庫578;社会思想社;280円(-);文庫判;縦組;並製;219頁;;;
をトチと讀む、之を和字といふは例の難は無かるべし。さらば如何なる義にて造れるぞといふに、答ふる由なし。此の字又「
」とやうにも書くは、畫の類似にて定めて誤ならんと思はるれど、栃を正とし
を誤と判斷すべき典據はといふに、今の通用の多少の外には又答ふべき由なからん。言海には杤といふ字を當てたるが、世には杤と書くことも無きにあらず。又橡の字あり、杼の字あり。此等六字の中に何か正しきと言はゞ、今の漢字書本位の人は「橡」を取るべきか。されど此はツルバミとも讀む字にて、トチには限らず、又漢字は物名に當つること最困難にて殆推定しがたきものさへ有るを思へば、生物知のやうに斷じ過ぐるもいかゞなり。「杼」は、莊子に「杼栗」とあるより栗の屬トチならんと推定せるものか、櫲樟の櫲の傍を二分して杼とも橡とも書けらんものと見ゆるはなど思はるゝもをかし。とまれ今の人は普通名詞には此の二字の中を擇ぶなるべきが、地名に至りては、前の四字の中を書くことなるべければ、今はもはら其の四字を沙汰すべきなり。古書を調ぶるに、類聚名義抄に「杤」をトチと訓じたれば、よし傳聞の誤ありとしても新しきにはあらじ。百をドヾ又ドンドと讀み、「度」を加へて![]()
(重松イフ、
ニアラズ)字は絶えて古書に見ざる所、云々。トチは元樹名菓名にして橡杼もしくは杤字を充用す。其杤は本邦制作の文字なれど、十千を萬とするの義に取る、會意曉然たり。鎌倉大草紙、結城陣の交名の中に、朽木・加園と見えたるは、必定本郡杤木・加園二地の在名を唱へし將士なり。
字に至りて殆他に所見なし、恐らくは淺人の所爲に出で、官公誤りて之を依用したる者のみ。
字は漢字典にも見えず、全く出據を缺ぐ)國誌、杤に作り、地誌提要、橡に依れり、尊攘記事は櫔字を用ゐたるが、亦一譌を加ふるのみ。
と記せり。此の文にて、栃も
も
も皆訛字なるを知るべく、櫔に至りては漢學者の愚たゞ滑稽と謂はざるべからず。思ふに、杤の字は朽に誤られ、さてはクチと讀むべきに気づき、上に雁埀の二畫を増せるものが、栃![]()
の三字となれるなるべし。さて十千の万は
と作るべからざれば、
の訛字、
の重訛なるは爭ふべからざるが、万は卐の變形字なりとすれば、漢字の根本に於いて万と
とも畢竟何の擇ぶ所なしと言はるべく、
も
も許容せられざるにはあらじ。橡杼杤![]()
栃
櫔、あゝ紛糾訛誤も是に至りて極れりといふべし。余は政府が速に栃の如き愚字を捨てゝ造字本初の杤の正しきに依らんことを希望して巳まざるものなり。
ここまで「国学院雑誌」第18巻第5号掲載分。
は後半でてこなくなつちやふけど、
と同じ字のつもりなのかな。
;汲古書院;(借覧);A5判;縦組;上製;2+398頁;;ISBN4-7629-3520-4;
講談社文芸文庫[こ J2];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;266頁;;ISBN4-06-198261-3;[著者]だざい・おさむ(太宰治)/いしはら・しんたろー(石原慎太郎)/おーえ・けんざぶろー(大江健三郎)/みしま・ゆきお(三島由紀夫)/おがわ・くにお(小川国夫)/まるやま・けんじ(丸山健二)/なかざわ・けい(中沢けい)/たなか・やすお(田中康夫)/みやもと・てる(宮本輝)/きた・もりお(北杜夫)/かない・みえこ(金井美恵子)
;大修館書店;(借覧);A5判;横組;並製;xiii+179頁;;ISBN-4-469-24498-8;[著者]わかばやし・しげのり(若林茂則)/すだ・こーじ(須田孝司)
