假名遣(但し奈良朝期の所謂特殊假名遣は、普通の假名遣とは性質を異にするものだから除く)としては、かつては定家假名遣(例へば三藐院關白臨定家卿書、下官集、豫樂院筆文字仕など)の一部としての兩用主義〈通用と云つても可からう、宵にヨヒ・ヨヰの二種を認める類〉、行阿假名遣(例へば文明十二年書寫本、此の文明十二年本は、山田博士の天文廿一本年に比し語數が少くとも三百語ほど少い點で一層注意すべきである。)の一部としての語勢主義と覺しきもの、田安宗武・上田秋成等の放任主義(假名遣無用論)なども存したが、これらは無視して可いもので、現在では、契沖により始めて研究せられた歴史的假名遣の主張と、明治以後唱へられ、大正十三年案を主體とし、昭和六年の修正を伴ふ臨時國語調査會案を中心とする表音假名遣の主張(此の主張の先驅としては、文化十三年夏刊行の
しかして、國語學や言語學の專門學者(これは概して自分本位の論をのべる傾がある)、教育者(これを小學教育關係者と中等教育關係者とに分け得る。小學教師は兒童の事を思ふから他人本位とも成り得る)。一般社會人(これも大體教養ある人々を云ふのであるが、文藝家と然らざるものとに分ける必要がある)と云ふ風に、其れ〴〵の身分立場が異るにつれ主張も變り、歴史主義を認めるにしても字音假名遣と國語假名遣とにより異り、表音主義に賛成するにしても、表音と云ふ事の程度、實施せられる文の種類(口語文・文語文・學衛用文・歌俳句等の韻文・法律文・詔勅文・官廳文書用文)實行する人の種類(小學生・中學生・專門學者・一般人・文藝家・官廳人等)實施の方法(法令により一般に強制するか、小學教科書には採用しても、他は自然の推移に任せるかと云ふ事)などにより樣々な主張も有り得る譯で、歴史派と表音派との論爭は烈しくして、主張に熱中しすぎて、感情的と成り、歴史派の或る者が表音派を目して、危險思想を助長する徒だとか國語共産黨だとか云つて激越な罵聲を放つと、表音派は歴史派を長袖視し坑儒の例を引いたりすると云ふ有樣で、不愉快である。だが兩者の議論としては表音派は、進んで歴史派を否定せんとするのであるから、勢ひ、主張は積極的、攻撃的で、議論は精緻であるに反し、歴史派は受身だから、消極的、防禦的、主張は高飛車的ではあるが迂闊粗漏であり、曲解も誤解もあり、正直なところ、表音派に比して歴史派の方には傾聽すべき論が乏しいのである。
そはともあれ、兩者の主張はすでに盡され居り、改正案の批判も兩派により行はれ居り、今さら此の問題につきて述べる要も無いし、又述べる事も出來ないのだが、本誌の編輯者より、此の問題につき執筆するやうに課せられたので、こゝに、今さらめかしいが兩派の主張を並べて、兩者の主張の何れが妥當であるかを檢して見る。
それについて自分の立場を正直に述べて置きたい。自分は國語學の研究に携はり、古典に親しみ、殊に字音や國語の表記の變遷(云ひ換へれば字音や國語の音韻變化である)を査べ居るものとして、國語については出來るだけ嚴格な態度を取る事を主張し、同じ國語學徒と云ふ中に於いても、「言葉は生きて居るものだから」と云ふ理由から、文法上の所謂許容案を認める迎合者もあるに反し、自分は國語學者は無知無關心な一般人による國語の破壞を出來るだけ制御すべきである、許容案に隨從するのは無氣力だと信じ、出來るだけ許容案に從はない立場を取つて居るものだから、假名遣に關しても、長年の習慣の結果として、新聞雜誌などに見える一寸した假名遣の誤用も氣に成り、保科教授の表音派の文と成ると、讀むのが非常に苦しく、兩眼の間を押へつゝ無理に讀まうとしても二頁とは讀み得ず、其れを續けると頭がクラ〳〵と成る有樣で、極端に嫌惡の情を抱くものなのである。權少僧都成俊は文和の頃、定家假名遣と萬葉集の表記との相異に氣づき乍らも、自分は定家の式を年來使ひ慣れて來て居り、今も遵奉して居る、將來も遵奉する所存だ、と云ふ旨の事を云つて居るが、自分も亦、たとひ今後表音式が法令で強制せられる事ありても、違反に對する法的制裁さへ無ければ、金輪際表音式に從はぬ所存であり、表音式の實施は成る可く後らしてほしく、又狹範圍であつて欲しいと願ふ者である。だが趣味上、感情上、そんなにまで表音式を嫌惡する自分が歴史主義を徹底的に主張するのかと云ふと決してさうでは無い。いかに偏見的に主張せうとしても、 歴史主義は理論的にも實際的にも、主張を徹底させる事は不可能であると信じ、特に小學教育に於いては、歴史主義を強制するは無用と信ずるものである。此のやうな立場で居る自分が假名遣問題を説くとすると、勢ひ表音主義に賛成すると云ひ乍らも、歴史主義の辯護に傾き、煮えきらぬ態度と成るのでは無いかと云ふ懸念も生ずるが、假りに其の樣に成つたとしても、其れだけ感情では歴史主義を好んで居ても、歴史主義を徹底的に主張し通す事出來ないと云ふ歴史主義の弱點の暴露として、無意味では無いと思ふ。
さて歴史派と表音派との主張は色々と現はれて居るが、其れらを全部見る要は無い。木枝氏の假名遣研究史は兩派の主張を見易く擧げて居るから便利である。此の他に歴史派の指導書とも云ふ可き山田博士の「假名遣の歴史」、國學院雜誌の假名遣關係號〈昭和六年九月號より、十二月號まで〉其の後に出て、歴史派の主張を纏めて批判して居る國語教育の假名遣設定促進號〈昭和七年四月號〉を見れば十分である。しかして自分の此の文は、論じ盡された兩派の主張を並べる程度のものであるに過ぎないのは勿論である。
なほ斷つて置くが、字音假名遣は問題とせない。けだし國語假名遣よりも難しく、これは學者でも完全に記憶出來るもので無く(實は、何う表記するかゞ學術上の問題と成るものさへあるのだ。滿田、大矢、大島三博士の字音研究を見よ)漢學の素養は十分にあり乍ら.字音假名遣の本質を全く知らぬ人もある程で、これを一般に強制する事は、不可能であり、此の方は、歴史派論者でも假名遣嚴守を主張する者は居ないからである。
先づ表音派の主張を述べる。
表音派の主張の根本と成るのは、假名遣は古い昔の國語の表記であるから、國語が變遷してしまつて居る現代に於いて、昔通りの表記に從ふは、不合理であると云ふ點である。
そも〳〵假名遣は何うして生じたかと云ふに、云ふまでも無く表音文字としての假名と、實際の言葉との乖離不一致から生じたものである。一體表音文字は音を示す符號であり、一字としては一音を、數字集りて言葉(單語・連語)を示すものだが、其の職掌使命は、音を、換言すれば言葉を忠實に表記するにある。故に、或る國語・民族語が始めて表音文字と結びつく場合には、自然に發音通りに即ち言葉通りに――尤も巧拙精粗の差はあり得る――書かれるものだ。然うする外は無いのだ。そして、表音文字としての假名(但し一音節を示す音節文字である)は、實際、奈良朝期までの文獻では、表音文字なるが故に、發音通りに當時の言葉を寫し居り、其の結果は、奈良朝文獻特有の特殊假名表記の現象さへ見られるに至つたのである。ところが言語と云ふものは動搖性のあるもので、時が經過するにつれて變化する。變化の方向は必ずしも正しいとは云へず、むしろ訛言化と云へるやうであるがとにかく變化して行く。即ち假名遣に關係あるもので云へば、音節としてはワ行のヰヱヲが母韻のイエオ、又ヤ行のイエと區別が無くなり、ヂヅがジズと同じものと成り、言葉としては語中語尾のハ行音がワ行化し、ついでワ以外はイエオ化し、他に所謂音便現象、アウ・エウの長音化其の他の音韻變化も生じなどした。斯く音節や言葉が變化する場合に、假名の表記が言葉の變化に伴ひ行くならば、別段假名遣の問題は生じもせないのだが、文字は保守的固定的なものだから、表記は言葉の變化に伴ひ行かぬ事が起り、こゝに文字と言葉との不一致が生じ、文字が言葉の實際の音を示さぬ事と成るのだ。しかして、國語の表記史を見るに、奈良朝期は文字と言葉の一致時代であつたと見られ、此の状態は、承平年中に成つたと信ぜられる和名抄の頃までは續いたと見られる。これは和名抄の眞假名表記に混亂が無く統一があり、和名抄以前のと一致する事から歸納して知る事であり、從來の定説であるが認めて可いと思ふ。此の後國語は次第に音韻的に變化して行くのだが、音韻が變化して行き音便の如きが出ると、其れはまさしく音便形で示し、イヘをイエと發音するやうに成ると、すなほにイエと書く事も行はれ〈これが即ち假名遣の混亂である〉ワラグツがワラヂと成るまでには發音に應じてワラウヅ、ワランヅ等に表記せられた經驗があり、新しいドヂヤウ泥鰌と云ふ語が行はれると、當てる漢字は變つてもドヂヤウと發音通りに書いたのだ。斯う云ふ事は仮名遣の對象と成るすべての語について云へる事だ。即ち表音的であつたのだ。今でも假名遣を教へなければ表音的に書くし、又訛言では表音的で無いと書けないのだ。だが音が變化し言葉が變つても、相變らず、昔のまゝの書き方するものも居た。然う云ふ頃の人の中には、無意識的に古い書き方に從ふに過ぎないものもあつたらうが、又知識階級人として、前代の表記に執着したものもあり、こゝに定家假名遣や行阿假名遣と云ふやうな、不完全な假名遣が現はれる事とも成つたのだ。此の不完全な假名遣は歌人中間に信奉せられ、徳川期に於いても行はれたが、契沖が古い正しい文獻に用例を求め、語原を推定したりなどして、歴史的假名遣の基礎を定め、其の後も増加して今日の辭書に見る如き假名遣と成つたのだ。だから現在、假名遣の對象と成る語彙は、時代の古さに相異はあつても――古いものは奈良朝期又は其れ以前、新しいものは大體徳川初期頃――全部、現在の發音とは關係無く、過去の發音の姿を殘して居るのだ。
斯くの如く、歴史的假名遣は、現在の發音とは無關係に、過去の表記例に從ふ結果、表音文字たる假名の或るものは、其の本質の幾分を失ひ、一字が一種以上の音を有し、其のため一音が數種の文字で書きうる事と成り(例へば倒ルはタフルが正しいが、タオル・タヲル・タホルなどゝ書き得る)、表記の統一性が無くなり、表記の統一を強制する歴史的假名遣に據る時は、讀む時は現在の發音により、書くのは古代の發音に基く表記例に從ふ事と成つたのであるが、斯う云ふ表記は理論上果して妥當のものであらうか。言葉即ち發音は變化して居るのに、實地の發音と無關係に古い時代の表記を墨守する事は、生きて居る現代の語を重んじ、假名文字の本質を重視する時は無意味で時代錯誤と云はれなければならない。其れも言葉を傳へるのに、歴史的に據らなければ理解できないと云ふならば、歴史的に從はねばならぬが、表音的に書いても理解できるのである。しかして同じ音韻變化と云ふ中でも、イ音便・ウ音便・促音便・撥音便の類の音便類や、其の他の音韻變化で平安朝期や其れ以後に現はれたものの一部は其の變化形に從ひ乍ら――しかして其れらの或るものは、其の後又變化してしまつたので、其の中間變化形が又假名遣の對象と成つて居るのである――家・岩・川・今日などの語だけを、奈良朝のまゝの表記にする理由は全く無い筈である。蝙蝠はもとカハモリ〈川守の義ならん〉と云つたと見られ、其れが變化してカウモリと成り、更にコーモリと成つたんだが今日では、カウモリの表記を取りてそれよりの前の形で、語原を示すカハモリは採用して居ない。歴史主義が古い形に據ると云ふのであるならば、コーモリと成つた今日、カウモリを採るは宜しからずして、カハモリと書くのが正しい筈である。しかして、カウモリと成つたからカウモリと書くやうに成つた以上は、コーモリと成つた現代では發音に従つてコーモリと書くのが不正であるとは決して云へない筈である。これは一例を取つたのであるが、歴史的假名遣の對象と成る一々の語については同じ事が云へる筈である。即ち歴史主義は、此の點から云つても無意味と成る筈である。
