高田保「ブラリひようたん」

叱られて

昨日の『片手落ち』では、早速カソリックの信者に叱られてしまつた。知合いの美しい夫人なのだが、あんな冒涜の文章を自分の友達が書いたのは自分の罪だから、お許しを願うお祈りをさゝげましたというのである。こういう責められ方はかなわない。

サヴィエル神父を私もえらいとおもう。だが信者ではないから感心のしどころが違う。たとえ神父がほかの神父たちに注意したという言葉の中に、

『だれからも補助を受けないことが大切だ。補助をしば/\受けると自由を失う。折角の自分の言葉が力を失つては人を訓え導くわけにいかない。そのために自由でなければならぬ』

現在の佛教の坊さんたちに聞かせたら何というだろう。お布施經濟、ギヴ・エンド・テークというが、順序を間違えてどうやらテーク・エンド・ギヴ。それならまだ取引でいゝのだが、實はテーク・エンド・テークであるらしい。何の下地もない日本に渡來してサヴィエル一行が、たちまちあのキリシタン熱を上げさせてしまつたのは、常時の佛教がはや墮落してしまつていたからだろう。

クリスティの『奉天卅年』はあまりにも有名だが、十六の妙齡の時にマルセイユを出帆して滿洲に渡つたきりの、ロージンヌ童貞女などは大したものだ。とにかく私がいつぞや滿洲あちこちを歩いたとき、どこでも目に殘つたのはあの人々の努力の足跡である。どれを見てもギヴ・エンド・ギヴ、成程これでなければと頭を下げさせられた。水のきれいな吉林の松花江畔、美しい天主會堂を指して、下らん滿洲國なんぞ建設するよりも、あれ一つを建てる方がずつと本當の仕事だと放言した覺えがある。

ギヴ・エンド・ギヴのロージンヌ童貞女ではあつたが、面白い話がある。牛莊から廿數キロほどの董家屯というところで孤兒院を開いた時分、一人の若い馬賊が兵隊に追われて逃げ込んで來た。かくまつて助けてやつてから卅何年か過ぎると、奉天の將軍張作霖から、いともねんごろな招待状が來たそうだ。何事かと出向いてみると、すばらしい歡待をされた上に、當時の金で三千兩という大金を、あなたの事業のためにといつて差出されたのだそうだ。つまり助けてやつた若い馬賊こそが將軍張作霖だつたというわけなのである。將軍が爆死したときにはまだ生きていた童貞女だが、現在どうしているかはしらない。

いかがですか奧さん、と私はつい熱情をこめてしやべつてしまつた。すると私を叱りに來た美しいカソリック夫人は、あゝ私などはとても罪深くてと、しとやかに十字をお切りなされた。

人間危機

ある子供が、小さな盜みをした。がそれを知つても親は何ともいわなかつた。子供は自由に育てるのが新教育だ、とその父親はおもつたのかもしれない。

前のよりはすこし大きい盜みを、その子供がやつた。がやはり父親は叱らなかつた。叱られぬまゝにその子供の盜み心は、盜み癖になつてしまつた。何遍か見つかつてつかまえられ、前科が重なり、最後とう/\死刑の宣告を受けた。

――この世のおもいでに、何なり望むことはないか?

裁判官がいつた。刑執行の前の最後の慈悲が與えられたのだ。

――父親に接吻したいだけです。

惡人ながらも情愛のあることだと、人々は感動した。早速に許されて彼は懷しの父親の許へ駈け寄つた。父親も彼を迎えて悲しく掻き抱こうとすると、

――やい貴樣のお蔭だぞ、畜生!

憤然としてその死刑囚は、父親の鼻の頭へ喰いついてそれを噛りとつてしまつたというのである。フランスの古い教訓小話の中に入つている。

今日の日本に『學校』が存在するか。『校舍』はたしかにあるが、教育がなかつたら學校とはいえない。『六三制の危機』などというが、それ以上に『教育の危機』である。新教育という名の下に子供たちは放任されている。いまの子供たちが何年かの後、誰かの鼻の頭を噛りとろうとしなければ幸いである。

諸君の近くに子供たちがいたら、改めて讀み書き算數の試驗をしてみるがよろしい。諸君の子供時代とどれだけの開きがあるか。これが教育の度合である。『社會科』などという新しい課目があるが、完全な市民となるためにまず必要なものに、常識としての讀み書き算數であろう。これこそは人間としての能力の基礎的なものである。それなのに――と私は心から義憤さえ感じている。

ある學校で、子供議會というものをみた。『議長!』と手を擧げる。『御異議ありませんか?』と駄目を押す。見たところ立派に教育されているようでもある。だがこんなことに要するに猿芝居にしかすぎない。子供たちは自分で自分の結論をつけるということを失い、つまりは自己を失い、それを失つたことさえ氣づかぬほどの無能力者となりそうである。あゝあのころに、讀み、書き、算數する能力さえ與えられていたら、自力でつかむべきものをつかみ、立派に自分というものを確立できたろうのに! とそのときに悔んでも追いつくまい。

こう考えると『教育の危機』どころではない『人間の危機』である。

早慶戰

ある議員、一年生だが、議場で大いに彌次つた。聲が徹底し、まことに元氣がよろしい。その黨の幹部、が感心すると、

「何しろあいつは、野球のファンなのでね」

野球大流行、まことに子供の間に著るしい。子供に野球のことなら何でも知つている。野球のことよりほか、知ろうとしない。自分たちの知つていることを知らぬから先生を輕蔑する。子供たちの信頼と尊敬とを得たい先生は、新聞の運動記事を眞先きに熟讀する。

早慶戰、君はどつちかねと尋かれる。どつちでもないと返事すると、不埓だという顏をされる。早稻田に私の母校だが、あんなものに勝つても負けても母校の名譽には關係あるまい。學生時代の早慶戰にも、私ばかりではなく常時のクラス仲間は、一人だつて應援なんぞには行かなかつた。もつともクラスというものはひねくれ屋の多い文科である。

しかし今年はマッカーサー元帥までがメッセージを寄せているではないかという。大したことだ。がこんなことで元帥と意見を異にしたつていゝだろう。私に大學生が學問よりも野球の勝負に眼の色を變えることに賛成しない。物事の順位を間違えると野球大學になる。

