文盲手引草

第一  ………………

………  和名ぽつ〳〵又ぽち〳〵英語どッてッど、らいん(點線)幾何學にいまじなりい、らいん(想像線)といふ 想像線といへば糸遊かと早合點する人あれど全く別の物なり 想像線は實にその物あるにあらねど假にあるものとさだめし線なり 譬へば「思入」「いひかけ」の穴へこのぽツ〳〵を埋めて此處は一番作者の腹を見せるか又は物語る人の心ありて言葉なきをとやあらむかくやあらむと看客{みるひと}がよしなに汲分てやる處なり 故に思ひ遣のなき人は當今の小説は解しかぬるよし

さる老人の曰くどうも此頃の草册子の文はまるで五目ずしだよおらのやうな齒のわるいものにやあの具が邪魔になつてならねエその具もいろ〳〵あるが中にも不思議でならねヱのは文字の間に……トのみの糞のやうなもなアありやア一體何だなに話をしかけて留たり思入れある記標{しるし}だとべらばうな此頃の奴等はとんでもねヱ贅澤をしやアがる故人馬琴や京傳なんぞはあれほどの作者でありながらそンな眞似はしなかッた第一文字の働らきといふものは廣大無邊なもで符牒なんぞをつかはなくもちやんとそれだけの事が解るやうに出來てるもだそれがおつりきな符牒がなくッちや了解{わか}らねヱといふなア畢竟作者が未熟からの事よそれだからといひかけると側から娘が⦅おぢいさんもウ澤山あとは……{ポツ〳〵}にしておいて下さい⦆

…… の解は右を本説とす 此外色々あれど大方は古事附にて取るに足らざる妄説なり 其中やゝ參考ともなるべきを左に出す

…… 和名雨垂 古文は多く其物を象りて字とすしかりといへども⦅ぞんじ〓{まいらせ候}の虚無僧⦆⦅ヘマムシヨ入道⦆⦅山水天狗⦆の如きは盡く後人の僞作にして信ずるに足らず……を雨垂とするも古文の意なること其形を見て知るべし

愚按ずるに水涕涎等の如きは垂れるといへど雨はたれるといはず古諺類聚に雨ふつて地かたまる金地扇にあはれ一村雨のはら〳〵とふれかし老松に大雨しきりにふりしかばなどあり ゆゑに雨垂は春雨村雨時雨夕立など天から直輸入の雨の異名にあらず 軒を傳ふ雨の雫なり柳樽に居候雨垂ほどに戸をたゝきとあるは其音の微なるをいふ 雨は小雨霧雨なりとも勢あるものなれど雨垂は氣力薄くよさうかどうしやうか行くが如く留るがごとく大に思案する形あればこれ思入の心なり 漢字 霤は雨垂なりこれも雨留るの二字を一字にしたものにて話しかけて留りまた話し出すこと恰も雨垂のぽたりと落て暫らく途切れまたぽたりとやるが如しといふ

