藏書漫談

一部の人の間には、私も藏書家の一人として知られて居るそうだ。時々珍本もお持ちでせうなどと訊かれることもあるが、生憎そんなものは一册もない。私は實用一方の蒐集家で、特殊の趣味を以て書物を取扱ふと云ふ方面には餘り心を傾けない。專門とする部類のものは可なり漏なく集めて居るつもりだが、出來るだけ少ない金で出來ふだけ澤山集めようと云ふのだから、世の所別愛書家の樣に裝幀がどうの、版がどうのと云つて居られないのである。尤も複刻本よりも原板の方が確實だと云ふ意味に於て、私の實用主義は當節の廉價版などで滿足するには少しく徹底し過ぎて居るかも知れない。その限りに於て一種の珍本界に屬すべきものも無いではないが、それでも題筌が亡くなつてゐやうが汚い書入れがあらうが割合に頓着する所がない。


和本にペンで不秩序な書入れをするなどは體裁のいゝものでないと氣付いては居るが、そんな事に拘泥してゐる餘裕がないので構はずやる。友人に屡々忠告されるので近頃いささか愼んでは居るが全くやめた譯ではない。但し吉野作造藏書の六字を直四角な枠の中に收めた紫インキのゴム印を捺すことだけは、餘りにも殺風景なのでやめた。

元來、私は本に捺すための印形を二つ有つて居る。一つは中學二年生の時作つたもの、この事は後に話す。一つは小學校時代に親戚の印判屋に彫つて貰つたもの。之は今見ても相當の出來榮えであるが、少し形が變なので使ひ難く、それで永い間使はずに居る。所が近年になつて本が殖える貸し喪くす場合も多くなる。さうした事の關係から急に藏書印を捺す必要を感じたのだが、四十年前に作つたのが實用に不便だつたので私一流の實用一方のゴム印を作つたのである。最初は平氣でどん〳〵捺したが、後で見ると成る程、殺風景極まるものであつた。友人の忠告に遇つて一議に及ばず之はやめることにした。


中學時代に作つたのは「この文をかりて見む人からむには讀みはてゝ疾く返したまへや」と云ふ歌を二行に書いた長方形のものである。私は子供の時から本を並べておくことが好きで、小學校時代にも數多き本箱で兩親を惱ましたものだが、中學時代には田舍の場末の本屋位の分量に達してゐた。從て友人に借りられることが多い。借りると返さない、氣が弱いので催促も出來ず困り拔いて居ると、圖らず國語の讀本に、伴蒿蹊であつたか矢張り私と同じ惱みに惱みあぐんで、遂に右の歌を印形に彫りて卷頭に捺したと云ふ話を讀み大に我が意を得たりと喜んで、自ら筆を取りて之を認め早速彫刻師に其の作成を命じたのであつた。この印形も昨今は使はないが、拵へたばつかりの時は暇にまかせて滅茶苦茶に捺したのであつた。それで書物の散逸は救はれたかと云ふに一向に駄目。中學時代に集めた本の大部分は私が大學に入つて東京に遊學して居る留守の間に行方不明となつた。大學時代の蒐集も相當にあつたが、在支三年在歐三年の遊學中目星しいものは友人の誰れ彼れに拉し去られたと云ふ次第だ。


物を借りて返さぬは惡い癖と知りつゝも我々の間には深く咎められもせずに通行して居る。殊に書物と來ては返却に責任を感ぜぬこと格別に著しい樣だ。私は先き頃何年振りかで舊友の一人に遇つた。感心にも此人は明治四十年頃、私から二册の本を借りたことを覺えてゐた。二十年振りで禮を云はれたのは嬉しかつたが、『大事に取つてはあるが、もう返さなくともいゝだらう』と止めを剌されたのには一驚を喫した。モ一人斯んなのもある。或る全集ものゝ一册を貸して數年になり且借主に今は全く其用のないことも明かなので私は催促の手紙を出した。返事もなければ本も返つて來ない。仄かに聞くにこの借主は『あり餘る程本を有つてゐる癖に、タツタ一册の書物を催促するなんて、ケチ臭いにも程がある』と蔭口をきいて居るとやら。


曾つて一友人の書齋で私の所藏本らしい一册が眼に觸れた。抽き出して頁をまくつて見ると、藏書印は捺してなかつたが、例の「この文をかりて見む人……」の歌が朱で鮮かに捺してある。私の所藏に違ひない。貸した覺えはないから私の洋行中留守宅から借り出したものであらう。『之を、君、今讀んで居るか』と何氣なく訊いたら、『今は使つてゐない、君が見たけりや持つて往つてもいゝ』と云ふので、之を返却の意味に取つて私は其本を持歸つた。其後遇ふ度毎に『あの本をどうした』と訊くので、その都度何と云ふ事なしに『ああ讀んだよ』と返事してゐた。すると數ヶ月後此人から手紙が屆いた。先日御用立した本御覽濟なら一應返して貰ひたい、要用の際はまた何時でも貸すからと云ふ文面である。面喰つて何と返事の仕樣もなかつた。後日遇つて私の思惑を話すと、例の「この文を‥‥」の印形の事をも指摘したに拘らず、彼れはどうしても十分に納得し得なかつた樣だ。其後この本は再び彼れの手許に持つて行かれた。私は今なほ飽くまで貸したつもりで居るけれども、六七年も經つた今日一向返す氣配も見えぬから、彼れは依然として自分のものと信じ切つて居るのであらう。厄介な話だが惡意がないだけに罪がない。書物は斯んな風にして失はれることもある。


