日本の言葉も、古今一定、動かざるものではなく、時代に因て多少の變遷があるのである。それで、古へ廣く行はれて居つた言葉の中にも、今日死語となつて、擬古文の外誰も、之を用ゐないものがある。是れ今日、古事記や、萬葉集などいふ古書の了解し難い所以である。斯かる死語は勿論其數非常に澤山あるけれども、茲に其一端を擧げば、カバネ(姓)マヘツギミ(待臣)、カキノタミ(部曲)、ムカヒメ(嫡妻)、コナミ(前妻)、ウハナリ(後妻)等の如き是である。
言葉が死語となれば、それだけ、言葉の數が減少する道理であるが、言葉は獨り時代に因て其數減少することある而已ならず、其意味も亦減少することがあるのである。例せば彼のカバネといふ言葉の如き、昔は、之を
以上言つた所は、言葉の數や、意味が、時代に因て減少した場合であるが、今、若し、今日の言葉を以て、之を古代の言葉に比較したならば、其數は固より、其意味に於ても、今日の言葉の方が慥に多きを加へて居らうと思はれる。現に、ここ二三十年の間に於ても、日本語の發展は實に驚くべきものであつて、法律上の用語だけでも、新規に出來たものが非常に澤山あるのである。彼の權利といふ言葉の如き、義務といふ言葉の如き、又、動産といふ言葉の如き、不動産といふ言葉の如き、さては又、法人といふ言葉や、財團といふ言葉の如き、孰も皆明治年代の新熟語であるのである。
然るに又、言葉の意味を觀るに、後世の言葉は、其意味に於て、古代の言葉より更に複雜なるものが多いのである。此の事は、他に原因もあらうが、時代を逐ふて、人間社會の情態が益々複雜に成つた事の如き、其一大原因であらうと思はれる。さて又、時代を逐ふて、言葉の意味が益々多きを加へた事はイロといふ一語に徴するも已に明白であらうと思はれるのである。
(言海)いろ(名)色(一)光ニ固有ナル一種ノ性ノモノ、光線ノ屈折等ノ理ヨリシテ、物ノ體ヲシテ、眼ニ
各種 ノ見 ヲ生セシムルモノ(中略)(二){禁色 (中略)(三){喪服ノ鈍色 (中略)(四)顏色 (中略)(五)顏色ノ艶ニシテ戀ヒ慕フヘキ情ヲ起サシムルコト、(六)男女ノ情、色情 (七)イロメキタルコト、好色 (中略)(八){髮ノ色ノ美シキコト(中略)(九)兆 、状、容子、(中略)(十)ヒビキ、調子(中略)(十一)品、類「三 ー」十 ー」種(十二)醤油 ノ異名、ムラサキ、
さて、我邦の言葉には、古來幾多の變遷があつたのであるが、此の言葉の變遷上、最も大なる影響を及ぼしたるものは何んであるかといへば拙者の察する所、外國語(外國文字)が最も大なる影響を及ぼしたであらうと思はれる。將來は知らず既往を以て之を言へば、漢語(漢字)の影響といふものは、實に至大であるのである。現に、今月我等日本人が平常用ゐつつある所の言葉の如き、少くとも其半分は漢語であらうと思はれる。但し、漢語をそのまま用ゐてゐる場合に在つては、世人も直に漢語の影響を感ずるのであるが、熟く考へて見ると、漢語の影響は決して斯かる場合に止まらず、實に隱微なる處にまで及んで居るのである。拙者は嘗て此事に關して、字註訓や、字形訓を擧げて之を論じたことがあつたが、今囘は更に一歩を進め、漢語の別訓流用〈漢字轉訓と稱す/るも亦可ならむ〉が國語に及ぼせる影響に付て聊か愚見を開陳する積である。
字形訓や字註訓の事は、先般已に之を論じたことがあるが、其後又、多少思付いた事があるから、序を以て、更に一言せば字書は固より、其他の書籍に於ても、往々、或文字に付て、其意義を説明したものがある。例せば、説文に、
赤金也、从㆑金、同〈ノ〉聲、
黒金也、从㆑金、