元帥には元帥の信念とそして經驗がある。オリムピックの委員長として、アムステルダム大會にアメリカ選手を引率して行かれた。スポーツ熱心はかねてから有名である。ウェストポイント士官學校でチームの一員だつたと、あの中に述べられているが、後にその母校の校長になられにとき、まずスポーツを奨勵した。すばらしい成果を擧げられたその成果が今次の戰爭のアメリカ陸軍の光榮の因をなしたのだとさえいわれている。日本人にも同じ成果を得させようというのだろう。だが違つた土と違つた空氣の中で、果して一つの種子は同じ實を結ぶものか、これが私の懸念なのである。

私は私なりに、人生のフェア・プレイを重んずべき精神を會得している。その點でスポーツマン・シップも理解し得ていると自信する。がこれは決して野球に趣味をもつたからの結果ではない。それなのに野球に熱狂する應援團がしば/\アン・フェアなのはどうしたことか? 相手方のエラーに歡喜の大拍手を送つたり、喚聲を揚げて相手方の心理の動搖を圖つたり、あゝいう空氣の中から果して、元帥のいわれるような『國家再建に役立つ偉大な道徳の力』が生れるか。どうも私には、精々が彌次專門議員を出すくらいのような氣がしてならない。

つまり私はマッカーサー元帥と、日本人の野球熱の正體に對する見方が違うのである。

大感傷

歸りける人來れりといひしかばほとほと死にき君かとおもひて

いまだに異國抑留の身の上の人がいる。家族の方も辛い。引揚再開はとび立つばかりのうれしさだが、船が着くたびに喜び合う人々ばかりではない。『ほとほと死にき君かとおもひて』この落膽の切なさは深い。早くそれの一人もないようにしたい。

この歌はしかし引揚者家族が讀んだものではない。萬葉集中、狹野茅上娘子となつている。戀しい夫が北方へ流された。何年が程かを精一杯に待ち暮らした。待つ甲斐あつて後にはめでたく戻つて來たことになつている。

わが背子が歸り來まさむ時のため命殘さむ忘れたまふな

精一杯に待つているのではあるが、氣崩れというものが時にはある。いつそ死ねたらともおもうだろう。いや一目會うまでは何としても生きねばならね。が現代は待つだけで生きられた天平の昔ではない。待ちながら生きるためには働かねばならぬ。生きるに足るほどの働きとはどんなことか。萬葉人などには想像も及ばぬ人生である。

ひとぐには住み惡しとぞいふすむやけく早や歸りませ戀ひ死なむといふに

『異國の丘』という歌を聽いてある夫人がいう。あの歌も現地で現地の方がうたつてこそとおもいます。それをのんきそうに、ラジオの素人のど自慢などで聽かされると、たゞもう腹立たしくなつてたまりません。戀い死ぬばかりに待ち續けている人にとつては確かにそうだろう。しかし歌つている當人は存外あの歌の感傷を自分の感傷として、素直に同情しているつもりかもしれぬ。ということは、世間の同情などというものはいつも流行歌的感傷ぐらいの度に止まつているものだということである。戀ひ死なむというほどの命がけの大感傷とは、甚しく距離がある。

あめつちのそこひのうらに吾が如く君に戀ふらむ人はさねあらじ

萬葉娘子の絶唱はこのようにはげしい調子で高鳴りした。が現代の待つ人々の氣持も決してこれに劣るものではあるまい。おなじような絶唱がやはりどこかに、ひそかに生れていることであろう。それを掘出して編集しようとする意志のジャーナリストはいないか。カストリ雜誌は不景氣のために大分整理されたというが、まだ/\雜誌屋の店頭はにぎわつている。夫婦和合の祕訣などというものばかり集めるのが、婦人雜誌の要領でもあるまい。しかしそういつても多分こう答えられるだろう。『そんなもので賣れましようか?』

そんなことは私にはわからない。私はたゞ引揚者家族の生のまゝの感情をそのまゝスターリン氏へ取次ぎたいのである。戀い死なむという命がけの大感傷の炎で、鐵の人を灼いてみたいのである。

敬語

九州雲仙のある池で、天皇が珍らしい水藻を見つけられた。早速に踏み込んでそれを探ろうとされる、と慌てて侍從が引止めて、

陛下、お危うございます。

ところがその時すでに、新聞社のキャメラマンたちが、じやぶじやぶと踏み込んで、生物學者としてのその天皇をキャッチしようと構えていたのだそうだ。でそれを指さされて、

あの人たちが危くないのに、なぜ私だけが危いのか?

侍從は答えた。

もしも陛下が、新聞社の腕章をおつけになつていられたら、どうぞお入り下さい。

これは米誌『タイム』に出ていた。『金枝玉葉』というような言葉のない國の人の方が、かえつてこの場合の天皇の心持を理解するかもしれない。天皇も人民も新しい自由を悦んでいるのだが、しかし天皇に對する『束縛がまだ殘つている。そのことをヒロヒトは不服としている』と書いている。

『なぜ私だけが』というのは、明らかに天皇の持たれている抗議であろう。『金枝玉葉』という意識はしかし侍從にばかりではない。國民の觀念の中にはまだ殘つている。天皇自身は國民と全く同等の人間であろうと努めていられるのに、却つて周圍がそれを妨げようとしていはしないか。昔流の言葉をつかえば、これは不忠である。

英國のエドワード七世が、旅先きで劇場に入られたことがあつた。ウインナ風の陽氣なレヴュウを演つていたのだそうだが、たま/\一人の歌い手の歌つたものが、皇帝の感情を害した。この場合に皇帝は、はつきりその不快を色に出したばかりか、決然席を立つて歸つてしまわれたそうである。見物席にいた一般の客もそれを見てぞろ/\退場してしまつたそうだが、こゝに英國の君主の人間的な自由の在り方がある。癪にさわつても腹を立てることは許されぬとしたら、それは人間失格といわねばなるまい。

藝術院會員その他、文化人としば/\會食をされたようだが、存外文化人の中に、人間對人間の美しい關係を忘れて『金枝王葉』的な奉り意識に止まつている人がありそうである。その日のことを語つたり書いたりの端々にそれがうかゞわれたりする。當人たちはそれを忠誠心のつもりでいるのかもしれない。

ベルギーの皇帝が、その國の藝術家を招いて、皇后とともに數刻の清談を交わされたことがあつた。その折には『一切の敬語を省くこと』という注意があつたそうである。同等の人間同士の間のエチケットとして以外に敬語など、もはやあるべきはずのものではなかろう。だが、それが殘つている。たしかにまだ殘つているようである。

海へ

『マルクス・レーニンの筋金』を迎えて、慰安のため日本映畫を見せた。實に愚劣なので憤慨しましたと、筋金の一人が新聞記者に感想を語つたそうである。がこの憤慨は筋金のせいとばかりもおもわれない。日本映畫というもの、すこしく分別のある大人だつたら喜んでは見物しない。