をカスガヒに宛つるは、漢字に無きことなれば、和字なりと謂ふべけれど、此また訛成の字なり。カスガヒといふは、今は兩端の曲れる一種のつかみ釘に言へど、其の本は懸金の如き一種の鎖鏁なり。皇太神宮儀式帳に、「戸具、鎰一勾、鎹六勾、雉立二枚、引手二勾、徑四枚、戸坏四枚、蟹目釘十二隻」と見え、延喜の木工式に鐵工の功程を記せる處に、「擧鎹〈莖三寸環九寸〉云々」「鎹舌〈長八寸廣九寸〉云々」とし打合釘・呉釘・平釘・丸頭釘などゝ並べ出し、和名抄に門戸具の部に「鎹、功程式云擧鎹〈阿介賀須加比、今/案鎹字本文未詳〉と記せる、箋註に、此〈の〉字を皇國所製の會意の字ならんといひ、「按鎹施㆓之戸内㆒所㆔以持㆓關木㆒者、擧鎹亦鎹之一種、蓋有㆘戸内下方施㆓竪關㆒閾上作㆑
然るに、此の鎹の形と用法との類似せる爲なるべし、何時の程よりか今のカスガヒ釘を稱することとなり、元祿九年刊の和字通例書に「俗用㆓
㆒」とあり。
は系に繋・繼の義あるより造れる此の間の會意字なるべし。新撰字鏡に「鎖・鏁」を
を銯と作るは、減畫の書か、物を糸して縫ひ繋ぐ義にとりて自然に訛れるか。銯の字出で來てより、糸と京と行草體して字形の相混ずるより更に訛りて鍄といふ字を成せるなるべし。カスガヒに懸金なると釘なるとの兩義ある中に、今の釘の義なるに鎹
銯鍄の四字あること、文字の變遷の珍しき例といふべし。
片假名「ケ」を「カ」「ヵ」と讀むこと不審なりと一般の人の言ふはさることなれど、誠は此の字の「ケ」にあらずして漢字の「个」なり。个は、古賀の切又居賀の切にて音歌、枚也と釋する字、枚は即「箇」にて今之をヒラと狹く訓ずるには限らざるなり。我が古文にては枚を常に箇の義に用う。箇は説文に竹枝なりと釋し、韻會に「徐曰、人言㆓一箇一枚㆒依㆓竹木㆒而言㆑之」とあり。けだし「个」は竹の字の片傍なるべし。又个は介と相通じ、介は音カイなるよりケともなれば、片假字のケも此の个の字の草形なる平假名「
」より出でたりとも言はる。されば「三ケ日」「十ケ月」など用うるは訛れる中にても正用にて、「鶴ケ岡」「市ケ谷」など用うるは助辭の「ガ」に代へたるにて、更に轉用せるものなりと知るべし。
此の字を「シメ」又は「シメテ」と讀むこと如何なる仔細か明ならず。嬉遊笑覧に「今封のしめを〆と書く是引墨なり。北山抄に封字のかはりに近代は忽引墨とも見えたり」とあり。引墨とは封じ目に斜なる十字形の墨を引くことにて、今も用ゐ、支那にもある風なるが、其の×と二筆に書くこと少し文字らしく〆としたる由なり。然るに安齋隨筆には、之を「卜」の字と見、卜占の卜にて「シム」と訓むより用ゐたるなりと説けり。余思ふに、後説非にして前説正しかるべし。然れば〆は原は符牒に過ぎざりしが、文字の樣になりたるものなり。之を「貫」の字に代用するは一貫を一シメの義に取りたるもの、「合計」の塲合に用うるは「シメ」といふ讀聲より借りたるものなるべし。
を和字と思へる人多し、或はさも言ふべし。されど此は「錢」の一體なる「
」の少しく畫を變へたるのみにて、尚訛字といふを當れりとすべし。此の「
」の字、支那にては常に「錢」の略筆の如く使用し、我が國にては徳川初世の板本また之を用ゐ、今の「匁」の如く第二畫を横斜に曲ぐることなし。此の字を「錢」の省畫なりとは既に古人の言へる所なるが、余の淺學いまだ其の由來を明に記せる書を見ず。案するに、「錢」の金偏を省ける「戔」の篆體右方の兩點なき「戔」即「
」を重ねたる形を、匆の如く畫の斷續を混視し、「勹」の内の二線を一線にしたるにもあるべきか。然らば「