〈ノ〉聲とあるが如き、又、爾雅に白金謂㆓之銀㆒とあるが如き、或は銅といふ文字につき、或は鐵といふ文字につき、或は銀といふ文字につき、各々其意味を説明して居るのである。今、拙者が茲に宇註訓といふのは、乃ち斯かる古書の語釋(字註)に對して下した和訓をいふのである。例せば、赤金に對するアカガネ、黒金に對するクロガネ、白金に對するシロガネの如き即ち是である。拙者の察する所、世人は普通、此等アカガネ・クロガネ・シロガネなどいふ言葉を以て日本固有の言葉と看做して居るかも知れないが、其實決ししてさうではなく、アカガネ、是、銅の字の注解
慶安板玉篇が慶長板玉篇より後のものたることは勿論なれども、茲には、唯々字註訓發展の徑路の概況を示さんが爲め、姑く之を擧げたり。讀者諸君幸に諒察せられよ。
左に掲ぐる所は字注訓として起つたらしく思はれる所の言葉である。但し、精しく取調べたならば、この外、猶ほ相似た言葉多かるべしである。
| 日本語 | 字注 | 字注の和譯 | 字注の出所 |
|---|---|---|---|
| ヒメガキ(女墻) | 堄〈魚禮、魚計二切、城上/小垣、廣雅、女墻〉 | 女墻==ヒメガキ | 玉篇〈假りに玉篇に依る/但し他書にも同じ/注解あることある/ベし〉 |
| 堞〈徒頬切、城上女墻〉 | |||
| ツクダ(佃) | 佃〈同年、同見二切、作田/也〉 | 作田==ツクリタ==ツクダ | |
| マユゲ(眉) | 眉〈莫亂切、目上毛〉 | 目上毛=メウへゲ=マユゲ〈言海にも、まゆは |
|
| キノシン(橗) | 橗〈莫耕切/木心〉 | 木心= |
|
| クハ(所食桑) | 桑〈思郎切、蠶所食葉〉 | 所食葉=クヒハ=クハ | |
| タケノヘラ(𥯟) | 𥯟〈匹賣切、竹片也〉 | 竹片=タケノヘラ〈慶長板和/玉篇には/タケベラ ヘラは片の字音へンの轉/訛、平群をヘグリ、駿河をスルガ/と讀むが如し、萬葉集にも干の字をカレ、幹の字をカラと讀みたり〉 | |
| カバゴロモ(裘) | 裘〈巨留切、索也、招也、/終也、務也、又皮衣也〉 | 皮衣==カバゴロモ | |
| ヤド(宿) | 宿〈思六切、夜止也、思宙/切、星也〉 | 夜止==ヤド 〈夜止の字音〉 | |
| ワキノシタ(腋下) | 胳〈公洛切、腋下〉 | 腋下==ワキノシタ | |
| ツギキ(椄) | 椄〈子捷切、椄木、續木也〉 | 續木==ツギキ | |
| コズヱ(梢) | 梢〈所交切、木末、小柴也〉 | 木末==コズヱ | |
| 杪〈彌紹切、木末也〉 | |||
| ミナモト(源) | 源〈語袁切、水本也〉 | 水本==ミナモト | |
| ミギハ(涯) | 涯〈五佳切、水際也〉 | 水際==ミギハ | |
| ネゴト(囈) | 囈〈魚計切、笑也(亦)睡語〉 | 唾語==ネゴト | |
| フミ(書) | 書〈式餘切、世謂蒼頡作㆑書/即黄帝史也、又著也、/文也〉 | 文==フン==フミ〈文の字音〉 | |
| カサネ(襲) | 襲〈似立切、左衽袍也、入/也、重衣也〉 | 重衣=カサネギヌ=カサネ | |
| アカシ(證) | 證〈諸孕切、驗也、明也〉 | 明==アカシ |
さて、右列擧した言葉の中、彼のアカシといふ言葉の如きは、法制にも密接の關係ある言葉である。例せば、アカシといへは、證據のことにもなり、又、アカシビトといへば、證人のことにもなり、又、アカシブミといへば、證文のことにもなるのである。然るに此のアカシといふ言葉を以て、證據の意味に用ゐることは、隨分古いことであつて、既に、孝徳紀證の字の旁訓にも、アカシビトとあるのであるが、今卒然之を見ると、アカスといふ言葉に、本來、立證の意味があつたかの樣に思はれないでもないが、深く考へて見ると、同語に斯かる意味あることは、矢張、字注訓の結果であるまいかと思はれるのである。
日本語の中には、漢字の形状に據つて下した和訓が多少ある樣に思はれる。拙者は假りに斯かる言葉を名付けて、字形訓といふのである。さて往古韓國に於て、
)なる處、泗の字を分析すれば
