今猶世に行はるゝ書翰文の用語は、慣用の久しきがために、さまで怪むものなけれど、注意してこれを觀れば、奇怪極れり。元來わが國語は説明語は必客語の下にあるべきに、書翰文には「得貴意」などかき、得といふ説明語は、貴意といふ客語の上に置けり。助動詞は、必動詞の下に屬すべきに「可然」などの可といふ助動詞は、然といふ動詞の上に置けり。打消の詞は、打消さるゝ詞の下に置くべきに「無覆藏」など倒置せり。文字の位置は、かく言葉の順序に戻らせおきて、これを讀むには、逆讀して言葉の順序に從はしめたり。文字文章の簡易を旨とする今日に當り、猶かゝる造語の書翰中に存するは何ぞや。遡りて其起原を索むれば、遠く平安朝の書翰にあり。されど今世に傳はれるものは、其體の備れをみず。其體の備れるは、明衡往來なり。次いで貴嶺問答、次いで庭訓往來、尺素往來など、連綿として模範を示しゝかば、歴代の書翰文體は、此形式を墨守するに至れり。江戸時代に至りても、この束縛を脱する事を得ざりき。書翰のみに就きていふも、かゝる歴史を有せり。そも〳〵文體は書翰のみ他の文章と甚しき懸隔あるべきにあらず。平安朝にかゝる文體の起れるは、獨書翰のみにあらず。吏部王記、權記、小右記、春記、中右記、台記の如き日記類、西宮記、北山抄の如き有職書、將門記の如き戰記に類するもの、本朝世紀の如き史筆に近きもの、多く此體にて記述せり。されば今これを書翰體といはずして、記録體といふを穩當なりとす。文體の變遷せし今日にありては、此記録文中や奇怪なる用語は、早晩書翰文中に跡を留めざるに至るべきなれど、記録文體を歴史的に研究するは、今より後も猶無用の事にあらざるなり。
そも〳〵我國上古相當の文字なかりしがため、漢字漢文は大に勢力を逞くしたれども、漢字漢文は、わが國語を寫すに適せざる所あり。これによりて或は新字を製し(畠、
柚、榊、鞆など)或は漢字に訓義を附して使用し(椿、薄、磯、
(大殿祭) 事 問 之 盤 根 木 根 乃 立 知 草 能 可 岐 葉 乎毛 言 止 氐 天 降 利 賜 比志 食 國 天 下 登
などあるこれ也。今一は漢字の用法を變じ、漢文の組織を換へて組立てたるものにて、
(古事記) 故 是以 其 速須佐之男命 宮 可㆓造作㆒ 之地 求㆓出雲國㆒ 爾 到㆓坐須賀地㆒而 詔之 吾 來㆓此地㆒ 我御心 須賀々々斯而 其地 作㆑宮 坐 故 其地者 於㆑今 云㆓須賀㆒也
などあるこれ也。當時かく國語に調和しがたき漢字漢文を取りて、一體を草剏せしは、非常の困難を感ぜしなるべし。古事記の序に「敷文構句於字即難、已因訓述者、詞不逮心。全以音連者、事趣更長」
といへるにても知るべし。此等の文體の亂雜なるは、勿論なれど、漢文の格を破りて、別に一體を草剏したるは、當時にありて、わが國民の模擬のみに安ぜざりしを知るべく、又當時輸入せし外國文學はいかに同化せしか、其一端を窺ふに足れり。しかるに奈良朝より平安朝にわたりて、漢文學の勢力盛にして、律、令、格、式を始として、官符、論奏、表、奏状より、歴史に至るまで、漢文にて記載せり。それがために一時草剏せし文體は壓倒せられしなるべけれど、延喜以後に至り、一(祝詞體)は假名文となりて顯れ、歌詞などに誘導せられ、其形を變じ、一(古事記體)は記録文となりて顯れ、更に外國語を吸取して、其趣を換へたり。