學術資料の佚亡とその對策

學術資料といへば廣汎な範圍にわたるが、ここでは動植物などの天然記念物を除外し、專らわが民族の精神的遺産にして、學術研究の資料たりうるものを意味する。すなはち廣い意味における歴史學の資料たりうる一切のものをさす。いふまでもなく歴史學は、自然、人文、社會諸料學の各領域にひろがるのであつて、これらの諸分野における先人の業績は、その價値に差等があるとしても、すべて今日の學術研究の資料として重んずべきものである。

古代において認識されたものの認識といふ歴史學的文獻學の定義は、たとひ古代における精神所産の認識といふふうに修正される必要があつたとしても、先づ正確な概念規定であるといつてよい。古代の精神所産は、いかにして恒久化されるか、ことばをかへていへば、民族の文化遺産は、いかなる形式において現代に傳へられてゐるか、歴史學的文獻學の素材學科の體果、たとへばベックのEnzyklopädie und Methodologie der philologischen Wissenschaftなどに示されてゐるものが、大體それらを網羅してゐる。大別して、(一)文獻、(二)建築、彫刻、美術工藝、繪畫、貨幣、(三)民俗、口碑といふことになる。古代および古代人の精神は、これらのものによつて近代に傳へられてゐる。もし、われわれがこれらの資料を持たなかつたら、古代の神祕をうかがふことはできない。ギリシャやローマによつて代表される古典的古代が、現代生活に深い意味をもつて新生したのは、ほかならぬこれらの資料によるのである。

古代人の精紳と古代文化とを近代に傳へる幾多の資料の中で、「文獻」すなはち「文書」は、最も精密かつ廣汎である。長い人文科學史において、Philologieの世界における幾多の傑出せる巨人の像を、われわれはアレクサンドリア時代から中世、文藝復興期、近代にわたつて見ることができる。彼らは驚歎すべき勤勉と誠實と獻身とをもつて、「古代」の保持者たる典籍を蒐集し、整理し、愛護した。わが國においても、藤原定家や一條兼良や本居宣長らがゐなかつたら、古代文化はもつと濃い暗さの中にとり殘されてゐたであらう。かつて水戸光圀が加賀五代の主前田綱紀に向つて、余は大日本史編纂のために古書を蒐集するが、卿は何の目的をもつてこれをなすかと問うたのに對し、綱紀は言下に、萬世にわたる日本國の學問のために! と答へ、光圀をして感動せしめたと傳へられる。綱紀の蒐集になる尊經閣文庫が舊圖書寮とともに、日本文化研究に寄與した功績は絶大である。

學術資料といへば廣汎な範圍にわたるが、われわれ文學研究に從事する者としては、天然記念物、考古學的發掘物、民俗學的傳承、造形美術工藝品などの類は、それぞれの專門學者の良識と努力にゆだね、われわれの知能のよくなしうる範圍において、廣く他の諸學との協調を保ちつつ、最善の努力を拂ふべきであらう。空虚な叱咤怒號は、かつての戰爭指導者たちが身をもつて示したやうに、何もなしとげはしない。今日必要なのは、至誠と熱意にうらづけられた奉仕の精神である。私情の一切が克服されねばならない。

戰後に於いて著しい事實は、わが國の貴重な文化財が佚亡しつつあることである。戰爭中から今日に至るまで、散佚または壞滅した文化財はおびただしい數に上つてゐる。法隆寺の金堂や金閣寺が燒失したことは、誰にも知られてゐるが、その他に多數の、重要文化財が喪はれ、また喪はれつつある。昨年文化財保護のことが立法化され、その機關として文化財保護委員會が設立されたことは、慶賀に堪へないところであつたが、殘念なことに學術資料としての文獻の分野が除外されてしまつた。文化遺産の中から文書を除外するといふことは、いかなる遁辭をもつてしても許し難い失敗である。學術的文獻は、骨董的な意味の美術品とは別なものである。兩者の一致する場合もあるが、多くは一致しない。典籍を除外して文化財もないものだ。せつかくの立法化も、佛作つて魂を入れぬ類になつてしまつたのは殘念千萬である。

わが民族の貴重な精神所産として傳へられ、また將來も護持されなければならない學術文獻は、國法の保護の埒外におかれ、日毎に散佚の一跡をたどつてゐる。この事實に直面するとき、一片の愛國心をもつ者、敗れたりとはいへ、なほ民族のほこりをすてえぬ者は、たうてい默親しえないであらう。まして、わが國の文化財を、全人類の文化財として管理する責任と義務を感ずる者においてをやである。日本學術會議が、この點に注意し、その實情調査にのり出し、關係諸團體に對して協力を要請したことは、まことに時宜をえたものである。

