大正12年5月12日臨時國語調査會発表 略字表 決定された常用漢字及び略字について                         臨時國語調査會幹事 保科孝一  昨年十一月十六日に開かれた臨時國語調査會の總會は、主査委員會選定の常用漢字表一千九百六十三字を滿場一致を以て可決した。また主査委員會において以上の常用漢字中字形の複雜なものは捨て、その代りに簡易な字體を以てしようといふ意見があつたので、右樣の漢字を八十二字選出した。たとへば獻・辭・證・爐に對する献・辞・証・炉といふやうな類であるが、これも總會において可決された。しかるに、右八十二字に類推すべきものが他に澤山あるではないかとの意見が出た結果、なほそれについて調査するため、十五名の主査委員が會長から指名され、増田義一氏が委員長となり精査した末、さらに七十二字を加へることになり、これを議案として去る一日の總會が召集されたのである。同日の總會はまたこれを大多數で承認したから、簡易な字體は昨年十一月の總會で可決した八十二字と、合せて百五十四字が今後常用漢字表中の本字に代はるわけになる。勿論百五十四字に類推すべきものがまだ澤山あるのであるけれども、それらはしばらく字體整理の際に讓ることになつた。しかもこの字體の整理はとほからず著手される筈である。もし以上の百五十四字を本字として用ゐることになると、自然の結果として、「辨」「辯」が「弁」となり、「餘」「余」が「余」になるために,常用漢字の一千九百六十三字が一千九百六十一字になるわけである。また字體の變更に伴つて從來の部首部屬に異動を來すことになる。たとへば字典では火部で引いた「營」は字體が「営」に變つたため、火で引くことが出來ないから口部で引くやうに改めた。「點」は黒部で引いてゐたが、この字體が「点」に變つたのでこれを火部で引くことにした。かやうな類例は十數字ある。  以上常用漢字の選定については、その材料を各種の方面から集めたのである。  (一)尋常小學校の各種教科書のなかに現はれてゐるもの、(二)各新聞社において最も普通に用ゐてゐる漢字、即も大出張小出張と稱する漢字表、(三)築地活版所・秀英舍等の印刷所において最も普通に用ゐてゐるもの、(四)個人として常用漢字について研究されたもの等を材料として、だんだん研究を進めた。さうして、もつとも普通に使用されてゐてこれだけで國民生活上大體さしつかへないものと認めて決定したのが、今囘の一千九百六十餘字である。世間では單に小學校を標準としたやうに考へてゐる人もあるが、單に小學校のみを標準としたのではない。既に述べたやうに種々の材料を集めて研究したものである。尤もこれまで小學校の教科書に用ゐられてゐる漢字は、すでに多年の間調査研究されて來たものであるから、これらの漢字は大體能率の高いものと認めてよいのであるから、今囘の常用漢字の調査についてそれに重きをおいたことは事實である。けれども、單に小學校の教科書に現れた文字のみで取捨したのではない。また一千九百六十餘字は小學校の教育のみを標準としてゐるのではない。廣く國民一般の生活上においても、まづ大體これだけあればさしつかへないといふ見込で決定されたものである。勿論今まで漢字を無制限に使つてゐた人から見れば當分は不便であるかも知れないけれども、ある程度までは假名で書くもさしつかへなく、またむづかしい漢語をどこまでも使用しなければならないといふことはないから、この點に多少の工風をすれば、まづ大體さしつかへないつもりでゐる。なほ常用漢字の圓滿な實行を期するには、當字や漢語の整理を行ふことも必要であるが,さらに一層急要なことは字音假名遣と國語假名遣を整理することである。つまり常用漢字を實行すると、これまで漢字に書いてゐたもので、今後假名書にする場合が澤山あるが、そのとき第一に突當る間題は假名遣であるから,これを發音的に整理することがもつとも緊要なことであるゆゑに本會は今後これらの調査を急速に進める筈で、すでにそれらの準備に著手してゐる。 略字表 左の字體を本字として用ゐること。 (括弧内の小字は字典體) 勧(勸) 権(權) 潅(灌) 歓(歡) 観(觀) 沢(澤) 択(擇) 訳(譯) 駅(騨) 釈(釋) 変(變) 恋(懸) 蛮(蠻) 湾(灣) 茎(莖) 径(徑) 経(經) 軽(輕) 併(倂) 塀(塀) 瓶(甁) 餅(餠) 研(研) 斉(齊) 斎(齋) 済(濟) 剤(劑) 残(殘) 浅(淺) 賎(賤) 銭(錢) 労(勞) 営(營) 栄(榮) 学(學) 覚(覺) 挙(擧) 誉(譽) 断(斷) 継(繼) 歯(齒) 齢(齡) 湿(濕) 顕(顯) 窓(窗) 総(總) 属(屬) 嘱(囑) 為(爲) 偽(僞) 帯(帶) 滞(滯) 参(參) 惨(慘) 両(兩) 満(滿) 発(發) 廃(廢) 鼡(鼠) 猟(獵) 乱(亂) 辞(辭) 潜(潛) 賛(贊) 赱(走) 〓(徒) 従(從) 縦(縱) 悩(惱) 脳(腦) 処(處) 拠(據) 担(擔) 胆(膽) 来(來) 麦(麥) 寿(壽) 鋳(鑄) 数(數) 楼(樓) 楽(樂) 薬(藥) 読(讀) 続(續) 竜(龍) 滝(瀧) 随(隨) 髄(髓) 〓(鹿) 〓(麗) 聴(聽) 廰(廳) 虚(虚) 戯(戲) 遅(遲) 觧(解) 独(濁) 触(觸) 畳(疊) 摂(攝) 虫(蟲) 蚕(蠶) 仮(假) 児(兒) 〓(刻) 励(勵) 甞(嘗) 国(國) 囲(圖) 円(圓) 図(圖) 壱(壹) 実(實) 写(寫) 宝(寶) 扣(控) 叙(敍) 条(條) 様(樣) 帰(歸) 〓(気) 炉(爐) 犠(犧) 献(獻) 画(畫) 畄(畱) 尽(盡) 礼(禮) 称(稱) 糸(絲) 欠(缺) 声(聲) 台(臺) 旧(舊) 万(萬) 号(號) 証(證) 豊(豐) 弁(辨)(辯) 逓(遞) 辺(邊) 医(醫) 鉄(鐵) 関(關) 双(雙) 霊(靈) 余(餘) 舘(館) 体(體) 闘(鬭) 塩(鹽) 点(點) 党(黨) 亀(龜) (大正12年5月12日官報第3233號附録雜報7,原文は縱書き,解説は本書37ページを參照されたい) # 井之口有一『明治以後の漢字政策』(日本学術振興会、昭和57年)405-407頁