漢文の衰頽に傾きしは、寛平中遣唐使廢せられ、外交斷絶せし影響によれるは、勿論なれど、此二體の文の便利を認めたるも、また一因なりしなるべし、されど假名文は冗長纖弱にして、女流の游戯に過ぎずと認められしにや。實用の文章には、主と記録體を採用するに至れり。今日より觀れば、奇怪なる文體なれど、當時にありては、これに勝れるものなしと認められし事明かなり。さるは文章の簡略にして、用語の束縛なきによれるなるべし。一二の例を擧ぐれば、春記に
今夕行幸ノ間、於㆘テ東院東大路ト與㆓神解小路㆒邊㆖ニ、宇佐ノ宮ノ下部一人着㆓シ衣冠㆒ヲ、進㆓寄リ御輿ノ右方㆒ニ、擧㆑ケ音致㆓ス訴訟㆒之間、希有之事也。爲㆓シテ右將等㆒ト不㆓追却㆒不覺ノ者等也。予令㆓メ追却㆒了ヌ。須㆓搦捕㆒也。然トモ而行㆓幸ノ新所㆒之間、左右有㆑憚也、故ニ不㆑令㆑メ搦メ也。事尤非常也。
中右記に
寄㆓セテ御船ヲ於東ノ渡殿㆒ニ、上皇令㆑メ乘ラ給フ。大殿左大臣關白殿、藤大納言、中宮太夫、左大將、皇大后宮權太夫、新宰相中將、此外宗忠並ニ左中將有賢依㆑テ召ニ候㆓ス御船㆒ニ有㆓テ別ノ仰㆒帥大納言、備中守朝臣可㆑シ候㆓ス御船㆒ニ
者 。以㆓御隨身㆒被㆓相尋問㆒、已ニ及㆓數刻㆒ニ兩人追被㆓レテ參リ加㆒フ後出㆓ス御船㆒ヲ
本朝通紀に
是日加茂行幸也。上卿權大納言雅定卿以下參入。召㆓テ外記㆒有㆓召仰事㆒。次被㆑ル奏㆓セ宣命㆒ヲ。午刻出御。下社司禰宜季繼雖㆑モ申㆓ス三位㆒ヲ敢無㆓恩答㆒。依㆑令㆑訴㆓申自餘勸賞㆒、追可シ㆑被㆓ル宣下㆒之由被㆓仰下㆒之。上社司禰宜以下七人叙㆓ス一階㆒ニ寅刻還官。
など、此種の文を列擧して比較せば、比較的に其叙述の漢文調に近きと遠きとの差はあれど、概してこれをいはゞ、其體は一定したり。又これを古事記に對照すれば、如何に變化せしか。記録文は古事記よりも漢文調に近きが如し。さるは漢字の用法を變じ、漢文の組織を換へて、文章を組立つるは、彼是同一なれど、古事記は外國語の混合せざる國語を寫すを主とし、記録文は外國語又は外國語より轉來れる語を交へて寫出すによりて、かゝる差別を生ぜしなり、又記録文に假名を交へたるもあり。宇槐雜抄に
過㆓主上御坐南間中央㆒之間、漸屈行、少艮サマニ行テ、於㆓御坐間南方㆒テ膝行三度。
とあるが如し。これは古事記に
吾 者 到㆓於伊那志許米志許米収穢國㆒而 在 祁 理
などある祁理の如く、祝詞體の書法の交れるより、轉來れるなり。これ等の點よりみるも、古事記と記録文との關係しるべし。
平安朝の記録文は、動すれば漢文の格に束縛せらるゝ痕跡なきにあらず。鎌倉に至りても、玉海、山槐記、明月記の如きは、猶この筆法にて、著しき變化の跡を見ず。吾妻鏡に至りては、叙述放恣にして、記録文特有の文字を全面に分布し、漢文の格と假名文の格とに束縛せられず、塲合によりては、取りてこれを同化したる跡あり。特に幕府の記録なれば、武門の事變を記せるによりて、行文は單調に陷らず、これがために從來用ひ來りし文字も、種々の塲合に使用せられ、忽ち人目を惹くに至れり(打擲、惡口、披露、退轉などの字は、佛書にいでゝ、久しく世人の目に馴れたり。理不盡の字は、はやく類聚國史にみえたり、逐電の字は、明月記にも、跡を晦す意に用ひ、漢文の馬を相する意は、已に失せたり。此等の文字も、吾妻鏡に入れば、一癖あるやうに見ゆ)一面よりみれば、吾妻鏡は記録文の癖を集成せしもの也。此癖の集成は、即ち其特色なり。これを要するに吾妻鏡は記録文中最發達したるものなり。後に出でたる園大暦、康富記、宣胤卿記など、吾妻鏡の外に一機軸を出したりどもみえず。江戸時代に至りては、此體の文多けれども、特色揚らず、彊弩の末力、魯縞を穿つこと能はざる觀あり。今吾妻鏡より一二節を鈔出せん。