)にて、〈saは四の字音、mul/は水の韓名なり〉其讀方殆んど史勿と相同じきを以て、韓人の支那文學に心醉せる、茲に典雅なる文字を採用して、かくは地名を改めたものと思はれるのである。之を要するに、泗州改稱の當時に在つては、韓人は泗の字を見るや否や、忽ち
)といつて居るが、此のöm(
)は是れ母の義、又、chi(
)は之の字音にてömchikarakといふことは畢竟、
さて又、我國の制度に關係ある言葉に付て言へば、前文に擧げたイリヨネ(糴)といふ言葉の外、彼のツカサ(官)といふ言葉の如き、恐くは亦字形訓に屬するものであらうと思はれる。如何となれば、官の字の一部分たる㠯の字は、乃ち𠂤(
=
)=堆と同字であつて、日本の古語を以て訓するときは、之をツカサ〈ツカサの本義は、物/高き處をいふとぞ〉といふべきであるのである。但し、此の事は、先年、本誌の第二十一卷の、第四號に於て詳論したことがあるから、今囘は唯々其大略だけを述べて置くことにする。
これより本論に入り、漢字の別訓流用に付て一言せば、凡そ漢字の和訓は、其意味毎に、各々別に訓を下すのが通例である。故に野の一字にしても、之を田野の義に解するときは、訓してノといひ、之を野卑の義に解するときは訓してイヤシといふのである。然しながら、文字に因ては其意味毎に、各々別に訓を設くることをなさず、其甲義に對する訓を移して、其乙義に對する訓とすることがある。例せば、色の字の如き、其意味を擧ぐるときは、色彩の義あり、容色の義あり、色慾の義ありて、其意味甚だ多いけれども其和訓に至つては、大抵皆イロの一語を以て、之に充てて居るのである。拙者が茲に漢字の別訓流用といふのは、即ち斯かる場合をいふのである。
法制に直接關係のない事柄を餘り長く論ずるのは、本誌の爲めに宜しくない事であるが、序であるから、漢字の別訓流用に付て、更に二三の例證を擧げて置かうと思ふのである。
穀孰也从㆑禾千聲春秋傳曰大有㆑年」とある。若し此の説の如くなるときは、年は本、五穀成熟の義なるが、轉じて年齡の義ともなり、又、時代の義とも成つたものであるのである。然るに又、我邦のトシといふ言葉の意味如何といふに、今日は、其原義未詳なれども、同語にも、亦、五穀成熟の義や年齡の義や其他又、時代の義があるのである。拙者を以て之を見れば、トシといふ言葉に、斯く許多の意味あるのは、是れ亦、年の字の訓讀より起つたものであらうと思はれるのである。詳言すれば、甲の意味に於ける年の字の和訓が、何時となく段段轉じ去つて、乙丙丁等の意味に於ける同字の和訓と成つたものらしいのである。蓋し文字同じきときは縱令、其場合に依つて、多少意味異なることがあつても、矢張、同一の言葉を以て之を訓することになるのは、自然の勢であるのである。
)と關係があらうといふことを主張したこともあつたが、今日より考ふれば、此の説も亦、矢張、穩當でない樣に思はれる。今日、拙者の見る所では、スモといふ言葉の由來は、是れ亦、漢字の別訓流用と關係ある事であらうと思はれるのである。抑々角といふ字には、種々意味がある。今、其顯著なるものを擧げば、獸角の義、樂器の義、星宿の義、量器の義、廉隅の義、競爭の義等種々の意味があるのである。然るに廉隅の意味に於ける角の字には、屋角、城角、樓角其他三角などいふ熟語があつて、各皆之をスミと訓して居る。所で又、競爭の意味に於ける角の字には、角觝、角力等の熟字があつて、各々皆スモと訓して居る。是を以て觀ると、スモ(角觝=相撲)といふ言葉は、畢竟、角といふ字の廉隅の意味に對する和訓より轉じたるものに過ぎないのである。之を要するに、スモ(相撲)は是れスミ(廉隅)の一轉したもの、又、スモフは是れ訓にフなる語尾が添はつて、働詞となつたものであるのである。右略陳した所は、日本語の意殊發展の徑路に關する一種の觀察法であるか、拙者は、以下、此の方法を應用して、少しく古代に於ける我邦制度上の用語を論じて見る積である。
