和讀の漢字音

漢字には、其原音を訛り傳へられたる、和讀なりと思はるゝ者あり。筆者の記憶し居る者の中より取り出だして、左に其數例を擧ぐ。

眠、

説文に目に從ふ、の聲とあるを見れば、我方にて之をミンの音に呼ぶこと、或は古音を傳へ來れるには非ざるかと、思はるゝ疑無きに非ず。然るに此字唐韻英賢反、今音mienにて、後漢の頃既にメンの音と爲り居りたるなり。其以前の古音にては、は其聲符のと共にミヨインの音にて、ありたるものゝ如し。六朝の中期以後、民は今音と同じき、ミンの音に移りたるが如く思はるゝが、此時代に在りては、は既にメンの音と爲り居りたれば、とは、其所屬の韻を異にし、全く別音と爲れり。は先の韻に屬するに我方にて、其のメンなるべきを、ミンと呼び來れること、然るべき根據無きに似たり。易林節用に、人名の李龍眠にリリヨウメンの假名を附し、又佛家にては、寺院の一室の眠藏を、メンザウの讀聲にて傳へ來る。是れの本音なり。

便、

廣韻婢面切にして、我方ベンの音なり。然るに古くより、音便をオンビン、便船をビンセンなどゝ唱へ、今も尚郵便をイウビンと稱し、便をビンの音に呼び慣はすこと如何ん。察するに是は原音のビエンを、訛り傳へたるものなるべし。

員、

唐韻于權反にして、之に對する我假名は、ヱンなるべきこと、之を聲符とせる、のヱンなるを見ても、容易く察し得べし。をヰンと呼ぶこと、何に據りたるべきか。の古音はヨエンに合口のウの添はりたるものなりしが如し。其のヱンと爲りて、後の先の韻と爲るべき韻に移りたるは、後漢の中期以後の事なり。は又其古音を傳へて、稍其聲を轉じ、文問の韻にも入る。俉の名をゴウンと呼び慣はせるも、其轉音を示すものなり。是れヲヨンの類よリヲウンに移り、更に又ウンと爲りたるなり。此間の轉聲に、我等の祖先の耳には、ヰンにきこえたることありたるものと見え、漢音阿彌陀經には、云雲にヰンの假名を附するを常とせり。をヰンと呼ぶも、同樣の關係ありたるに、起因するものか、されど云雲のヰンは、のヰンの如く常呼ならず。

院、

説文、阜に從ふ、完の聲なり。唐韻于眷反にして、我假名ヱンに當る。然るに之をヰンと呼び慣はし來る。是亦共理由を發見すること能はず。の古音はワンなり。此字今霰の韻に屬す。

寸、

唐韻倉困反なれば、之に對しては、ソンの假名を當つべきなり。萬葉集にも、をスの假名に用ゐたる例あれば、古くより寸は常呼の如く、スンの音に用ゐ來りたれど、是は訛り傳へられるものなるべし。を聲符とする村尊の、ソンの音なるを以て之を悟るべし。忖度も亦ソンタクにして、スンタクに非ず。

左に誤讀の明かなる者、數例を擧ぐ。

輸、

廣韻式朱切にして、我昔シユに當る。然るに我常呼は之をユと爲す。輸出、輸入、輸贏は、シユシユツ、シユニフ、シユエイなれど、ユシユツ、ユニフ、ユエイと呼ぶこと、既に一般に行はれて、今改め難し。

較、

説文、に同じ。は車騎上の曲鉤なり、車に從ふ、爻の聲。唐韻古岳反にして、我音カクなり。是れの音を入聲に移して、覺の音に用ゐたるなり。此字又校に通じて、比較の較と爲る。然るときは廣韻古考切にして、我方漢昔カウ呉音ケウ、現代支那音も、上聲にして入聲に用ゐず。朝鮮音もキヨウなり。之をカクと讀むは、全く誤なり。カクと讀めば、車の横木と爲る。比較は漢音ヒカウにて、ヒカクに非ずと知るべし。

暴、

暴露の義のときは、入聲にて曝瀑と共に屋の韻に屬す。故に三字皆ボクと讀み、常呼の如く、バクと讀むは非なり。但し爆㩧は覺の韻に屬するが故、クと讀むべし。

耗、

此字に同じ。説文、は稻の屬、禾に從ふ、毛の聲、唐韻呼到反なり。)は減の義に假借し、去聲にてカウの音なり。故に消耗品は、セウカウヒンにして、セウマウヒンに非ず。の平聲に、マウの音無きには非ざれど、用處同じからず。