日本文學協會では、その趣旨に贊同し、進んで學術資料調査委員會を結成し、東京都内の各大學、研究室、附屬圖書館、國會圖書館、資料館、關係諸學會、博物館、文部省、國會議員有志、學識經驗者などに廣く招請状を發して參集をもとめ、學術資料の罹災および移動に關する實状を調査するとともに、これが適當なる對策を協議してきたのである。

今日までのわれわれの調査は、なほ不十分であり、今後も鋭意續行しなければならぬが、それでもなほかつ寒心に堪へぬもののあることを痛感するのである。すなはち學術資料の佚亡を、このまま拱手傍觀するならば、つひに收拾することの出來ない事態に立ちいたるに相違ないと豫想されるのである。そのデータを一々公表することは、舊藏者をはじめ各方面に迷惑をかけるおそれがあるから、ここには差しひかへざるをえないが、その中の一二についていふならば、たとへば、舊國寶および重要美術品の中、一條家本延喜式、佐藤氏本東大寺諷誦文、同應安書寫伊勢物語、同麗花集、武田氏本延喜武、同後撰集、同伊勢物語、同古今集、淺野家本白河切、伊藤氏本繼色紙、牛尾氏本貫之集切、同日野切、同法輪寺切、飯島氏本どちりなきりしたん、赤間宮藏懷古詩歌帖などをはじめ、多數の典籍文書が戰災のため亡夫した。また個人のコレクションとして學術研究のために寄與してゐた青谿書屋、矢野文庫、斑山文庫、村上文庫、三井文庫、高橋文庫、御巫文庫、渡邊文庫、高木文庫、阿波文庫、富岡文庫、平瀬文庫、樂亭文庫、伊達文庫、南天莊、紅梅文庫など、分賣されたり、海外に流出したりして、昔日の偉容を見るよしもない。また他にも寺社關係、舊華族關係のコレクションで、無疵なものはほとんどなく、日毎に分散亡失しつつある。

この間、國會圖書館、博物館、東大圖書館、書陵部、早大圖書館、九大圖書館、天理圖書館、神宮文庫、お茶の水圖書館、國學院大學圖書館、東大史料編纂所などが個人のコレクションの大部分または一部分を購入し、多少でも散佚を防止したことは、特筆すべきことであり、特に近畿日鐵が事業費を割いて某コレクションの一部の散佚を防止したことは、近來の美擧として表彰されるべきであらう。ただ遺憾なことは、財政上の理由により、未整理のままで積み上げられてゐたり、閲覽を拒否されたりする場合の多いことである。

學術資料の散佚を防止するためには、いかなる措置がとられるべきであらうか。學術資料調査委員會は、この課題の解決のため獻身してゐるが、まだその結論をうるに至らない。ここに披瀝して大方の批判を仰がうとするものは、その委員會の活動の線にそつて、筆者が試みにゑがいた一私案である。

Ⅰ 典籍聚散實情の徹底的調査

このことは對策の根柢をなすもので、萬難を排して強行されねばならない。この仕事は云ふに易く行ふに難い。その理由は、種々あげられるが、就中、(A)噂をもとにした想像説が行はれやすいこと、(B)舊藏者の財政的理由によつて散佚する場合には當事者の面目の問題がからみあひ、その公表を喜ばない傾向のあること。(C)同じく税金の問題に關聯して祕密裡に處理され易い傾向のあること。(D)典籍を家寶として私有する意圖のもとに、現藏者が故意に隱蔽する傾向のあること。(E)閲覽希望者の中に、心ないものがあつて、所藏者の迷惑を顧みず恣ままな行動をとり易いこと。(F)學術資料としての典籍の重要性を多くの人々はほとんど問題にしてゐないし、また經費の關係から未整理のままに放置されて公表されては困るといふ現状であつたりすること等々の理由は、この基本的調査を困難にし、時には不可能に陥れるのである。

Ⅱ 重要典籍の正確なる目録の作製

既に知られてゐたもののほかに、新しい價値の附與、すなはち新發見のものを加へた所在目録を作製し、それを全國の大學、圖書館、研究室、學究者に配布する。この仕事は當然Iの成果を前提とし、専門學料ごとに知識技能を傾けて正確なものを作成しなければならぬから、これまた至難のことに屬する。

Ⅲ 學術資料擁護に關する世論の促進

以上の二項を實現させるためには、世論に訴へて、社會全般の正しい理解と協力が絶對的に必要である。この仕事は、祖國の文化を擁護する高貴な目的をもつてなされてゐるのであり、國民の何人をも幸福にするものであつて、その目的が達成されるやうに運營されねばならない。一部に被害者が出たり、犧牲者が出るやうであつてはならない。まさに社會の各方面をあげて、熱心な支持のもとに推進されるべきである。このためには、隨時この問題に關する座談會、公開講演會、展覽會その他の催しが必要であり、文化映畫、ラヂオ、新聞、雜誌、小册子等による世論喚起が必要である。