ところで是れに對する歴史派の主張は何うかと云ふに、言語と文字とは精密に一致するものでは無い、一致させる事は難しい、必ずしも一致させる必要は無い、一致させでも又言葉は變化するから文字と言葉とは再び離れてしまふと云ふのである。即ち、山田博士〈假名遣の歴史一〇五―一〇八頁〉は、眞に絶對的に言文の一致を望むならば、文字で無くて音聲記號にでもよる他はない、其の場合は其の記號の數の繁多と成る事は文字以上と成り、實用上の文字とは成らぬ、實用的な文字を採用する以上は、或る時期を經ると言文不一致に成るのは當然で、一時其の一致を企てゝも翌日より早くも不一致の方途に進むものであると云ふ意味の事を云つて居られるが果して何うか。文字では言語を精密に寫せないと云ふ事は、今更云ふまでも無い事だが、音聲記號と音樂の音符とを案配した所で、緩急抑揚高低等のある言葉を精緻に傳へるに非る事は、云ふまでも無く、嚴密に云へば、目に訴へる記號に比しては優れて居る筈の蓄音器・電話・ラヂオ・マイクロホンでさへも、肉聲としての言語を傳へるもので無い事は明らかだ。だから、言葉を傳へるとか傳へないとか云ふのは、五十歩百歩であると云ひたい。しかして吾人が文字を以て言葉を傳へんとする場合に、言語學者が強説的に云ふやうな意味に於いて精密に傳へる事を希望して居るだらうか。一般人は文字が言語を精密に傳へ得ないと云ふやうな事を考へもせないだらうし、學者にしても、特に表記の精緻と云ふ事について、理論的に、又強説的に考へる場合以外には、無關心である筈だから、恐らくは、假名では言葉が滿足に書き表せないなどゝ、意識しながら、日常書いて居るものは一人もあるまいと信ずる。本居宣長は漢字三音考の中で、假名文字で充分國語の表記できる事を述べ、其れ以後の所謂國學者でも同じ事を述べて居るのが普通であるが、自分も亦、國語は假名で充分書き得ると考へて居る。徳川期の學者のは他の表音文字についての無識に基く假名尊重論だとも云へるが、自分は今さら然う云ふ意味での假名尊重論は述べてないつもりである。
しかして又、言語は、母韻にしても嚴密に云へば、たゞ五つで無くて中間母韻が種々あるのであり――理窟を云へば無限と云ひ得る――國語のアにしても、オに近いもの、エに近いものがあるからと云つて、其れを認識した上で、特別の文字や表記を案出してまで日常用の文を精緻に書く可きものであらうか、又書いて居る人が實際あるのだらうか〈學術研究の場合は無論除外する〉方言的訛音を示すために多少苦心した樣な例は無いでも無いが〈小説中に出てくる方言の描寫など〉普通では全く實行する者は無い。又實行すべきであるかと云ふに實行すべきで無い事は云ふまでも無い。蓋し、母韻に例を取るに、我が國に於いては、奈良朝期はいさ知らず、現在では、アイウエオの五母韻であり、所謂標準語としては、この五稱をば認めるが、他の中間母韻などは認めない事は、昭々たる事實にして、徳川期の學者亦これを認め、五十音圖の作者又然うであり、時代により、五母韻の音價に小異があつたか無かつたかは別として、五母韻組識であり、他の中間母韻は不正音として無視したのであり、現在の初等教育に於いては、其の標準母韻を教へ込んで居るのであり、國語統一とか矯正とか云ふ立場からは、五音韻主義を堅持すべきであり、中間母韻は排斥すべきものなのである。ところが、斯う云ふ事は充分知つて居られる筈の國語學者や言語學者が、假名は完全に言語を表記し得ないものだと云はんがために、まるで五母韻主義の現状を無視し、中間母韻を汎濫せしめよと云はんばかりの強説をせられるのであるが、まことに不可解と申す他は無い。しかして論者は、假名は其のやうに中間母韻は示せないから、假名を以て表音的に記すと云うても、そはたゞ比較的の事であつて、絶對的に表音的だと主張する事は出來ないと説かれ、表音假名遣と云ふ名稱は其の實が無いから妥當で無いとまで云ふのであるが、これ又無理で不可解な言葉と申さねばならぬ。家をイヘと書いて其の通りに發音すれば、現在に於いては家と云ふ言葉では無い事に成るが、イエと書けば、イ・エを混同し、又逆に發音する地方の人で無い限りは、日本人のたれが讀んでもイエと云ふ發音であり、イエ二字だけを單語として單獨に書いた場合通ぜなくとも、文中に於いては立派に通ずる。これイヘは發音を示す事不完全だが、イエは完全に示すからである。斯う云ふ場合に、イエと書くのは東北人の方言的發音とは相異があるからと云つたり、又、家をイエの示す音とは異る中間母韻で示す人の發音をばイエが完全に示さぬからと云ふ事を理由に、「絶對的に表音的なりと主張するを得」
ないと云ひ張り得るのであらうか。私はさうは考へない。文字は音の符號であり、所謂絶對的完全に表記するもので無い事は誰も知つて居るのだから、表音的假名遣と云つても、比較的である事は最初より判りきつた事である。それを表音と云ふ言葉に拘泥して論ふのは妥當であるとは申せない。絶對の精密は望まれなくとも、家をイヘと書くよりもイエと書く方が言葉をはるかに忠實に示す事實を認めて、出來るだけ文字と言葉との關係を密接にして行きたいと云ふのが表音派の主張である。(因みに、用語に關して、山田博士は歴史的假名遣と云ふ用語につき、斯う云ふ「新名稱を以てこれを呼び、暗にこれが過去の廢物なるかの如く世人に思はしめたる疑」
が無いで無いと云はれるが、余りに偏した推論である、博士の復古假名遣、村田春海などの古假名、上田秋成の古則など、歴史的假名遣と云ふ名との間に、何れ程の相異があるのであらうか。)
なほ、今表音式を採用して、一旦音と文字とを比較的近く接近させても、翌日より又兩者の關係は乖離の方向に進む、永久の一致と云ふ事は不可能だ、と云ふ論も、理窟はさうかも知れないが、實際としては餘りにも不通の強説である。地球上の人類は他日滅亡すると云はれて居るか、人類は文化向上に努力もするし、又蝸牛角上の闘爭もして居るのである。
自分は以上の如く、歴史派の主張を述べるに當り、我が畏敬してやまぬ山田博士の高説を時々引き、をこがましくも論うたが、其れは山田博士の高説が、歴史派の指導原理と成つて居る觀があるからであり、恐縮致す次第であるが、其の山田博士は、決して假名遣を改定し表音的に近づけるのを、絶對に排斥せられるのでは無い。即ち「然らば假名遣を全く改めざるを可とするかといふに、必ずしも然らず。その改革にして眞に止むべからざる事情によるものならば、これを行ふには國語の本性に基づきてこれを害せず、國語の法則に依つてこれに戻らず、國語の歴史に照してこれに基づき、社會の慣習を顧みてこれを調節し、而して後國民の公認を經、その後徐々に行はるべきものなりとす。勿論これが爲には正確にして親切なる調査を施して十分に社會の容認を經ざるべからざるものなり」
と云つて居られるのである。(又國學院雜誌に名の見える人々の中でも、美濃部達吉博士〔但しこれは轉載〕、澤瀉久孝博士、岡田稔、彌富破摩雄の諸氏の如きは歴史主義墨守では無く、表音主義を目して言語の赤化などゝ呼號する三井甲之氏にしても亦然うである。以て、歴史主義を理論的に主張する事の不可能なるを察す可きである。)
要するに表音文字と云ふものは、其の示さねばならぬ音を完全に現はし、一字一音である可く、一音數字である可きではないと云ふ本質論と、假名遣は古い時代の言葉を表記した殘骸である、奈良朝期は發音する通りに書き、書いた通りに讀んだのだ、所謂表音的であつたのだ、和名抄時代までも然うであつたらう、其の後音の混亂が生じ、從つて表記の混亂も生じ、定家假名遣・行阿假名遣なども出たが、表音式と成るのが自然の傾向であつたし、今も亦然うである事などを思へば、過去の言葉の表記に從ふ歴史的假名遣に從ふ事が無意味であると云ふ結論は動かせないのである。(視覺表象の事や、西洋の綴字とは異る事などは後に言及する)
こゝで一言して置くが、歴史的假名遣自體にも弱點がある。それは、歴史主義は過去の文獻の用例による歸納であるから、用例に誤がある場合を考へねばならぬ。其の誤と云ふのは表記が不完全(又は誤り)である場合とか、轉寫の際の誤寫の事であるが、たゞ一語しか用例の無いものに至つては、かなり危險性もある筈だ。又地方の訛言の表記しか見當らぬ例もないとは云へまい。又國語の基礎と成る和名抄以前の語彙が全部古文獻に存するのでは無く、古文獻に見えないものは、類推や語原の考察で定める他、正しい表記を知る方法も無いが、語原の考察も中々困難だ(一例を擧げると、「或」は、アルイヒハとしてアルヒハと書かれたが、古點本の用例によりアルイハである事が判つた。卑猥な語で恐縮するが、自涜を云ふ語は鎌倉末期頃の文獻に見えるセヅリであつた。それがヅズの混亂し、且つ撥音化したゝめ、堂々たる辭書に千摩の義だらうなどゝ云ふ説も見えるに至つたのである)。平安朝中期以後の假名書〈平假名/片假名〉文獻で、後世の轉寫本であるものは、眞假名文獻よりも誤寫率が多い筈であるから、其れらにのみ出て居る語彙には何う書いてよいか判らぬ疑問のものもある、と云ふ樣な事であるが、しかし是れは、 個々の單語に關する事だから、歴史的假名遣排斥の理論としては、全く問題に成らぬ。國語教育所見の文に斯う云ふ論の見えないのは當然である。
さて歴史的假名遣に從ふ時は、讀む通りには書かず、書いた通りには讀まない事と成るが、比の事實は、必然の結果として假名遣に習得するのが困難にして、從うて正しい假名遣で文を書くのが難しい事と成る。しかして假名遣の習得と云へば相當の知識人――文筆關係の人など――が自發的に記憶せんと努力する場合もあらうが、最も普通に見られるのは、小學校や中等學校に於ける習得であつて、就中尋常小學校の低學年に於ける習得が問題と成るのである。ところが、この時期に於ける假名遣の教授と習得が大變困難なのである。此の困難はわれ〳〵もかつて味はつた筈だが忘れ果てゝしまつて居るから、今では小學教育に直接關係して居る人々の言を聽く他は無いのだが、其れらの人々は口を揃へて、假名遣を習得せしめる困難を説いて居る。即ち幼い子供は假名遣を機械的に無理に覺えなければならぬ、學者は類推や語原解釋により知り得るが兒童には其れが、出來ない、ワタクシハのハをワと讀む事を知り、兒童が類推してハタクシと書くのは珍しく無いが切角の類推は誤りと成る。コーテ(買ウテ)はコーテと書いてはいけない.カウテと書いてコーテと讀むのだと云ふ事を無理に覺えなければならぬ。これは確かに不思議であるから覺えにくい、そこで國語を讀み書きする能力を得にくい。それでも低學年の時は、覺える事が少いから割合に學習效果も現はれるが、假名書本位の低學年より次第に上級に進むにつれ、漢字を覺えなければならなくなる。此の漢字が又、字形が複雜である上に音訓があり、其の音は現在では字音假名遣に從うて居るから、漢字を覺えるには、音訓兩方の假名遣を覺える必要もあり、一方、字形が難しくて漢字を書かぬ假名書きの字音語の假名遣も、國語の假名遣も次第に増して來る筈だ。