酉剋、毛利入道、駿河前司向㆓
淀平上 等㆒、武州陣㆓于栗子 山㆒、武藏前司義氏、駿河次郎泰村不㆑相㆓觸武州㆒、向㆓宇治橋邊㆒ニ始㆓合戰㆒、官軍發㆓矢石㆒如㆓雨脚㆒、東士多以中 ㆑之ニ、籠㆓平等院㆒、及㆓夜半㆒、前武州以㆓室伏六郎保信等㆒進㆓于武州陣㆒云、相㆓待曉天㆒可㆑遂㆓合戰㆒由存スル處、壯士等進㆓先登㆒之餘、巳始㆓矢合㆒、被㆓殺戮㆒者太多。者 武州乍㆑驚陵㆓甚雨㆒向㆓宇治㆒訖。
これ等は平板なる叙述の上に、特色文ある文字を分布したり。
出羽國里山衆徒等群參。是所㆑訴㆓地頭大泉二郎氏平㆒也。仍今日爲㆓テ仲業ヲ奉行㆒ト遂㆓一决㆒。當山ハ先例非㆓地頭進止㆒ニ旦可㆑淳㆓止入取追捕㆒之旨故將軍ノ御書、分明之間、山内分㆓安堵㆒之處、氏平或顛㆓倒八千牧福田料田㆒、或於㆓山内事㆒致㆓口入㆒之條、無㆑
謂 之由、衆徒申㆑之氏平無㆓指 陳謝㆒之間、背㆓先例㆒張㆓行無道㆒。事不㆑可㆑然之趣被㆓仰下㆒。
これ等は前文に比すれば、文勢少しく曲折せり。其間に特色ある文字を分布したり。
幸氏
憖 申云、挾㆑箭之時、弓一文字ニ令㆑持給事、雖㆑非㆑無㆓其説㆒、於㆓故右大將家ノ御前㆒、被㆑凝㆓弓箭ノ談議㆒之時、一文字㆓弓持事、請人一同ノ儀歟。然而 佐藤兵衞尉憲清入道云ク、弓拳ヨリ押立 可㆑引㆑之樣ニ可㆑持也。流鏑馬ニ矢ヲ挾之時、一文字ニ持事非㆑禮也。者 倩 案㆓此事㆒、殊勝也。一文字ニ持テハ誠二弓ヲ引テ、即可㆑射㆑之體ニハ不㆑見、聊遲キ姿也。上ヲ少キ揚テ、水走 ニ被㆓仰下㆒之間、下河邊、工藤兩庄司、和田、望月、藤澤等三金吾、並ニ諏方大夫、愛甲三郎等頗甘心シテ各不㆑及㆓異儀㆒承知訖。然者是計 ヲ可㆑被㆑直歟。
これ等は行文佶屈に傾けり、其間に特色ある文字を點綴したり、特に假名を交へたるは、常例にあらず。又希には駢儷句を用ひて、文章を飾粧せしものもあり。
熊谷二郎直實法師、自㆓京師㆒參向、辭㆓往日之武道㆒、求㆓來世之佛緑㆒以降、偏繋㆓心於西刹㆒、終晦㆓跡於東山㆒、今度將軍家御在京之間、依㆑有㆓所存㆒不㆑參、追凌㆓千程之嶮難㆒、
泣 述㆓五内之蓄懐㆒、仍召㆓御前㆒、先申㆓厭離穢土欣求 淨土ノ旨趣㆒、次奉㆑談㆓兵法用意干戈ノ故實㆒等、身今雖㆓法體㆒、心猶兼㆓眞俗㆒、聞者莫㆑不㆓感歎㆒
これを本朝文粹などに載せたる駢儷文に比すれば、蕪雜踈苯なれども、文選を咀嚼して、かゝる文體にて表出したるは、記者の同化力に富める一斑を認むべし。
文字の位置は、漢文の常例に違へる所多し。漢文の常例よりいはゞ、
將軍家令㆓落餝㆒給(中略)尼御臺所依㆑被㆓計仰㆒不㆑
意 如㆑此
などの依の字は、尼の字の上にあるべく、
爰行平弓馬ノ友也早行向ヒ可㆑尋㆓問所存㆒
などの可の字は、早の字の上にあるべく、
事ヲ寄㆓セ於左右㆒ニ現㆓狼藉㆒之由
などの事寄は寄事とあるべく、
今朝胤正盡㆑詞雖㆑勸㆑膳不㆓容許㆒