思い上りということがある。己れ自身についての誠實な反省をしようとしない。『マルクス・レーニンの筋金』と氣負うのもその一つかもしれぬ。が現在の日本映畫を、梅原、安井の油繪、古橋の水泳についで、世界に誇るべきものと自信するというのはどうだろう。三なく四なく五には何とかいう言い方でもないらしい。ある座談會で映畫人が大眞面目で述べているのである。この種の思い上りは、戰前戰時中盛んに横行した。

ワグナァの、音楽しか聽かぬ者にはワグナァもわからない。というのは皮肉な言葉である。マルクス・レーニンしか知らなかつたらマルクス・レーニンもわからぬとなるのであろう。日本はいま閉じこめられて世界の片隅にいる。世界の廣さ深さを知らずに、うつかり世界に誇つたりしたら可笑しなことになるだろう。

琵琶湖の岸に住む人の許へ、海の岸に住む人が遊びに來た。琵琶湖の人は早速、海の人を舟に乘せて、沖合遠くに漕ぎ出したのだそうだ。そして、

どうだ、海より廣いだろう?

海はもつと廣い。

琵琶湖の人はちよつと不機嫌になつたが、今度は糸の端にオモリをつけて水の中へ際眼なく垂らして見せた。そして、

どうだ、海よりも深いだろう?

海はもつと深い。

それを聞くと琵琶湖の人は、すつかり腹を立てて、こう呶鳴つたというのである。

君は海を知らんのだ。

梅原、安井兩畫伯にしても、世界に誇るとなるとどうだろう。われ/\は琵琶湖の人になりたくない。兩畫伯に對する傾倒は現代良識人の間の流行らしいが、ピカソやマチスやルオーその他の存在する世界は、湖よりも廣く、湖よりも深いものである。近着の『ライフ』誌にブラックの畫業の紹介があつたが、その色刷の寫眞を見てさえ、何か筋金入りの、たゝけばかちんと冴えた音の響きそうな、たくましいものを感じた。これは琵琶湖の岸に住んでいて聞ける音ではないらしい。

世界に誇るとか誇らぬとか、そんなけちな料簡は止めにしたい。それよりも海へ出てみることである。琵琶湖の人ではなく海の人に私はなりたい。日本人にほしいのは『世界人の筋金』を通すことである。

隣人

私はいまとぼんとしている。コロがおもいがけなく死んでしまつたのだ。他人からすれば一匹の駄犬にしかすぎない。だが私にとつては可愛い身内だつた。だから胸に大きな穴をあけられた氣持である。その穴につめたい風が吹き雨が降つている。今日はほかのことを語る氣がしないといつたら、愚だといつて人は笑うだろう。笑われても仕方がない。私はたわいない愚者である。

昨夜おそくなつて姿がみえぬのに氣がついた。妻と私と、傘をさして雨の中をあちらこちら、名を呼んで歩いてみたが、どこからも出て來なかつた。夜中に野犬狩がやられているともおもえぬが、朝になつたら一應警察へ問い合せてみよう。そう言いながら、朝まで待ち明かした。

朝、妻が警察へ電話をかけていると、近所の子供が知らせに來た。近くの鐵道線路に死んでいるというのである。早速に妻が駈け出して行つて抱えて來た。何かの間違いで進行の列車に觸れたのかもしれぬ。がどこにも無殘な外傷はみえない。しかも何の苦悶もない無邪氣な平和な顏で眠つていた。

妹が泣き、妻が泣き、近所の人たちも來て泣き、一匹の駄犬の死にすぎぬことながら、やはり一つの波紋を描いたのである。知り合いの家から庭の花を切つて持つて來てくれた。日頃なじんでいた界隈の子供たちも來て手を合せてくれた。この情合はありがたいことである。このために人の世は住んで樂しいものとなる。

喜怒哀樂の深さは、その人の身になつてみなければわからない。隣人の情合は隣人同士が互いにその身になりあつてゆくところに生れる。私はふと、首斬りの不安にさらされている知人のことをおもいだした。その一家は明日の不安におのゝききつている。知人として私は十分同情もしていたつもりだつた。だが果してわが事のごとくにまでそれを感じていたかどうか。私を責めるものが深く私の心の中に湧いた。

政治は本來殘忍なものであるべきとはおもわれない。しかし首を斬られる人の身になつて斬つているともおもわれない。無理矢理多數黨の力で押した法律を楯に、法律だと大上段にふりかぶつている姿を、慈悲救世の仁徳とはどうしてもみることができない。

コロはおそらく自ら誤つて列車に觸れたのだろう。だから恨む筋もなく憤る筋もない。不運を悲しむ氣持だけで私たち一家は、ともに悲しんでくれる近所の人たちに感謝していればすむ。しかしもしも殘忍に殺されたのであつたら、決してそれですむはずがない。

知人の不安がやがて憤怒に代つたときのことを私は想像した。喜怒哀樂。われ/\はつねに、よき隣人同士でなければならぬ。

暴力

マルクスは暴力と陰謀がきらいだつた、というと、そんなはずはないという顏をされた。相手は元氣な青年である。

共産黨宣言以來、民衆革命が起るたびに彈壓を食わされ、秘密結社以外に手はなくなる。自然と陰謀が生れる。がマルクスはそれに反對した。祕密結社よりも大衆の教育だと主張した。『階級的裏切り者』と呼ばれた最初の人はマルクスである。

マルクスを信ずる者と信じない者、彼を辯護する者と攻撃する者、この二者の間に喧嘩があつたことはいうまでもない。議論では片づかぬ、決鬪ということまでになつたのがある。武器はピストルだつたそうだ。攻撃派の方はその名人で相手の頭をねらつたというのだから暴力といえる。たしかに手應えとおもつたのが運よくかすり傷で濟んだ。それにしても仲間同士、馬鹿なことをやつたものである。

當時のフランスの鬪士でバルテルミイというのがある。こいつは完全なテロリストになつた。フェンシングの大家だつたそうだが、ピストルの稽古をはじめた。ナポレオン三世を殺してしまえというのである。それには普通の彈丸ではいけない。中り所によつては致命傷にならぬ。大きい彈丸を使つて、その上に硫黄を塗る。殺すためだから非人間的な工夫をした。