用法――一日頓服――こんな事はざふさもなく覺えられる

a
言懸
言遺
b
節略一名云々
c
思入一名餘情

a一 言懸

は話の腰を折られた時につかふ 氣の利かぬこと夥し

濃楓色三股にいはく

「すりや是ほどまでに思ふても此頼兼が……

「アイ顏見るさへもいやぢやわいなア

なるほどこいつアあやまる

二 言遺

は言懸から見るとずつと見識ありて此は我から言遺して餘情を含む形あり

春色連理梅にいはく

「娘島田は寐て解るといつてやるがいゝ

「そんな事が私に……

なぞと是が美くしい娘がかういふ事を言ふからなるほど餘情があつて妙だといふやうなものゝ言ふ事の品によつては餘情でもない事あり

「貴樣今日は燒芋をおごれ

「今日はチツとどうも……

b節略

、上略、中略、下略、などこれなり他の文章など引用するとき斷章して入用の處だけを出し不用の分を是にて間に合す

端唄淺くともの文句を引用するとき

飛でゆきゝの編笠をのぞいて來たか濡燕鳥……

「オヤとんだいゝ聲だよ

c思入

正本通言に曰く⦅思入⦆は詞を切て思案する體互に目と目と見合するなど⦅氣味合⦆⦅心持⦆云々儲光義が長安道に含㆑情無㆓片言㆒これを和朝ぶりに申すときむば⦅いはぬはいふにます思ひ⦆――これサ節などをつけてヱヽどうも氣障な恐れるのウ思入の「……」は顯にかくよりは書ぬに趣味{おもむき}ある塲合を見はからひてつかふと知るべし 生して錢をつかふよりは容易けれど鋏をつかふよりはよつぽど呼吸ものなりあまりやたらに用ふときは小紋帳だなどゝいはれ卷中の人物はすべてどもりではないかと讀者{よみて}にいらざる苦勞をかけることあり可謹可恐{つゝしむべしおそるべし}

嵩雪が鉢叩の句に

風にすつる瓢もあるを……鉢叩

端唄とやらに

じつと手に手を……何もいはず二人して吊る蚊帳の紐 (此時カンチクルヰめヒいふ聲戸外{おもて}にて聞ゆ其所以を知らず)

第二  !

! 英吉利にて⦅えきすくらめェしよぽィんと⦆といふ 字典を見るに⦅喜怒驚懼等の感情を表す記標⦆とあり 和名なし只手輕に⦅よ⦆の字の記標などゝをかしき諢名をつけて專ら重寳がる 呼懸の時にも{つか}

案ずるに!は鐵砲の口から彈丸{たま}のとびだす圖なるべし此では誰でもワツと驚くに相違なしゆゑに其古は專ら驚駭の塲合にのみ用ゐしものが後々ひろく用ゐられ何によらずoutcry(呌喚{さけび})の時用ふことゝなれり

ふれィ ちよさァの詩に(博學でゐらしやる事)

“Mine heart's queen!--alas my wife,”

因にいふ此先生はよく〳〵鼻の下ののびた御方なり此は女房を賞美したる詩中の句にしていふ心は

⦅わが心を支配したまふ女后!を誰と思召す即ちわしがお内儀樣⦆どうです御挨拶ではござりませむか――底の知れぬヱとんちきだ

八重梅

逢たさ見たさは飛立つばかり!籠の鳥かや!恨めしや!

孟浩然詩

分手脱相贈 平生一片心!

東湖愛瓢歌

瓢兮! 瓢兮! 吾愛汝!

第三  ?

? 英吉利にて⦅くェすしよまァく⦆といひ疑問標と譯す 尋問{とひ}の記標なり 此に就ては種々の異説あり本説さだかならず 其一二を擧れば

(a)

? は耳の形なり 耳は音聲を聽きとる道具なればもし聞えぬのは木耳{きくらげ}同然なり 扨耳の形を何ゆゑに疑問標にしたかといふに 何やら言へどどうも聞取れぬから今度は?のやうに引立耳をして語らば聞む風情をしめすものなり 此時相手がわるいやつだと⦅二度いふと風を引とサ⦆などゝいふ

(b)

一説に?は耳の形にあらず耳掻の形なり 耳垢があんまり溜つて聞えないのだからよくほじつてさア今度はたしかに聞えるからもウ一度といふ心持を圖に彰はしたものなり――おやこの銀は性が悪いよこらこんなに曲ツちまッてサといふ姿

(c)

又一説に?は蕨にも似たり紫蕨{ぜんまい}にも似たりそこで蕨?{はた}又紫蕨?と疑問の記標之よりぞ始まりける古篆圖會によれば?は古篆の雲の字なり 雲といふ奴はむかしから不思議な物とせり俗諺考に雲を掴かむとは見當{あたり}のつかぬをいふ小學唱歌集に霞か雲かはた雪か これ花を疑ふ心なり 何にいたせ怪しき雲のふるまひぢやなア 因て以て奇怪のものとす 疑問に此を{つか}ふも⦅また雲ぢやないか⦆といふ洒落を{かたち}にあらはして用ふこれ愚傳なり可秘可秘{ひすべしひすべし}

由縁江戸櫻

助六さんその鉢卷はえ?