などの雖の字を、盡の字の上にあるべく、
者 申㆓景時其由ヲ二品㆒ニ
など、申すものは、景時也。景時は主語なれば、申の上にあるべく
豈以可㆑然哉
などの以可は可以とあるべく、
當國自㆑本狭少之上庄々巨多之間敢無㆘隨㆓國衙㆒之地㆖
などの敢無は無敢とあるべし。此等は漢文の格に従ふとも、决して記載上不便あるにあらざれども、國語を寫すに、漢文の組織はさまで用なきがため、具格を墨守せざりしこと、しるべきなり、これ等も古事記の衣鉢を傳ヘしなるべし。古事記には、
天皇辭而(中略)
然 大后 始而 諸卿等 因㆓堅奏㆒而 乃治㆓天下㆒
などの因の字は、大后の上にあるべく
故 隨㆑命以 可㆓天降㆒
などの可の字は、隨の字の上にあるべく、
何 吾 比㆓穢死人㆒
などの比の字は、吾の字の上にあるべく、
亦 作㆓一千鈎㆒ 雖㆑償
などの雖の字は、作の字の上にあるべく、
時 作㆑筌 有㆓取㆑魚人㆒
などの有の字は、作の字の上にあるべく、
凡 茲天下者 汝 非㆓應㆑知國㆒
などの非の字は汝の字の上にあるべし。古事記と記録文とを比較すれば、まゝ類似の造語に、同種の破格あるが如きは、洵に奇なりといふべしされどかく破格あるは、漢文の格を知らずして、然するにはあらず。さるは古事記の序の正格なる漢文にてかゝれたるにても知るべし。記録文の特色は、全體の組立より用語の種類に至るまで、種々の形を以て顯るゝは、勿論なり。されど文の構造にさまで影響なきものは(一例を擧ぐれば、尾籠といふ字の如き、給の字をかくべき處に、御の字をかくが如き、文字は異樣なれど、其文字限にて、他の詞に影響を及さず)姑くおき、文の要處にありて、其構造上に影響ある文字は、注意して見るべし。此文字は、實に記録文の特色を見るに、重要なれば也。吾妻鏡は記録文の最も發達せしものなれば、それにつきて、さる文字を擧げて、古事記と對比せば、記録文の發達の一端をみるに足らん。
形容詞的修飾語の、動詞、助動詞をうけて、名詞につゞくが、特色にて、
着㆓紺ノ直垂ノ上下㆒之男
可㆑挿㆓害心㆒之族
などこれ也。所といふ字をうくるは、更に異樣也。
自㆓野干之手㆒所㆓相傳㆒之刀
去ル治承四年ニ所㆑
與 ㆓景親㆒之河村三郎義秀
など多くあり。又此之の字を添へて頗る長き句を組立てたるあり。
文治五年故幕下將軍御㆓下向奧州㆒之時於㆓平泉ノ高屋㆒所㆑被㆓召取㆒之泰衡父組代々ノ重寶者
などの如し。古事記にも、
殺㆓其父王㆒之 大長谷天皇
所㆓御佩㆒之 十拳劔
など多くあれど、之の字はかけども、讀まぬ例也。さて此格は、漢文に「患邪淫之人」
(禮記)「不貴難得之貨」
(老子)などより、轉來れるものなるべし。
動詞の下に添へて、語勢を助くるが特色にて、
彼御閑居之體具申㆑之
参入之由申㆑之
などこれ也「親職戌方之由申」
などの例もあれば、この之の字は、そへざるも妨なし。それを添ふるは、語勢を助くるに過ぎず。古事記にも、
汝 命 獲㆑之
故 泣㆓患之㆒
などあれど、これもかけども、讀まぬ例也。さて此格は漢文に「參差荇藻左右流之」
(毛詩)などより、轉來れるなるべし。
副詞的修飾語に添へて、より又は故にの意に用ふるが、特色にて、
重忠本
自 心與㆑言不㆑可㆑異之間難㆑進㆓起請㆒當國者悉以順㆓平氏㆒之處安資爲㆓和田小太郎義盛之聟㆒獨
