ある大學で國文の教授が『湖月抄』を講じて居られた。試驗の時學生を一人一人呼出して、『湖月抄』を讀まして見た所、一人も讀めなかつたので、教授が歎息したといふ話を聞いた。これは學生は平素活版本の『湖月抄』を携へて授業を受け、教授は木版の『湖月抄』を出して、試驗を施した結果であつた。
今活字にある平假名は一定してゐる。偶々違つた字體の平假名を原稿に書いてやつても、印刷所で遠慮なしに今の平假名に直してしまふ。是非原稿の通りに組めといへば、そんな變體假名は手前共には御座いません。強ひて御註文なら木版で彫りませう、但し相當日子がかかりますといつて濟ましてゐる。
今の平假名と字體の違つた平假名を變體假名といふからは、彼等は今の假名を正體と心得て居るに違ひない。然らば正變の區別は誰が立てたのか。假名はその名稱の示す通り假名であり、假字である。漢字の畫を略して發音を示したまでで、正變の區別のあるべき筈はない。但し同音の假名でも、使用の範圍において廣狹の區別のあつたことは疑ふべくもない。
自分は自分の職業上徳川時代の寫本を多く見る。嘗て大阪に居つた時、一萬通許りの御觸を見たが、今のし・に・の・は・ほ・わは殆ど出て來ない。え・か・す・た・な・ゆ・れも少い。それから徳川時代の出版物は大部分整版で、これは版下を書いて木板へ貼付けて彫るのであるから、或る意味からいへば寫本の延長で、從つて使用せられた假名の字體も亦寫本と同樣であるといへる。
明治になつて活字が行はれ、寫本は次第にその跡を絶つに至つたのであるが、兩方が並行はれた時代には、活字の平假名の字體はまだ今日の樣に一定しなかつた。平假名の字體が今日のやうに一定したのは、恐らくは自分等が六、七歳の頃に讀んだ文部省編纂の『小學入門』からではあるまいか。自分の手許にその本が無い故、記憶を辿つて論ずるだけで、論據薄弱の恐はあるが、同書に今日のやうな平假名を用ひたため、活字の平假名は一にそれに則り、これと字體を異にした假名の活字は何時しかケースから省かれ、假名といへば『小學入門』にある假名即ち今の活字にある假名を以て正體とまで確信するに至つたのであらう。
『入門』の編者はどういふ意味で今のやうな平假名の字體を撰んだか。使用の範圍の廣狹によつたのでないことは前に論じた通りであるから、剩す所は兒童の眼に訴へて識別し易き事を主として撰んだか、或は『入門』の版下筆者が勝手に撰んだ字體と言はざるを得ぬ。
自分は大阪在勤中大坂が何時大阪に變じたかを調べたことがある。江戸を東京と改められたことは立派に公文にあるが、大坂を大阪に改むといふ公文は無い。何時か知らぬ間に改まつたのである。自分は大坂府または大阪府の官印を捺した數通の文書を見て、坂を阪に改めたのは篆刻師の仕業では無いかと不圖思ひついた。篆書にしろ、隷書にしろ、坂より阪の方が恰好が宜い。大阪府といふ官印が出來てから、府の辭令書の筆者が大阪府と書き、廳内一般が大阪府と書き、從つて民間で大阪府と書くやうになつたのであらうといふ自分の推定です。この一例は篆刻師または版下筆者の撰んだ文字が時として正しい文字として認められる場合かあり得るといふだけで、今の平假名の字體が『小學入門』の版下筆者の發意によるものだと斷言する譯ではありません。
今の平假名の字體は、兒童にとつて同じ平假名の他の字體よりも識別し易いか。これは兒童心理學の問題で、自分には何とも批評いたしかねます。ただ字體そのものについていへば、形状の上からも運筆の上からも不恰好であり不便であるものの多いことは、一枚の短册一枚の書状をとり、それに如何なる字體の平假名が用ひられてあるかと見れば直ぐ解ります。
自分は平素わが國の活字印刷物の變化に乏しいのを見て、殘念に思ふ一人です。アルフハベットで綴るのでなく、漢字と平假名とを混用することがその根本原因でせう。漢字と平假名とを同じ大きさの活字に鑄造しては均衡がとれぬ。若し平假名ばかりであるならば、淨瑠璃本が證明する如く扁平な字體を用ふるのが宜い。嘗て「かなのくわい」の雑誌でさういふ字體を用ひ、今日も國語辭典に多く用ひられてゐる。さりながら扁平な假名に比例して漢字を扁平にし、兩者を交へ用ひると矢張り正四角の漢字と假名とを交へ用ひたやうに不釣合である。
日本の活字のバライチーといへば單に大小にとどまる。ゴチックと稱し肉太のものがあるが、醜陋見るに堪へぬ。往時『日日新聞』は清朝活字を用ひて異彩を放つたが、清朝活字は今は宋朝活字と共に名刺か招待状にその面影を示すに止まり、隷書の活字も僅に存すといふだけだ。漢字の活字すらその通りの次第なので、平假名の如きは何時まで經過つても『小學入門』式の假名のみで、從つてこの字體に慣れた學生が本篇の卷首にあげたやうな悲喜劇を生じたのである。
自分は毎學年の初學生に對し、自分が諸君と同年輩であつた時代と、今日とを比べれば、わが國印刷の進歩は驚くべきである。當時寫本でのみ存した史料は續々活字に附せられ、安價で坐右に備へることが出來る。然しながら今後十年二十年、否諸君が僕と同年輩になるまで待つても、すべての史料が悉く印刷物となる事はあるまい。諸君は今から直に寫本り史料を讀まなくてはならぬと申します。
それなら寫本を讀むにはどうしたら宜いか、といふ質問が必ず起る。自分はこれに答へて曰く、漢字をどう
前述の事情により、將來(一)古書少くとも自筆本を複刻する場合、著者に敬意を表し、併せて原本の面目を傳へるため、その書物に使用してある假名の字體をそのまま使用すること、(二)教科書類ならいざ知らず、文學書類特に詩集歌集の出版には、假名の字體を一種に限らずして印刷物を優美ならしめることの二ヶ條を、著者及び出版者に對し、自分は大聲に呼掛ける次第です。
「活字の平假名について」は、昭和九年九月二十三日に稿成り、『東京堂月報』第二十一卷第十號(昭和九年十月)に掲載せられ、『番傘・風呂敷・書物』に收められた。