マルクスの亡命していたロンドンの家へはいろいろの人物が集まつたらしい。バルテルミイもその一人である。だが彼を一目見るなりマルクス夫人はいつたそうだ。

あなた、あの人とだけはお附合いをなさらないで下さい。

私もそうおもう。だが彼の陰謀に對する反對だけはしなければならない。

と、こうマルクスは答えたそうだ。

マルクスの反對に對して、バルテルミイは『謀叛人』とのゝしつている。もしもこのピストルがナポレオン三世のためのものでなかつたら、マルクスの胸板をぶちぬいてやるところだといつたそうである。しかしこのピストルは、ナポレオン三世に向けられる前に、名もない一市民に向けられてしまつた。

いよいよナポレオン三世目がけてフランスヘ渡ろうというとき、一緒につれていた彼の情婦が、それまで勤めていた店の給料をまだ受取つていないのに氣がついたのだそうである。それはつまらん話だ、受取つて行けと、その店へ行つて談判している間に、その主人と口論をしはじめた。口論の果てがその大切なピストル使用となつたのだそうである。遂にその主人を殺し、かけつけて來た巡査を殺し、その罪で彼は絞首刑になつてしまつたそうだ。マルクスに從つていたらこんな末路にはならなかつたはずである。

獨り舞臺

行年六十五といえば、人生の峠をすでに下り坂だつたといえるだろう。だが六代目尾上菊五郎は決して老人ではなかつた。才分の水々しさ、働きざかりだつたといえる、それだけに彼の死は餘計に惜まれる。

彼が殘したことは多い。彼自身口惜しい早世だつたろう。用意された辭世が『まだ足りぬ踊り踊りてあの世まで』というのだつたというのは、その未練をあからさまに述べたものとして受けとれる。しかしもしもなお十年の天壽があつたとして、果して彼は踊り足りることができたろうか?

天才は孤獨なりといわれる。が文人や畫人なら、その孤獨を樂しんで獨自の境涯に精進することができるだろう。俳優の場合にはそれが許されない。演劇という仕事であるかぎり、誰かしら他人の齒車とかみ合わなければ動けない。いかな主役を演じようとも、この制約から免かれ得ぬのは宿命である。

何年か前、ある新聞社から頼まれて彼と對談したことがある。そのとき私は、多分あなたは不器用なのだと思つたまゝを述べた。自分の藝の世界でなら隨分器用に、どんな役でもこなしきる。が他人の世界に入つていつて呼吸を合せるとなると、おそろしく融通が利かない。齒車のずれ方、百も承知しながらどうしようもない。よそ目にはこれが投げているとみえる。そう見せずにうまく裁く才能はもつていない。こういうと彼は氣持よく笑つていつた。

まつたく私ほど不器用なのは類がない!

若いころに大根といわれたというのは、この不器用のためだつたろう。この不器用は生れながらに獨自な藝の世界をもつていたからである。名門の權威がその不器用を不器用のまゝ押し通させた。その結果がもつて生れた藝の世界をもつたまゝに花咲かせた。その點で彼は幸福だつたといえるかもしれぬ。がその世界でついに最後まで彼ひとりであつたことはどうなのだろう? 彼の藝が獨自であればあるほどに彼はぽつんと孤獨になる。私はしばしば彼の舞臺を眺めながら、何がなく暗澹たるおもいをさせられることがあつた。

名人といわれ上手といわれた歌舞伎人は數々あるが、いずれもその人たちは、歌舞伎をおのれの藝の到着點としていたのであるが、六代目尾上菊五郎はそうではない。彼は歌舞伎を自分の出發點としていた。これは大きな本質の上での食い違いである。歌舞伎から出て歌舞伎よりもさらに演劇であろうとしたこの出藍の天才に、恰好な相手が現われなかつたことが殘念である。歌舞伎を嗣ぐ新進若手の諸君は現われたが、この相手は出そうにもおもわれなかつた。もしもなお十年の天壽が與えられたとしても、と私がいつたのはこの事である。

相手不要たゞ一人踊つていたときの彼の舞臺姿が、つよく私の眼には浮んでいる。

喧嘩相手

人を毆るのは決してよろしくない。しかし毆られてから急に頭がよくなり、お蔭で出世した男がある。十四世紀のフランスの坊さんだが、坊さんのくせして、女のことからある學生と喧嘩をした。學生の方が腕つ節がつよく、したたかに頭を毆られてしまつた。内出血をしているというので、醫者がその腦髓をとり出し、綺麗に洗濯して元の通り入れてくれたのだそうだ。すると別人のように記憶力がよくなり、推理力が冴え、誰と議論をしても負けず、説教をしても辯舌爽かというわけで、たちまち賢者の譽れを得、後にはクレマン四世という名でローマ教王にさえなつたのだそうだ。こんな洗濯、現代醫術でできることかどうか、やつて貰いたい人はあちらこちらに多いだろう。

右の話、毆つた方の人物もはつきりしているのだから、出鱈目ともいいきれない。ビュリダンといつて後にパリ大學の總長となつた男だそうである。この方は生來すばしつこい才人だつたらしいから、何も腦髓の洗濯などやることもなかつたのだろう。

ところで當時のパリに、ナヴァルという至極淫虐の王妃がいた。若い學生を宮殿におびきよせては、三日三晩の歡樂の後に、セーヌにつき落して川底深く沈めたものだそうである。これを聞くとビュリダンは、それよかろうと自ら進んでその誘惑に乘るのを買つて出た。

お約束通りに三日三晩は美しい王妃のうつとりさせられる愛撫、さていよいよ時が來ると、

幸福の夢が醒めぬ間に、人は死なねばなりませぬ。

私はすでに、お妃さまの愛情の中で溺れ死んでしまいました。セーヌの川底など、なんの恐れることでしよう。お別れの接吻を充分にうけつくすとビュリダンは何の恐れ氣もなく、勇敢に川面目がけて飛込んだそうだ。どぶんと大きな水音がした。王妃ナヴァルは安心してにつこりと笑つた。

わし自身この話をするのだから、こんな確かな話はないだろうと、大學總長になつてまでビュリダンは自慢し續けたというのだから、水音と一緒に彼が死んでしまわなかつたことはわかる。うむと感嘆しながら人々はその話を聞いた。どうして死なずにすんだのかなどとは、別に聞き返す必要もなかつたのだろう。そんな腦髓だから洗濯だつて出來たのだ、と醫者諸君はいうかもしれない。

廿世紀の腦髓のために説明するが、實はビュリダンの背後に智惠者がいて、そつと小舟を王宮の下に漕ぎ寄せて置き、身代りの水音も用意した大石に勤めさせたのだそうである。この智惠者というのが、實は彼に毆られた坊さんだつたといつたら、成程と納得するだろう。今日喧嘩しあつている同士も、明日はこの二人のようになつて貰いたい。日本再建のためである。

アロハ

愚妹がいさゝか洋裁の術を學んでいる。着古した浴衣をつぶしてアロハを作つてはくれぬか、と申込んだら言下に、惡趣味だわとやられてしまつた。

おまえはピカソを知つているか?

