本のゆくへ

戰爭前、源氏物語の古寫本を探して全國を歩いてゐたころ、今日でも忘れられないことが一つある。それは、ある道具屋の世話で一外人の手に渡つた源氏物語に關してである。その古寫本は、鎌倉時代の中ごろ、當時の學者や歌人達が分擔して書いたもので、非常にめづらしい本文系統のものであつた。買ひ主の外人は、實は蒔繪の箱の方が氣に入つて買つたのださうだが、ぼくとしてはもちろん本の方が問題だつた。何とかしてその本文をしらべて置きたいと、あらゆる誠意と手段をつくして、道具屋のいふ通り何べんとなく懇請の手紙を出したのだが、當人は決してみづから返事はよこさなかつた。

日本の學者がそれほど熱心になるからには、きつとすばらしい本にちがひない、そんな本はうつかり見せられない、と腹をきめるやうになつたらしい。ある時、何囘目かに出した依頼状に、道具屋を通してやつと返事が來た。本を見せるから何月、何日、何時、オリエンタル・ホテルに訪ねて來い、時間嚴守のこと、といふのである。ぼくは狂喜した。すぐ同學のM君をさそひ、寫眞屋と三人で、神戸行の急行に乘つた。定刻より一時間前にホテルにつき、時刻の來るのを待つた。

そのうちに時間がきた。いよいよ本を見せてもらへる。と思ふと胸がはずんだ。しばらくすると、ホテルの支配人が出て來て、實はせつかくきていただいたけれど、けふはからだの調子が惡いからあへない、出なほしてもらひたいとのあいさつだ。ぼくたちはびつくりした。ではこの次はいつ伺つたらよいでせうかと問ふと、支配人は、氣の毒さうな顏をしたが、判りません一點ばりでとりつくしまもない。ぼくは卑屈に見えるくらゐ事情をうつたへて懇願したが、無用だつた。

M君に助けられて玄關を出た。が、石段の半ばで足が動かなくなつた。たうとうそこにへたばつてしまつた。あとからあとから止めどもなく涙が出る。半時間ばかりしてふとポケットに手を入れると、キャラメルの箱が指にふれた。いきなりつかみ出してそいつを石段に叩きつけて「畜生」とわれながら大聲でどなつた。「M君かへらう。あきれた時間嚴守だ」と、いくらか氣分がおちついたので歩き出した。

近ごろ熱心な學者がよく訪ねてくる。藏書を見せてくれとの強引な直接談判だ。豫告なしにやつてきて、半日も玄關にねばられてはやりきれない。さういふ時にぼくは、ふとオリエンタル・ホテルの玄關を思ひ出す。千里の道を遠しとせずやつて來た學者の氣持も判るが、相手の迷惑も考へてやる必要があらう。雙方謙虚な思ひやりが大切だ。朋あり遠方よりきたる、また樂しからずや、とばかりではすまされない今日の暮らしなのだから。それにしても、あの國寶的な源氏物語の寫本は、今どこにあるだらうか。無事に戰火からのがれて、どこかに現存してゐるだらうか、それとも燒けてしまつたらうか、その行方と運命を誰が知つてゐるだらうか。

底本
池田亀鑑『花を折る』(中央公論社、1959年、pp.61—62.)
参考
今西祐一郎/室伏信助[監修]、上原作和/陣野英則[編集]『テーマで読む源氏物語論 第2巻 本文史学の展開/言葉をめぐる精査』(勉誠出版、2008年、pp.36—37)に再録。同書、上原作和の「解説」によれば、この古寫本伝阿仏尼等筆本『源氏物語』一外人インド人貿易商モーデM君松田武夫であるとのこと。)