國語とは何ぞや

國語とは何ぞや、この問題に答へることはた易い樣だが、よく考へるとなか〳〵た易く答へ得るものでは無い。

國語と我々の稱へてゐるものは即ち日本語のことであるといひ得る。而して、日本語とは何ぞやといへば日本人の用ゐる語だといふことは分り切つた話である。その日本人とは何ぞやといへば、國法上からいふと日本臣民としての國語を有する人がすべて日本人だといふことも分り切つた話である。然らば、その日本國籍を有する人々の用ゐる語がとりもなほさず國語であるかといふに、それはさうだといはねばならぬが、實際を顧みると、さう云ひ切つてしまふことの出來ない事實がある。それは日本國民として國籍を有する人間の用ゐてゐる言語はさま〴〵であるからである。北にはアイヌ語・オロッコ語等を用ゐてゐる人が在り、南には支那語系統の語を用ゐてゐる人が在り、又朝解語は頗る多くの人に用ゐられて在る。これらの語を用ゐるものも歴然たる日本臣民である。それ故に日本國民の用ゐてゐる語がすべて國語であると簡單にいふことは出來ない。そこで我々のいふ所の國語とは何ぞやといふことが先づ問題になるのである。今、我々が國語と認めるものは日本帝國の中堅たる大和民族が思想の發表及び理解の要具として古來使用し來り、又現に使用しつゝあり、將來も之によつて進むべき言語をいふのである。この國語は大和民族の間に發達して大日本帝國の國民の通用語となつてゐるものであつて、之を簡單にいへば、大日本帝國の標準語である。ここに標準語といふのは國家の統治上公式の語とし教育上の標準と立て用ゐられてある語の意である。

國語といふには嚴肅な意味のあることは上にいふ所で明かである。國語はたゞ言語といふ一般通有性だけでは無く、國家及び國民といふ限定性があるのである。この限定性があつてはじめて國語といふ具體的のものが考へられるわけである。

かやうなわけであるから、國語には一般の言語としての通有性と國語としての限定性とが具備せられてあるものだといふことを忘れてはならぬ。明治の中頃から起つた新たな國語學といふものは、言語の一般の通有性を研究する言語學のたゞの應用に止まつた觀が有つた。この新式の國語學即ち一般言語學の應用によつて從來の國語學に見られなかつた理法や事實に注意を新たに向けたりなどして、それ〴〵の益を受けて、國語の學問の進歩したことは否定するわけには行かぬ。しかしながら、その一般の通有性を論ずることだけが國語學そのものだといふやうな誤つた考を生ぜしめた弊害も亦之に伴つて起つたことも否認するわけには行かぬ。これはその新たな國語學の興起を導いた先覺者の誤つた見解に導かれたものであるが、その誤つた見解は今日に至つては殆どすべての國語學者がいづれも反省してその弊から脱却しようとしてゐる。然るに、その時代の遺物たる思想に囚はれて今なほそれが誤りであつたことを知らぬ人が、國語學者の外に少からず殘つてゐる。これらは今の新たな時代から見れば、舊式の思想に囚はれて、移る事能はざるものといはねばならぬ。ここに國語とは何ぞやといふことを特に論ずる所以である。

國語といふものは言語である以上、言語一般の通有性をもつてゐるのは當然であるが、それと共に國家の標準語であるといふ嚴肅な限定性、國民の古今にわたる通用語であるといふ歴史的社會的の限定性がある。凡そ、あらゆる事物にはその同類のもの一般に共通する通有性とその事物自體に固有する限定性とが、同時に具有せられることはいふまでも無いので、通有性と限定性とを同時に具へ有することがあらゆる實在の姿なのである。それ故に一の事物を考へるのにその通有性のみを以て考へ、若くは限定性のみを以て考へるだけでは決して眞相を知り得ないのみならず、之に處する方法も正しくは有り得ないであらう。ここに國語についてもこの二面の觀察が當然存せねばならぬ。