我邦に於ては、商といふ字に、種々和訓があつて、其中、アキといふ訓や、アキナフといふ訓、又は、アキヒトといふ訓があるのであるが、さて、此の商業の意義に於けるアキといふ言葉の由來に付ては、從前種々意見がある。新井白石氏等一派の學者の説では商業のアキは、季節のアキより起つた言葉であつて、其原義は
(中略)𧷮〈[唐韻]式腸切(中略)[廣韻]度也、(中略)[説文]行賈也、(中略)又、[廣韻]張也、又、降也、又常也、(以下略㆑之)因て、拙者の考ふる所では、商業の意味に於ける、商の字に、斯くアキといふ訓のあるのは、本、秋季の意味に於ける同字の和訓が轉じたものであらうと思はれるのである。其事は、萬葉集に商島守をアキサキモリ〈釋春登氏云、商は/秋の音なればなり〉と讀み、金待吾者をアキマツワレハ〈釋春登氏云五行に配/すれば金を秋とす〉と讀みたるを始めとして、類聚名義抄に左の如き訓を下したるのを見るときは、之を察するに餘りあるのである。
商〈俗𧷮字 秋/アキナフ アキ〉
換言すれば、拙者の説では、アキといふ言葉には、本來、商業の意味は無かつたのであるが、商の字の轉訓に因て、始めて茲に商業の意味を含むことに成つたのである。
我邦に於ては往古、カバネといふ言葉があつて、普通、骨といふ字や、尸といふ字、さては又、姓といふ字をかく訓して居るのである。茲に其一端を擧げば、左の如しである。
骨の字をカバネと訓したる例、
茲に氏骨とあるは、推古紀二十年二月の條に、便以㆓境部臣摩理勢㆒令㆑誄㆓氏
尸といふ字をカバネと訓したる例
姓の字をカバネと訓したる例
さて今、
因て思ふに、我邦の古書に、氏骨、骨名等の文字見えたるは、全く是韓國の用例に傚つたものらしいのである。現に武烈紀七年の條に見えたる、百濟の別表中にも「前進調使麻那者非㆓百濟國主之骨族㆒也、」といふ一句があつて、骨の字に關する韓國の用例は、夙に我邦にも知れて居つたことと察せらるるのである。
我邦では普通、郷又は里の字を訓してサトといつて居る。所で、今、此のサトといふ言葉の原義如何といふと、今日は學者の説が未だ一定して居らず、或學者は之を以て
)〈住所の/義なり〉と同語として、其原義住所の義たるべきことを論じたことがあつた。斯かる次第故、訓の原義が五十戸であるといふ樣なことは、誰も、之を言つたものなければ、亦、之を信じて居るものもなからうと思はれるのである。然るに、我邦に於ては、夙に五十戸の意味に於ける里の字をサトといつて居る而已か、萬葉集には、五十戸といふ文字をさへサトと訓してあるのであるが、抑々此の五十戸の意味に於ける里の字を斯く訓することは、是れ亦、漢字の別訓流用といつて、然るべきであらうと思はれるのである。蓋し、里の字は、玉篇に「里、力擬切、邑里也、周禮、五鄰爲㆑里、國語、五家爲㆑軌、十軌爲㆑里、」とあり、孝徳紀及び戸令に「凡五十戸爲㆑里」とあつて、邑里の義あると同時に、五十戸の義となることもあるのである。それで、サトといふ言葉が、轉訓の結果、五十家をも指示することに成つたのは、毫も怪しむに足らぬ事である。
右擧げた所は、唯々一二例に過ぎないのであるが、拙者の信ずる所、これにても、我邦古代の言葉、而かも、制度に關係ある言葉にして漢字轉訓の影響を受けたものあること、略已に明白であらうと思ふのである。然るに今、拙者の見る所に依れば、此の漢字轉訓の方面よりして、國語を觀察することは、獨り我邦語學者の大に注目すべき事柄なる而已ならず、何事に因らず、我邦の歴史的事項を調査する人の、均しく留意すべき事柄であらうと思はれるのである。如何となれば此の觀察法は、國語の意味變遷の徑路及び事物の新古を究むる上に於て、時として一道の光明たることあるべきが故である。