」の第二畫を曲折して今の「匁」と作るも、原形より見れば無理なる訛にもあらざるべし。錢は錢貨の稱にして又量の名、一錢量を一文目といふは錢を文に代へたるのみ、「一匁」を一文目と呼ぶは
NHKブックス[1012];日本放送出版協会;1,200円(借覧);B6判;縦組;並製;301+41頁;;ISBN4-14-091012-7;[原題]Steven Pinker, The Blank Slate
双書エニグマ(1);勁草書房;(借覧);四六判;縦組;上製;vi+233+22頁;;ISBN4-326-19904-0;
ちくま新書546;筑摩書房;700円(1割引);新書判;縦組;並製;215頁;;ISBN4-480-06246-7;
FC[こ-3-1];祥伝社;905円(550円);A5判;;並製;175頁;;ISBN4-396-76361-1;
は「タシカ」と讀む字なるが、如何にしてタシカといふ義に用ゐらるゝといふこと明ならず。此の字此の塲合の外には和漢とも用例なく、唯中庸に「君子胡不慥々爾」といふ語ある、慥々をば「篤實之貌」と注したるより、篤實の義が「タシカ」「確實」といふことになるにやと思ふ人もあり。されど此の
」即心偏に送の字を書けるを見れば、中庸の慥の字にあらざること先づ知らざるべからず。然らば「
」の字は如何なる義ぞと見るに、此はまた漢字書にはふつに見當らざるものなり。是に於いて考ふるに、漢字の匚といふ畫の左下を辶(
に作れること干祿字書に見ゆ)なるが、此等より類推するに「
」の旁の之繞も
の變なるべく、![]()
より愜となり、愜といふ本字に歸するなり。此は故佐藤誠實博士の所説なるが、古書の字畫を見ること多きに隨ひて余は愈この説の眞なるべきを信ず。北の頃、日本逸史に載する、延暦十五年五月渤海王の書の禮を失へるを責めたる國書を見たる中に、『今檢㆓定琳所㆑上之啓㆒首尾不㆑慥既違㆓舊義㆒者』といふ句あり、其の慥は
の本字なる愜より訛れること疑ふべからず。愜はカナフと訓じて、こゝは「首尾カナハズ」なり、カナフは「正にタシカにカナフ」にて、愜の字はタシカといふ意義を有すべきなり。(此の時の渤海王の書に「謹差㆓庭諫大夫工部郎中呂定琳等㆒」とある「庭」の字一本には
に作る。前にいへる如く、
は
に作るより廷に紛れ庭とも誤るなり。恐らくは
諫と作るが正しかるべし、字義ふさはしく思はる)
タシカといふ語、古はカを添へず「タシ」とも言へるにや、古事記雄畧天皇の御歌に「たしみ竹たしにはゐねず」といひ、允恭紀に「さゝばに打つや霰のたし〳〵に」といふ語あり、出雲國造神賀詞に「大和心〈乎〉
柄![]()
に誤れり拾穗本に從ふ)は玉篇に言行相應貌とあり云々」と注せり。此の考誰にも起るものと見えて、漢字の慥にて可なりといふ人もあれど、余は從はず。三善清行の十二條封事の中に
伏望申勅㆓諸國㆒差㆓史生以上一人㆒率㆓祝部㆒令㆑受㆓取此祭物㆒
致㆓本社㆒以存㆓如在之禮㆒(第一條)
伏望依㆑舊置㆓判事六人㆒皆擇㆘明通㆓法律㆒者㆖補㆓任之㆒使㆘之倶議㆓科文㆒詳定㆗修章㆖各
㆓其意㆒(第六條)
と
の字は二つあるを、言行相應・篤實之貌を以て解すべしや。愜は、字彙に快・足・適㆑意也、應劭曰志滿也と釋し、それと同字の
には漢文帝紀の天下人民未㆑有㆑