畫家の?

そうだと答えて私は、一册の米誌『ルック』をひろげて見せた。南佛リヴィエラ海岸でのピカソの生活ぶりが、六頁もの見事なグラフになつている。

ピカソが着ているじやないか、これでも惡趣味といえるかね?

あら、ほんとね。

感嘆していつまでもそれに見入つていたが、しかし遂に愚妹は、作りましようとはいわなかつた。女性のもつ偏見には拔き難いものがある。

グラフの中のピカソは、アロハの前を外ずして、いかにも行儀わるく撮れている。しかし行儀などというものも、つまりは偏見だとピカソはいうだろう。アロハ姿のピカソに全く傍若無人に見える。この傍若無人からでなくては、あの傍若無人の作品に生れぬのだと納得した。

それにしても、ピカソは寫眞ぎらいだと聞いていた。それなのにこのグラフ寫眞は、傍若無人にピカソの生態をとらえている。このキャメラマンもピカソだとおもつた。その名を探すと、ロバート・キャパとあつた。

キャパならば知つている。私にその名をスタインベックの『戰後ソヴェート紀行』で讀んだ。スタインベックと一緒に入露して、三千枚のネガフィルムを土産にして歸つた男である。

スタインベックが彼と一緒にと企畫すると、ニューヨークのロシヤ領事が『ソ連にだつてキャメラマンはいる』という。するとスタインベックが答える。「しかしロシヤにはキャパがいない!』人間は普通名詞では納まりきれぬ存在となつたとき、はじめて固有名詞が必要になつてくる。キャパはたゞのキャメラマンではないらしい。

キャパが固有名詞に値するようになつたのは、スペインの内亂の報道寫眞を出してかららしい。ピカソがそれを激賞したそうだ。以來二人は知合いの仲になつたのだそうだ。キャパならばとピカソはキャメラを向けられるのを承知したらしい。

アロハを着たピカソを撮すとき、キャパもアロハを着ていたかもしれない。ピカソを撮すキャパを撮した寫眞があつたらと思う。がそれにはもう一人のキャパが必要だろう。が固有名詞には複數はある筈がない。

私もアロハが着てみたい、ということをいうつもりが妙な語になつた。暑いせいである。アロハはきつと涼しいだろう。が私はアロハを着ても傍若無人にはなれそうもない。

燒き直し

夏の夕方は人を氣輕にさせる。ある人がやつて來て、こんな話はどうだといつた。

ある夜の夢で、徳田球一先生が地獄へいつたとおもいたまえ。先生のことだから、何の遠慮もなくエンマ大王の前へ出た。すると大王が、

おまえは、娑婆でどんなことをやつたか?

おれは全勞働者を團結させ、働くすべてのものに幸福を與えた。

もちろん先生はこう答えた。が相手はエンマ大王だから、すぐさまに信じようとはしない。配下を呼んで、早速に調査團を組織し、隈なく娑婆を視察して、事の實否をたゞせと命じた。

さてこの調査團は、得意の地獄耳を働かせて、あらゆる隅々まで廻つて來たのだが、その報告は、先生の自慢をちよつとも裏書きしなかつたばかりではなく、全然反對の事さえもあつたというのだ。

先生のことだから、それで默つてしまう筈はない。例の大聲を張り上げて、君たちはどこを見て來たのか。アカハタは讀まなかつたのか!

どうだ面白いだろうと、話した人はいつた。なるほど面白いねと私は答えたのだが、あゝあの話の燒き直しだなとひそかにおもつた。あの話というのは、ヒットラーが政權を握つたころ、ドイツにあつたというものである。

ヒットラーがある日、天國へ出かけた。そこで、聖ペテロにあつた。ペテロは彼を迎えるとこう質ねた。

貴下はいかなる善を世界にもたらされたか?

光榮あるドイツを統合し、一切の不正を驅除しました。

ペテロはそのとき、ヒットラーの眼の中に、神の光の宿つていないのを見て怪しんだのだそうだ。

そこで天使を呼んで、ドイツ中の人の魂の中へ入つてその聲を聽いて歸れと命じたそうだ。

やがて戻つて來た天使は報告した。

ドイツ中の人はこの人の名に恐れ戰いています。

それを聞いて、その人は、

ばかな! 新聞にそんな記事が一行でも出ていたというんなら、持つて來て見せたまえ!

ヒットラーが新聞統制をはじめたそのとき、誰が作つたともなく流れた小話だそうだが、ヒットラーに對する諷刺が徳田君に向けて燒き直されるとは、決して共産黨の名譽ではあるまい。しかしアカハタ以外の新聞はすべて事實を枉げているなどとまでいうとなると、どうやら通用しない燒き直しではないことになる。人間心理の微妙なところ、御一考が願いたい。

  • (七・二六)

縁臺ばなし

藝者というもの、今の世でもあるものかないものか、縁臺ばなしでの議題となつた。

名は小夏という。きまつた旦那はあつたのだが、生來の水性、旦那の目を忍んで、當時人氣のあつた新進の力士と戀仲になつた。

本場所が始まる。旦那も趣味があつたとみえ、一緒に國技館へいつた。次第に取り進んでやがて、その戀しい關取の登場となる。

つゝましく、それまでは猫を冠つていたものの、いざ戀人が力水をつけ、四股を踏んだとなるとじつとしてはいられない。双方手を下しかける。氣合の一瞬。たまらなくなつて小夏は、大きな聲で『新海ィ!』

祕めて置いた男の名、はつと氣づいたときはもうおそい。新海關は首尾よく勝名乘りをうけて、悠々と土俵を下りたが、小夏はしよげて小さくなつた。旦那の前でなんとしてもつゝしみがなかつた。相すまぬ。たしかにこれはしくじつた。

おれはわきへ廻るからといわれ、はいとおとなしく歸つて來たが、しくじつたとなれば、いつそ派手にしくじれ、可愛い關取のためだ。と日頃親しい仲間の女たちを集めて、ねえ、今夜はひとつ、おもいつきり飮んでおくれ、その代りには、こつちはおもいつきりのろけをいわせて貰います。

覺悟を極め、首差し延べたおもいで待つていたが、それきり旦那の御入來がない。今日か今日かと待つうち、表へ俥が止まつた。旦那だけではなしに、妙な荷物があつた。戸板のような形のものが布で包んである、はて何でしよう?