言語そのものの通有性は今一々説く遑を待たぬが、その要を摘んでいへば、先づ言語といふものは人間に特有なものだといふこと、次に言語の内面には人間の思想が充たされてゐるものだといふことを考ふべきである。さて、その人間の思想といふものは千状萬態極りないものであるが、それらの状態がすべて一々、別々な言語として表現せられるものであるかといふにこれに答へることは容易ではあるまいが、われ〳〵の日常の經驗に微して見ると略考へ得る所がある。我々は平素は自分の知つてゐる言語で思想を發表して遺憾は無いかの如くに思つてゐるけれども、特別に或る情感なり、或る事件なりを表現しようとすると、それにうまくあてはまる語なり言ひ廻しなりが、何としても見つからぬといふことを時々經驗する。それは詩歌の創作などに當つてはこの感が特に屡あらはれるのである。かやうな事情が何故に在るのであるかといふに、言語といふものは客觀性を有するものであるといふことに原因するのである。言語に客觀性があるといふことはどう云ふ事かといふに、假りにここに或る事物があるとすると、甲が自分の考で或る言語の形で之を表現したとする。その時に誰が聞いてもその事物とその言語とが合致したものと認められゝばそれは世間に通用するけれども、さうで無ければ、それは言語としての客觀性が無くて世間に通用しないのである。言語に客觀性があるといふ事は言語は他人の一定の理解を得なければ、言語としての資格が無いといふ意味にもなる。かくの如く世間一般に一定の理解を以て受け取られるといふことが無いならば、言語といふものの世間に存在する必然性が無くなつてしまふのである。

この言語の客觀性といふことは言語が一面社會的産物であるといふことに基づくものである。元來言語といふものは人間の思想發表に相違無いけれども、それが言語として認められるのはその人の生活する社會共通の認識に基づくものである。我々が言語を用ゐるその目的の一半は他人の理解に訴へる點にある。この理解の生ずる基は社會共通の認識にある。かやうな次第であるから、その言語操縱者が勝手に言語の形なり意味なりを變更したりすることは出來ないものであり、又勝手に新しい語を造つても社會が公認しなければ、何にもならずに終るものであらう。

かやうに言語の客觀性社會性といふことに着眼して來ると、我々の用ゐる語の數に限りがあるといふことの理由も明かになつて來る。我々は或る事物をば、いろ〳〵に言つてみたいと思ふことがあつても、それを世間が理解してくれない時には何とも致し方の無いものである。そこで或る國語の數なり、又はそのいひあらはし方の種類なりといふものは、その民族なり國民なりの思想の發表及び理解の方式として公認せられたものの具體化したものであるといひ得るのであつて、その方法以外にはその國民なり民族なりは發表の方法理解の手段をもたないといふことを反面に示してゐるものであるともいひうるであらう。かやうに考へると言語は決して個人的のもので無く、社會的民族的のものであるといふことが明瞭に認められるであらう。

かやうに言語は勝手に變更したり、創作したりすることの出來ないものとすれば、言語の變遷といふやうなこと、又往々新しい言語が出來るといふやうなことはどうした譯かといふ問題が起るであらう。創作などをやつてゐると、現在の言語のもの足りなさを感ずることは誰しも屡經驗することであらう。さうかと云つてその國語を貧弱だなどと云つてしまふのは一を知つて未だ二を知らぬものである。人間の主觀はいくらでも變化出沒するものである。その個々の主觀のまゝに言語をつくつたら無數の語が生じて、他人が一々それを知らねばならぬといふことになれば、始末に了へぬことになるのはいふまでも無い。言語といふものは或る意味から見れば、通貨のやうなものである。僅かの種類の通貨で種々雜多の勘定の決濟の出來る所に通貨の有難みがあるやうに、限られた一定の言語で種々のいひ廻しの出來る所に妙味があるのである。しかしながら、從來の言語ではどうしても現し得ない事物が生じてくると、社會が必要を感じて新たに詞をつくる。そのつくり方については今述べないが、とにかくいろ〳〵の方法で新たな詞をつくり試みる、それらのうちで、社會一般の公認を經て來ると、それが通用語となるのである。それは世間に公認せられると云つても法律の公布のやうなものでは無くて習慣的に、いつしか公認した形になる。かやうにして語の形態なり意義なりが、いつしかかはり、又新たな語も往々生じるのである。これは一口にいへば歴史の結果といふべき事である。この點を見て私は言語には歴史性があるといふのであるが、言語の客觀性といふうちにも社會性歴史性といふものが主たる要素をなすものである。