攪、

説文、亂なり、手に從ふ、覺の聲。唐韻古巧反にして、漢音カウなり。普通行はるゝ所のカクは、旁の覺に由りたる俗讀なり。にはカクの音無し。の去聲にはカウの音あり。是れをのの聲なる理由なり。

滌、

洗滌のなり。唐韻徒歴反にして、の音なり。近來醫學界などにては、洗滌をセンデウと呼ぶこと、流行するものゝ如し。にデウの音無きには非ざれど、洗滌のは、入聲に用ゐらるゝこと、證例ありて動かす可からず。

我常呼の字音より推して、容易く其原字を探り得ざる者あり。左に其三例を出だす。

石、

量なり、十斗を名づけて石と曰ふ。石は唐韻常隻反にして、其音なり。我方漢音セキ呉音ジヤクなり。然るに其れにも拘はらず、何時の頃よりか、之をコクと呼び慣はせり。石のセキ又ジヤクより、コクに轉じたる例無し。故に其音の出處を知るに苦しむ。別にの字あり、説文、斗に從ふ、の聲なり。の古音はなり。斛は十斗なり。因つて知る、のコクはのコクを假借したるを。

反、

町の十分の一、畝の十倍なり。此字をタンと呼べど、は漢音ハン呉音ホンにして、之にタンの音無し。反は段の草體の誤なりと云ふ。の類の崩れて反に誤りたるものなるべし。

説文には殳に從ふ。の省聲にして、物を椎するなりとあり。是れの本義なり。は此義より出づ。に又分割の義ありて、種々の義に用ゐらる。其一義として我方にては、之にキダの訓を施す。區分の義と關係する所あるか、は又布帛に用ゐる稱呼と爲る。帛二を緉と曰ひ、分つて開かざるを匹と曰ひ、既に開きたるをと曰ふとあり。後漢の張衡が四愁の詩の一に、美人贈我錦繍、以何報之青玉案とありて、物の義に用ゐられたり。

の扁を省聲とする、本音のの字には、同音にして異義ある者ありて、之に扁を附して、端湍煓の如く分つ。とは同音同義にして、其一義又布帛の長さの稱に用ゐらる。小爾雅に、丈を倍する之をと曰ひ、端を倍する之を兩と曰ひ、兩を倍する之を疋と曰ふとあり。されば段端其に布帛の長さを量るに用ゐられ、其音其義共に相通じ居りたろものゝ如し。但し作字としては、の後出にして、其音を假借したるなり。兩字其義に於いて、樣々の變化あるも、の古態なることを爭ふべからず。意ふに始に布帛の義を有する、タンと言ふ音の語ありて、先づ之に耑の字を當て、後更に段の字を當てたるものなるべし。の略なりと云ふに至りては、甚だ其解に苦しみしが、今小篆を見るに、耑はにして、上は物の生長する形、一は地の線、下は根なり。即ち耑又端に、物の生長のハジメの義あるなり。は其地上の部分のみを存じて、地下の根を省けば、即ちと爲るなり。言海には、を地積、を布帛の用に分ちてあれど.本來此別無く、布帛の長さを量ることより、地積を量ることに移りたるなり。

惣、

我國にて人名などには、ソウの音として、廣く用ゐらるゝ字なり。かの變形として、字典などにも見ゆれど、古書には此字無し。現代式の説明を下せば、物質界と精神界とを、綜合する總の意なりなどゝ、言ひ得可けれど、先人には此の如き思想のありたるべきに非ず。又總と惣とは、其音に於いても何の關係も無し。の音はに基く。囱はマドなり、其中のタは枠なり。之を窗にも作る。悤は急遽なり。囱の明かにして、外を見る心の急はしきなりと云ふ。囱は略して匇に作り、隨つて悤は怱とも爲る。悤々又怱々は忙はしきを云ふ。是亦略して、囱々又匇々と爲る。窻又䆫は囱の俗字なり。之を窓にも作り、總は総とも書す。總は緫と爲り、又揔にも通ふ。揔はの形と爲り、其れより誤りて、惣と爲りたるものなるべしと云ふ。