旦那はいつものように鷹揚な顏で、いつまでたつても格別のことをいい出さない。もじもじしていると、

いいものを持つて來てやつたよ、寢るときそれをたててごらん。

旦那が歸つたあとで、急いで開けてみると、二枚折の屏風だつた。金地に花鳥、いやそんなものではない。どこかの關取の着た縮緬の單衣、墨痕淋漓と雲龍が描かれている。

それをそのまゝに仕立てたものだつた。落款は寺崎廣業で、『爲兩國關』としてあつた。

その晩、戀人の新海がやつて來たのだそうである。小夏は默つて自分の寢間へ彼を案内した。艶めかしい夜具を敷きのべた向うに、その二枚折を立てといた。

これじや寢られやしねえ。

端然として新海は、坐つたまゝその『爲兩國關』を見ていつたそうだ。そして、

すつぱりと切れようじやねえか。

すがすがしい顏で小夏もうなずいた。新海にとつて兩國關こそは大師匠であつたのだといえば、兩人の氣持誰にもわかるだろう。

もう藝者はいませんなと、縁臺ばなしは結論した。ゲイシャとなると別である。

  • (七・三一)

保守

七代目菊五郎を誰がつぐか、若い劇評家がひどく問題にしていた。そんなことは尾上家の内輪のことで他人が騷ぐべき問題じやない。實質よりは名跡を重んじるような料簡では歌舞伎も滅びるばかりだろう、とことさら冷かすと、相手はムキになつてイヤ菊五郎の名は歌舞伎の象徴ですと、天皇制みたいなことをいつた。

名を恥かしめぬこと、日本人には傳統の心得となつている。結構なことでもあるが、その名が先祖の名であつて自分の名ではないのはどんなものだろう。文部大臣に激勵された渡米水泳選手も先輩の名を恥かしめぬつもりですと答えたそうだが、自分を恥かしめぬつもりだとはいわぬのである。

菊五郎の名をつげば、おれは菊五郎だからと發憤する。これが効果なのだという説もあるが、これが日本人の性質なら、歌舞伎の世界ばかりでなく、各界すべて襲名制度でやるといい。さしあたり文壇などで『二代目鴎外』とか『二代目漱石』とかはどうであろう。『二代目太宰治』などとなれば、おれだおれだとアプレゲール派が競爭したりするかもしれぬ。

名を重んじるという傾向は、日本人の社會にたしかにある。團十郎ということになれば、どんなに大根役者であつても、あゝ團十郎かと敬服する。そこでもしも誰かが今『二代目菊池寛』と名乘つたとする。大衆讀物雜誌は競い合つて、それ菊池寛だというのでその二代目に書かせるだろう。その出來榮えが水準以下であつても大衆は、あゝ菊池寛かと喜んでそれを讀む。初代二代目を比較するのは百人中の一人位のものだ。世の中はそんなものなのである。

昔に比べて政治家の粒が小さいとよくいわれる。昔は大隈がいた、星がいた、犬養がいた、それなのにという愚痴を聞くのだが、襲名制でいくと、いくらでも大粒が並べられるだろう。二代目星亨が總理大臣で、二代目小村壽太郎が外務大臣で、二代目高橋是清が大藏大臣でといつた調子。名前を重んじる國民だつたら、なんと今度の内閣は大名題ばかりだと安心するだろう。

犬養健君など、保守合同などと策動する前に、二代目木堂を名乘り、派手な襲名披露でもすればよかつたのである。木堂となつたからにはと、木堂會だつて肩を入れたろうし、世間一般にしても、犬養木堂なら健とは違つて頼りになるからと、信用も増したかもしれない。この策は今からでもおそくはない、おすゝめする。

保守主義とはどんなことかと人に聞かれた。右をもつて私は答とした。これも夏の夜の縁臺でのことである。

  • (二四・八・九)

スズキ

美しい母親は子供を殘して死んで行く。殘された子供は、何にも知らずお眼隱しをされ、兩手に日本とアメリカの旗をもつて遊んでいる。『お蝶夫人』のこの幕切れは、われわれの胸に痛いものがある。

昨夜帝劇の舞臺にそれをみて、急には椅子から立ち上れぬ情をおぼえた。しかし實はお蝶夫人の悲劇に動かされたのではない。瀧田菊江の死をおもつたからだつた。舞臺の上に殘された子供の役を彼女の遺兒がつとめていたのである。

菊五郎の死のとき國を擧げて惜んだのだが、彼女の死はわずか數行の記事で新聞に報じられたにすぎなかつた。それはそれで當然である。しかし日本の歌劇壇をおもうとき彼女の死は、やはり一つの損失であつたといわなければなるまい。彼女の社會的存在は小さかつたかもしれない。しかし歌劇壇そのものゝ存在がまだ大きくないのである。價値はそのバランスの中で量られなければならぬだろう。

その存在はまだ大きくないとはいつたが、藤原歌劇團の存在はとにかく存在である。荒地に種を蒔くことはやさしい。運よくそれが芽を出すこともあり得る。しかしともかくも根を生やし、枝を見るまでになるのは容易ではない。この困難をとにかくなしとげたのは藤原義江だけではない。その歌劇團の諸君である。瀧田菊江はその同志の一人だつた。

『お蝶夫人』の中のスズキは忠實な召使の役である。彼女はその役を受けもつていたが、この位置は同時に歌劇團における彼女のそれであつたかもしれない。個人的な光榮や評判を求める唄い手は、地味な役廻りにいつか辛抱できなくなつて來るものである。しかし瀧田菊江にはそれができた。派手な人氣を求めるよりも、日本に歌劇團を完成させることを求めていたのである。この忠實な團員を失つたことを、心から私は惜む。藤原歌劇團のために惜み、日本のために惜む。

菊五郎に文化勳章を贈るのもいいが、將來の日本文化の花となるべき小さなものにも眼を向けてほしい。小さな損失の中にもなかには償いがたいものがある。これは彼女の死についてのみいうのではない。

配役の日割でみると、今度の『お蝶夫人』では、この十日がはじめて彼女のスズキが出演する夜であつた。誰が代役するにもせよ、今夜の舞臺には追悼の拍手が送られることであろう。その拍手の中で彼女の遺兒が、無邪氣に旗を振つて遊んでいるとしたら、今夜だけは『お蝶夫人』でなくて『スズキ』がその外題となるかもしれぬ。

  • (八・一一)

