宛字

序説

太閤の右筆が「醍醐」といふ字を忘れて思案せしに、萬事早速なる太閤は「大五」と教へたりし由相傳ふ。醍醐と大五とは、字畫の繁簡意義の懸隔せること固より霄壞も啻ならず、唯其の音の同じきより通ずる所あるなるが、世人はかゝる文字の用法を許さず、宛字なりとして直に之を排斥す。されど「參議」を「三木」とし、「几帳」を「木丁」とするが如きは、符牒に類したる記法なるが、尚古來通用して一種の便法とせり。薩摩に「五代」といふ地名と苗字とあり、其の「五代」は「五大院」の下略なる「五大」の變字にして、「五大院」は又「後醍院」とも書せしを見れば、太閤が「醍」に「大」を代へたると同じ事の既に世に通用せるなり。同じ「ダイ」といふ音にて、仙・千・千・川などの例も乏しからず。又近江の「余吾」は與胡・余呉・余湖とも記し、平維茂の余五を余吾とも記す例に考ふれば、醐より湖・胡・吾を經て五に至るも當然の事にして、太閤の「大五」は理に於いて何等の不都合なきに、而も世人はなほ之を當然の事として視ざるは、別に事情の存するなり。

そも〳〵漢字は意義ある文字なれば、同音なりとて妄に通用すべからざるは、動かざる根本の定にして、我が國書にありても此の定をば遵守せり。されど外國の意字を用ゐて此の間の事を書記せんとするには、勢おのづから一種の變法を用ゐざるべからず。こゝに記・紀・萬葉の假借法あるなり。片假字平假字の製作あるに及びては、彼の假借法を用ゐざるも能く國文を記すべき理なれども、助辭にこそ假字はふさはしけれ、名詞其の他の品詞に假字を用うるは當時の人の喜ばざりし所にして、一千有餘年の今日も尚その風を改めず、甚しきは指定の助動辭「ナリ」を假名書にしては勢力なき心地すとて「也」の字を用ゐて得々たる文士もある體なり。此等に由りて考ふるに、現時の國文に於ける漢字の用法には、其の根本的正用法と日本的假借法との兩樣の原則あるを認めざるべからず。此の兩樣の法則が、如何に世人に行はれ學者に研究せられたるか、正字學上の緊要なる問題なるべし。

近來やかましく漢字の正俗僞を論ずることの學術教育界に行はるゝは、いづれ正しきを教へんとする良風には相違なけれど、其の説く所は一字一畫の正否にのみ存して、一般に如何に漢字を用うべきかといふ大體を失せりと見えて、吾人の目に觸るゝ印刻物の文字は十年前に比して誤謬を加へたる觀あり。「長處」「短處」のとするは「所長」「所短」に混じたるなるべく、「某氏の述ふるによれば」など記すは「所説」「所述」などいふ文字を知らざるなるべし。所と處と通用するやうに見ゆることも無きにあらねど、其の根本の差を無視するは如何あらん。此・是・之・斯などは、相通の例古くより有りて、根本的の區別をするは誰も難んずる所なれど、さりとて「之ハ」「之ノ」「之等」などいふ字類を見ては一驚を吃せざるを得ず。「達」の字の旁は土羊にして幸にあらず、「聖」の字の下部は王にあらず壬にあらず〓{丿+土}なり。「全」の字の上「内」の字の中は入にして人にあらずなどいふ教も惡しからねど、漢字に篆隷楷行草等の書體ありて、其等の書體に於ける字形の變化を知らざるが如きは、學者論としても成り立つべからず、教育には殊に危險なりと謂はざるべからず。又書道書法といふものありて手書の際に異同の生ずることあるを知らざるが如きも癡なり。 説文と康煕字典とを只管虎の卷と心得たらん人は、日本の辭書は言海なり、日本の語は言海に依據すべしと思ひたらんが如し、志は可なれども愚は憐まざること能はず。要するに漢字の根本的正用法の中にも幾多の種類あるを知らざるべからず。