言語は上にいふ如く思想を内容として起つたものであるから、理論上、思想が主で言語がその從屬物であるのであるが、しかしながら、よく事の實際を考へると一概にさうと云ひ切つてしまふことの出來ない場合もあるやうに思はれる。人間の思想が單純なものだけであるとすれば、もとより問題は無いが、高尚な複雜な思想になると、言語といふものの助けが無ければ、その思想を運營することが出來なくなる。この事は高等な數學になると代數的記號を用ゐなければどうしても出來ないといふことと餘程似た所がある。文化が進み、思想が高度に進展すると言語や文字の助け無くしては思想の運營が出來なくなるやうに到るのである。かやうな場合に到ると、思想と云ふものが、言語の助けを待つこと多大なものであるといふことが明白になる。昔は「言語が無くては思想を構成することは出來ない」といふやうなことを主張した學者も有つたが、それは事實の本末を顛倒したものであることは明白だけれども、文化の發達が高度になるとそれに似たやうな事が自然に生じて來る事は實際上には在るといはねばならぬ。

ここに國語といふことについて考へるに、それの限定性が國家といふ點、國民といふ點にあることはいふまでも無いが、我々は今一般に國語といはるゝものは何であるかといふ抽象的の議論をしてゐるのでは無くして、大日本國の國語といふ具體的のものを論じてゐるのであるから話は直ちにそこに進み入らねばならぬ。

日本の國語といふものに就いては言語が一般通有性の上に大日本國の語又大和民族の語であるといふことが限定的に加へられねばならぬ。この限定性は上に抽象的に述べた客觀性そのものの具體的發現である。その客觀性は社會性歴史性のものであることはいふまでも無いから、國語そのものはこの大和民族の通用語であるといふ限定性、日本國家の通用語であるといふ限定性を加へて考へねばならぬものである。この限定性を忘れて國語を論ずるものは特定の英雄を論ずるのに人類學の理論を以てするが如きもので、愚にもつかぬ迷論だといはれねばならぬことに終るであらう。然るにかくの如き迂濶な論が、眞理であるかの如く今なほ一部の人に信じられてゐる樣に見ゆるのは遺憾である。

凡そ言語といふものは既に述べた通り社會的歴史的のものであるからして、國語そのものはもとより我が國家我が民族を離れては客觀性を失ふものであることは勿論、我が國の歴史、我が民族の生活を離れては理解が出來なくなるものである。單に理解が出來ぬのみならず、我が國の歴史、我が民族の生活を離れてしまつたら、どこに國語といふものの本體があるのであるか、これらの事を顧みれば、從來の國語學者の言論には遺憾な點、迂濶な點、又是認出來ない點が少からず存したことを認めるのである。

從來の國語學者は現代の口語のみが實際の國語で、文語や古語は顧みる必要が無いといふ樣なことをいひ、そのやうな論が大學者と目せられた人々の言論主張に屡あらはれた所から末流の人々には、往々信ぜられて來たやうである。ここに先づ、その古語といふものに就いて一應考を正しておく必要がある。古語といふ意味は古代に用ゐられたといふ意味だけではあるまい。古代から用ゐられてゐる語といふだけの意味でいふとすると、我が國語の純なるもの即ち外來語とか、後世發達した語とかいはれない語は殆ど皆古代語と云つてもよいのであつて、我々の日常使用する純正なる國語といふものはこの國家とそのはじめを一にしてゐると信ぜられるものである。かやうなものは古語にして同時に現代語なのである。それ故に普通に古語といふのはかやうなものをさすので無いことは明かである。普通に古語といふのは古代には通用したが、現代には通用しない語といふ意味であらう。それらは現代語といふことは出來ないだらうが、國語で無いとはいはれないであらう。たとひ、現代に用ゐられなくても我々の祖先が用ゐたことは確實である。我々の祖光が用ゐたといふ事實が無いならば、古語と認めるといふ事も無い筈である。要するに國語といふものは古語をもその内容として有することは明かである。