商法

大黄という植物、下劑としての特効がある。中國の特産物だ。中國との貿易がはじまると、歐米の貿易業者はこれを買いつけた。いくらでも賣れるとなると品が間に合わない。そこで賣る方は、大黄とそつくりの植物を代用させて積み出した。下劑としての代用までつとまればそれですんだかもしれぬが、そうはいかない。お蔭で本物の大黄までがぱつたり賣れなくなつた。

ばかな話だ、とは日本人笑うわけにはいかない。通商白書によると、クレイムの四八パーセントが品質不良だとある。わずか四パーセントだが内容相違というのがある。前の話は中國の昔、白書の方は現代日本である。

ちよつと昔を囘顧してみよう。一八八二年のアメリカは『不正茶輸入禁止令』というのを出したそうだ。茶以外の葉を混入したもの、目方を重くするために砂をまぜたもの、雨に濡れたり鹽水に浸かつたりした品を乾し直したもの等は不正茶であるというのだが、これの製造元はいずれも日本であつたというのである。

一九〇五年、アメリカはさらに『純良食品法』というのを作つた。不純なものは輸入を嚴禁するという中に、『着色したる茶』というのがあつた。これももつぱら日本品だつたというのである。どうも日本人にはこの種の天才があるらしい。

こういう根性だから當時の日本商人は眞面目な紳士としては扱われなかつた。低級なインチキ師としてみられたのだろう。ところがこゝに新井領一郎氏があつた。

新井氏は茶ではない。生糸の貿易をやつていたのだが、ある年ニューヨークのリチャードソン商會と、ポンド六ドルで、大量取引の契約をした。ところが日本での生糸相場が急に飛び上つた。ポンド九ドルでないと渡せない。

日本の生糸商の方からは、リチャードソン氏に話合いをして、何分の値上げをして貰えといつて來たそうだが、新井氏は紳士の契約だからとそれを突つぱねた。みすみすポンドにつき三ドルの損をして現品の引渡しをした。

リチャードソン氏は事情を知つて、氏の方から幾分の値上げを申出たそうだが、それはそれとして、感激した氏は新井氏宛に手紙を寄せ、その中でこういつたそうだ。

『貴下は最も正直な商人として行動せられた。この行動は貴下をして後悔させるようなことは決してないだろう。なぜなら私は、今後貴下のために、生糸の値段の向上するよう誓つて最善を盡すつもりだから』

品質不良というクレイムの中には、市場不況のためそれを口實にした向きもないではないそうだが、相手はどうであれ、なくてはならぬものは紳士道であろう。世界市場を相手となると、ヤミ市場の商法とは全く別でなければならぬのである。

  • (八・一九)

藤村忌

立秋、藤村舊居に住んではじめての季節である。庭にかぼそい桔梗の花が咲いてるのだが、紫ではなくて白である。藤村先生は白い花が好きだつたのだそうだ。好んで植えられたのに違いない。

きよう八月廿二日、藤村忌七囘目である。久しく標木のまゝになつていたお墓が、やつと石碑になつた。この標木のまゝだつたのを、何か置き去りにでもしているかのようにとつて、近縁者や町の人を責めるような文章をあるときある新聞に書いた人があつた。が實は土葬だつたので、土がすつかり固まらぬ間は重たい石がのせられなかつたからである。事はよく質してみないとわからない。

寺の名は地福寺、境内に梅林があり、いかにも藤村好みといつていゝ寂びたところだが、その梅では今度新しい話ができた。墓石の土臺を据えるため、上の土をすてゝ掘り下けたのだが、傍の梅の木がそこへ太い根を這わして來ていたそうだ。その根の先を探ると、藤村先生の寢棺の方へといつている。棺は二重の厚板で、變りなくがつしりしているとわかつたのだが、その厚板の間を食い破るようにして、その根の先が更にその中へと延びていた。先生をそこに納めた位置から察すると、どうやら先生の合掌された胸のあたりへいつているらしかつたというのである。梅林はいずれも白梅だが、この梅だけはさらに白さを増すかもしれない。いずれ藤村梅とでも呼ばれるようになるだろう。

私が大磯に移り住んだときは、すでに先生の歿後だつた。早稻田時代學校で新歸朝匆々の講義を聽いた師弟の縁があるので、まず御挨拶にと花をあげにいつたら、その墓前に展墓者のための線香と新しいマッチが置いてあつた。その後散歩の途中には立寄つてお詣りすると始終そのマッチが新しくなつていた。戰時中で當時すでに諸物資は窮屈になり、線香は別として、マッチなどは配給以外手に入れられなかつたものである。だから私は當然奇異の感にうたれた。

しばらくしてから判つたのだが、これは當時の町長が特別の計らいで、藤村先生墓前用としての配給をしていたのだろうである。何の因縁もなくこの町に移り住んだ私だつたが、それと聞いていい町へ來たものだと喜んだ。一切の無駄を省けと血眼になつていたあの戰爭中に、この美しい餘裕はなかなかできたことではない。

藤村墓碑のあるところは、實は許された墓地外のところで、そこへ埋めるには主務官廳の許可などいろいろ厄介な手續きも必要だつたのだが、わざわざ横濱から縣知事が出て來てその運びをつけたのだそうだ。昭和十七年戰爭はしていたが、日本の片隅にはこんなこともあつたのである。

  • (八・二三)

名月

いい工合に颱風は外れるらしい。お蔭で名月良夜が樂めそうである。芝居の月を眺めるのには、安くなつてもなお十割の税を納めねばならぬらしいが、本物の月をみるのはタダである。

月光税くらい拂つても惜しくない、とおもうくらいに秋の月は明るく美しい。が昔の人は『月みれば千々にものこそかなしけれ』といつた。昔の日本人はわびしがりやだつたが、今の若い男女はそうではない。月みればすぐにジャズ・レコードをかける。

さあ、踊ろじやないか!