日本的假借法は、之に比すれば更に多岐にして、或る意義に於いては更に知り難きものあり。記・紀・萬葉の時代に在りては、アイウエオに阿伊字衣於を用うる假音あり、カキケコに香木毛子を用うる假訓あり、「欝膽ウツセミ」「苅兼カリケム」「乞痛コチタキ」の如き二音一字の假借あり、「ム」に「セム」を代へ、「ムグラ」に「六倉」を代へたるが如き代借あり、玄黄を天地の義にとりてアメツチと讀ませ、寒をフユ(冬)、供養をタムケ(手向)などに代へたる借義あり、「二二」「重二」「並二」を「四」の義として「シ」の音に借り、「向南キタ山」を「北山」に用ゐたる戯義借・轉義借あり、其の他異訓・異字・省畫・増畫・減畫の類細別すれば十餘種にも及ぶべし。平安朝に及びては片假字平假字も生じ、漢字も正字正用に近くはなりたれど、前代の慣用の例を承けたる假借字もなきにあらず。就中今昔物語の如きは異字異訓假借字の最多きものにて、此の書専用の字引なくては殆讀み下し難き位なり。遙に降りて大久保彦左衛門の三河物語は近世に於いて異字難字の多きものなり。

さて世にいふ宛字とは如何程のものをいふぞといふに、前に言へる支那に於ける假借をも指す塲合なきにもあらねど、先は日本的假借法の文字をいふが如し。余は此の意味に於いて宛字の現今行はるゝ者に就き、多少の解説を試み、大方の取捨を待たんとす。固より字書風に組織的に之を網羅せんことを期するにあらず、唯思ひ出づるに隨つて之を數へ立てんと欲するのみ。その大略の種類

一、訛字
扨栃など字畫を訛れる類
二、擬字
亂暴・家來・街道・不憫など字音より誤解して故意に強ひたる字を擬當したる類
三、假借音訓
面倒・腕白・千六本・達而タツテなどの類にて宛字の中堅
四、謎字
小鳥遊タカナシ結崎クワンゼ八月朔日ホヅミ四月朔日ワタヌキの類
五、振假名字
情死シンヂウノー洋字ヨコモジ・人ダカリなど振假名なければ別に讀まるべき類

第一 訛字

一 宛

此の字を「アテ」に用うるは王朝の頃よりありしにや、古書にも多く見えたり。今「アテ字」といふ語を「充字」「當字」など記さんも通ぜざるにはあるまじきも、「當字」は「アタリ字」とも讀むべく、「充字」は字をミタすやうにも見えて、「宛字」と書くことの誤讀なきに如かざる心地せらる。抑國字のアテ・アクといふには種々の漢字の當るがある中に、此のアテ字といふ塲合には「猜」「擬」などの意義もあれど、「猜」や「擬」を「アテ」と訓ずる用例あるにあらざれば其等には尚通じ難し。されど「宛」の字「アツル」義なき上は、此の字を用うるも心苦しき廉なきにあらず。

こゝに我が通用文字の筆畫の沿革を案ずるに、畫の繁なるは之を減じ、簡なるは之を増し、或は多少の變更を行ふこと甚自由なりし形跡あり。本誌には活字の都合にて其の二三をも紹介すること能はざれど、唯その一例を擧げん。伊奘冉命の「冉」の字、今は「冊」に作り、伊奘諾命と並べては「サツ二尊」などとも讀むことなるが、「冊」の字を「ナミ」と讀むべき筋は如何にしても見出されず。古書には之を「〓{冊+一}」及種々の形に記せる、皆「冉」の字の變形にして、「冉」は「タン」「ダン」「ナン」の音、其の撥音は「ムバネ」なるより「ナミ」の假借に用ゐられたる者なること、今は學者の定説なり。かくて「アテ」の「宛」は「充」の字の訛變なるなり。充の下部を宛の下部に作ることを第一着とし、次に充の上部の亠を宀冠に變じて、さて「充」は「宛」となり果てたるもの、其の中間の形は「〓{亠/宛-宀}」即「死」の字の上に一點を加へたる者なりしなり。かく言はゞ人或は言はん、『アテの字果して「充」の訛變ならば、何を苦みてさる訛字を用ゐん、「アテ字」「アテ名」「充行アテオコナフ」とやうに正字にして差支なきにあらずや』と。然り、然れども今人が「宛字」其の他の語に於いて「アテ」といふ意義を感得する上より言へば、なほ「充」の字にては不足を覺え、「宛」の字にして始めて落ちつきたる心地するをば如何にせん。此は同語同字より意義及字形の異なる者を分出せる例と見ば、學術上にも許容せらるゝ價値あるべく、又通用に於いても便利なる文字と認むべきにあらずや。