ここにこの古語といふことについて更に一層深く考へて見る必要がある。今我々が或る語を古語であるといふ、その語が現代の我々と全然沒交渉のものであらうか。我々が、それを古語であるといふことをどうして知り得るのであるかといふと、それは現に存する古代の文獻によつて知り得るのだといふことは明かである。若し、古代に實際にはあつたが、それを記載した文獻が全然滅びてしまつたといふ場合にはそれに用ゐた或る語といふものは全く想像することも出來ないであらう。かやうに考へて來ると我々の古語に關する知識といふものはそれは古代の知識では無くて、現代の生きた知識であつて、それが現代人の精神生活と沒交渉のものだといふことは出來ないものである。たゞそれが現代の日常生活の用に直に供せられぬといふ點だけが、所謂現代語と違ふのである。さて、それはさうはいふものゝ所謂古語は現代の思想交換の要具として日常の用に供してゐないことは事實である。しかしながら、言語の歴史性といふことを考へて來ると現代使用してゐる語の本意なり語感なりといふものを知らうとするには勢その歴史に溯らねばならぬことになる。

更に又言語と文化との關係を考へて來ると古語といふものの重要さが更によく認められる。先にも述べた通り、文化といふものは言語文字と非常に深い關係が有つて、言語文字の助けが無くしては高等の文化は展開し難いであらう。さて、又現代のこの文化を後世に傳へようとするとそれは如何なる事であらうとも、言語ことに文字文章の媒介によらねばならない事は明白である。かくして之を基にして逆に考へてみると、上代の文化を今日に傳へて來たのは主として文獻の力であることは爭はれない事である。かやうにして考へて來ると、文獻といふものは古代からの文化を貯藏して今日に傳へてくれる所の大なる寶庫であるといはねばならぬ。而して、この寶庫を開くことの出來る所の鍵といふものは古代の文字言語に關する正當なる認識即ち古語の知識である。かやうに段々と考へて來ると、古語といふものの一國文化の開展に關して絶大なる重要性を有することが明白に知られる。古語を無視することは畢竟一國の文化を無視すると同じ事になるのである。

次に現代の國語といふことについて考へて見ると、これ亦種々の方面から觀察せられることを説かねばならぬ。先づ第一には方言其他と普通語との區別である。ここに方言其他と云つたのは他にいひ方が無いので假りに用ゐた語である。凡そ言語は人の年齡により、又男女の別により、老幼の差により、職業により、社會により、地方によりそれ〴〵その用ゐる語を多少づつ異にすることのあるものであるが、それらはそれ〴〵の限られた部分に通用しつゝ他の部分には通用しない語、若くは他の部分のものの用ゐるに適しないものがある。女の用ゐる語が男には用ゐることが出來ず、幼兒の用ゐる語が壯年の人に用ゐることの出來ぬといふやうな事實を考へてもこの事は明かであらう。かくの如く國民の一部分にのみ通用する語が、一方に存すると共に國民全般に通用する語もある。現代の人々の口頭に用ゐる語は即ち今いふ二者のいづれかのうちにあるといふことは明かである。

さてその部分的の語といふものはその用ゐる人又は社會の差によつて或は小兒語、婦人語、學生語、兵隊語(古くは武者詞といふものも在つた)、職人語など一定の名目で呼ばるゝものもあるけれども、すべてが一々一定の名目を有してゐるもので無いから、それを一定の名目で區別して示すことは困難である。さやうにしてそれらはさま〴〵の姿であらはれるものであるがそのうち最も著しいものは方言である。

凡そ國語といふ名稱はその國家の領土に行はれ、その國民のすべてが使用する言語を指して名づけたものであることは論ずるまでも無い。然しながら事實上から見れば、上に述べた通り、地方、職業、老幼、男女などの差によつて一々の語に就いてこまかく論じて來ると眞に同じい語といふものを見ないと云つてよい位である。ここに於いて國語といふものは實際上如何なる語をさすかといふ問題が生じる。或る學者は方言の外に國語は無いと云つた。これは國民たる各個人の外に國民は無いと云ふのに似てゐる。國民の各個人は時の移るに隨つて次第に亡び行くことは實際の姿である。それ故に現在の一億の國民の各個人は今から百年もすれば幾人も生き殘るまい。然らば、百年の後には日本國民は死に亡せて僅かに數人を殘すに止まるといふべきであらうか。然しながら如何なる人もか樣の事は信じないであらう。即ちこの意見は最初に既に重大な誤謬に陷つてゐるのである。これは國民といふ全體觀による統括的存在と、その成分たる各個人とを區別し得ない思想的混亂が基をなしてゐるのである。國語と方言との關係も之に似た點があつて、個々の方言以外に國語が無いといふのは個々の日本人の外に日本人なしといふに同じい誤謬を含んである。抑も國語といふものは我が民族の間に行はれ來た言語の統括的實在であつて、方言といふものはその差別相を主として、個々を觀た場合の部分的實在である。若し差別相に立脚して極端に論ずれば一億の國民すべて皆多少づつその言語を異にして一も同じものが無いと云つてよいであらう。方言と云ふものは地域の差別によつて現はれた國語の差別相を觀た場合の名目で、その方言といふ意識の基底には國語そのものの本質は時と處とによつて、かはらぬものだといふ大前提があることはいふまでも無いのである。方言以外に國語が無いといふ人はこの大前提を知らず、方言といふ語の意義自體を忘れてゐるのであらう。