自分の藏書が時折古本屋の店頭に曝されて居るのを見るのは餘り氣持のいゝものではない。私は此頃は不精になつて藏書印を捺すことをやめたが、併し鉛筆かペンで特定の頁に或る書入れをすることにして居る。であるから自分の本らしいと睨めば手に取つて直ぐ之を確めることが出來る。近年は貸し惜みをして割合に人手に渡さぬ樣にして居るのだが、それでも時々古本屋で自分の舊藏に見參するのだから妙である。地震直後には殊にそれがひどかつた。大學の一室に置いてあつたのを庭に放り出し一週間ばかり通路の側に散亂してあつたので、通行の誰れ彼れが持ち出したものに相違ない。當時古本屋には歴とした帝大圖書館の公印の捺してあるのも澤山賣捌かれてゐた。


惡意で賣拂ふのは赦し難いが、借りて返さないと云ふ癖習に就ては多少恕すべき點もある。そは世間普通の人は讀書を一種の娯樂乃至本務の餘暇の消閑の具位に者へて居り、從つて書物に對しても古新聞か、古雜誌程度の價値しか認めぬからである。要するに必要品を借りたと云ふ意識がないから、返すことにも強い責任を感ぜぬのであらう。貸す方にも亦同じく、一度讀んだらもう入らぬと反故同樣に考へる人も尠くはないやうだ。


併し學者の藏書に對しても斯の態度で臨まれることは甚だ迷惑だ。澤山本を有つて居るのだから一册位手許を離してもよからうと云ふ者もあるが、學者に取つて書物は實は辭書の樣なものだ。必ず之を讀むとは限らない。併しいつ何時用が起つても直に用が足せる樣に常に座右に置かなくてはならぬものだ。差當り其所に用がないからとて、辭書のどの頁かを千切つては、辭書としての用を爲さない。いつでも突然の用が辨じる樣に完璧の形で保存されてこそ、辭書としての用は完ふされるのではないか。學者の書庫から本を取り去るは折角の辭書を脱丁だらけにする樣なものである。つまり書物を求むる人に二種類あると云ふことになる。一は享樂の(廣い意味の)爲に書物を買ふ人。概して此種の人は買つた本は必ず讀む、その代り一度讀んで了へば用はなくなる。他は研究の爲めに書物を集める人。此種の人は必ずしも手に入れた本を直ぐに貪り讀むとは限らない。他日何かの用に立つとの見込みで買つておく、從て何時までも無用の物とはならない。讀んだものでも、大抵は他日の用に愛藏されるを常とする。自分の專門に關係のない本は買はない、偶然手に入つても書庫の狹隘の整理のために多分は拂下げられるに相違ない。併し之が必要だとして取込まれた程のものは、絶對の必需品として常に座右に備付けられればならない。急いで讀むか讀まぬかは問ふ所でない。よし其の一部が結局主人公に手を觸れられず全然死藏に終つたとしても、謂はゞ貯蓄銀行の拂戻準備金の樣なもので、これ無くしては學者の務めが勤まらなかつたのである。從て常に私は思ふ、學者の書庫から本を借り出して永く返さないのは一種の營業妨害だと。


私は常に苦學をして居る數名の學生の相談相手となつて居る。時には金の心配までしてやることもあるが、曾て書物を借して呉れと云ふ懇願を聽いてやつたことがない。學者商賣をして居ると隨分いろ〳〵の人からいろ〳〵の本を頂戴する。書齋が狹くて保存に困り毎年の暮にその大部分を賣拂ひ又は何所かへ寄附する。從て手許に殘るものは皆私に取つて必要なものゝみだ。茲に必要と云ふのは、今現に讀んで居ると云ふ意味でないことは勿論だ。中にはいつ入用とされるか判らぬと云ふもある。併し何時の用にも間に合はさうと思へば、一刻も手放すことが出來ないのである。さう云ふわけで、苦學生の哀願も氣の毒には思ふが、二三年の長期に亘る參考用として貸して遣る氣にはどうしてもなれぬのである。尤も他人の本を書込みも出來ず、馬鹿丁寧に持扱ふと云ふのでは、本當の勉強にならぬと云ふ考へから、成る丈け自分で本の買へる樣に心配してやつては居る。孰れにしても手許から備付の書物が一册でも取去られると云ふことは、學者に取つては堪へ難い苦痛である。


初出
昭和5年6月「東京堂月報」
底本
閑談の閑談(書物展望社、1933年、pp.334—341.)