古訓點に現はれた形容詞小考

上代文獻に現はれた形容詞の轉成が動詞へ向つて行はれてゐる事は氣付き得られる事である。然し例を出して説明しようとすれば初めてその例が僅少であることにも氣付くのである。今上代文獻に於ける形容詞を並べてどれ程その中から動詞へ轉成したかを檢討して見よう。

形容詞として右の例を擧げる事が出來る。

その中で動詞へ轉成し得たと見られるものは僅かしかない。

然るに訓點に於てはその轉成は可成自由になつてゐることが分る。

こゝに引用する點本は左の通りである。後も屡々引用する事があるので夫々の略號を用ひる事とする。

略號點本所屬加點年代
(新)新譯大方廣佛華嚴經音義小川爲次郎氏奈良朝末期
(成)成實論聖語藏天長五年
(集)金剛般若經集驗記黒板博士平安朝初期
(金)金光明最勝王經西大寺平安朝初期
(日)日本書紀古鈔本岩崎家平安朝中期
(般)大般涅槃經石山寺治安四年
(妙)妙法蓮華經高野山龍光院天喜年間
(史)史記孝文本紀東北帝大廷久五年
(大)大毘盧遮那成佛經略疏醍醐寺大治五年
(西)太唐西域記石山寺長寛元年
カルシ
惡ヲ敬ヒ善ヲ輕ムニ由リテ (金)
〈カルム〉 (大)
ヒロシ
〈メ〉〈キ〉 (金)
カタジケナシ
禮拜〈カタシケナミテ〉 (集)
ツタナシ
〈ツタナフ〉 (西)
タカシ
〈カヒ〉 (成) 高〈タカム〉 (大)
フトシ
〈フトヒ〉 (成)
オホシ
〈オホム〉 (大)
キタナシ
穢厭〈キタナフ〉 (大智度論天安二年點石山寺藏)

尚上代文獻に見られない言葉に 困〈タシナシ〉といふ形容詞がある。既に成實論に見えてゐる。これの動詞は 困〈タシナム〉として十一面神呪心經嘉應二年點(石山寺藏)に見えてゐる。

右の例によつてマ行四段になる場合が多く、バ行上二段になる場合が甚だ少い。上二段である例は貴ぶがそれである事は春日博士が既に指摘せられてゐる所である。

高ぶは

子無自高フルコト也 (百)

となつて上二段であることが分る。

「廣し」がマ行四段となる外に、古事記に

芝賀波能 比呂理伊麻須波

下巻に同樣の所が更に一箇所ある。「ひろる」と動詞化したことがあつたか否か不明である。この序に「わかし」が出雲國造神壽詞に

彌若叡〈爾〉御若叡坐

とあつて「若ゆ」と動詞的なものが窺れる。前の「廣り坐す」の場合と共に例外として考へるべきであらう。この考察は今こゝでなさない。その動詞への轉成をなすマ行、ハ行の動詞を見るとその轉成の傾向はマ行の方に強味があることが分るがそれは必ずしも理由のないことではない。今その理由として擧げられるものは次の如くである。

一、

マ行四段になると共にその傾向の惰性はラ行四段に進んで行く事がある。それだけマ行への轉成の強味を示してゐるものと思ふ。

又形容詞から轉成したマ行動詞でなくともラ行に轉ずるものは他にある。

これによつてマ行動詞の伸暢性のあることを認めてよいと思ふ。隨つてマ行動詞へと形容詞が引付けられる可能性も多いわけである。

二、

形容詞の語幹にミが添へられる場合は上代に多いがそれが動詞の連用形と何等形に於て異る所がなくこの形が動詞轉成への過渡ではないかと考へられることである。これに就いて少し私見を開陳して見ようと思ふ。