國語といふ語は元來統一的の意識を以て名づけられた名目であるが。方言といふ語は分化するものとして名づけられた名目である。この方言といふ語は地方によりての分化といふことに根本をおくのであるか、言語の分化は地方的生活に基づいてだけ行はれるものでは無くして、人間の生活の諸種の場合にそれらがそれ〴〵一團をなして生活を共にするその當事者の間に共通する思想に基づいて、その社會の通用語として生することは方言と大體異なる點が無いのであらう。たゞそれらと方言と異なる點は方言はその地域によつて生ずるものであるのに、これは地域に基底を置かずして、交際社會のうちに發生するものであるといふことである。なほこの種類に屬すべき特殊の性質の語としては忌詞や隱語といふものもあるが、今それらを一々にはいはぬ、さて又それらの方言的性質を有する語から一般語に移り行くものもある。

さてその一般語の方面に於いても口語と文語との區別が國語に存する。口語といふのは文字のまゝにいはゞ口頭の語といふ意味に聞えるけれど、必ずしも單純にさうはいはれない。口語は文語と相對していふ時の名目であつて、專ら談話に用ゐる語と專ら文書の爲に用ゐる語とに差異の有る時に、專ら談話の際に用ゐる語をば口語といひ、專ら文書に用ゐる語をば文語といふことにしたのである。かやうに文語と口語との差異は殆どすべての國語に存すると云うてもよい位のことで、苟も文化を有する國民にあつては必ず多少なりともこの差異の存するものである。文語と口語との區別は普通には聲音のみでいふ場合と文字を用ゐる場合との差異に基づくものと見られてある。その意見はもとより不當とはいはれない。しかしながら、その點だけに口語と文語との差異の存するもので無いといふことを忘れてはならぬ。この二者の區別は蓋しもつと〳〵深い奧に存するものと思はれる。

ここに口語とは如何なるものであるかといふことを考へるときに種々の疑問が生ずる。口頭の語即ち口語だとすれば演説、講演、講義、説教の如きものも亦口語といふべきもののやうである。然るに、それら演説、講演、講義、説教などは日常家庭や店頭などでとりかはす談話などとは頗るちがつてゐるもので、それらと日常の談話とを口頭でいふものだからとして同一の口語だとすることは頗る躊躇せしめらるゝ點がある。これらの講演、講義、演説などに用ゐる語彙は談話に用ゐるものとは頗る内容を異にして寧ろ文語に近いものである。抑も文語と口語との差を口頭のみの語と文字にて書く語との差とか、談話に用ゐる語とか、文書に用ゐる語とかの差を以て説かうとするとどうしても割り切れぬものがある。言語といふが人間の生活の上に要用なものとする時にその人間の生活そのものを顧みてこれらの區別の存する所以を考へる必要がある。凡そ如何なる社會にでも、人間の生活に私的生活と公的生活との區別の無いことは有るまい。その公私の生活の差別はおのづから用ゐる言語の上にもあらはるゝことは自然のことである。彼の小兒の語の如きは私生活にのみ行はるゝ語の最も著しいもので婦人間專用の語の如きも、亦その一種である。さて、その公的生活の上にあらはるる語は國家並に社會全般の統制、規律を維持し行くべきなどの爲に感情の上には嚴肅なるべきことを要求するが如くに、用語の上にも規律正しく嚴正なることを主要とするであらう。この故に儀禮的の語を用ゐ、發音も語格も便宜の爲になめらかにするが如きことを避けて、つとめて威嚴を保たうとするのは自然の事である。口語と文語との分岐點はまさにここに存するのであらう。されば一切を口頭の語だけで行つた我が太古の時代にあつても家庭的私生活的の語と儀禮的公生活的の語とはおのづから區別の存したものだつたといふことは疑ふべからざるものであらう。それ故に我が最古の文献たる『古事記』『日本書紀』にある用語の如きものはその詳細は論じ分けることが出來ないけれども、その本質上大體公的言語であつたことは爭ふべきではあるまい。その他『續日本紀』の宣命、延喜式の祝詞の如きは最もすぐれた公的の語を用ゐた標本といふべきものであらう。