今夜の明るい月のお蔭で明るい戀の實が結ぶだろう。二十六夜の月待ちの夜の暗さにまぎれて結んだのは、辨慶とおわさである。今と昔と日本も大部違つて來ている。私は嘆いているのではない。

『月光文明』という言葉がある。本體そのものが光つているのではなく、よそからの光を受けて照り返しているにすぎない。という意味で、シュペングラァが日本文化を批評したものである。日本の昔は中國文明の明るさを傳えたものにすぎない。日本の現在は歐洲文明を反射しているだけのことである。『西洋の沒落』の中で彼はこういつた。

この日本月光が、その後以外に強く光り出したので、シュペングラァは慌てたらしい。月光でないとすれば恐るべきは日本であると彼は警鐘を鳴らした。が今は世界中の誰もが安心しているだろう。一時の明るさはつまり中秋の良夜だつたことである。晝を欺いても月はやつぱり月だつた。滿つれば缺けるが月の運命、ジリ貧の果てが晦日の闇に消えてしまつた。今の日本は出直しの新月だが、これから先き次第に滿月へ戻れるかどうか。

『今夜の月は血のように赤い』というセリフがワイルドの『サロメ』の中にある。月が赤化したら不吉だと吉田首相もいうだろう。だが代々木の城内ではどうか、照らす本源の太陽光が赤かつたら、受けて照らす月光は赤より出でてさらに眞赤かもしれぬ。そうなるとこの十五夜の情緒は全然變つたものになるだろう。どんなものになるか想像したかつたら、今夜の月光を赤ガラス眼鏡でやつてみるといゝ。

ジャワの話、ある女の夫がよそへ女をこしらえた。神樣が彼女に質問して、『どんな氣持がするか?』彼女答えて『何ともございません』だがそういいながら彼女が、傍の椰子の木へもたれかゝると、みるみるそれが水氣を失つて枯れてしまつた。再び神樣が『どんな氣持か?』再び彼女が『何ともございません』

そこで神樣が、卵を一つ彼女の胸に抱かせた。しばらくしてそれを取上げると、すつかり茄だつてしまつた。その半分に割つたのが、天上にかゝつて圓いお月樣となつたというのである。眞赤な月ではこの話は成り立たない。

あとの半分はどうしたのか、私は知らない。多分神樣が食べてしまつたのだろう。

  • (二四・九・八)

主義

私の主義だ。

といい張られたら最後だろう。他人に對して、主義を變えろとは誰だつていえることではない。

ナポレオンにもそれが不可能だつた。相手は詩人のゲーテである。詩人の聲名を聞いて英雄は會いたくおもつた。たまたま縁あつて對談することができた。大いに詩人を賞め讃えた末に、

ゲーテ君、英雄と詩人が互いに持つことのできたこの愉快な時間、おそらくは君の詩情に觸れるものがあるだろう。ぜひこれを材料にして一篇すばらしいものを書きたまえ。そしてそれをこのナポレオンにデジケートしてくれたまえ。

しかし詩人は答えた、

私は以前から、他人に作品をデジケートしないことにしています。

なぜかね?

英雄はもちろん不興氣だつた。が詩人は屈託なく答えた。

後悔したくない、というのが私の主義ですから!

氣骨とよぶか、我儘というか、どちらにしても權勢者が一本參らせられた話というものは、爽涼の感じを與えてくれるものである。ところでこのゲーテが、カルルスバードに滯在していたとき、一人の老人に會つたのだそうだ。

あんたが有名なゲーテさんか?

そうです、私がゲーテです。

あんたは一體どんなことを書いていなさるのかな?

人間のことなら、アダムからナポレオンまでです。

あんたの本を買いたいとおもうが、しかしあんたは改訂版を出されることだろうな。

そりや出しますよ。

じやしばらく待つていよう。わしはいつも最終の決定版を買うことにしている。でないと缺點のある本を持つていなければならぬことになるからな。

しかし私は死ぬまで自分の本を改訂しつゞけますよ。

と詩人はこのとき幾分腹を立てていたかもしれない。だが老人はにこにこと笑つて、

それで結構、私はいつもその著者が死ぬまで待つている。これがわしの主義だ。あんたが有名なゲーテさんでも、この主義は變えるわけにはいかんのでな。

もつともこの話は、ゲーテ自身の口から、ある夜會の席上話されたものだというから、嘘か本當かはわからない。ナポレオンには不愛想だつた詩人だが、夜會に集まつた女たちの前では隨分サービスもしたそうである。それが彼の主義だつたのだろう。

  • (九・一一)

秋の夜

昨日今日の冷氣つゞき、蚊帳なぞもう要るまいと、つらずに寢てみたら駄目だつた。耳許へ來てぶうんとやられると、うとうとしかけたのが覺めてしまう。蚊の鳴くような聲とはいうが、氣にかけ出すとなかなか大したものである。

血が吸いたかつたら默つて吸え、蟲の分際で何も警告づきでやつてくることはない。と腹を立てるものの、蚊の方では、人間に聽かせる歌ではないというだろう。鳴くのはメス。オスを呼ぶためのものだそうである。そこでニセの蚊の歌を何とかして作り出せたらと考える。

ローレライの傳説は、美しい魔女が岩の上で甘い誰で唄い、それに誘き寄せられて舟人が舟もろとも岩に、碎けるのだが、このローレライを蚊の世界でやつたらという工夫は、誰もがおもいつくのだが、おもいつくということと、やつてのけるということは別だから、最近まではおもいつきだけだつた。それをアメリカの博士がやつてのけた。カーンという名前だというから、日本人にはおぼえ易い。

キューバ島まで出かけて、マラリヤ媒介の何とか蚊の鳴くのを録音したのだそうだ。さてこれを再生機にかける。蚊の湧いている沼の傍で實驗したら、たちまちオスの蚊どもが集まつて來たそうだ。集められさえすれば、それを捕り殺す方法はいくらでもある。ちよいとした實驗だけで二マイル四方の雄の蚊は全滅したというから、おそろしい、ローレライの偉力である。

後に殘されて雌の蚊どもは、一層うるさくぶんぶん喚き立てたかもしれぬが、雌だけの世界となつたら避妊藥だつて必要ないようなものだ。來年の夏が來たつてボウフラさえも出て來ぬにきまつている。

さて私は以上のことを、NHKへ宛てゝいつているつもりなのである。夏の蚊よりも秋の蚊の方がぶうんが、一調子強いようだ。今の間にこれを録音して置いて戴きたい。そして來年、やつらの出初めた頃に放送して戴くのである。

日が暮れる。スヰッチを入れる。聽取者は人間ではない。蚊族どもはプロの内容がどうのこうのとうるさい批評はせぬだろう。一心にスピーカーの方へやつて來る。殺してくれとまではNHKに頼まない。それはこつちがやる。

ラジオのお蔭で蚊帳が賣れなくなつたとなれば、その道の人には恨まれるかもしれぬが、それでこそ『皆さまのNHK』だとわれわれは大いに賞讃する。しかし多分NHKの方では、蚊に食われる位は何ともおもわんほどに面白くて、そしてためになる放送をしているつもりだと答えるに違いない。以上は、拂えども拂えどもぶうんとやつて來るうるさゝに、癇癪を起しながらの感想である。

  • (九・一四)