此鉢卷の御不審?

とせりふありて上るり「此鉢卷は過し頃」とよろしく振あり……あの狂言は華美でいゝね

第四  くォてェしよ

くォてェしよは引用標と譯す 歐洲にては“ ”此記號なり

恰も口説した二ツ巴のごとくお玉杓子の道行のごとし引用せし章句の前後に用ふ

It is true that, “Never durst poet touch a pen to write until
his ink were temper'd with love's sighs.”

記號の中の句はしェくすぴァの“Love's Labour's Lost”にあり 此句を譯するときは作者の風儀紊るゝゆゑ此處にしるさず もし問ふものあらば 粹なる哉此翁といやにすまして居るべし もウ少し大家ぶらまくほりせば ⦅鎭州蘿蔔從來大也⦆

第二の用は文章中に談話のまゝを挿むときなり 當代の小説みな此法に從ふ

男は目を怒らし

“何をしやがるンでエ”

女は口をすぼめ

“御免遊ばしまし”

男“うウ堪忍をしてやる”

然りといへどもお玉杓子の道行は日本文に似合{にあはし}からずとて私は⦅ ⦆こんな風に書替て用たれどあとで見ると佛蘭西にて既に此形を用ふ(解は後に出す)此外に『 』{こんな}のと══{こんな}のあり(解は後に出す)これ皆お玉の變體なり

如此{かくのごとく}西洋{あつち}の眞似をするから扨は日本にはかうした物はないかといふと有る段か「かういふ歴としたのがあつて其名をひつかけといふ 惟るに臺帳より起りしものか小説には多く用ゐず 近來は小説に加薬の多いが流行なれば保守黨は全く用ゐねど漸進黨は「又は( )を用ふ

(a)「は鍵の形なり 何ゆゑに言語の記號に此を用ふかと云に 言語は口より發す(鼻へぬけるやうになつては萬事休矣)そこで口は禍の門物いへば脣……(承知々々)門は木戸なり歸去來賦門雖設而常關とかう不性でも恐れるが門はしまりをよくして置ねば物騷なるゆゑに戸じまりを嚴重にする事なりそれには錠といふやつをおろす 額の小三は帶の下におろし梅の由兵衛は紫の綴頭巾におろせり其外女といふ字酒樽壺皿にもおろしてある額を見ることあれど何の理由{わけ}やら僕は知らずさもあるべからざる處におろしてあれば別して深い仔細のある事ならむ

言語{ことば}を出すには禍の門を開かねばならぬそれに鍵がなくてはならぬそこで{かぎ}を以てピンとあければ言語が出るなり「を用ふ處に『を用ふもよし「は鐵の鍵にて『は銀の鍵なり役目にかはりはなけれど銀の鍵は容躰に見ゆるとて喜ぶ{もの}あれどそもそも驕奢{おごり}の汰沙なり

又一説に紋帳を引て紋を二重にかきたるを影といふ影の桐影の蔦などあり通常のでもないと少し意氣がつて影を好む『もまたさの如く「を影にしたまでの事ゆゑ「の替紋ともいふべきか

⦅ ⦆も形こそ變れ用は同じことなり 愚按ずるに⦅は青海波のくづしなり 青海波は寛永錢の裏面{うら}を參考すべし 波は水の動くなり水動く時は聲あり 鳴るは瀧の水ばかりならず送孟東野序に物其平を得ざれば鳴とあり 聲ありといふ處から言葉の記號とするか 又⦅ ⦆を近寄{ちかよせ}るときは口を開くの圖なりゆゑに用て言語の記號とす云々{しか〴〵}これもまんざらでなし 讀人宜しきに從ふべし

══も同じ記號なり 此圖は棒二本なり二本は酒家{じやうご}此を四合とす これ位飮めばまづ{ほろ}つと醉か廻つて平常{ふだん}無口の人も饒舌{しやべる}やうになるものなりかるがゆゑに言語の記號かッ 又曰く二本は日本に通ず 元日やにほん目出度門の松 日本は言魂の國なればといふので用ゆるか噫意味深長凡慮のとても及ぶ所でない

