古書漫筆

古書に關心をもつ人には二通りの型がある。一つは世に珍しい珍籍を所有することに興味をもつ側の人である。も一つは古書を學問研究の資料とすることに喜びをもつ側の人である。いはゆる蒐集家といふのが前者に屬し、學者が大體に於いて後者に屬する。しかし、蒐集家の中にも中々すぐれた學者があり、學者の中にも藏書家として著名な人が少くない。かうして兩者が自ら接近して來るのは人間の本性からして當然のことである。古書の捜査それ自身は直接的には《研究》といはれないかも知れない。しかし古書が資料化される過程は《研究》と云はれても差支へない。資料化とは單なる古書が、もはや單なる反故のよせ集めではなくなり、古書の《價値》は非凡な學殖や識見によつてはじめて發見され得るもので、古本屋の小僧などのよくなし得る仕事ではない。國寶の本願寺本三十六人集が世に出るためには、大口氏の卓拔な鑑識力がぜひ必要であつたやうに、如何なる珍籍奇書でも、その價値を知らない人人の前では、まるで一把の反故にしか値しない。いはゆる猫に小判の類である。

かういふ事をいひ出して、自分のことに及ぶのはをこがましいが、今度古典保存會から複製になる拙藏の古寫本大鏡零卷の如きは、長い開店頭にさらされて、何千かの目に見離されたものであつた。青蓮院本神皇正統記や異本宇津保物語や、爲相本土佐日記や、古本狹衣物語など皆さうである。

自分の求めてゐる古書をさがしあてたときの喜びは一方ではない。數年前三河の鳳來寺を訪れて、寺寶の源氏物語を見せてもらつた時のよろこびなどはとても筆紙につくし難い。又東山御文庫で御物の河内本源氏物語や奧入を拜觀した時の嬉しさなど、ただ感激そのものであつた。阿波文庫の暗いつめたい書庫で數日を送つた數年前の冬の記憶も今なほ新たなものがある。それだけに、期待の外れた時の失望は大きい。書目や評判などで、たしかにその本があると聞いて、千里の道も遠しとせずして出かけて見ると、豫期に反してつまらない流布本であつたりすると、まるで氣のぬけたゴム人形のやうにぐつたりする。又藏書家を訪れた時、何とか、かとか口實の下に見せてもらへないやうな場合があると、淋しい悲しい氣持の中に、一種のいきどほりのやうなものさへ感ずるのである。

かつて自分は、全國各地に亙つて、何十人といふ藏書家を訪ねたか知れないが、心よく見せていただいた上に、御馳走にまであづかつた場合も多い。それと同時に玄關拂ひをくはされた例も一度や二度ではない。すげなく追拂はれる。理解どころか、禮儀といふものさへも知らないのかと憤慨もするが、さてどうにもならない。せめて自分だけなりともさういふ不都合な眞似はすまい。來訪者には出來るだけの便宜を計らうといふ氣持を固めずにはゐられなかつた。

近頃は、古典に對する一般の關心が高まつてきたから、一度び古本屋の書目でも出るとぐづぐづしてはゐられない。電話か、電報かで早速申し込んでも、もう品切になつてゐる場合も多い。この間清原宣賢の神代卷註が三重縣のある古籍商の書目にのつてゐた。その奧書を見ると、言繼卿記所引のもので、まだ世にあらはれない新資料と見えた。そこで早速註文の電報をうつて見たが、折りかへし來たのはもう品切だといふ返電である。あまり早すぎるのできつとごま化してゐるだらうと嚴重に抗議を申し込むと、本屋からは早速證據品だと云つて、他の註文電報を同封して色々と辯解してきた。見ると、他の註文の主といふのは東大の某博士で自分よりもわづか數分前に電報をうたれたといふことが分つて苦笑したことであつた。