㆑志といふを引き、康煕字典には説文の快也を引けり。今此の清行の文の第一條のは今のタシカニといふに略同じければ、篤實などの義に當らざるにはあらざれど、第六條のに至りては文帝紀の文の如く快・足・適・滿にあらざれば釋すべからず。さるは此の刑罰を定むるに判事の數を少くしては寃罪或は過重の刑を課する恐ある實詞を擧げて、民意の滿足するやりに設備すべしといへるなれば、愜其意とありてこそ文義もよく通ずるなれ。和訓栞に又類聚國史の「上下不㆑慥欵」とあるを引けるが、此も亦愜の義なり。日本書紀に「切」の字をタシカと訓じ,新撰字鏡に「綢」を釋して纒也、韜也、綢繆密也、束也といひ、「繆」には靜也、綢也、纒綿也と釋し、二字の下に「
さてタシカを假字がきにせるものに、竹取・空穂・源氏・枕草紙・宇治拾遺などに彼此見えたるが,古今集の序に喜撰法師の歌を評して「詞かすかにして始終たしかならず」といへるを漢文の序には「其詞花麗而首尾停滯」と作れる、拙語にはあれど、「停滯」は「不愜」に通すべきも「不慥々」にては全く句も義も成さゞるべし。
源氏物語末摘花の湖月抄頭注に白樂天の三友の詩句を引きて「一彈
に似たる
と作りて「タクマシフス」と右訓を施せるは、愜に足滿の義あるに叶ひ、史記司馬相如傳の「愉乎」を八尾板の右訓には「ヨイカナ」とせるに、左訓には「タシカナルカナ」とせるは、愜に快の義ありて愉とも相通ずるよりの古訓なるべし。
不良なるテキストの濫造かもしれない。しかし、青空文庫にもなにもはひつてゐないし、同じ国学院でも折口信夫とは大違ひだ。
橋本進吉によって命名された、とあるのはちがふんぢやなからうか――らがあんだ「国語の新研究」所収の同論文では、上記2点は両方とも訂正されてゐる(おひおひ全体の異同を確認したい)。
はじめのうちはいまひとつな感じだけれど、「第七官界彷徨」以後晩年の辺はそれなりに。
此の字を「アテ」に用うるは王朝の頃よりありしにや、古書にも多く見えたり。今「アテ字」といふ語を「充字」「當字」など記さんも通ぜざるにはあるまじきも、「當字」は「アタリ字」とも讀むべく、「充字」は字を
こゝに我が通用文字の筆畫の沿革を案ずるに、畫の繁なるは之を減じ、簡なるは之を増し、或は多少の變更を行ふこと甚自由なりし形跡あり。本誌には活字の都合にて其の二三をも紹介すること能はざれど、唯その一例を擧げん。伊奘冉命の「冉」の字、今は「冊」に作り、伊奘諾命と並べては「
」及種々の形に記せる、皆「冉」の字の變形にして、「冉」は「タン」「ダン」「ナン」の音、其の撥音は「ム
」即「死」の字の上に一點を加へたる者なりしなり。かく言はゞ人或は言はん、『アテの字果して「充」の訛變ならば、何を苦みてさる訛字を用ゐん、「
「宛」の字又「ヅツ」といふ接尾語に宛つることあり。此は事柄をそれ〴〵一々に宛つる意味より轉用したるものなるが、接尾語助辭などに強ひて漢字を宛つることは過去の陋習にして且今はあまり行はれざることなれば、「ヅツ」は假名を用ゐて書くを善しとすべし。
「宛」字については近年だと乾善彦先生に論があつた筈(だけど内容をよく覚えてない)。2つ目の画像でしめした字が、「死」の字の上に一點を加へたる者
になつてないのが御愛嬌だなあ。
NHKブックス[1010];日本放送出版協会;1,120円(借覧);B6判;縦組;並製;261+40頁;;ISBN4-14-091010-0;[原題]Steven Pinker, The Blank Slate
;河出書房新社;1,200円(借覧);四六判;縦組;上製;122頁;;ISBN4-309-01338-4;
異言。(同い年かあ。)
;河出書房新社;1,400円(借覧);四六判;縦組;上製;150頁;;ISBN4-309-01549-2;