ところでまた、一二年頃では假名書であるから何うしても假名遣を守らねばならない単語も、上級に成り漢字を覺えるやうに成ると、つい其の漢字の正しい假名遣を書く機會が減る譯であるから、一旦覺えたものも忘れ勝ちと成る、其の上、學科も増し國語以外にも習得すべき事が増すから、いよいよ忘却の傾向が強い。かくて擔當教師の學力及努力の如何とか、學級の兒童數の多寡とかによつて、等差は生ずるにしても、(教師自身に假名遣の自信が無く、誤りもすると、生徒は先生でさヘ誤るからと云ふ事になり、假名遣の習得の努力もせず、反對に輕蔑するに至ると云ふやうな體驗談が、國語教育に出て居る。參考すべきである。)我が小學の國語教育は、教師及び兒童の勞力勤勉に比して效果が少く、兒童は理解と表現との能力に於いて、歐米優秀國の兒童に劣る事と成る。我が小學校では毎週國語教育の爲めに十一時間餘を費して、六年間に八千九百語を習ふに過ぎないのに反し、英國では毎週八時間で三萬九千語を教へる。イタリー兒童が一貫目、イギリス兒童が三貫四百目の荷物を負うて走る時、それらの國の兒童より體質の弱い日本兒童は、十數貫目を負うて走つて居る事に成る。我が國語教育の能率的で無いのは、漢字と假名遣とがあるからだ、漢字は、廢止論者もあるが、容易に廢止し得るものでは無いから、せめて假名遣でも習得に容易なものと改める可きだ、歴史的假名遣を何うしても覺えなければ、日本語の理解も表現も不可能であると云ふのであるならば、無理にも.詰め込まねばならぬが、歴史的假名遣が絶對に必要であると云ふ譯でも無い以上は、〈これは第三節で述べた事である〉出來るだけ、記憶の樂な表記法を採用して、勞力の浪費を避け、其の代りに國語教科書の内容を從前のよりも豐富にかつ高級にし、其の學習に勞力七しむ可きである。斯くすれば、義務教育六年間で從前に比し豐富な國語教育が施し得る事と成り、國民教育の水準も上り、國運伸展に役立つであらう、朝鮮、南滿、南洋などでは表音式が採用せられ效果を示して居るが、これも參照すべきだ。以上が、小學教育の立場から出る表音式假名遣採用論であるが、いかにも尤であると思ふ。
しかし斯う云ふ小學に於ける勞習負擔輕減論に對しては、歴史派の間に無論反駁論がある。即ち山田博士は、假名遣をばむつかしいと云ふのは迷へるもので、全く感情論であり根據は無い、字音假名遣でさへも大して難しく無いのだから、國語假名遣は決してむつかしくは無い、「公平に考へてわが國語の假名遣は諸外國語の綴字に比して決してむつかしきものにあらざるのみならず、英語の綴字などに比ぶれば信に易々たるものなりとす。然るにこれをむつかしといふは要するにこれを用ゐむと欲せざるものゝ言のみ。若しその人にして信によくこれを知らむと欲せば一週間にして國語假名遣を記憶せしむることを得るは、吾人多年の經驗に徴して明かなり。若し又それが假りに難儀なりとすとも、一國の言語文字をたゞ難儀なりとして放棄するが如きは國民として斷じてあるまじき態度なり」
〈九八頁〉と云はれるのであつて、此の御説一應は尤もだが、一週間云々の事は、まさか小學生程度の年齡や教養のものに關してゞはあるまい。しかして表音派の主張は假名遣習得に最も苦しむ小學兒童に關して云ふのだから、表音派の主張の方が妥當であると云はなければならぬ。しかして、博士が歐洲諸外國語の綴字と比較して居られる事はいかにも其の通りで、殊に發音と無關係の文字を含む事の多い佛語の綴字に至りては、我が假名遣の必要な語に比し語數も夥しい事であるから、我が假名遣とは比較に成らぬ程難しい筈である。だがしかし我が假名遣と外國の綴字と比べる事が妥當であるかと云ふに、是れがそも〳〵妥當であるとは云へない。蓋し保科教授などが説いて居られるやうに、英佛語其の他ローマ字系文字使用の語に於いては(表音文字のみを使用し、義字を使用せぬ國語では何所も同じ)語、換言すれば綴字を一旦記憶したら、何時〳〵までも一生有效に使用できるのだが、我が國に於いては、家・岩・居ルと云ふ語の假名遣を低學年の時苦心して覺えたとしても、上級に進み家・岩・居と云ふ漢字を習ひて記憶すると、わざ〳〵仮名で書く事も無くなる、面倒な字音假名遣も無論同じである。しかして兒童が進みて小學以上の教育を受けると、愈々漢字を知る事が豐富と成り、一旦漢字を習得すると其れを使ふ方が便利でもあるから、漢字のみを使ひ、漢字が主、假名書は從と成り、勢ひ漢字に隱れた假名遣は忘れがちと成る。つまり小學の低學年の時や、其の後に於いて苦心して覺えた假名遣は、漢字に隱れない助辭や、活用語尾や一部の語を除いては、一生其れを有效に使用する事が出來ないのが常である。であるから知識階級人でも假名遣を完全に書きこなす事が出來なくなり、又假名遣を覺えようともせず、漢字に隱れない假名遣までも、よい加減に書くやうに成り、結局仮名遣を苦心して覺えるのは徒勞だつたと考へる事とも成るのである。であるから國語の假名遣と西洋の綴字とを比較して論ずるのは妥當とは云へない(視覺表象の事は別に説く)。
綴字と假名遣の比較に似たものとして、獨逸學童のドイツ語學習の場合を説く人もある。即ちドイツ語では綴字はやさしいが、 名詞の格・性・數、動詞の變化などは隨分面倒だ、しかしドイツ人はドイツ語を學ぶを誇として居ると云ふ説だが、學童が正しいドイツ語を習得すれば一生其れを話しもし、書きもするのであり、又耳に始終聞きもするのであり、我が假名遣が假名で書く場合に限られた事であり、日本語を話し、又聞くのとは殆んど無關係であるのとは、根本的に異るのであり、兩者を比較するのは不適の論である。
安藤正次氏は、表記派の人であるが「從來の假名遣が、その本質から見て、どうしても教え込まれなければならぬものであるとすれば、學習の難易は問題とならない」
難しければ教授者は、適當な教授法を案出し努力すべきだ、今の小學校程度の假名遣の智識を授けるのは「さしてむずかしいことではないかもしれない。兒童にとつても、それほど學習が困難であるとはいえないかも知れない」
教授や學習の難易と歴史主義の採用とは別問題だ、「從來の假名遣が、その本質から見て、國民教育の上から見て、現代の社會生活に適應しないものであるならば、それを授け、それを學ぶのは無用のことに力を費やすとゆう結果を伴うに過ぎない」
と云はれ、學習の難易は、假名遣問題から除外すべきだと云はれる。だが表記派論者も、これを主要論據として唯一つ擧げて居るのでは無く、旁證的に擧げて居るのだから、學習の難しいと云ふ事は除外する必要は無い。しかして安藤氏自身が假名遣の本質を説いて、古典的表記法(歴史的假名遣)は現代の準則とする事出來ぬ、新しい準則(其れについて「大體において、臨時國語調査會の發表した假名遣案の標準を承認する」
と云つて居られる)が必要だ、今の言葉に歴史的假名遣を強制するのは、令や延喜式で現代を律して行くのと同じで時代錯誤だ、と主張せられるのであり「從來の假名遣が、その本質から見て、どうしても教え込まれなければならぬものであるとすれば」
と云ふ前提は消える事と成る。だから、やはり學習の難しい事や、無用の事に力を浪費する事を以て、歴史主義を避ける一理由とせられる事と成るのは云ふまでも無い。
さて右の如くに、小學教育に於いては、學習せしめ難いし、切角習得せしめても漢字を知つたが爲めに、一方では假名遣を忘れる事と成る。しかして優秀な兒童と中以下の兒童との間では、漢字や假名遣の習得に大きな差が出來、優秀なのは概して上級の學校に進み國語の知識も豐富に成るが、多數の兒童は、六年卒業の國語の知識のまゝで社會に出で、各自多少は其の後に至り、自然に又は自發的に學力を高める事はあつても、十分に表現力を得る事は難しい筈だ。しかして上級學校に進んだものが何うかと云ふに、中學では假名遣も教へられ、古典にも親しみ出すが、國文學を專攻して中等教員たらんとする大學卒業間際の學生でさへ、假考遣を平然と誤ると云ふ有樣である、辭書を見れば可いのに其れさへ見ないのである。高等學校や其れ以上の程度の學生の作文や答案が亂雜であるのは云ふまでも無い。國文學徒を以て任じ乍ら、其の研究論文に假名遣を誤つて平然として居り、注意しても改めないものもある。橘純一氏は五十音圖のアヤワ三行について、國漢專門の私立專門學校一年生九五人を試驗して、五三パーセントが誤記した事を述べて居られるが、私も「假名遣は何うして生じたか」を右と同じ種類の學校の三年生に問ひて、正解二〇パーセント、半解三分解一二パーセント足らずであるのを知り驚いた事もある。又五十音圖が書けても、正しい音價につき正しい解答を得ないのが普通である。一般社會に於いては何うかと云ふに、文筆小説家の文は流石に誤記も少いが其れでも見える。新しい詩と號するものなどには、お話に成らぬものがある。所謂プロ作家なるものはひどいと云ふ話だ。新聞も大新聞では流石に少いが(雜誌は執筆者によると云ふ可きだ)其れ以下のに成ると目立つ、大新聞でも廣告文では氣づく。ビラ式の廣告文が亂雜であるのは云ふまでも無い。とにかく教養ある筈の人々の文にさへ誤用せられる事が多く、假名遣は事實現代では社會の一部分に行はれて居るに過ぎない、假名遣は權威を有して居ないと云ふ論者もある位である。假名遣は殆んど漢字に隱れて、用語の活用語尾少數の助辭助動詞に存する位の事であるが、其れでも正しく書かれては居ないのである、若し強ひて假名書きさせたとすれば、滿足に書き得るものゝ殆んど無いのは、推察が難しくないと思ふ。さて斯くの如く假名遣は行はれて居ないから改定すべきだと云ふのが表音派の主張だが、山田博士は「(或る種の)假名遣は實際上世人に誤用せられ易きは事實なること吾人これを否認せず」
とし、其の理由につき、(一) 世の輕薄者流は外國語と云へば誤らざらん事に努め戰々兢々たるに反し、國語を尊重するを一種の恥辱の如く考へ、細事に拘泥せざるを大人物の態度なりなど唱ふる弊風ある事、(二) 假名遣は漢字に隱れて居り、知らずとも路用を達し得る事の二を擧げて居られるが、いかにも尤であり (一) の方は一大痛棒である。〈二の方は既に屡々述べた事である〉明治初年以來我が國は外國語崇拜であり、中學、高等學校に於いても外國語は重視するが、國語は中學で上級に成つて教へられる古典文が、入學試驗の關係で重く見られる位で、進んで高等學校へ入ると、國語を眞面目にやる者が殆んど無いのは事實である。だから、文法や假名遣などゝ云ふ事は一層無視せられ勝ちであり、假名遣、其れも漢字に隱れない程度のものの本質さへ知らないのであり、むしろ、假名遣などは眼中に無いと云ふ有樣だと極言しても可からう。さて知識階級は斯う云ふ不了見から假名遣を誤るのだから、彼等の國語侮蔑の卑屈心を叩き直し、漢字に隱れざる假名遣を誤記せざるやうに努力せしめる事は、決して不可能で無いから、此の意味では少くとも國語假名遣に關する限りは表音主義採用の理由は無くなるが、假名遣の多い小學校に於ける學習の困難に就いては、方法が無い。そこで初等教育に於いては、正しい假名遣を教へる豫備の方便として、表音式を教へるのも咎めるに及ばないが〈假名遣の歴史一四九頁〉と云ふ説も出る譯であり、自分はむしろこれに賛成したい程であるが、表音主義の根本理由たる「現代の言葉を記すのに、昔の表記に從ふ理由は無い」
と云ふ論から云へば、方便論は認められず、知識人も兒童同樣に表音主義であつて支障が無い事と成る。
なほ表音派の論據の中には、印刷の能率を高める事に言及し、「歴史的假名遣に禍されて、明治二十九年頃から一般にルビ付活字を使用」