侯 ㆓源家㆒之間如㆑此
などこれ也。又此間の字をそへて、頗る長き句を組立てたるあり。
仍召㆓進之㆒於㆓衆徒前㆒加㆓刑法㆒可㆑令㆑散㆓彼鬱胸㆒之由重被㆑仰之間令㆑切㆓件ノ
犯 人左右ノ手㆒於㆓板面㆒以㆑釘令㆑付㆓其手㆒訖
など多くあり。古事記にも、
如㆑此 白之 間
などヲリとよませ、
還㆓入其殿内㆒之 間
などホドとよませ、
是 摭食之 間
などアヒダとよませたれど、記録文のやうに用ひたるはみえず。これは漢文の「七八月之間雨集」
(孟子)などに同じくて、記録文のかたは、更に轉用せしなり。
事といふ義にて、中に子細又は樣子などの意を含めるが、特色にて、
早可㆘遁㆓奧州方㆒給㆖之由所㆑存也
非㆓
指 尾籠ノ所存㆒候之由以㆓女房㆒申之間
などこれ也。古事記には、
我 那勢命之 上來 由 者
亦 到㆓此間㆒之 由 奈何
など、皆故の意也。物語文には、記録文と同じ樣に用ひ、「御むかへにまゐるべきよし申してなんまかで侍りぬる」
(源氏)などいへり。但し記録文の如く、之の字はそへず。かゝる樣に用ふる事となれるは、古事記より後の事也。又記録文には、これを事實と言葉との分るゝ處に用ひたり。吾妻鏡靜女鶴岡に歌舞せし條に、
此事去比被㆑仰露、申㆓病痾由㆒不㆑參、於㆓身不屑㆒者雖㆑不㆑能㆓
左右 ㆒、爲㆓豫州ノ妾㆒。忽出㆓掲焉砌 ㆒之條、頗耻辱之由、日來内々雖㆑澁㆓リ申之㆒
これを大日本史に譯出して、
稱疾不至、哀訴曰、妾本賤流不足自惜。然已充豫州之後房。而今豈示耻於稠人哉。
と記せり。又、
近日只有㆓別緒之愁㆒、更無㆓舞曲之業㆒由、臨㆑座猶固辭
とあるを、大日本史に
靜固辭曰、妾今日不堪離別之悲、寧有意歌舞乎。
と譯出せり。かく始に云の字をおかず、由の字より申の字などに結付け、文章を斡旋するが、特色なれど、また始に云の字をおきて、事實と言葉とを分ちし處もあり。彼是並用せし也。
由の字とさまで差異なき塲合に用ひ、
皆以可㆑被㆓追討㆒之旨有㆓其沙汰㆒
右府頗被㆑扶㆓持關東㆒之旨風聞間
などあり。字義はさまで漢文と異ならざれど、用法のかく變化したるが特色也。これは古事記にみえず。
これも由の字とさまで差異なき塲合に用ひ、
源二位卿殊鬱申之趣達㆓叡聞㆒之間
是行家義經之事條々被㆓奏聞㆒之趣爲㆑有㆓勅答㆒歟
などあり。これを用ふる塲合のみならず、字義も漢文と異なり。これも古事記にみえず。
これも由の字とさまで差異なき塲合に用ひ、
經俊令㆑與㆓景親㆒之條其科責面雖㆑有㆑餘
不㆑存㆓謀曲㆒之條已以露顯之間
などあり。これも古事記にはみえず。
由、旨、趣、條の四字、多くは用法に差異なきやうなれど、また微細なる區別なきにあらず。
檢斷ノ事同可㆑致㆓沙汰㆒之旨義澄承㆑之訖之由申㆑之
早可㆓尋索㆒之趣申請之由右武衞所㆑被㆓申送㆒也
無㆓左右㆒令㆓自由㆒之條頗無念之由被㆑仰
趣一同スル之旨申㆓御前㆒之處ニ 何事之 有哉 之 判謀之輩尚歸㆓住諸國㆒之條被㆑申旨尤可㆑然
成長任官事兼日無㆓言上㆒之旨任㆓雅意㆒之條尤奇恠早可㆑被㆓糺行㆒之由被㆑仰㆓遠州㆒所
など疊用せし件につきて、この四字は、すべて置きかふべしやいなやを撿すれば、如何なる區別ありや、しりがたきにあらず。
單に事といふ意に用ひ、
依㆑爲ルニ㆓御
眉目 ㆒今及㆓此儀㆒而逆浪覆㆑船之間