「宛」の字又「ヅツ」といふ接尾語に宛つることあり。此は事柄をそれ〴〵一々に宛つる意味より轉用したるものなるが、接尾語助辭などに強ひて漢字を宛つることは過去の陋習にして且今はあまり行はれざることなれば、「ヅツ」は假名を用ゐて書くを善しとすべし。

二 慥

は「タシカ」と讀む字なるが、如何にしてタシカといふ義に用ゐらるゝといふこと明ならず。此の字此の塲合の外には和漢とも用例なく、唯中庸に「君子胡不慥々爾」といふ語ある、慥々をば「篤實之貌」と注したるより、篤實の義が「タシカ」「確實」といふことになるにやと思ふ人もあり。されど此のタシカの字も我が古書を檢するに皆「〓{心|送}」即心偏に送の字を書けるを見れば、中庸の慥の字にあらざること先づ知らざるべからず。然らば「〓{心|送}」の字は如何なる義ぞと見るに、此はまた漢字書にはふつに見當らざるものなり。是に於いて考ふるに、漢字の匚といふ畫の左下を辶(之繞シネウ)に作ること我が古書一般の習にて、匡・匠・匣・匹などの字は殊に多く見るもの(匠は支那にても〓{一+近}に作れること干祿字書に見ゆ)なるが、此等より類推するに「〓{心|送}」の旁の之繞も〓{匚-一}の變なるべく、〓{匚-一+咲-口}〓{匚+ソ+大}より愜となり、愜といふ本字に歸するなり。此は故佐藤誠實博士の所説なるが、古書の字畫を見ること多きに隨ひて余は愈この説の眞なるべきを信ず。北の頃、日本逸史に載する、延暦十五年五月渤海王の書の禮を失へるを責めたる國書を見たる中に、『今檢㆓定琳所㆑上之啓㆒首尾不㆑既違㆓舊義㆒者』といふ句あり、其の慥は〓{心|送}の本字なる愜より訛れること疑ふべからず。愜はカナフと訓じて、こゝは「首尾カナハズ」なり、カナフは「正にタシカにカナフ」にて、愜の字はタシカといふ意義を有すべきなり。(此の時の渤海王の書に「謹差㆓庭諫大夫工部郎中呂定琳等㆒」とある「庭」の字一本には〓{匚+玉}に作る。前にいへる如く、〓{匚+玉}〓{辷+玉}に作るより廷に紛れ庭とも誤るなり。恐らくは〓{匚+玉}諫と作るが正しかるべし、字義ふさはしく思はる)

タシカといふ語、古はカを添へず「タシ」とも言へるにや、古事記雄畧天皇の御歌に「たしみ竹たしにはゐねず」といひ、允恭紀に「さゝばに打つや霰のたし〳〵に」といふ語あり、出雲國造神賀詞に「大和心〈乎〉多親タシ〈爾〉」とあり、倭姫命世紀の垂仁廿七年の條に鶫倉〓{心|送}ウクラタシカラ島といふ文字あり。(鶫ハ鵜ノ訛ナルベシ)萬葉集に至りて、十二卷に〓{心|送}タシカナル使を無みと情をぞ使にやりし夢に見えきや」といふ歌あり、古義には「慥(舊本〓{心|送}に誤れり拾穗本に從ふ)は玉篇に言行相應貌とあり云々」と注せり。此の考誰にも起るものと見えて、漢字の慥にて可なりといふ人もあれど、余は從はず。三善清行の十二條封事の中に

伏望申勅㆓諸國㆒差㆓史生以上一人㆒率㆓祝部㆒令㆑受㆓取此祭物㆒〓{心|送}致㆓本社㆒以存㆓如在之禮㆒(第一條)

伏望依㆑舊置㆓判事六人㆒皆擇㆘明通㆓法律㆒者㆖補㆓任之㆒使㆘之倶議㆓科文㆒詳定㆗修章㆖各〓{心|送}㆓其意㆒(第六條)