せなければならない樣に成り、印刷能率が甚しく低下した、歴史的假名遣を表音的に改定すれば、此の能率低下は防ぎ得る。近視眼の増加も新聞雜誌が全文總振假名に成つたからだと云ふのがあるが、是れは變な議論だ。歴史的假名遣勵行のためルビ付にせよと云ふ命令乃至慫慂が、官廳より出たと云ふ事實でもあつたならともかく、然う云ふ事がない以上はルビ付と成つたのは、新聞雜誌の讀者層が所謂文明関化のために下に及んだ爲めとか、一般が從来の知識人と異りて漢字の素養に乏しく成つたためとか解すべきであり、歴史的假名遣に禍されてと云ふはお門違ひの論と認む可きだ。まして近視眼の事に至つては、近視眼者と教養との關係、印刷の精巧化による小活字の横行、ルビの無い辭書、教室に於ける惡質黒板の影響、映畫の影響等を考ふべきであり、歴史的假名遣がさも近視眼の原因であるかの如く主張するのは、まことに呆れはてた論と云ふ可き見當違ひの論である。
さて以上が表音主義の主張だが、次ぎに歴史派の主張を述べる。(以上の所に於いても、反駁論として歴史派の主張を述べて來たと同樣に、今後に於いても反駁論として表音派の主張も出てくる。)表音派の主張の根據に、言語が變遷して、發音が變化してしまつて居るのに、表記だけ(しかも、變化した昔の通りに書くのもあり乍ら)を、昔のまゝにするのは無意味であり、時代錯誤だと云ふ點にあるが、是れに對する歴史派の主張は、現行の假 遣は傳統あるものだから改廢してはならないと云ふのが根本論據であり、これより派生的な論據も生じ、さらに、改定の實行方法に關する論も出るのである。
先づ、歴史派論者は歴史的仮名遣は歴史を有し傳統あるものであるから、改廢は絶對に成らぬと云ふ。(改廢するなら愼重にすべきだと云ふ論もあるが、然うなれば表音主義と五十歩百歩だから擧げるに及ばぬ。)さて此の主張は、明白に云ふと云はぬとを論せず、歴史派の主張の唯一の重要根據と成つて居る。もとより歴史的假名遣は過去の古文獻の用例即ち其の當時の發音に從ふものだから歴史あるものだが、斯う云ふ復古假名遣は、事實としては假名遣混亂後は餘りに行はれず、定家や行阿の假名遣も大體歴史的ではあつたが、典據とした文獻が感心せないものであるため、結果は假名遣として缺陷あるものであり、世上一般の表記は無秩序であつた。それが契沖の研究により、主張の論據を得、古言梯で確固たる基礎を得たのだが、其れさへ實際行はれて居たのは、古學者間の事であり、(其の他のものは、歌人連中が行阿式に據る位にて、他の一般人はすべて無定見であつた。)其の古學者にしても皆が皆まで歴史主義を遵守すると云ふのもなく、上田秋成の如きもあるし、又春海などのやうに、學術的の場合には歴史主義に據れ、歌を書くには行阿式に據れと云ふ譯の判らぬ意見もあると云ふ有樣で、明治に成つて小學教育に採用せられてはじめて國家的と成つたものである。(當時としては表音式と云ふやうなものが殆んど考へられず、當時の國學者連中はすべて歴史的假名遣の使用者であり、王政復古の復古思想ち反映して、自然に歴史主義に成る他は無かつたのである。)だから傳統があると云つても、そは主として、歴史的假名遣の典據が古文獻にあると云ふ事を意味すると認めなければならぬ。ところで歴史派論者はこの傳統ある假名遣を表音式に改める事は、傳統の破壞だとし、絶對に許す可からざるものだとする強硬論を唱へるのだが、傳統の改變ならば歴史上珍しからぬ事にして、卑近な例を擧げるならば、明治維新に斷髮廢刀・廢藩置縣、其の他百般の所謂陋習打破があり、今日では、女の斷髮も見慣れて珍しく無くなつて居るのである。古いからと云つて國粹だとして頑なに守舊するは必ずしも妥當では無い。古美術品の類ならば、制作當時の美術精神や表現技術とかが見られ、これを破壞すれば、制作當時の美術は全く失はれた事と成るから、十分保護すべきだが、言語について、奈良朝語に例をとつて云へば、奈良朝語は、當時の古文獻の中に文字に記されて嚴として永久に殘り居り、其の當時の發音(其の正しい發音は中々推定が困難だ)とはすでに變化してしまつて居る現在の國語に於いて、其の表記を奈良朝の其れとは異るものにしても、決して傳統の破壞とは成らない。奈良朝人は漢字を表音假名として使用するに際し、表音假名の性質上、自然に表音的に成つたのであるから(其れに精粗の差はあつた)私は或る論者のやうに、表音主義こそ奈良朝人の表記精神であり、表音主義に歸るのが、奈良朝人の態度へ歸る事に成るなどと云ふ買ひかぶり過ぎた事は得云はぬが、とにかく歴史主義を表音主義に改める事が傳統の破壞であるとは云へない。しかも表記と發音とが乖離してしまつて居る場合に、やはり昔のまゝの表記に從ふ事が妥當とは云へない事は既に述べた通りである。要するに假名遣には傳統があると云ふ事は、事實であるにしても、であるから其れをどこまでも守らなければならぬと云ふ事には成らない。
ところが歴史派論者は、假名遣の改正は、單なる文字の置換たるに止らず、言語の諸現象に關する事であるとし、傳統ある假名遣の破壞は傳統ある國語の破壞と同じだとし、國語は國民性と密接な關係あるもので、國民性が國語をこゝまで育てゝ來たと同時に、國民性も國語により育てられて來たのだ、國語は日本人の文化上の一大遣産だ、國民思想の表徴だ、假名遣の變更は此の國語の破壞であり、從つて國民思想に動搖を與へる、「皇室及び國民の傳統的精神の破壞」
だ、現在では日本人の思想が外來思想により混亂し,思想國難とさへ云はれて居る時だから、假名遣を變へたら思想混亂は一層助長せられるだらうと云ふ論とも成り、又、明治維新は神武の御代への復古であり、維新以後に於ける歴史的假名遣の採用は、國語の王政復古であつたのだ、それを今改めると云ふのは、明治の王政復古を破壞する考と同じく、國語界の反逆であるとも云ひ、さらに極端なのに成ると、國語と國民性との關係を重視する餘り、國語には國民の愛國心が籠つて居る、假名遣の變更により國語を破壞する事は、愛國心の破壞と成る、現在は歴史を無視する風が強いが、歴史的假名遣の改正は國史の無視、國民道徳の破壞、國家組織の破壞と共通で、マルクスやレーニンの歴史破壞の思想と一脈通ずるものがある、日本の固有思想は忘れられて危險思想が助長せられる、表音主義が行はれ「兒童や人々」
の國語學習の勞力が輕減せられたち、彼らは危險思想の研究に進むにきまつて居る、とも云ひ、「國語學上の赤化」
とも云ふに至るのであるが、是等の主張には理論に妥當ならざる物が多い。主要な論點を批判するに、先づ、假名遣の變更が國語の破壞と成ると云ふ事が事實とは認められぬ。云ふまでも無く國語は變遷し來つたものであり、國語と云ふ中には、現代語を中心として文獻に見ゆる限りの國語までを含み、場合によつては文獻に見えないものも入れて可い譯だが、現代の國語をば、其の文法を無視すれば國語の破壞であり(日常の新聞に文法を誤るものゝ多いのは遺憾だ。一例をあげるとサ變の連體形をスにするのが、ジャーナリストの間に、意識的に好まれて居るやうだ。)敬語の發達した國語に於いて敬語を無視したり、男女で言葉使ひが異つて居るのに、若い女學生がキミボク式の輕佻浮薄な物云ひをすると云ふ場合なら、國語の傳統的精神の破壞と云ひ得るが、古代語とはとくに變つてしまつて居る現代語を其の發音通りに書く事が、國語の破壞であるとは、何うしても認められない事である。(又蝙蝠をカウモリと書かねば判らぬと云ふ場合にコーモリと書くなら、此の語の破壞であるが、コーモリと呼んで居る以上、コーモリと書いて破壞とは云へぬ。發音通りに書くのを咎めるならば、其の前に、斯くも好ましからぬ傾向に變遷した言語を咎めて、何とか處置すべきだ。言語は今さら手がつけられないから捨てゝおいて、假名を改めるのを言語の破壞だとして咎めるのは無理だ。)又古語について云へば、假りに萬葉集などの表記を、現代語の表音式表記に變へて、さて原典を破棄して此の世から葬り去ると云ふ類の狂じみた事をやるならば、古語の破壞だと云ひ得よう、がさう云ふ事をするので無く、長い間に變化して現代の姿と成つた現代語を、出來るだけ發音に忠實に表記せうとするのが國語の破壞であるとは決して云へない事である。すでに假名遣の變更が國語の破壞で無い以上、國民性の破壞とか國民思想に動搖を與へるとか云ふ類の論が成立せないのは云ふまでもあるまい。假名遣の變更ぐらゐで國民性が動搖すると云ふのであるならば、漢字漢語の採用や、平假名片假名の發達などで、國民性が動搖して惡い方に傾いて行つた筈であるが、誰も然う云ふ事を認めるものもあるまい。(王政復古の破壞などと云ふのは、云ふに足らぬ奇論である。假名遣の改正をしも、王政復古の破壞と云ふ可くば、維新以後、祭政一致の復古として置かれた神祇官が、神祇省と成り、教部省に變じ、内務省神社局に退化した事を、此の奇論を吐く論者は何と評する事であらうか。)前に言文一政論が盛んであつた時代には、口語文を採用するは、國語や國民性の破壞であると云ふ類の論が出たが、現在の歴史派論者の主張も此の類で、表音式の採用が、國語や國民性を破壞すると云ふのは、全く杞憂的な過大の臆斷である。
次ぎに歴史論者は、趣味感情上何うも表音主義は宜しくないと主張する。つまり大井川オホヰガハをオウイガワと書き、助辭のハをワと書いたりすると、オホヰガハやハを見慣れ、書き慣れて來て居る目に、何とは無しに不快に映じ、語感がピツタリと來ない、假名書の分量の多い韻文などでは、表音式に書くと何だか勝手が違うた感がし、文學美が毀損減殺せられる、言語の品位が低下した氣がする、と云ふのであるが、是れは如何にも首肯できる。一體文字と云ふものは意義文字たる漢字にしても、表音文字として音の符號に過ぎない假名にしても、又ローマ字にしても、其れが言葉を示す場合には、目に訴へるものだから、言語の意義内容は文字の視覺的形態と結びつくものだ。即ちわれ〳〵に忠孝の言語意識が生ずる時、われ〳〵は漢字を使用して居るため、自然に忠・孝と云ふ字形を聯想するが、チユウカウとか Chu, Ko と云ふやうな假名書きやローマ字書きは頭に浮ばぬ。(又、假名書きやローマ字書きにせられると、忠孝と云ふ字の示す概念が浮び難い。)だから忠と云ふ字が誤記せられて形が忠孝と異るものと成ると、其れを見た場合に、意に滿たぬ不快感が生じる。(自分は常用の漢字でさヘも完全に書き得ないが、それでも自分で誤記した場合とか、他人が誤記した場合には〔尤も楷行の時に限る、草書は形が一定せぬから別〕其の字を見た場合に落ちつかぬ感じを受ける。)ローマ字書きの歐洲語について云へば、school が skool と書いてあり dictation が dictashon、Knife が nif と書いてあるとすれば、戸惑ひした感がして、意味との聯想が難しく成る。われ〳〵でさへ此の通りだから英人にして見れば、われ〳〵以上の不快感が伴ふであらう。英國や米國に於いて綴字改良運動が企てられながら、改良せられた綴字法が採用せられないのは、此の視覺表象に伴ふ不快感が大なる原因と成つて居るのである。さて我が假名書きの場合も同樣で、「有らう」を有ロウ・有ロオと書かれると不快感が生じるのであり、事が心理的であるために理窟では行かず、何うにも成らないのである。自分の如きは頭痛を起しかねない程度に嫌惡の情を拘くのである。だから此の視覺表象の不快感を重視すると「淺薄なる改正論者が此難點を知らず、又は輕視して唯むやみに改正を實行せんと企てるのは、その愚憐むべきである」