慮外 止㆓渡海之儀㆒
などあり。これも古事記にはみえず。
副詞の下にそふるが、特色にて、
悉以可㆑被㆓攻撃㆒之旨
定以勵㆓忠勤㆒候歟
などこれ也。此外、猶以、皆以、甚以、太以、多以、憖以、彌以、具以、尤以、頗以、忽以、別以、遂以、頻以、兼以、敢以、俄以、共以、態以、已以、殊以、空以、大略以、今日以の類也。漢文に「若以與我」
(左傳)「今以加知矣」
(韓非子)などあるより、轉來れるにや。古事記にはみえず。
一種の助詞として、動詞の上におきて、語氣を助くるが、特色にて、
若於㆑テ有㆓ニ勝功㆒者
聖禪於㆑破㆓壞精舍㆒雖㆑企㆓修造之勵㆒誰留㆓安堵之踵㆒哉
などこれ也。漢文に「於答是也何有」
(孟子)などより轉來れるなるべけれど、其用ふる塲合甚廣し。古事記に、
於㆑採㆓御綱柏㆒ 幸㆓行木國㆒之 間
などあり。造語は似たれど、オイテとはよまぬ例也。
語勢を助くるがため、助詞として用ふるが、特色にて、
可㆓討進㆒之旨所㆑被㆑仰也
可㆑令㆑致㆓沙汰㆒之間所㆑被㆑仰㆓付江戸太鄭重長㆒也
などこれ也。漢文に「天之所生地之所養」
(禮記)などいへるより轉來れるなるべし。古事記には、
於㆓左手㆒ 所㆑成 神名
不㆑治㆘所㆓事依㆒之國㆖面
などあり。造語は似たれど、トコロとはよまぬ例也。
古代のニといふ助詞、後世のガといふ助詞と同樣に用ひたるが、特色也。但し接續詞を用ふべき塲合に、此字を前句の終におきて、文を接續する也。
爰被㆑問㆓子細㆒之處無㆓分明陳謝㆒
令㆘即從致㆗夜行㆖之處於㆓尊勝寺邊㆒行㆓逢奇恠之者㆒
など、此字によりて、かくは文章を斡旋せり。古事記にはみえず。
前にある人の詞などをうけていふが、特色にて、
仰ニ曰對㆓國衡㆒重忠ハ不㆑發㆑矢乎
者 重忠申㆓不㆑發㆑矢之由㆒
者 経蓮云是勸㆓自殺㆒使也盍㆑耻㆑之哉者 取㆑刀破㆓身肉手足㆒
などこれ也。平安朝の記録文には「即獻曰於㆓テ紫野㆒ニ翫㆓フ子日ノ松㆒ヲ
(小右記)など、初に曰の字をおき、終に者の字をそへて、テヘリとよませたるもあり。テヘリはトイヘリの轉也。これは古事記に、
於是 阿遲志貴高日子根神 大怒曰 我者 愛友故 弟來耳 何 吾 比㆓穢死人㆒ 云而
かく曰云の二字を前後におきなどせしより、轉來れる也。テヘレバといひて、下につゞかすは、更に轉用せし也。
助詞に用ひてハとよむは、
至㆓征夷使㆒
者 僅爲㆓兩度㆒歟於㆓輕俊罪科㆒
者 雖㆑難㆑遁㆓刑法㆒
などこれ也。古事記にも、
又 離㆓田之阿㆒ 埋溝 者
是 者 無㆓異事㆒ 耳
などあり。漢文に「爲母所以異於父母者壹括髮」
(禮記)などあるによれる也。
又助詞に用ひてバとよむは
向後猶
見 ㆓不義㆒者 定可㆓後悔㆒之趣就㆑之若
見 ㆓歸伏之形勢㆒者 可㆑入㆓九州㆒
などこれなり。これはハといふに用ひしより、バといふにも用ひしなるべし。古事記にも、
取㆘在㆓其阪本㆒桃子三箇㆖ 待撃者 悉逃返也
見㆓其腹㆒者 悉 常 血爛也
などあり。
オハンヌとよませたり。かくてはヲハルといふ動詞にヌといふ助動詞をそへたるなれど、記録文にては、それを完了の助動詞として用ひたれば、唯ヌとのみいふに同じ。了又は畢も同樣也。
被㆑發㆓遣軍兵㆒訖ヌ
已發㆓謀反㆒了ヌ
申㆘明曉可㆓氣畢㆒ヌ之由㆖
などこれ也。漢文に「通於一而萬事畢」