短篇集。ずつとむかしに山本周五郎の「栄花物語」をよんだときに、田沼時代のはなしなのに現代の経済用語が無造作につかはれてゐるのに(だから駄目といふのではまるでなくて)非常に不思議な感覚を味つた記憶があるのだけれど、現代日本の女子校に聖書のエピソードが(ややパロディぽく)投入される本書にもくらくらくる(三島賞受賞をうけての「新潮」誌での笙野頼子との対談によると本書の著者はロシア正教徒だといふことだつたと思ふ)。表題作はちよつと毛色がちがふ感じ。
けふからしばらくのあひだ、三矢重松(みつや・しげまつ、1871-1937)の「宛字」といふ論文を入力してゆかうと思ひます。まとめたファイルはhttp://mpcp.hp.infoseek.co.jp/ateji/に置きます。
太閤の右筆が「醍醐」といふ字を忘れて思案せしに、萬事早速なる太閤は「大五」と教へたりし由相傳ふ。醍醐と大五とは、字畫の繁簡意義の懸隔せること固より霄壞も啻ならず、唯其の音の同じきより通ずる所あるなるが、世人はかゝる文字の用法を許さず、宛字なりとして直に之を排斥す。されど「參議」を「三木」とし、「几帳」を「木丁」とするが如きは、符牒に類したる記法なるが、尚古來通用して一種の便法とせり。薩摩に「五代」といふ地名と苗字とあり、其の「五代」は「五大院」の下略なる「五大」の變字にして、「五大院」は又「後醍院」とも書せしを見れば、太閤が「醍」に「大」を代へたると同じ事の既に世に通用せるなり。同じ「ダイ」といふ音にて、仙臺・千體・千代・川内などの例も乏しからず。又近江の「余吾」は與胡・余呉・余湖とも記し、平維茂の余五を余吾とも記す例に考ふれば、醐より湖・胡・吾を經て五に至るも當然の事にして、太閤の「大五」は理に於いて何等の不都合なきに、而も世人はなほ之を當然の事として視ざるは、別に事情の存するなり。
そも〳〵漢字は意義ある文字なれば、同音なりとて妄に通用すべからざるは、動かざる根本の定にして、我が國書にありても此の定をば遵守せり。されど外國の意字を用ゐて此の間の事を書記せんとするには、勢おのづから一種の變法を用ゐざるべからず。こゝに記・紀・萬葉の假借法あるなり。片假字平假字の製作あるに及びては、彼の假借法を用ゐざるも能く國文を記すべき理なれども、助辭にこそ假字はふさはしけれ、名詞其の他の品詞に假字を用うるは當時の人の喜ばざりし所にして、一千有餘年の今日も尚その風を改めず、甚しきは指定の助動辭「ナリ」を假名書にしては勢力なき心地すとて「也」の字を用ゐて得々たる文士もある體なり。此等に由りて考ふるに、現時の國文に於ける漢字の用法には、其の根本的正用法と日本的假借法との兩樣の原則あるを認めざるべからず。此の兩樣の法則が、如何に世人に行はれ學者に研究せられたるか、正字學上の緊要なる問題なるべし。
近來やかましく漢字の正俗僞を論ずることの學術教育界に行はるゝは、いづれ正しきを教へんとする良風には相違なけれど、其の説く所は一字一畫の正否にのみ存して、一般に如何に漢字を用うべきかといふ大體を失せりと見えて、吾人の目に觸るゝ印刻物の文字は十年前に比して誤謬を加へたる觀あり。「長處」「短處」の處を所とするは「所長」「所短」に混じたるなるべく、「某氏の述ふる處によれば」など記すは「所説」「所述」などいふ文字を知らざるなるべし。所と處と通用するやうに見ゆることも無きにあらねど、其の根本の差を無視するは如何あらん。此・是・之・斯などは、相通の例古くより有りて、根本的の區別をするは誰も難んずる所なれど、さりとて「之ハ」「之ノ」「之等」などいふ字類を見ては一驚を吃せざるを得ず。「達」の字の旁は土羊にして幸にあらず、「聖」の字の下部は王にあらず壬にあらず