と云ふ論とも成るのである。
だがしかし、再考するに、全部を假名書きする場合でも、歐洲語のやうに一語一語と離して書くと云ふ事をせず、又全部を假名書きする事も、小學低學年の兒童のもの以外に無く、兒童も上級に進むにつれ漢字を習うて行き、中等教育のものは漢字を使用する事多く、日常の新聞雜誌は程度の差こそあれ全部漢字交りであるから、假名遣にして視覺表象と關するものと云へば、概して用言の語尾活用や助辭・助動詞の一部分等に限られて居る。(だから分量から云つても、種類から云っても、到底、英人に取つて、英語の各語が視覺表象の對象と成るのとは雲泥の相異があり、西洋の綴字に比ぶべきは、大體漢字であると云つても支障が無いであらう、西洋の綴字と我が假名遣とを同視するのが妥當で無いのは、此の視覺表象の點と、西洋では一度習得すれば一生それを書きつゞけるのであり、日本人が漢字を覺えたら假名遣の大部分と無關係に成るのと異る事の二點とがあるからである)しかしてわれ〳〵學徒は假名書きの部分多き古典に充分親しみ居り、それらより生じた視覺表象は一般人よりも敏感で豐富であるが、それでさへも、然う云ふ假名書古典に於ける視覺表象が漢字や英語の綴字に於ける程であるとは決して云へないやうだ。又實の所、恥しいが誤られた假名遣であり乍ら、其れを看過する事がある、其れは其の語の正しい假名遣を覺えて居ないか、又はうろ覺えであつて不快に感ぜないからである。次ぎに、字音表記に成ると、ルビとして豐富に存在しては居るが、別に字音假名遣が誤記せられて居ても(實は誤記の場合の方が多いと思ふ)氣に成る事は、大朝紙が圖にズとルビを添へる類が目障りと成る位だけで、他のは誤つて居ても殆んど目障りと成らぬ。これはルビがついて居てもルビに頼る事が無いからであるが、實を云へば、自分が字音假名遣の知識に乏しくて誤記であるか無いかがはつきり判つて居ないからであるやうだ。私は古辭書の字音表記を研究して居り、字音研究は長らくやつて居り同じ國語學徒と云ふ中でも字音研究と餘り關係ない人に比べると、遙かに餘計に字音假名遣に親しんで居る譯であるが、其れでさへ、意識的に古典の字音表記を檢するに當り、迷ふのが普通であり、まして新聞などのルビは間違うて居ようが、別に不快とも感ぜないのである。(失禮な類推だが、學者と云はれる人でも字音研究と無關係の人は大體、自分以上にルビの字音表記などには無關心であり不快に感ずる事など殆んど無いのではあるまいか。)これから考へると、視覺表象と云つても、要ずるに記憶が土臺であり、換言すれば知識であると思ふ。假名遣を誤記するのも假名遣の知識が足らぬからなのだ。知らぬ語に視覺表象がある筈が無い。そはともあれ、われ〳〵は國語學徒として、假名遣の知識も豐富だから其の誤用は敏感であるのは事實だが、これが國語學に關係なき一般學者や社會一般人となると、假名遣の知識も乏しいから不快に感ずる事もわれ〳〵以下である可く、讀書力や表現力の乏しいのになればなる程、感じが鈍くなる事は想像するに難くはないと思ふ。斯う考へて來ると、假名遣が表音式になつたからと云つて不快感から苦痛を感ずる人よりも、感ぜないか、感じても甚しくは無いと云ふのが、成人間に於いても大部分を占める事であらうと思はれるから、結局不快感とか趣味上の不滿足と云ふ事は、過大に見積る必要はあるまいと思ふ。しかして新假名遣を小學兒童に施す場合は、彼らは白紙的に其れに親しみ行くのだから、何の苦痛を感ずる事も無く、慣れて行くのは容易に想像できる。だから學童に關する限り、大人の趣味や、不快感を土臺として論ずるは誤である。大人にしても目に觸れる印刷物が、すべて表音式化した場合には、慣れてしまつて、痛痒を感ぜなくなるだらうと思はれる。
次ぎに、歴史派論者の一部には、表音主義は要するに、易きにつくと云ふ功利的な便利主義だからとてこれを排斥する論があるが、唯さう非難するだけであつて別に理論は無く、前の趣味に基づいて表音式を排斥するのに比し、一層主觀的な主張であるやうだ。云ふまでも無く社會の事物、人問の生活萬端は全く便利主義によつて進化して行くのであり、文化は功利主義の表現と斷じても可いのである。言語について云つても、言語は昔から次第に變遷して來て、其の變遷と云ふ中には音韻變化の關與する部分が甚だ多いのであるが、其の音韻變化は何うして起るかと云ふに、樂に發音をせう、成る可く發音器管を使ふ勞力を少くせうと云ふ心理作用生理作用が、主要な理由と成つて居るのであり、其の他語法の變化にしてもやはり便利なやうにと變化して居るので言語の變遷は發達ではなくて墮落だと云ふ見方が出もするのである。其の言語を表記する方について云へば、眞假名から草假名・平假名・片假名が出來、一つの音を示す文字も一つでは無かつたのが、一つと成り、形も固定して現行のに落ちついたのも、撥音・拗音・促音・強音の表記が次第に一定して來たのも、皆長い間便利なやうにせうとする努力の結果である。斯かる譯だから、書くのと訓むのと不一致の現在に於いて讀むやうに書かうとするのをば、便利主義、御都合主義、功利主義などと呼んで、さも不道徳な事のやうに云ふのは妥當で無い。まして、たゞの便利でさへあれば可いと云ふので無く、現在の表音式は隨分研究した上での主張であるから、いよ〳〵便利主義の攻撃は無意味である。(但し、現代の小學教育が啓發主義的であり、詰込主義は古くて正しくないとして喜ばれぬ傾向があり、從つて七八歳で四書を素讀させたと云ふ類の教育は無意味とせられ、やゝもすると頭腦の鍛錬と云ふ事を忘れるのでは無いかとさへ思はれるやうであるのを慨して、易きにつくのが教育の本道であるとも云へないと云ふ意味で便利主義を非難するのであるならば、耳を傾け得ないでも無いが、表音式に改めて精神力の浪費を除いた上で、さらに高級な事を教へよと云ふのであるから、何れにしても、便利主義云々は無用であらう。)
次ぎに言語と文字とは完全に一致するものでは無い、だから一致せないからと云つて一致させるやうに表音式を採用するには及ばぬと云ふ主張や、假名遣は難くして、習得しにくいから改定せよと云ふのは理由とはならぬと云ふ主張もある事は、既でに表音派の主張を述べる際に言及したから、〈第二節及び第四節〉今は省略する。又假名遣を世人は誤つて居ても別に改定せよとの要求も無いから、改定するに及ばぬと云ふ論もあるが反駁する程の事でも無いからやめる。
次ぎに假名遣の對象と成る語は、語史的に云へば、古語が訛言化したものだから、訛言を發音通り書くに及ばぬと云ふ論もあるが、(東京府國語漢文科教員幹事會の決議案には「俗間の誤用言語」
だと云つて居る)これは既述の通り、音韻變化が時代と共に好ましからぬ方向に進んだ事を認め昔の表記に從ふとしても、其の昔の表記と云ふのを、どの程度にすべきかゞ定め難い事だ。例へばコーモリを中間的なカウモリで濟ます可きか、徹底的にカハモリまで遡らす可きかゞ定め難いのであり、平安朝期に所謂誤用言語として現はれた、イ音便・ウ音便の如きも認めて可いか何うかが問題と成るから、斯う云ふ主張も、實際としては不可能だ。なほ又、是れに似たものに表音式に改めるよりは、歴史的假名遣に從つて其の通りに發音せよと云ふ論も出る〈國學院雜誌昭和六年九月號志村建雄氏文〉是れは言語の矯正と云ふ點もあるから、或る程度までは賛成できるが、ワ行のヰヱヲの音を復活させたり、家をイヘと發音するやうに教へ込む事は、非常に困難であり、歴史的假名遣を教へ込む所の話では無い。よしや小學校では其れが出來ても、家庭では父兄の間に從前通りの言葉が行はれるのだから、兒童の發音即ち言葉の訂正が實行せられる事は絶對に無い。且つ是れも何の程度まで古代の音韻に戻すかが定めにくい事であるから、旁々斯う云ふ主張の實現性は全く無い。但し少數の單語や連語について矯正する事は不可能とは云へない。しかして其れならば、小學校に於いて教授者はかなりに苦心して實行して居られる筈であり、吾人も大いに矯正を主張するのである。
次ぎに、調査會の案を見て、表音的とは斯う云ふものであるとすれば、名は表音的でも其の實が無い、これでは大人も此の規約に從つて書くと成ると難いだらう、斯う云ふのであるならば,歴史的と五十歩百歩であると云ふ論もあるやうだ。つまり案は東京語を主として居るのだから、東京語を知らぬものには、東京語の發音通りに書くのは、東京語の發音を習得して書くにしても、發音は習得せずに、表記だけは東京語の發音式に書ぐとしても、相當の困難迷惑が伴ふ筈だ。其れに第一東京語が國語として標準語と成るに足るか何うかが、學術的には疑問だ。其の上、此の案には助辭やヂヅに除外例があり、又ウやイがオ・エの長音に使はれて居るから、一字一音、一音一字を理想とする表音主義の理想から見れば不忠實で一貫の條理が無い、除外例があり、條理が無いとすれば習得は依然として全く容易であるとは云へないと云ふのであるやうだが、これも否定的な批判が出來ぬ事は無い。東京語を標準語とするせぬは別として、我が國には多數の方言がありて、兒童は教養ある少數の家庭以外では、大部分が方言を話す家庭で方言や兒童語彙に親しみ來て、小學校に入りてはじめて、大人の使ふのと同じ教科書語に親しみ、それを習得するのだ。そして言語の習得と云へば表音主義の場合には表音假名遣の習得となるのだから、教育が習得に有る以上は、兒童らが彼らの方言では知らぬ言葉を、即ち假名遣を習得する事は當然の事として、問題に成らぬ筈である。ヂジの除外例に至りては、兒童の気持は判らぬが、斯くする方が穩かであらうと云ふので設けたのであり、これがあるからとて非難するに當らぬ。長音は、最も議論の餘地があるもので、オ・エの長音はオ・エにせよとか、長音は一律に音符、又は音符代用の文字を案出せよとか云ふ論も出ようが、過渡期のものとしては、是れで濟ませるのを、無下に咎めるにも及ぶまい。〈長音の事は第二四節で述べる〉とにかく、假名遣は表音主義と云つても、何うしても、規約無しには濟まされぬのは當然であるが、其の規約が、歴史的のものよりは容易であるのは事實だから、調査會案で代表せられる表音主義に其の實が無いから、又實が無い故に覺えにくゝもあるからとて、歴史主義にかへる要なしと云ふ非難は當らぬのである。
次ぎに、表音式にすれば、方言的な訛音訛言が其の通りに記される事と成り、國語の統一は行はれるどころか、混亂は一層甚しく成らうと云ふ論がある。これは、オスス・ナス・マンズー、オマウ〈思フ北陸方言〉式の語がのさばり出すであらうと云ふ心配であるが、果して然う云ふ事に成るであらうか。一體方言的訛言を使ふと云ふ事は、誰しもある事だが、教養あるものは家庭内や親しい者同志の間で私的に方言を使うても、物を書くと云ふ場合や、方言を使うて成らぬ場合には、方言は使はない。教養は無くても軍隊の公けの用語に於いてもさうである。しかして是れは習得して斯くなつたのだから、小學兒童の作文に於いて、彼らの教養が足らぬために、方言が最も多く現はれる事は想像に難くないが、其の小學校に於いては、教授者が熱心に發音の矯正や、標準語の教授に努力して居られのである〈國語教育に見えた栃木縣師範學校附屬小學校主事阿部由二氏の文を見られたい。但し中には九州をキーシーと書くやうなお話にならぬ教師も居る事は事實だ〉だから小學の教授者諸氏にして、言語矯正を勵行せられるならば、方言的訛音や訛言が、標準語を浸蝕すると云ふ事は絶對に無い事である。よしや、教授者の努力が足らずして、兒童は言葉の矯正が出來ないまゝで社會に出ても、彼らが其のまゝの學力で文筆に携りて、訛言を書き散らす筈も無い。しかして彼らも年が進めば、自然に社會により教養せられて方言を使はないでも濟むに至る事は云ふまでも無い。そして小學以上の學校に進んだものが、書記する場合に、他人が理解できないやうな類の文を方言で書く事も無いのである。要するに、表音的に成つたら方言的訛言が、新聞雜誌の類に現はれて、國語を混亂せしめると云ふのは全くの臆斷である。だが、くれ〴〵も、言語の矯正が重視せられなければならぬ。