この形がどの程度まで動詞としての働を有してゐるかが今まで問題となつて來た。萬葉集講義に〈五〉、心乎痛見に就いてイタミは痛しといふ語を動詞化せしめたものであるとされてゐる。若しさうだとすればイタムといふ動詞の存在と共に〈一二八〉足痛吾勢を新訓の如くアシイタムと訓めぬ事はない。この場合の訓は京大本の訓の一に「アシヒク」とあるによつて、この歌の左註に「足疾」とあるのを「アシヒキ」と見て、足痛はその用言の「アシヒク」と訓じたのであるとする説も成立しないことはないがこれが假名書でなく痛見が動詞か形容詞か何れとも決定出來ない間は論に論を重ねるのみである。痛むといふ動詞の例が見當るまでは結論は差控へるべきが至當であらう。痛見の見の假名が活用語尾か接尾辭かが明瞭でないのは何れにしても見が上代特殊假名遣の上で問題が起らないからである。でこゝではそれは形容詞であるとする事が今の所穩かであるがそれでも上代文獻でその動詞轉成の例を見ない形容詞が訓點の上で可成の動詞への轉成の例を見出し得るとすれば安心は出來ない。而も形容詞よりマ行四段の動詞となる例が他行の動詞となる例より多いとすればマ行のミは活用語尾とさへ考へられる可能性が愈々多くなるわけである。そこで訓點を檢して見てかゝる例が見出せるかと云へば前記の如く上代文獻に現れない形容詞より轉成した動詞「多む」といふ言葉が出て來るのである。尚他の例を擧げて見よう。

〈卷二 一九九〉小角乃音母 敵見有 虎可𠮧吼登

に諸説「敵を見たる」といふ意に解してゐるが古義が、寇而有アタミタルなり、寇んだると云むが如し、といつてゐる説が面白い。古義は「あたむ」といふ動詞の例を出してゐないが

新撰字鏡 怏 〈於高反去懟也 強也 心不服也/宇良也牟 又阿太牟 又伊太牟〉

と出てゐる。訓點に於てはアタムと石山寺本太唐西域記卷六に現はれてゐる。これによつて見ればあたが動詞に用ひられた事が分る。萬葉集講義に於てもあたが動詞になつた事を明かにしてゐる。兎角形容詞から或は名詞からマ行動詞に轉成する傾向のあることは否定出來ない。

さて、たゞ例を示したゞけで如何にもこの類のマ行動詞の發生が可成り無理なこぢつけの如き構成を取るものと思はれるかも知れぬ。然し形容詞が何故にマ行に轉成し易いかを説明するが爲にはこれだけの説明では確かに不十分である。何故ならば今までの説明では經過の不明瞭な變化による轉成の例しか見て來なかつたからである。成程、「あたむ」があたの用言化の例と云へばかゝる誤解を招くのは如何にも當然である。そこで古義は賢明にも寇見の(見は〈三二一五〉難見爲而カタミシテなど云ふ見に同じ)と云ふ説を付添へてゐる。これで形容詞がその形を餘り壞さずに動詞へと轉成して行く經過が見えるのである。今他の例を引出して見ると、〈六四一〉和備染責跡ワビシミセムトとある。ワビシミ迄は形容詞の語幹にミの添へられた形と云ふだけである。即ち名詞であると云つてよいがワビシミスとなるとそれは最早動詞と見なければならぬ。訓點に於てもその例を擧げる事が出來る。

となる如き例がある。その輕ミ安ミは名詞であつて輕ミス安ミスとなれば動詞である。そして輕ム安ムといふ動詞が出來てゐる。

こゝで假令輕ム安ムといふ動詞が出來ぬにしても形容詞|ミ+スの形で既に動詞であり、又ミが撥音となつて安ンズの形なつて立派な動詞となるのであるからかゝる形容詞の動詞的傾向は決して偶然でないことが分るであらう。ミが撥音となる前にも亦次の如き段階がある。