なり。「全」の字の上「内」の字の中は入にして人にあらずなどいふ教も惡しからねど、漢字に篆隷楷行草等の書體ありて、其等の書體に於ける字形の變化を知らざるが如きは、學者論としても成り立つべからず、教育には殊に危險なりと謂はざるべからず。又書道書法といふものありて手書の際に異同の生ずることあるを知らざるが如きも癡なり。 説文と康煕字典とを只管虎の卷と心得たらん人は、日本の辭書は言海なり、日本の語は言海に依據すべしと思ひたらんが如し、志は可なれども愚は憐まざること能はず。要するに漢字の根本的正用法の中にも幾多の種類あるを知らざるべからず。
日本的假借法は、之に比すれば更に多岐にして、或る意義に於いては更に知り難きものあり。記・紀・萬葉の時代に在りては、アイウエオに阿伊字衣於を用うる假音あり、カキケコに香木毛子を用うる假訓あり、「
さて世にいふ宛字とは如何程のものをいふぞといふに、前に言へる支那に於ける假借をも指す塲合なきにもあらねど、先は日本的假借法の文字をいふが如し。余は此の意味に於いて宛字の現今行はるゝ者に就き、多少の解説を試み、大方の取捨を待たんとす。固より字書風に組織的に之を網羅せんことを期するにあらず、唯思ひ出づるに隨つて之を數へ立てんと欲するのみ。その大略の種類
中公文庫[A109-2];中央公論社;320円(-);文庫判;縦組;並製;265頁;;;
合掌。
NHKブックス[1011];日本放送出版協会;1,120円(借覧);B6判;縦組;並製;267+33頁;;ISBN4-14-091011-9;[原題]Steven Pinker, The Blank Slate
上巻を持つて出たつもりが中巻で、よむ順が変になつちやつた。
講談社文芸文庫[こ J4];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;267頁;;ISBN4-06-198263-X;[著者]やまかわ・まさお(山川方夫)/だん・かずお(檀一雄)/いわはし・くにえ(岩橋邦枝)/まるや・さいいち(丸谷才一)/おーば・みなこ(大庭みな子)/せとうち・はるみ(瀬戸内晴美)/のろ・くにのぶ(野呂邦暢)/たかはし・たかこ(高橋たか子)/おーおか・しょーへー(大岡昇平)/やまだ・えいみ(山田詠美)/うの・ちよ(宇野千代)/たかぎ・のぶこ(髙樹のぶ子)
NTT出版ライブラリーレゾナント010;NTT出版;1,600円(借覧);四六判;縦組;並製;246頁;;ISBN4-7571-4113-0;
;世界日報社;(借覧);四六判;縦組;並製;302頁;;ISBN4-88201-067-4;
文字と古代日本2;吉川弘文館;6,500円(借覧);A5判;縦組;上製;4+10+372+v頁;;ISBN4-642-07863-0;[執筆者]ひらかわ・みなみ(平川南)/かわじり・あきお(川尻秋生)/すぎもと・かずき(杉本一樹)/きたの・ひろし(北野博司)/もみやま・あきら(籾山明)/り・そんし(李成市)/ひらの・たくじ(平野卓治)/たなか・ふみお(田中史生)/おーはし・のぶや(大橋信弥)/えのもと・じゅんいち(榎本淳一)/こじま・よしたか(小嶋芳孝)/ばば・はじめ(馬場基)/しもむかい・たつひこ(下向井龍彦)/みやたき・こーじ(宮瀧交二)/みかみ・よしたか(三上喜孝)/すずき・たくや(鈴木拓也)
;新潮社;1,700円(借覧);四六判;縦組;上製;317頁;;ISBN4-10-352304-2;