一寸例を上げると、東京語だからとて、ムズカシイ(難)、オブウ(負)〔此の語、案の中に出て居るが、われ〳〵には以ての他の訛言だ。足リル・オツコチル・シツポ・ケム・ヤブク・イイ・濃ユイ・睨メル・勉強シズニ・ナゾ(ナドノ訛)などゝ共に除きたい語だと思ふ〕の如きは排斥すべきだ。洗フ・舞フ・行フ・唱フ・迎フなどの終止形連體形を、アナウンサーはオコノー式に發音するが、關西人にはいやな事だ。われ〳〵はアラウ・オコナウとはつきり云つて居る。東京語は、政治や文化の中心地の語なるが故に、東京語と云へば、卑語訛語でも何でも全國的に大びらに跋扈し出すが方言では然う云ふ事は無い。此の點より云へば、方言云々を云ふよりも、東京方言の矯正が肝心だ。北陸方言に多いサ行の連用形イ音便は、古くマイテ(況)の如き例もあり、狂言では流行して居るが、現在では殆んど無いのだから、北陸方言では矯正すべきだ。
次ぎに、表音式が行はれたとしても、小學校のみに行はれて、社會が追隨せないならば、兒童は社會へも出ても、其の日の新聞さへ理解できない事に成る、と云ふ論があるが、これは後で述べるが、實施方法に關しな事だから、強ちな事は云へない。表音論者の中には、小學校でも上級になつて教科書に出る文語文や歌の如き韻文では、歴史的に從へと云ふ論もあるのである。なほ此の事は、実施方法の事を述べる場合に言及する。
次ぎに、歐米諸外國の例を見るに、中小國では或る程度に綴字法を改めた例もあるが、英米佛の如き大國では、計畫はあり、案が立てられた事もありはしても、實施はせられなかつたから、我が國でも、實現させる事は難しいと云ふよりは、實現させてはならぬものだと云ふ主張があるが、外國の失敗例を以て、我が國のを律する事は出來ない筈である。その上我が國の假名遣は、視覺表象の關係する程度に於いて、又西洋の綴字は一度覺えたら一生役立つが我が國のは然うでは無い點で、西洋諸國の綴字とは性質が異るものだから〈此の事はすでに述べた〉假名遣改定と綴字改良とを同一に見なす事は出來ぬ。むしろ、西洋でも、綴字改良運動の存するのを以て、他山の石として、我が假名遣改定の一理由とすべきであらう。
次ぎに假名遣改定は漢字全廢を豫想するものと判ぜねばならぬ、若し然うとすれば假名遣改定よりも重大事件だと云ふ見方〈假名遣の歴史一一四頁〉や、ローマ字採用の前提〈國學院雜誌昭和六年九月號澤田總清氏文〉だとする推定もあり、其のために、いよ〳〵表記式に反對すると云ふ樣子であるらしいが、これは無理な推定だ。表記論者の中に、漢字廢止論者、ローマ字論者もある事はあるが、大略數の人は、たゞ表音主義の點だけを論じて居るのである。餘りに深く案じすぎるのも妥當で無い。(自分としては漢字廢止やローマ字採用は、或る忌はしい事情でも想像せない以上は、絶對に實現不可能の事だと信じて居る。我が國に未開國でも無ければトルコなどとも違ふのだ。ドイツではラテン字採用さへ、國民の支持を得ないのである。)
以上は、大體論的な主張であるが、次ぎに述べるのは、先づ具體論的主張である。
第一は、古典が理解し難くなり、縁遠いものと成ると云ふ主張である。表音假名遣を學び、歴史的假名遣を知らぬ場合には歴史的假名遣で書かれて居る古典が理解できなくなる、古典は國民精神の産物だから、出來るだけ國民全體をして親しましめなければならないのに、表音式と成ると古典が理解しにくゝなると云ふのであるが、古典と云ふだけでは漠然として居て何の程度のものを云ふかが明瞭でない。しかして假りに萬葉源氏の類であるとすれば、假名遣の知識ぐらゐでは理解できるものでは無い。時代が新しくなる程、理解はらくに成るが、其れでも假名遣だけ知つて居たとて完全に理解できるもので無いのは、萬葉源氏などの古い物の場合と同樣である。(新聞雜誌に例をとつても、歴史的假名遣を知つて居るだけでは理解できない部分のあるのは云ふまでも無い事である。古典では無いが古典的な文で書かれて居る琵琶の詞章などを完全に理解できる人は割合に少からう。一般から云へば非知識階級に喜ばれる浪花節の詞章でも地の文の或る部分と成れば、聞いて居るものが理解して居るか何うかは疑問だらう。)古典は古典教育に據らなければ理解できないのだから、表音式採用後は、中學上級に於いて今よりも一層に、古典の知識を授けるやうにすればよい。因みに古典の假名遣を、表音式に改めよと云ふ主張も出るか知らぬが、其れは感心せぬ。否不正な態度だ。書きかへてはならぬ。其の古典の書かれたまゝの姿で(即ち假名遣誤用時代のものは、誤用せられたまゝで)保存し、知識を呉へれば可いのであるは云ふまでも無い。歴史的假名遣を書くのは難しいが、其れを讀みて理解する方は、漢字の場合と同じで、易いのである。
次ぎに、表音式にすると語原が不明と成る恐れありと云ふ主張がある。これにはコーモリ・フイゴー・フイゴの類とミカズキ、瓶ズメの連語の場合とを考へねばならぬが、いかにも語原が判りにくゝ成るのは事實である。だがしかし、語原を喧しく云ふとすれば、カウモリ・フイガウの形でさへ判らない筈であり、カハモリ、
次に表音式にすると、同音異義の語がふえて理解が難しくなると云ふ主張がある。オケ・ヲケがオケ・オケでは理解が出來ないと云ふ類で、藤屋と富士屋、屑と葛の如き例が擧げられ、殊に字音語に於いて一層同音異義語の増大する事が指摘せられて居り、いかにも尤もだが、これも考へるに、紛らはしい語が假名で單語として單獨に記される事は少く、連語の中や文中に現はれるが普通であるから、前後の關係や修飾語などにより、誤解の生じる事も無く、殊に、世上一般の書物では、漢字で書かれる事が多いのだから、いよ〳〵誤解を生じる機會は少い譯である。だから同音異義語が多くなると云ふ事で、表音式を排するのも理由としては理論的で無い。
次ぎに表音式にすれば、文法上の障害があると云ふ主張がある。即ち主として活用に關する事だがハ行活用は無くなり、ワ行とア行とに渡り、或いはア行と成り、植・餓の如きはア行と成り、閉ヅの如きはザ行と成り、出ヅはダザ兩行に活用する事と成り、四段のユカウの類はユコーだから五段活の如くに成ると云ふ類であり、これらは文法の根本を破壞するといふのであるが、是れも強い理由とはならない。一體文法(語法)と云ふのは言葉をあやつる場合の百般の法則であり、これは誰が決めたと云ふ事なしに決まるものであり、文化とか文字とかに無關係のものだから、未開土人の語にも存し、言語にして文法の存せないと云ふのは絶無である。しかし其の文法は言語の變遷に伴ひて次第に少しづゝ變じて行く、だから國語に於いて云へば文獻に殘らぬ奈良朝以前の語にも文法はあつたのであり、其の後奈良朝語、平安朝語、鎌倉期語、室町期語、江戸期語、現代語と云ふ類の文法が存し、方言に於いても其れ〴〵の方言文法が存するのであり、其れらが纏めて記述せられると文典と成る譯である。(しかし文典は、完全なものが書けるとは限られない、例へば奈良朝特殊表記の研究により、巳然命令の二形を立てるのが正しい事が判り、又リは四段活の已然形につくと考へられて居たが、實は命令形につくのである事が判つだ事の如きは其の一例である。)しかして現在中等學校や高等學校で文典により教へて居るのは、主として平安朝文法であり、文語文法であり、これに歴史的假名遣に據る口語文法が加味せられて居る程度である。
ところで今王朝文法即ち文語文法を表音的に改めると、説明は從來のを變更する必要が生ずるのは當然だが、其れは決して文法の破壞ではない。文語文法とはかなり異りて、いくら歴史的假名遣によつて書いても、文語文法との關係に説明を要する口語文法に於いても、表音式に書きかへた場合には文語文法同樣に説明を變へたら可いのである。決して文法の破壞では無い。表記を發音的にしたからとて、口語文法が破壞せられると云ふならば、現行の口語には文法が無い事に成るが、然う云ふ理窟に成立せない事を見ても、文語の破壞と、説明の變更とは別である事を認めねばならぬ。ところで文法の教授は中等學校に成つてからの事であり、中學生は小學生よりも理解力が進んで居るのだから,從前の歴史的假名遣採用時代に文法を教へるに比して、説明が面倒と成り、多少の勞力の増加はありても、甚しく教授が困難と成ると云ふ事は考へられない。(例へば有ラウなら説明は簡單だが、アロウ又はアローと書くと、一度アラウに戻さぬと、アラムとの聯絡がつけられたいのである。又買フの連用形で云へば、歴史的に從へばカヒマス、カウテ下サイ〔カツテ下サイ〕で語幹に影響は無いが、表音式にするとコーテの形が出て複雜となる。)しかして、文語文では歴史的假名遣に從ふ立場を取ると、文語文法は從前のと何ら説明の變更を要せない事と成る。尤も現代語文法との聯絡に説朋を要するのは同樣だ。
右のと關聯ある主張に、表音式を採用するならば、其れに先き立ちて、基本となる文典を編纂せよ、然らずば、文法が混亂すると云ふ説があるがこれも何うか。むろん然うすれば宜しいが、文具ありての言葉で無く、言葉ありての文法であるから、文典は後に成つても支障は無い。もし斯う云ふ風に云ふならば、口語文典なければ口語文は書けなかつた筈であるが、平安朝期の口語文以後、明治大正の口語文に至るまでに、文典は無くても口語文は書かれて來たのであつた。文典編纂は結構だが、急を要すると云ふ譯では無い。
なほ文法の破壞と成ると云ふ主張と、直接に關係も無いが、表音式を採用しヰ、ヱ、ヲが廢棄せられたら「五十音圖と伊呂波歌とは當然廢棄せらるゝに至らむ。國民は果してこれを容認すべきか。‥‥五十音圖の如きは國語の組織を説明せむが爲に案出せられしものにして……」
〈假名遣の歴史一一六頁〉と案ぜられる論者もあるが、これも表音式が音圖や伊呂波歌に影響するとは思はれない。國語學の立場からは無論必要だが一般世人――五十音圖が滿足に書けぬ人は多からう――にも物の順序を示すのに利用する爲めには必要だ。學校教育の立場から云へば、表音式に成つたからとてヰヱヲの存する音圖や歌を避ける必要はあるまい。教へて支障無い筈だ。假りに支障があるとしても、無理に教へてもかまはない筈だし、又大して教へにくゝなるとは考へられぬ。文字としては、ゐゑをヰヱヲの六字位を習得させるのが大仕事であるとも思はれぬ。しかして其の發音の習得には、現在普通に行はれて居る通りに Wa i u e o 式の音でも可いが、中學などにもなり、外國語を習ふやうに成らば、音圖としての正しい發音を教へる必要があらうと思ふ。(國語國文を專攻する學生で音圖としての音價を知らぬ者が多いのに驚くが、斯う云ふ事の無いやうにしたいものだ。)