さて文字が公私の用に供せられはじめてより、自然に口頭の語と文書の語との間に差異を生ずるに至るべきことは聲音と文字との本質上の差異に基づいて考へらるべきものであるが、それとても當初の差異は甚しいものでは無かつたらう。さてそれより後次第に變遷して、文字と聲音との差異と、公的語と私的語との差異とが相からみ合うて、今日の文語と口語との差異を生ずるに至つたものであらう。今これらの詳細はここに論ずる譯には行かぬが、口語と文語との差違と關係とは粗、上に述べた樣なものであらう。

以上、述べる如きことであるから、文語と口語とに關する明治時代の國語學のいふ所には首肯し難い點が少からず存する。彼の現代の口語のみが實際の國語で、文字で書いたものなどは重きをおくに足らぬといふやうな意見は、文語と口語との區別を知らないのみならず、公的言語と私的言語との區別がこの差別の間に寓せられてあることをも知らないものであつて、一面には文化といふ重大な事實を無視し、野蠻人の言語を標準とした謬見であつて、文化を有する國民を侮辱したものである。凡そ文化を有する國民にあつては言語は口と耳との間に授受せらるゝに止まるものでは無くして、文字により文章として盛んに用ゐられ、之によつて、各般の文化的事實が絶えない進展をなすこととなるものである。今若し文明社會から一切の文字文章を奪ひ去つたならば、その文化は忽ちに消え失せ野蠻の境に陷ることは明かである。特に文語は我が國にあつては國家公式の語として之を尊重せねばならぬものである事は事實上明白である。

以上、私は國語といふものについて、簡單ながら一應の説明を加へて見た。ここに最後に臨み、國語そのものの精神とそれに對する我々の覺悟とを一言することにする。

要するに、國語はそれ〴〵の國民の遠い祖先から繼承して來た精神的文化的の遺産である。後世の子孫に傳はつてゐる遠い祖先の血が遠祖の持つてゐたのと同じ興奮と感激とを後世の子孫の心に湧き立たせる如くに國語は縱には時の古今を結びつけて一とし、横には現在の國民の心を結合して一とする力を有する。

一面からいへば國語は國家の精神の宿つてゐる所であり、又國民の精神的文化的の共同的遺産の寶庫であると共に、過去の傳統を現在と將來とに傳へる唯一の機關である。即ちこの國家の精神のやどつてゐるところといふ點から考へれば、わが現在の口語のみならず、文語はもとより遠く祖先以來の古典に存する言語が一層尊くなるのである。

かくして我々が國語に對してつとむべき點は之を尊重し、之を愛護するといふ一事に盡きると云つてよからう。然しながらたゞ尊重し愛護すると云つても、その方法が當を得なければ、かへつて國語を害する結果となることは近頃頻繁に行はれてゐる事實を見ても知られる。國語を尊重し愛護することの根本義は私が既に屡述べたとほり、その傳統性を重んじ以てその純粹性を擁護することである。國語が歴史の所産であることを考へれば、その傳統性が、國語の生命ともいふべきものであることは明白である。國語の傳統性を傷つけて以て國語を尊重するなどいふことは人に危害を加へて以てこれその人を愛するが故のわざであるといふと何の違があらう。私はこの國語の傳統性を傷つけることはやがては國家に危害を加へる漸をなすであらうことを畏れ恐こむのである。


初出
國語文化講座 第二卷 國語概論篇(朝日新聞社): 1—19. (1941)