訛音の如く見えて、却て古音を傳ふる者あり。左に其二例を示す。

宗、

祖宗の宗にして、唐韻作冬反 tsong 漢音ソウ、呉音ス、官話 tsung なり。宗は韻鏡にては、第二轉の一等韻に屬して、唐韻と同音なり。故にソウ即ちソングの音なり。然るに我方にては、古來宗にはシユウの音あり、即ち宗旨、宗徒、宗派、宗門のシユウの如し。今此字に此音無しといへども、佛教渡來の頃、及び其以前には、廣く用ゐ居られたる、呉音にして、即ち古音なりしなるべし。の字あり、説文、山に從ふ、宗の聲なり。は廣韻鉏弓切 dziung 韻鏡にても、第一轉の二等韻にして之に同じ。漢音はシユウ、呉音はジユなり。之を略して、スウ又スの音にも用ゐらる。此の音より推して、にシユウの古音ありたるを察し得べし。楊雄が袞州牧箴に、と押韻したる例あり、以て參照とすべし。

喫、

喫姻、喫茶を、キツエン、キツチヤと稱するが如く、喫は我常呼にては、キツの音なり。然るに此字唐韻苦撃反にして、ケキの音に當る。他の韻書の反切も、概して之に同じ。右の呼法に從ふときは、我呼法明かに誤讀と爲るべけれど、之をキツと讀むこと、亦其根據無きに非ず。故に我方の音誤なるか、或は彼方の音正しきか、其當否を定めんと欲せば、宜しく先づ兩音の由來を探るべし。

は説文に食なり、口に從ふの聲なりとあり。は約なり、大㓞に從ふ、唐韻苦計反、と同音にしてケイなり、亦聲なり。は艱苦の義のときは、廣韻苦結切にして、ケツの音なり。、又集韻に欺訖切の音ありて、國號契丹をキツタンと稱す。は説文、巧㓞なり、刀に從ふ、の聲なり、は彫る義なり、竹木を刻畫して、事を記するものに象る。唐韻恪八反にして、其音カツなり。之に大を添ふれば、則ち契と爲る。を聲符として生じたる挈絜には、去聲入聲其義を異にして、各ケイとケツとの兩音あり。齧潔は共にケツの音なること、人の知るが如し。は既にの聲に從ふとあり。は説文に草蔡にして草生の散亂するに象るとあり。其音は唐韻古拜反カイにして、音義共にと相通ず。

右の諸字の音を考ふるに、は其根本の聲にして、の聲之に從ふ。此類の去聲は、カイ、ケイの音にして、入聲はカツ、ケツ、キツの音なり。是皆舌韻に屬する字なり。古韻にては、去聲と入聲と相往來すること常なり。問題のの聲なり。は其入聲にケツ、キツの音あること前述の如し。は魏志㔁芥傳にに作る。亦以てと吃と通ひ居るたるを知るべし。但し其當時の兩字の音は、未だ今音の如く、キツと響き居らざりしことを注意し置くべし。

然らば何故に唐韻にては、は苦撃反の音に變はり來りしか、是亦説明を要する所なり。六朝の中期の頃、去聲にて霽の韻現出せしとき、之を組成せし者は、喉舌兩韻の混合の字なり。入聲にては兩類混合せずして別韻を爲し、去聲の中、其本質の喉韻に屬したりし者に對する、其同族字は、錫の韻に入り、其本質の舌韻に屬したりし者に對する、其同族字は、屑の韻に入るを定則とせり。繋鬄嬖麗は霽の韻に屬して、之に對する撃惕辟酈は錫の韻に屬し。又髻砌洟戻は霽の韻に屬して、之に對する結切銕捩は屑の韻に屬するが如し。然るに本來喉舌の兩韻に屬し居りたる者の、混合して霽の韻を組成したるに由り、中には他に化せられて、其本質を變へたる者あり。は元來祭の韻に屬し、其同族字のと同じく、舌韻に屬したるべきこと正當なるが、祭の韻より霽の韻に轉入するに當りて、いつしか喉韻に化せられ、之と共には祭の韻の入聲なる薛の韻より屑の韻に移らずして、喉韻に轉じて、ケキの音と爲りて、錫の韻に入りたるなり。

右の道理に由り、喫烟喫茶は、キツエン、キツチヤと呼ぶこと、却て唐以前の古音に叶ひ、今更特に之を其變態音なる、ケキエン、ケキチヤに改むる要を見ざるなり。

初出・底本
『藝文』第21年第7号: 529―538 (1930)