次ぎに、表音式實施方法についての非難がある。即ち假りに假名遣を改定するとしても、其れを國家が行ふ事は宜しく無いと、歴史派論者は反対する。即ち臨時國語調査會の改定案はたゞ決議案で、同會の意志表示であるに過ぎない、會の方から文部省に實行をせまる權能も無い、又文字に關した事は、官府の力、法令の力を以てして直ちに是れを改廢すべきで無い〈以上山田博士の説〉文部省も小學校だけは、其の權力で、意志に從はせる事は出來ても、世間一般にまで、干渉する權力は文部省に無い、若し世間一般に實行々をれば越權だ〈以上美濃部達吉博士説〉文字言語の如きは自然の推移に待つべきで、人力では推移の方針を示して邪路に陷るを防ぐに止めねばならぬ。これを一擧に革めるなどゝ云ふ事は、一種の社會革命だ、クーデーターだ。政治上の大革命の時でも出來ぬ事だ、若し強制すれば、往々思想的の危險を伴ふ惧あり、反動は「ゆゝしき大事件」
となるだらう〈以上山田博士説〉と云ふのだが、調査會が改定案の採用實行について意志表示をしても別に咎む可きでは無いだらう。(文部省が調査をさせるといふ事がそもそも必要を感じて居るからであり、表音式の決議案に落ちついた調査會實施を要望しても不都合では無い。)憲法學者としての美濃部博士が、もし文部省が改定案を強制すれば越權だと云はれるのは、法律上、理由のある事だらうが、若し實行するとなれば、教育行政の最高機關、文教の府として國民精神の作興に努力する文部省が、特別な諮問機關、例へば國語調査會の如きを設け、其の案を實行するより方法はあるまい。其の場合に社會全般に強制しても其れを越權とは云へまい。其の場合に反對論者はむろん非難するであらうが、物事は擧國一致で出來るとは限らず、統制には反對があるは當然である。がさりとて、其の場合に假名をローマ字に改めると云ふでも無く、使用法の一部を、平易な方へ改めると云ふのであるのに、ゆゝしい大事件が發生するだらうなどゝ案ずるのは、失禮ながら取越苦勞であるやうに思ふ。自然の推移にまかせ、社會自身の善處に委ねると云ふ事も、現在までの國語史から見れば、たゞ混亂を助長せしめるに過ぎない事が豫想できる。
此の他調査會委員の顏觸につき、權或ある專門學者が少いとか、居ないとか、案人が多いとか、文筆家側の委員に不足があるとか云ふ風に、會の組織其のもの に對する非難を、婉曲に或いは露骨になす人があるが、これは見方によつては、甚だしく主觀的な非難だと云つて可いから問題にせない。
さて以上で、表音派と歴史派との主張を述べて批判し來つたのであるが、理窟から云つて、何うも表音主義の主張の方が勝つて居ると思ふ。そこで次ぎに、表音主義を實施する場合の實施方法につき述べる。
さて表音式を實行するとすれば、(一) 何の程度の表音表記とすべきか、(二) 表音式の採用せらる可き誰き物の種類は如何、(三) 又表音式を採用すべき人は如何と云ふ事が問題と成る。そして是れにつきては樣々な説が有り得る筈だが、事實樣々な主張が出て居る。(一) の方は後まはしにして (二) (三) につき述べるに、これは、便宜上斯う分けたまでゝ實は (三) の方は自然に (二) の中に籠つて居ると云ふ可きだ。さて現在の書き物としては、散文と韻文とがあり、文は、文語文と口語文とに分れ、文語文には法律等に見る文、候文、雅文其の他があり、其れらの文で書かれたものとしては、詔勅類、法典、官廳の公文、擬古文學、古典等がある。又韻文としては和歌・俳句・口語詩・歌謠等があり、韻文は概して文語體ではあるが、民謠童謠の類には口語體が普通であり、國語詩の中にも口語體が多く成つて居り、和歌や俳句にも口語體が行はれ出して來て居る。しかして小學校教科書につきて云へば、低學年では口語體だが、高學年に成るにつれ、文語文(候文もふくめる)や文語體韻文が加はり行く。又中學の教科書では文語文が豐富に成り、やがて古典文が加はつて行くのである。さて斯くも書き物が複雜な場合に、何の程度に表音式を實行するかと云ふに、徹底主義と、然らざる妥協主義とも云ふべきものとがあり、後者のにも種類がある。實行する以上は、たゞ小學教育に於いてのみ實行すると云ふやうな事では、其の小學兒童は卒業しても、歴史主義による新聞さへ理解できかねる事と成り不都合だ、さりとて小學校で歴史的と表音的とを兩方共教へるなら二重の負擔で何もならぬ。だから實行するならば、詔勅法文以下すべての物を表音式にせよと云ふのが徹底主義であるが、かゝる徹底主義は、理論的には難點は無いが、現實としては反對や障害があつて實現が覺束ないから、小學校低學年の口語文に於いて採用せよと云ふのが、徹底主義に相對する緩和主義である。しかして中間の主張もある。
今其れらの主張を摘記して見る、表にするのも困難だから、採意的に摘記するのである。
「古典假者遣をば、わずかに擬古文學の範圍にのみ許容されるものとして、一隅に存せしめておくのがよい」。
「もしそれ、當局が、改定假名遣を國定教科書に採用するだけで能事了れりとするのであれば、たゞに畫龍點睛の妙を缺くの譏を招くに止まらず、おそらくは、四面楚歌の聲を聞くに至ることであらう」。かなり徹底的な主張であるらしいが具體的でない。
「文部省案は小學校の教科書だけに用ゐ、然も同じ教科書中に於てさへ勅語や歌などにはこの假名遣を用ゐぬといふ事である」が其れは不可。
「一律に上は勅語法令などの公文書から、新聞雜誌などの一切に至るまで、國民總べてが用ゐる事を目標に斷行」せよ。師範附屬小學校主事、馬淵友次郎氏。
「一つむづかしいことは、中等學校の上級になつて古文を教へる場合に、歴史假名遣を教へなければならなくなるのであるが、改定假名遣の上に更に歴史假名遣を教へるといふことはどうか。‥‥專門教育は別として、義務教育から普通教育一般にも、一定した改定假名遣に據つて差支ないと思ふ」。文學博士松井簡治氏。これで見ると教科書中の古典文は、表音式に改めよと云ふのであるらしい。
「假名遣改正案‥‥を國定教科書に採用して實行を圖ることが良いか惡いかは、今此の稿の論とは全く別問題である」
「新假名遣の目的は‥‥將來の生活全般に亙つてその能率を高めるためである」、古典(明治大正期までも入れる)は新假名遣に書換へ、新假名遣に慣れた將來の國氏をして、早く古典の内容を了解させる。
「一方に古典の昔ながらの文字や假名遣のまゝで學ばせる」。神保格氏。
「今後に於ける意志發表」は、官報公文書、新聞雜誌等の印刷物.私の書翰の末に至るまで表音式でやる事を國家の命令で統一せよ。古典の文法及び、假名遣をば尊敬する。
「和歌或は俳句の如き古き傳統を有する詩の國に於いては嚴に、歴史的假名遣及び文法に準據すべきであり、此の約束の下に創作もすベきである」。小學四年までで充分讀み書きの能力を養へるのだから、五六の二年で歴史的假名遣の一般法則を教授し、古典に對する準備を完了させる事とせよ。高校教授長岡彌一郎氏
これらの主張を眺めるに、精粗さまざまだ。論者の中には、古典も表音式に書きかへよと云ふ人もあるが、教科書中の限られた古典文ならば出來ても一般古典には實行不可能の事だ、又、其れこそ古典の破壞である。然う云ふ類の所謂古典で無くても、表音式を習得した者に其の假名遣が理解できたい點では、昭和の今の文學でも(新聞記事でも)同じ事だが、其れを書き直すなどゝ云ふ事が果して出來る事か何うか。有名な小説家で何度も全集が出る類のものなら、或いは可能であるかは知らぬが、先づ大部分は不可能と云ふ可きだ。しかして、書きかへる事が妥當であるとは考へられぬ。
又論者は小學教科書中の勅語の如きも書き改めよ、然らずば表音式になれた兒童は、勅語の假名遣を以て變に思ふだらうと云ふが、兒童が變に思ふならば、そは、教師が教ふれば濟む事だ。此の點は、口語文に慣れた學童が、はじめて文語文に接した場合に戸惑ひした感じを抱くのに比較すれば明らかである。しかして綸言汗の如しとは申さぬが、既往に遡りて教育勅語や戊申詔書などの勅語を改める事は、恐らく、不磨の憲法其の他の法令の改定を意味するかの如くであるが、莊重と云ふ意味から句讀點も濁點も施さぬ法文の改定が容易く出來るものなのであらうか。斯う云ふ事を云へばこそ反対論も出るのではあるまいか。表音派論者はも少し、現實的實際的でありたい。(外交文書としての通信文が、極端に假名を省略した徳川期式の候文であり、大學卒業生でも讀めさうにない舊式なものである事を參考すベきである。表音式が他日社會に大きな勢力を占めるに至つた場合には、既往の法文を表音式にしたり、又口語文に改めたりする事も可能であるかは知らぬが、現在は未だ其の時期では無い。)既往の法文は改定せぬとしても、今後の詔勅・法文は改定假名遣に據るべきだとの主張が出るがこれも果して實行できる事か。理論上出來ないとは云へず、改定しては成らぬと云ふ確かな理由も無いが、實際としては實行できるだらうか。自分はこれを怪しむのである。新聞雜誌等に強制する事も、實際としては中々困難ではあるまいか。理論と實際とが合致しかねて困るのは珍しく無いが、表音式の如きも、さて實行すると成ると、文部省が強制してはならぬと云ふ理由も無いが、一度に社會全般に、上は詔勅より下は私の書翰文に至るまでと云ふ既に、統制的に行はれ得るものとは思はれない。
しかして以上の見方は極めて消極的な見方で、表音式の實行としては悲觀的な見方ではあるが、斯う云ふ消極的な見方をする自分は、成る可く實行の可能な方面から實施すべきだと思ふので阿保氏・宮瀬氏・高津氏等の穩和な主張に從ひたい。要約すれば、表音式採用論は實の所、大人よりも小學兒童、しかも低學年のものゝ負擔を除くと云ふのが主眼と成つて居ると云つて過言で無い程だから、先づ、國定教科書の口語文は全部表音式にし、其のかはりに教科書を豐富にし漢字も成る可く多く習得せしめ、四年卒業程度で、表音式のものを讀み又書く力は少くとも今の五年卒業程度にし、さて五年頃より、歴史的假名遣による文語文を插入し、歴史的假名遣を理解し得るやうに、其の讀み方を教へて、勅語や和歌俳句(實を云へば和歌にしても假名遣誤用時代の誤用歌もあり俳句に至りては一層其の通りだが、今では歴史的に改められて居るのが多いから、まづ歴史的にして置くのである。)文語體韻文との調和をはかり、同時に新聞雜誌が追隨せぬ場合に備へる可きだ。尤も斯う云ふ論には、それでは二重の負擔だとの非難があるが、讀むのは書くより樂であるし、又、一年生がイヘを習ふのに比しては、年齡が進み、理解力も進んで居るから、二重の負擔と云ふ程の事はあるまい。(小學關係の人で、此の主張者のある事で判る)(ついで乍ら、讀み書きは早く仕上げて、他の事を學ばせよとの論があるが〔國語教育に見える衆議院議員池田敬八氏が紹介した上野陽一氏説〕これが小學校に關した事であつても中學に關した事でも、斯う云ふ論は排斥すべきだ。他の學科の爲めに、國語を犧牲にせむとするなどは以ての他である。國語教育は、日本國民を作り上げるためには、最も重要なものにして、成人教育さへ考へてよい程である。)