このヨス アシス の唇内音のmがnに發音される事は手易い過程である。この場合n音即ち撥音がmによつて代用される例は、金光明最勝王經に、闇〈安〉〈神〉とあり闇はm 安はn 尋はn 神はmであり、誤りか代用か分らないが、既にかゝる頃に舌内音を唇内音で代用せしめてゐたと見られぬ事はない。國語史概説に、漢書楊雄傳に加へられた傍註に はむ りむ へむ とある事が見られる。これも舌内音をmで代用した例である。故にこのヨムス アシムスのムは撥音であつたとも考へられる。かくなれば ヨシンズ アシンズ は動詞として定著してしまつたものと見なければならぬ。横道へそれるが、漢語でサ行變格活用動詞を構成する場合その漢語がm、n音共れであつても活用語尾は濁音の形を取る。この傾向は形容詞に於ても漢語に於てもさうであつて而もかゝる動詞の活用語尾が濁音であることはm、n音より濁音への音韻の階調を暗示してゐるものとして注意しなければならぬ。この事は次に述べる第二活用形容詞の活用語尾がバ行の濁音となるべきことを説明するに役立つことを申し添へて置き度い。

兎角にして第一活形容詞のマ行動詞化傾向の筋道を辿つて來たがこれを纒めると次の項目の如くなるであらう。

これで不完全ながら第一活形容詞の私見を述べた事になるが同じ方法によつて第二活形容詞を取扱ふ事とする。

第二活形容詞

第二活形容詞が文獻上動詞に轉成する場合を考へる前に上代文獻で管見に入つた形容詞を列擧すると次の如くである。

第一類
〈一六〉恨し 〈二四〉惜し 〈二七〉悲し 〈五三〉乏し 〈一九六〉珍し 〈二一七〉悔し 〈三二四〉許多こきだし 〈二四五〉くすし 〈二八六〉宜し 〈三一五〉久し 〈三二四〉欲し 〈三四〇〉賢し 〈三四七〉不樂さぶし 〈三四八〉樂し 〈四三八〉うつくし 〈四四〉空し 〈五一五〉ゆゆし 〈六八八〉いちじるし 〈七三八〉苦し 〈七五九〉賤し 〈七八〇〉いそし 〈八一一〉うるはし 〈八六四〉懷し 〈八五四〉やさし 〈八七五〉戀し 〈八八六〉いたはし 〈八九四〉いつくし 〈一三三〉ひとし 〈九七六〉くはし 〈一一三〇〉こヾし 〈一九二六〉惡し 〈三二二二〉浦細し 〈三二三四〉間細し 〈三三三五〉いとほし 〈三三四三〉つれもなし 〈三四二九〉淺間し 〈三四八二〉し 〈三九七八〉同じ 〈三九七八〉こヽろぐし 〈四〇〇三〉あやし 〈四〇九二〉ねたし 〈四一〇五〉むかし 〈四一二〇〉かぐはし 〈四二一一〉くすはし 〈四二二九〉あたらし 〈四四六五〉あたらし 〈(記)〉すがし いすくはし いぎどほろし さがし 〈二詔〉いかし 〈六詔〉うむがし 〈四六詔〉よろこぼし 〈二五詔〉おもじし 〈二七詔〉いとほし 〈三二詔〉さだし 〈四一詔〉うれし 〈四五詔〉 つからし 〈四五詔〉たヾし 〈五六詔〉おどろし 〈二八詔〉かたまし 〈五一詔〉たのも
第二類
〈一八九〉欝々おほほし 〈四三五〉滿みつ々し 〈五七五〉たづ〳〵し 〈一四〇三〉殆々し 〈一七三八〉端正きら〳〵し 〈二七詔〉うや〳〵し

この中で動詞になる例を擧げると

古訓點に於ては

右に依つても分る樣に文獻の上に於ても古訓點の上に於てもマ行四段活用動詞とハ行動詞とが同等程度の轉成を示してゐるが、第二活形容詞に於ては第一活形容詞の場合に於けるよりもバ行動詞が多くなつてゐる。バ行の中でうれしぶは上二段であり よろこぶも上二段であることは既に考證されてゐる所である。(文學 第五卷 第五舞 遠藤先生、國語と國文學昭和十二年五月號有坂秀世氏)その外 賤ぶ 悲ぶ も二段の例が擧げられる。