(莊子)などの動詞より轉せしにや、古事記には
勿㆑違 白 訖
などあり。又過去の助動詞に用ひ、
既 崩 訖
ともいへり。
未來を顯す助動詞に用ひ、
者取㆓腰刀㆒欲㆓自戮㆒
工藤小次郎行光教㆓馳並㆒之剋
などこれ也。古事記には、
欲㆑殺㆓大穴牟遲神㆒ 共議而
是以 欲㆑剌㆓御頸㆒ 雖㆓三度擧㆒
などこれ也。但しムとよませたり。漢文に「野棠開未落山櫻發欲燃」
(沈約詩)などあるに、意は同じけれど、これを用ふる塲合廣し。
ウヘといふは、常用の國語なれど、之の字につゞくるが、特色にて、
己及㆓秉燭㆒之上昌寛申シ
障而 不㆑參之間タ令㆑下㆓知信濃國御家人㆒給之上被㆑仰㆓當國目代㆒
などあり。これも古事記にはみえず。
これは時又はをりなどいふベき處に用ふるは、常用の國語なれど、之の字につゞくるが、特色にて、
御出京之
刻 於㆓大物濱㆒乘㆑船之刻
などあり。これも古事記にはみえず。
前述の事をさせるにて、
此間以㆓
件 令旨㆒被㆑付㆓御旗横上㆒件馬離㆑主嘶㆓フ干登々呂木澤㆒ニ
などこれ也。本朝文粹など、漢文にもみゆる詞なれば、記録文の特有にはあらねど、これを使用する塲合廣く、よく人目を惹くが特色也。古事記には、上件、右件などあれど、かくは用ひず。
覺ゆ又は心得といふ意に用ひたるが、特色にて、
合戰已敗北
存 ㆘令㆓朝政夭亡セ㆒歟之 由㆖馳㆑駕向㆓于義廣陣方㆒可㆑致㆓丁寧㆒之由所㆘令㆓相存㆒候㆖也
などあり。和訓栞にオキシルスといふ詞をかゝげ「齊明紀に存注をよめり、今簡牘に存字を用ふるは、此義也」
といへり。かゝる事より轉來れるにや。古事記にはみえず。
漢文に爲といふ字をおく塲合に用ひ、又は特に動詞を用ひず、名詞を活かせおく塲合に、これを添ふるが、特色にて、
有㆓内浦事㆒致㆓祈祷㆒歟
古庄郷司近藤太致㆓非例濫行㆒
などあり。これも古事記にはみえず。
普く告知するをいふ。漢語の徇の字にあたれり、
則被㆑觸㆓申子細㆒之處
相㆓觸子細於重忠㆒
などこれ也。これも古事記にはみえず。
結局かくまでなすといふ意に用ふるが、特色にて、
爲㆑敗㆓其逆心㆒及㆓此儀㆒
擬㆑及㆓嗷訴㆒
などあり。古事記には
無㆑及㆑兵 若 及㆑兵 者
などあり。オヨブとはよませねど、かゝる用法は、早く萌芽を生ぜしをみるべし。漢文に「則猶可及止也」
(孟子)などいへるより轉來れるにや。
退の意は失せて、別に意義なく、動詞に添へて、語調を助くるが、特色にて、
可㆑罷㆓著鎌倉㆒侯
聊申㆓子細㆒于㆑今不㆓罷向㆒
なれどあり。古事記にはみえず。
互にといふ意は失せて、別に意義なく、動詞にそへて、語調を助くるが、特色にて、
尤可㆑相㆓叶神慮㆒歟之由
南都衆徒復蜂起之由飛脚到來間爲㆑相㆓鎭之㆒佐渡守基綱
奉 ㆓上洛使節事㆒
などあり。古事記には、猶互にの意に用ひたり。
これも本義は失せて、動詞につゞけて用ふる敬語となれり。特に字音の動詞、又は異樣の動詞につゞくるが、特色にて、
所㆘令㆓
執 申㆒給㆖也山徒殊雖㆑
欝 ㆓申之㆒
などあり。古事記にはみえず。
以上列記する文字は、今猶書翰文中に存するもの多し、洵に奇怪といふべし。さて其文字は記録文ありて、古事記になきも尠からず。これに反して古事記にありて、記録文になきもあれど、本篇は記録文の特色を擧げん爲めに記述したれば、さる例は省きたり。