さて中限は何うかと云ふに、小學よりも文語文の量が多くなり、やがて上級の擬古文や純粹の古典文の多い教科書と成るのだが、こゝでは文法が授けられる。そこで下級では表音式による口語文法を授け、上級では歴史式による文語文法を授け、普通の教義ある日本人として、中學教科書程度の古典は、讀めなくても讀んで見ようと云ふ氣を起す位にしたいものだ。現在では、國語や國文法は輕視せられ(入學試験に國語國文法が無いとしたら一層學生は馬鹿にするだらう)、學校當局にしても英語、英文法を重んずる傾があるが、中學の英語などは、讀むにも記すにも實用には遠いものだ。國家の方針として、英語や漢文の程度〈教科書及び入學試驗の兩方に於いて〉を下げ、時間を少し割愛して、國語國文法を強力的に注入すべきだ。今日の主客顛倒の弊風は矯正すべきだ。さて又高等學校では、文科系の中、國語國文に進むものとては殆んど無く、大多數の法經的學生は、理科系のものと同じく、大學では國文法、國文學とは絶縁するのだから、こゝに於いても外國語に並行して、輕視する事無く、高等の教義を得るやうに、古典の同讀や文學史以外に口語・文語の兩種文法を叩き込み、且つ國語の本質を認識するやうに入門的國語學も教へる可きだ。(ところが歴史的假名遣の行はれて居る現在では、國語國文法などは厄介視せられて居り、時間數の不足から、假名遣の本質など全く知らず,活用すら知らぬ連中が大學へ進み、其の中の經濟や法律を治めたものが役人として、又ジヤーナリストとして幅をきかせ、文科でも國文科以外の人々が文筆に關係するのである。其れらの連中が無智なるために、新聞雜誌に於ける文法が亂雜であり國語が破壞せられて行くのは、まことに當然の事である。「官廳の告示とか、裁判所の判決などを初めとして、正しい假名遣によつているものは、ほとんどない」
と某大審院判事が明言してゐるが、これに法科系人の國文法の智識の乏しいのを暴露して居るものであり、教育ある日本人としてはづべきであるが、其れを恥と思ふ人は絶無だ。)國漢以外の專門學枝に於いても高等學校と同じやうに、ありたい。
さて斯くして行けば、強制の場合は勿論の事、強制せなくても社會な亦追隨し、表記式は次第に廣範圍に行はれるであらう。しかして文語文や、其れに準ず可き、詔勅、法文等が歴史的假名遣で書かれても、其れが支障とは成らない筈である。又文學作品が作家の主張から、歴史的假名遣で書かれても支障は無い筈である。因みに文部省が強制するとしても、文人が文學作品を、學者が研究文を書くに當り(但し何れも口語文)歴史的に從ふ事ありても、それを強壓して禁止すると云ふ事は宜しく無い。
以上述べた事、何しろ表音主義の文は讀むのが苦しいと云ふ自分の立場だから、最小限度の漸進主義のものと成り、徹底論者からは、むしろ嫌はれるかとは思ふが、しかし長年假名遣改定に努力して居られる高津氏の如きも至つて穩和であるのを見れば、自分の主張が必ずしも非難せらる可きものでも無いと思ふ。はじめは一部分にしか歡迎せられなかつたのに、今では現代文として最も優勢なものに口語文がある。此の例に鑑みる可きだ。しかして實行しても、一度で完璧を期するのは難しいから、支障の生じた場合には、部分的にすなほに歴史的に還るも可し、一層表音的に修正するも可し、これを朝令暮改などゝ譏るは宜しくない。
最後に調査會案につきて一言する。斯う云ふ案の一々の例と成ると、京都人としての自分、殊に古語に親しむ事多い自分には、賛成し難いものもあるが、規定の紙數としては倍にも成つて居るのだから、極めて簡單に一言するに止める。
先づ表音式を人名地名などの固有名詞には及ぼさぬと云ふ事についてだが、人名はともかくとして、地名の如きは、むしろ表音式の方が便利ではあるまいか。是れも表音式にすると、地名の起原(語原)が判らなくなるとの説があるだらうが、地名の語原などは判明せないのが多いのではあるまいか。現在當てゝある漢字が起原を示すものとは限らぬし、もとは當てた漢字と其の地名の呼び方とが密接であつたもので、現在では甚だしく轉訛して居るものもあらう、假名で何う書くのが正しいか、判らぬものも多々ある筈だ。(國語教育一二〇頁に見える石生と云ふ福知山線〔丹波氷上郡〕の驛名はイサフと書き、實地の發音はイソーだと云ふが、これなど、漢字から云へば、無論イソフが正しい筈だから地名辭書を見るに、想像通り、和名抄に伊曾布とあるものだ。それをわざ〳〵、イサフなどゝ誤記して居るのだ。)それに語原と成ると、例により一般人には無關係だ。それよりも地名を古い表記によりて書くと、眞の地名の發音と遠ざかり判らなくなるから、表音式の方がはるかに便利だと思ふ。(柘植と書いて何故ツゲと讀むかは判らぬが、假りにツミウエの轉だとすると、ツミウエがツゲと成つたからツゲと書くのだから、他の假名の通り讀まない地名も、發音通りに書いて可い譯だ。自分の居所の近くに例をとると、向日町、神足の二驛〔東海道線では讀み難き驛名の中に入る〕はムカフマチ・カウタリで無く、ムコーマチ〔又はムコマチ〕・コータリ〔コーダニとも云ふ〕である。粟生はアハフでは通ぜず、アオである。表音式とすると古い表記が判らなくなるのを恐れるならば、精密な地名辭典を作ればよい。)
連語以外のヂヅの廢棄は、これのなほ存し、ジロー(二郎)とヂロー(治郎)の區別がある地方の人には苦痛であらうが、九州や四國の一部に於いても、小學教育の普及と交通が便利に成つた事のために、ヂヅが次第に滅びて行く現状だから、國語學徒としては好ましくないが、廢棄しても先づ仕方がないと云ふ可きだ。これと同じであるのが字音のクヮ拗音であらう。これは東京語では既に江戸末期に消えて居た事が窺はれるが、全國的には、日常の普通語で行はれて居る所も多いのは事實であり、現に關西では行はれてゐる。其の上、知識階級の間では、字音としての知識から普通人以上にクヮが使はれるのであるから、クヮを認める例のものにとりてはクヮの廢棄は好ましく無いが、しかし再考するに、ワ行拗音の衰滅傾向は動かす可らざる事にして、クェの如きは今日殆んど行はれず、クヮも、然う發音すべき漢字の全部に殘り居る譯では無く、僅かに一部分に殘つて居る位にて、字音研究をやつて居ても、氣憶できるのは多くないと云ふ有樣で、何れは亡び行くものなる事を思ふと、これも廢棄せられてもやむを得ないと云ふ可きであらう。(外國語〔英語など〕を書く場合にはクヮは必要であるが、其れは外國語に關する事にして、外國語には國語に低い音が多く、特別の表現の必要な事は勿論だから、國語化した字音語と同一に扱ふには宜しく無い。)
さて處置に困り、最も問題と成るのは、所謂長音、及び長音的なもの(長音の如く聞えるもの)の表記にして、これが、まだ名詞や副詞、形容詞などの場合は、大して困りもせないが、動詞の活用に關する場合には困る。特にオ列のに於いて始末に苦しむ。さて (イ) 實際の長音であるならば、アはア、イはイ、ウはウ、エはエ、オはオを書くのが正しいが(但しこれとても、アアはどこまでもアアでありアーでは無いのだが、約束でアの長音と定めて居るのだ。で精密に長音を示さうと思ふならば、長音符を、丁度、〻〳〵の如くに案出すれば可い)案ではエはイ、オはウを書かせようとするのだから、アイウの場合と同式で無い。從うて同じウ・イが獨特のウ・イの音、及びオ・エの長音をも示すと云ふ事と成り、一字一音主義を理想とする表音主義の法則が一貫せぬ事と成る。次ぎに (ロ) 案の中で長音と呼んで居るものが、果して長音か何うかが疑問であるものがあり、反對に長音で無くて、二音であるとの説も出て居る。即ち
と云ふ類である。さてこれを何う解決するか。
(イ) につきて云へば、アイウの長音がアイウと成るは當然だがエ・オでは長呼の時、口形がエは平たく狹いイの形に、オは小さくつぼんだウの形に終る傾きがあるから、エー・オーがエイ・オウと聞える事もあり、然う成る事もあり、又エ・オに最も近似した音はイ・ウであるから、エー・オーがエイ・オウと書かれても大きな支障であるやうにも思はれない。(例は少いが、
次ぎに (ロ) につき考へるに、長音と見る見ないは、方處と、教養と一々の語とにより相異があり、一つの語でも活用的形により異るから、長音語だと斷定するのは難しい。字音は、本來は長音で無いエイ・アウ・オウがエー・オー式に發音せられるのもあるが、本來イ・ウを韻尾とするのだから斯く書いて可からう。國語のコウベ神戸・アコウ赤も、此のまゝでよいと思ふ。クウ、スウの類は自分の如きも、意識すると二音であるが、意識せない場合は自分で何う發して居るかは判らない。連用形や連體形の時は、意識しても長音であるやうだ。とにかくウでないと思ふ。爭ウ・思ウ・迷ウは決して、長音で無く二音であると信ずる、連體形も然うである。しかし連用形のウ音便と成ると長音のやうだ。買ウ・洗ウ・舞ウの類は、案の第六に見えるのみで長音と見て居るのか何うか不明だが、これは決して長音で無い。(東京市視學加藤因氏の言によると東京でも、長音で無いらしい、ところが、それをわざ〳〵ツコオ(使)チダオ(違)と教へる教師も居るとの事だ。アナウンサーが、オコノー式であるのも、斯う云ふ教師と同じ誤だ。自分は、常の物云ひにはオコナウと云ひ乍ら、文語體のものや.漢文を讀む時オコノー式になるのを氣づいて驚いて居るがこれは學校教育により斯うなつた事を知つた。)連體形も同じだ。しかし連用形のウ音便は長音である。次ぎの逢ワウ買ワウは先づ長音であると見てよからう。此の通り案の長音と云ふ中には長音であるものと無いものとがあるから一律には定め難いが、一律にやるとすれば、ウで書いて大きな支障があるとも思はれない。
次ぎにオウカミ、オウヤケの例を見るに、これらは長音であるやうだが、上がオ列だから、ウではいけないと云ふ論は尤だが、オトウサンの例から見れば先づ大目に見ておいて可いのであるまいか。とにかく此の長音の事は一律に云へるので無いし、又一律な規定は設けられない。しかして案を非難しても、其れにかはる妙案も出ないのだから、案に從うて可いと思ふ。しかし、自分は無條件的に云ふのでは無く、此の長音や長音らしく見えるものは、ただ、これを長音と教へないで、(實際の長音は國語では嘆聲叫聲など以外には無く、長音と見えるものは転訛した音だから)、文字通りの發音をさせるやうにすべきだと云ふのである。(ヘイタイ兵隊・テイコク帝國・ケイサツ警察は小學校で字通りの發音で教へて居ると云ふ。國語教育、一三三頁東京豊島師範教諭兼主事二階源市氏言。)形容詞のヨオウ(弱)オウキユウ(大)の類も他によい方法が無いからこの表記を採用する他はあるまい。要するに、表記主義に從ふとすれば、案に據つて支障無いと思ふ。
以上冗説し來つた事は、豫め斷つておいたやうに別段從來のと異る主張も無く、結局は、自分が國語學徒として歴史的假名遣に戀々たるが爲めに、我田引水的な最小限度論と成つたが、最小度限度最大限度は別として、歴史的假名遣を或る程度に改めて、出來るだけ表音的にせなければならない事は事實である。が實行するに當りては、實際の話語の訛音・訛言の矯正に努力すべきである。それには、國語教育に最も重要な地位にある小學校關係の教授者諸氏が、自ら發音を是正し、且つ、雅正なる言葉と卑歪なる言葉との識別を嚴にし、雅正なる言葉を教へ込まれたいと主張するのである。(其のためには、其の教養を高めなければならぬ。現在の口語の姿を認識するためには、過去の國語の認識が必要だ。故に、師範學校では、國語音韻史や字音變遷史につき、正確な知識を注入する事に努力すべきである。過去の國語や字音の知識無くしては、現在の語の正訛は判る筈がない。)同時に文藝家やジヤーナリストやアナウンサーが國語の認識を深め、訛言訛音を書き散らし、云ひ散らすのを止めてほしいと切望する。(七月卅一日)
初出 : 『国語国文』第8巻第10号、pp.153-195、1938年10月1日発行