とあるによつて二段活用であることが推定出來る。

上代文獻に於て第二活形容詞がマ行動詞に轉成する例が多く、一方訓點に於てはバ行動詞に轉成する事の多い事がこれによつて知られる。訓點に於ては何故にバ行に轉成するものが多いのか、これは訓點が男性的用語を表現した文獻であるが爲ではないかと考へられる。第一活形容詞に於ても上代文獻でバ行に轉成するのは主として宣命の中に於てゞあつた。この第二活形容詞の場合にも亦宣命に多いと云ふ事は莊重味を加へねばならぬ公文書であること即ち歌或は女流物語日記とその語脈を異にしてゐるからであらうと思ふ。歌物語に於ても用ひられぬ事がないがその使用範圍が限られてゐる樣である。

古今集 春上五〇
山高み人もすさめぬ櫻花いたくなわびそ我みはやさむ
源氏物語 (桐壼卷)
おぼしなげく(河内本)
又これをかなしびおぼすことかぎりなし(湖月抄本)
(同)(帚木卷)
末の世にも聞き傳へてかろびたる名をや流さむと

の如く出て來るが多くは見られない。

マ行バ行を夫々男性的、女性的、用語と別けるのは夫夫の語感の強弱が原因してゐるのである。それに就いて私見を述べると、マ行音の軟か味のある唇音よりバ行音の方が強い感じを與へるのは當然である。隨つて男性語脈に使用されると形容詞はバ行へ、女性語脈へ使用されるとマ行への動詞轉換を行ふと見てほゞ差支へないであらう。ではこゝにマ行の音とハ行の音とにどれ程の音韻上の交渉點があるかを考へる時このバ行動詞發生の經過を辿る事は容易な事となるのである。

例へば、「懷し」が 〈四〇〇九〉奈都可之美勢余なつかしみせよとある例のみで形容詞としてそのまゝ終つてゐるがマ行動詞への轉成の契機に於て何か寄與するものがありげに見える。この事は既に第一活形容詞のマ行動詞への轉成に就いて述べた事と同樣である。若し一歩進んでナツカシムとなるものとすれば唇音の比較約柔らかい言葉になるが、更にこれがナツカシブとなるべき契機を有してゐると考へられる根據があるが爲に(後に述べる)ムから更に強い音ブへの轉換の可能性を認めぬわけにはゆかぬ。

現にあやしが金剛般若集驗記に 異アヤシム とあつてマ行であるが 〈四二詔〉〈備〉とあり妙法蓮華經に恠〈アヤシヒナム〉 とあつて同時にバ行に活用した事を示す例を擧げる事が出來るのである。又語幹内に於ても、マ行ハ行の交渉は行はれてゐることは上代文獻に屡々見られるが訓點に於ても

右の如く後にマ行であるべきものがバ行で發音されてゐるのである。m音v音、いづれの方向に進むにしても兩音共に唇音であることに同一點を見出し得るのであるから形容詞よりマ行動詞への轉成と同じ契機をバ行轉成への經路が持つてゐることが分るであらう。一方m音が柔かくv音が強く感ぜられる語感の相違は用語が男女兩性語脈に使ひ分けられてゐることに重大な關係があると見られるのである。而も第一活形容詞の所にて述べた如くm、n、音の漢語が左行變格活用となつた場合m、n音いづれにせよそれが濁音の活用語尾を取ることがm nよりvへの契機を最も克明に裏書してゐるものと見てよからう。又漢語が男性的な用語であつた事が國語として取入れられる場合に強い活用語尾が添へられる事は當然と云はねばならぬ。m n音の漢字でなくとも一音の漢字が左行變格になる場合も濁音となることがあることを考へ合はせると興味が深い。轉ずは勿論行ず 生ず も既に金光明最勝王經に出てゐる。