東京の本屋では、書目が出ると、學者連中がすぐ圓タクでかけつける。店頭で《やあ》《やあ》と顏をあはせるが、目ざすものは一つだから面白い。加持井宮舊藏の河内本源氏物語の零册などは、某博士が一足おくれられたために、手に入らず、あとで卓をたたいて大へん殘念がられたとか聞いてゐる。

人間はやはり慾なもので、よい本を安く買ふと、儲け物でもしたやうな氣がして、一寸愉快になるものである。これはさもしいやうだがどうも人間の本性らしい。腹の中では、ひそかに十圓位は出してもいいときめて、店員に交渉して見ると、案外に二圓ですが、……などといふ。さういふ時、君それは少し安すぎる、十圓までなら出してもいいなどとは決して誰も云はない。二圓でもまだ高すぎるといふやうな顏をして買つて行く。さうして、後ですばらしい掘出し物をしたと得意になる――どんな人格高潔な篤學者でもさうらしい。尊敬してゐる先生方がよくさうした手柄話をなさるからうそではあるまい。

古書を調査してゐると、時々面白い因縁にぶつかることがある。一例をあげると、ある中國地方の縣立圖書館に珍しい古本系統の本文をもつた源氏物語の寫本がある。その本は明治初年に石見國何々郡何何村の某といふ人の所持本を借りて寫した新しい寫本である。そこで、その原本の所持者某氏の家を訪ねて見ると、もう原本はその家にない。さういふ本が自分の家にかつてあつたといふ記憶さへ消失してゐる。處が數年後、神田の古本屋からその書の原本がひよつこりと出現したのには實に一驚を喫した。何でも數十年長崎の方に轉々してゐたのを、今度本屋が入手したのだといふ。さういふ時には、迷ひ子にでも再會したやうなうれしさで、胸がこみ上げるものだが、そんな時そんな氣特になるのは、恐らく自分だけではあるまい。又ある本屋で見せてもらつた古今集の古寫本、たしかにどこかで見たことのある本だが――と記憶をたどつて行くと、五六年前某家の文庫で見せてもらつた本であることに氣がついた。一度賣物に出て、方々を轉々としてゐたのに、その日はからずも本屋の店頭で再び相會したのである。勿論何百圓といふ高價なものだから、自分たちの手に入るべき品物ではない。この次はまたどこで會ふのかと思ふと、相手は心ない古書ではあるが一寸淋しい氣がする。

これも古今集だつたと思ふが、數年前二十圓ばかりである本屋の貴重書の棚にをさまつてゐた本が、何年かたつて今度は別の本屋の貴重書の棚の上に、立派な二重の箱にをさめられ、二百圓也としてかざつてあつたのには、古書も中々出世したものだとほほゑましい氣持になつたものである。

自分などは青二才で、古書に注意しはじめてから、わづか十年、しかも現在手をつけてゐるある研究の方便として、やむを得ず搜査をはじめたわけであるから、たいした珍しいエピソードも持たない。琳琅閣の先代のやうな人がゐたら、中々面白い話をきかせてくれるだらうけれど。

素人の所藏者の古書に對する態度には二通りの型がある。一つは全然古本など問題にしないといふ態度で、せつかくの珍籍を家寶とも知らないで物置の塵の中になげやつておいて、こちらから注意を受けて、やつと氣がついて大騷ぎをするといふ底の人である。今一つは、つまらない本を、天下の珍寶のやうに高く評價して得意になる人で、源氏物語などでは、つまらない寫本を三萬圓とか五萬圓とか大へんな値をつけて、大騷ぎをした人があつた。本に對して正しい認識を下すためには何といつても學問が必要だ。これだけは《勘》ばかりではどうにもならない。書籍商中にもまれに堂々たる人物がゐる。さういふ人々には大學の講堂に立たせて、書史を講ぜしめても、一通り話は出來さうに思はれる。古代文化の現代化といふことに密接な交渉を有する意義の大きい仕事であるから、さういふ方面に人材が輩出せんことを望んでやまない。

底本
池田亀鑑『花を折る』(中央公論社、1959年、pp.41—46.)