Ⅳ 重要典籍協議會の結成

學術資料保護に關する中央協議會が、各主要大學、圖書館の代表者、各種關係諸學會の代表者、民間の學識經驗者を集めて、一日も早く結成されることが望ましい。この協議會において、前記ⅠⅡⅢが一層徹底的に強化されることは明らかである。この協議會は、全國各地の大學、學會、圖書館、藏書家、學究者、出版者などと緊密な連絡を保ち國家的見地からして、今後のコレクションの分散、個人所藏の重要典籍の佚亡を未然に防ぐために、そのやうな文化財の公正なる配置、現藏者の權益の擁護、課税に關して政府への折衝は勿論、補助費の申請などにも乘り出すべきものと思ふ。

Ⅴ 學術資料保護の立法化

日本民族の文化財保護に關しては、國立博物館、公私圖書館、特殊蒐集家の文庫、學者の書斎などがこれに當つてゐた。敗戰後の國状では、私人の力では不可能であるし、現在の新しい蒐集家が、はたして何時まで維持しうるかは疑問である。やはり、國立またはこれに準ずる實力のある機關によつてなされるべきである。このためには、國會圖書館や博物館を強化することが必要であるとともに、根本的には學術資料(特に典籍)保護の立法化が肝要である。文化財保護法の中に當然この點が加へられるべきであつた。もしⅣが實現しうるなら、日本學術會議や、文化財保護委員會と連絡を保つて、立法化のために努力が拂はれるべきであらうと思ふ。ここまで來なければ、實はかけ聲ばかりで、何もできはしないと豫想されるのであるが、さう豫想することは、堪へられない悲しみである。

われわれの國は戰爭に敗れた。敗れるにはそれだけの理由があつた。それをわたくしは認める。しかし、われわれの民族ののこした文化財の中には、「世界」の名において、「人類」の名において、永久に護持されねばならぬもののあることをわたくしは確信する。しかもこの日本の、そして世界の文化財は、われわれの眼前において壞滅しつつあるのだ。

陳登原の「古今典籍聚散考」(民國二十一年刊)には、典籍佚亡の原因について、政治、戰爭、水火蟲害などをあげてゐる。政治的事情とは、秦・隋の焚書、宋・元・明の禁書などがそれである。わが國においても、種々の政治的理由によつて發賣禁止といふ措置がとられてゐる。戰爭中源氏物語のごときは、その一歩手前まできてゐた。戰爭が典籍を佚亡させた例は、保元・平治・應仁などの亂をあげるまでもなく明らかな事實である。水火蟲による被壞は、根本的には古典に對する愛情と責任感の缺如に原因する。今囘の戰爭は、多くの貴重典籍を佚亡させたが、しかし、戰災をまぬがれてゐながら、不作意で燒いてしまつた例は法隆寺金堂の壁畫、金閣寺、阿波文庫等々おびただしい數量に上つてゐる。

戰後日本的なものはすべて價値なしとする卑屈と自嘲、生活のためには止むをえずとする深刻な現實、さういふ混亂の中の自暴自棄が、學術資料たる古典を次々と佚亡に歸せしめてゐる。戰爭は、人命を粗末にすることに理窟をつけたが、その餘弊は、民族の遺産や祖國の名譽までも粗末にする癖をつけるまでになつてしまつた。

學術資料調査委員會は、日本文學協會が右の現状を見るにしのびずして設置したものである。この會としては、誠意と熱情とを傾けてできるだけの事はしたいと思ふが、その構成メムバーの一人としてのわたくしは、別に愛國心を獨占しようとは考へてゐない。大きなものの生まれてくるための捨石になりたいと思つてゐる。おそらく他の委員諸君も同樣であらうと思ふ。

幸ひに關係諸學會や、圖書館、國會、官廳、博物館、大學、研究室などの代表者は、われわれの所見を諒とされ、協力して所期の目的を達成するために、大同團結しようとする誠意を示されてゐる。感謝に堪へないところである。ただ中には、他人の財産に干渉して、よけいな口出しをする、一文の得にもなりはしないと、個人的な立場から白眼冷視する人がないわけでもない。かういふ立場では、古典保護の立法化など望むべくもない。私的な封建的な孤立主義を克服したいものである。

底本
池田亀鑑『花を折る』(中央公論社、1959年、pp.48—56.)