第二活形容詞の構成

第二活形容詞には第一活形容詞と異つた性質の語幹を見出し得る。それは前者に於ては語の繰返しによつて形容詞活用となるものがあるからである。この類の形容詞を第二類のものとする、既に例は擧げた。訓點に於ても

と例を擧げる事が出來る。

これ等の形容詞は皆その語幹に觀取し得る意味を持つたものであるといふ特質を持つてゐる。これは動詞への轉成が人爲的である如く見られる傾がある。

ミツ〳〵シ

に就いては既に解かれてゐる。

スガ〳〵シ

は古事記大和建命の條に

我御心須賀須賀斯スガスガシ

とあるのを記傳に御心地の洗濯たる如く潔く所思給ふなりとある意の通りである。記〈上〉に阿多良須賀志賣とあり金光明最勝王經卷九に酸〈カラク/スカヤカ〉 とあるスカと同一語根であることは明であると思ふ。

キラ〳〵し

は萬葉集卷九〈一七三八〉

其姿之 端正爾キラ〳〵シキニ

とある。その他

とある。キヨラの約りでキラがその語根である。

ワイ〳〵シコト

これはワイ〳〵シキコトとあるべき所である。ワイはワキのイ音便となつたものでワキマフルコト(日)推古紀 とある通り ワキ がその語根である。

モチ〳〵シ

萬葉集
卷五、八〇〇 母智騰利乃可可良波志母與
卷一三・三二三九 末枝爾 毛知引懸

とある。和名抄に 黐〈丑知反 和名 毛知所以黏鳥〉

モチ〳〵シはこのモチの性質に關係した形容詞と見られる。

第二活形容詞の特にその第二類に於ては語幹に意味を觀取し得るものでそれが形容詞となつて語幹の意味をそのまゝ受繼ぐものであることが分る。この性質は偶々第一類の形容詞全體の性質を抽出するに役立つ所がある。即ち第二活形容詞は人爲的構成とも見られる性質を有してゐることである。この種の形容詞はシク活にたる經過があたかも語に「シク」が接尾された如き構成過程を取る事である。この性質を裏書するものとしての例を二、三擧げて見よう。

ホカシ

と云ふ形容詞がそれである。

萬葉集卷一七
〈三九七七〉安之可伎能保加爾母伎美我
〈三九七五〉安之可伎能保可爾奈氣加布

この「ホカ」は「他」の意であるが形容詞を構成して第二活形容詞となる。

損敗他形 〈上減也敗沮也他形者倭言保可之伎可多知〉(新 第廿五)

このホカシキは第二活形容詞の連體形である。かゝる形容詞の存在を前提とすれば聖語藏 天平寶字元年の宣命に

趣異〈志麻爾〉〈爾〉〈支〉事交〈倍波〉

とある 他〈支〉 をアダシキ と訓ずるよりもホカシキと訓じた方がこの場合穩かに意味が通ずるのである。

ニヒシ

〈巻十四、三四五二〉 布流久左爾 仁比久左麻自利

その他の例もあるが仁比が「新」の意であることは云ふまでもない。〈卷十一、二三五一〉新室はニヒムロと訓じ得られるが、これが第二活用となれば新舘ニヒシキムロツミ(日)〈推古紀〉 の形となつて現はれて來る。

イマダシ

イマダといふ副詞が形容詞となつてこれも第二活形容詞となつて現はれて來る。

イマタシクアルヘラナリ (集)

こゝに構成上人爲的な第二活形客詞の性質を見て來た。即ち語幹に意味を持つからそれが形容詞になる場合に人爲的の構成と見られる性質を釀し出すのである。

更にこの人爲的な無理な構成は次への動詞轉換の契機を完全に阻んでゐることに氣付くであらう。かゝる形容詞は最早動詞に轉成することは殆どないと云つてよいのである。こゝでもう一度第二活形容詞の性質を纒めると次の項目の如くになるであらう。

かくして第一活第二活兩形容詞の性質の異同を見て來たが尚補貼後綴俟つべきものゝ多い事を遺憾に思ふ。


初出
國語・國文 8(11): 59—71 (1938)