シンプーブックス;新風舎;1,000円(2割引);B6判;縦組;並製;79頁;;ISBN4-7974-2118-5;
「リベラル」を自称する(だらう)人やマスコミのリベラリズムにもとる言動を剔抉。ちくま新書か光文社新書辺がもうすこしながいものを出さないかな。
ミネルヴァ日本評伝選;ミネルヴァ書房;(借覧);四六判;縦組;上製;4+xxiv+322+10頁;;ISBN4-623-04400-9;
;風間書房;(借覧);A5判;縦組;上製;450頁;;ISBN4-7599-1500-1;
講談社文芸文庫[こ J5];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;270頁;;ISBN4-06-198264-8;[著者]やすおか・しょーたろー(安岡章太郎)/ひさお・じゅーらん(久生十蘭)/こーだ・あや(幸田文)/なかむら・しんいちろー(中村真一郎)/しょーの・じゅんぞー(庄野潤三)/もりうち・としお(森内俊雄)/おつじ・かつひこ(尾辻克彦)/くろい・せんじ(黒井千次)/つしま・ゆーこ(津島佑子)/ひかり・あがた(干刈あがた)/ますだ・みずこ(増田みず子)/いー・なおゆき(伊井直行)
シリーズ・道徳の系譜;河出書房新社;1,500円(借覧);四六判;縦組;並製;239頁;;ISBN4-309-24308-8;
;世界思想社;1,900円(借覧);四六判;縦組;並製;vii+314頁;;ISBN4-7907-1102-1;[執筆者]おーた・よしのぶ(太田好信)/はまもと・みつる(浜本満)/いけだ・みつほ(池田光穂)/けーだ・かつひこ(慶田勝彦)/ふるや・よしあき(古谷嘉章)/しみず・ひろむ(清水展)
新書y057;洋泉社;700円(100円);新書判;縦組;並製;218頁;;ISBN4-89691-615-8;
;ミネルヴァ書房;2,800円(借覧);四六判;縦組;上製;xii+235+7頁;;ISBN4-623-04344-4;
「神話の喪失」といふ「欠如」を埋めるための「記号連鎖」(ラカン!)としての日本文学史の試み。まあ、それなりに。記紀享受史辺とは整合するのかな。
;吉川弘文館;(借覧);A5判;縦組;上製;6+319頁;;ISBN4-642-01312-1;
ことばのために;岩波書店;1,700円(借覧);四六判;縦組;並製;vii+249頁;;ISBN4-00-027105-9;
ちくま新書364;筑摩書房;720円(100円);新書判;縦組;並製;234頁;;ISBN4-480-05964-4;
出たばかりのころにtranscriptionさんがこれ、近年まれに見るクソ本です
、と書いてらつしやつたので買はずにすませてゐたのだけれど、その後逮捕されちやふし、かへつて興味も出て100均本を。悪しき本質主義。科学的な粉飾をほどこさうとすらしてゐないのはちよつとましかもしれないけれど。
「月刊百科」「図書」(各7月号)もらふ。
講談社文芸文庫[こ J6];講談社;950円(借覧);文庫判;縦組;並製;272頁;;ISBN4-06-198265-6;[著者]まさむね・はくちょー(正宗白鳥)/しま・ひろし(島比呂志)/えんどー・しゅーさく(遠藤周作)/かわばた・やすなり(川端康成)/ゆーき・しんいち(結城信一)/しまお・みほ(島尾ミホ)/たかはし・まさお(高橋昌男)/いろかわ・たけひろ(色川武大)/たかい・ゆーいち(高井有一)/うえだ・みよじ(上田三四二)/みうら・てつお(三浦哲郎)/むらた・きよこ(村田喜代子)
けふの買物。