第五  だッし

―― 原名だッし字義をあて音を似せ「脱志」と書くべしとなり脱志は前に述べたる{ことば}なり文なりを一層深く理解せしめむが爲に意味を強めむとていひ足したる文または語の榜示杭と心得べし或は前文の意味を繰返して別の點から説くこともあり括弧と同じ勤をする事もあり此外變化つねならず孔子樣のおつしやッたには龍のことはおらァしねェと紅子もまた然り矣この實相を看破することは誠に難いであるお志の方は現今諸大家の小説を熟讀翫味して神會默契するより外なし

案ずるに脱志 の字は本義ならむか志は誌なり脱けたるを誌すの義にして前文前語(産前産後とも聞えず)の不足を補ふ心なりされど今は色々に用ゐて重寳す 一寸考へても御覽じやい ――は折鍼の象なり {さき}が無くては鍼は通りがたし通らぬとは意味不通の義なり饅頭屋の店頭{みせさき}に暴れ馬の木像を飾りあらうまと利かせ風呂屋の目印に弓と矢を出してゆやと判じ恐れ多くも京の内裏の御門に蛤御門の名あるも非常の時の外は開かぬとの心にて燒ねば開かぬとて蛤と申奉るのよし此等と同じ格にてとほらぬといふより折鍼を象るといふ 縁起{いはれ}を聞けば難有い事である

一説に電信早學を引て符號ヽを「と」と言ひ――を「つゥ」といふ「つゥ」は通なり此はちと僻説かも知れぬ句双葛藤抄に下喝行棒の句あり正法眼藏に七十二棒痛痒誰瞞とありて禪家にては問答のつまッたり{わけ}のわからぬ事をいふと棒を{くら}はせるが規定{さだめ}なれど劒鑿の方が味は{かる}しと新發意獨語に見えたり 扨――は禪家の棒に象り前文の意義明白ならざるゆゑ一棒を喫はし改めて説くとの心をしめすともいへり

第六  すたァ

******* 原名「すたァ」星なり亞米利加の國旗にて誰も知る處なり さる男此旗を見て金米糖の河流といひてぺるりに怒られしといふ話あり我日丸の御旗が難有くば星だとて自分の國旗は難有かるべし洒落も所嫌はずにはいはぬ物なり誹諧に「さりきらひ」といふ定則{さだめ}あり此まさしく「しやれきらひ」の轉訛ならむと……誰かいッたやうだ本邦にては活字未だ自由ならずすたァ(星)を用ふべき處へ「菊花」を用ふるものありとて大に笑ふ人あれど決してさうしたものにあらず古歌に千早ふる卯月八日は吉日よ……ではなかッた斯なむ⦅影白く、映ると見れば、明る夜の、星か河邊の、菊の下水⦆とあり星を菊と紛ふは(此處紛ふといふべし間違ふといふ可からざるよし口傳なり)詩情{ポエチカルアイデア}ありて頼母しゝ この記號は演劇{しばゐ}ならば引退{ひつかへし}夢の塲といふ處に用ふかやうなる塲合は一部の小説に幾度もあるものならず(さァ是からが眉毛に唾だぞ)まことに寥々暁天の……おッと來た皆まではなのたまひそ出直せ〳〵そんなら出直して星月夜はどうだ星月夜は闇いものであればまッその如く(脚色{しくみ})の轉化する時に******をつかッて漠然と前後{あとさき}をかすめて何かいゝことにして看官{けんぶつ}の目を眩ましてしまふなりいづれも仕事は闇の夜……親方首尾は? しッ!聲が高い

ちゝちゝ――ぼァん此で幕とは偖〳〵あッけない

底本 : 日本近代文学大系 第5巻 尾崎紅葉集(角川書店、昭和46年)
Last updated : 2005-10-04
猪川まこと
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