〓{心|送}の字は二つあるを、言行相應・篤實之貌を以て解すべしや。愜は、字彙に快・足・適㆑意也、應劭曰志滿也と釋し、それと同字の〓{篋-竹/心}には漢文帝紀の天下人民未㆑有㆑〓{篋-竹/心}㆑志といふを引き、康煕字典には説文の快也を引けり。今此の清行の文の第一條のは今のタシカニといふに略同じければ、篤實などの義に當らざるにはあらざれど、第六條のに至りては文帝紀の文の如く快・足・適・滿にあらざれば釋すべからず。さるは此の刑罰を定むるに判事の數を少くしては寃罪或は過重の刑を課する恐ある實詞を擧げて、民意の滿足するやりに設備すべしといへるなれば、愜其意とありてこそ文義もよく通ずるなれ。和訓栞に又類聚國史の「上下不㆑慥欵」とあるを引けるが、此も亦愜の義なり。日本書紀に「切」の字をタシカと訓じ,新撰字鏡に「綢」を釋して纒也、韜也、綢繆密也、束也といひ、「繆」には靜也、綢也、纒綿也と釋し、二字の下に「太志加爾タシカニ,又牟豆万也加爾タヅマヤカニ」(睦やかノ義カ)と訓じたる此等の切や綢や繆は慥に近しといはんか愜に近しといはんか、讀者おのづから判斷する所あるべし。更に言はゞ、清行の慥致は副詞なれば某々の貌をいへる語より轉じたりとも謂ふべし、其の慥眞意に至りては、貌語より動詞に轉れりとは、如何に日本人の和習的漢文なりとも、有るべき事とは覺えざるなり。

さてタシカを假字がきにせるものに、竹取・空穂・源氏・枕草紙・宇治拾遺などに彼此見えたるが,古今集の序に喜撰法師の歌を評して「詞かすかにして始終たしかならず」といへるを漢文の序には「其詞花麗而首尾停滯」と作れる、拙語にはあれど、「停滯」は「不愜」に通すべきも「不慥々」にては全く句も義も成さゞるべし。


前號補 ○慥字の項

源氏物語末摘花の湖月抄頭注に白樂天の三友の詩句を引きて「一彈カナヒ㆓中心㆒」とせる愜の字を萬水一露には〓{心|(匸-一+咲-口)}に似たる〓{心|匚+介}と作りて「タクマシフス」と右訓を施せるは、愜に足滿の義あるに叶ひ、史記司馬相如傳の「愉乎」を八尾板の右訓には「ヨイカナ」とせるに、左訓には「タシカナルカナ」とせるは、愜に快の義ありて愉とも相通ずるよりの古訓なるべし。


三 ケ

片假名「ケ」を「カ」「ヵ」と讀むこと不審なりと一般の人の言ふはさることなれど、誠は此の字の「ケ」にあらずして漢字の「个」なり。个は、古賀の切又居賀の切にて音歌、枚也と釋する字、枚は即「箇」にて今之をヒラと狹く訓ずるには限らざるなり。我が古文にては枚を常に箇の義に用う。箇は説文に竹枝なりと釋し、韻會に「徐曰、人言㆓一箇一枚㆒依㆓竹木㆒而言㆑之」とあり。けだし「个」は竹の字の片傍なるべし。又个は介と相通じ、介は音カイなるよりケともなれば、片假字のケも此の个の字の草形なる平假名「〓{个の草形}」より出でたりとも言はる。されば「三ケ日」「十ケ月」など用うるは訛れる中にても正用にて、「鶴ケ岡」「市ケ谷」など用うるは助辭の「ガ」に代へたるにて、更に轉用せるものなりと知るべし。

四 〆

此の字を「シメ」又は「シメテ」と讀むこと如何なる仔細か明ならず。嬉遊笑覧に「今封のしめを〆と書く是引墨なり。北山抄に封字のかはりに近代は忽引墨とも見えたり」とあり。引墨とは封じ目に斜なる十字形の墨を引くことにて、今も用ゐ、支那にもある風なるが、其の×と二筆に書くこと少し文字らしく〆としたる由なり。然るに安齋隨筆には、之を「卜」の字と見、卜占の卜にて「シム」と訓むより用ゐたるなりと説けり。余思ふに、後説非にして前説正しかるべし。然れば〆は原は符牒に過ぎざりしが、文字の樣になりたるものなり。之を「貫」の字に代用するは一貫を一シメの義に取りたるもの、「合計」の塲合に用うるは「シメ」といふ讀聲より借りたるものなるべし。

五 匁

を和字と思へる人多し、或はさも言ふべし。されど此は「錢」の一體なる「〓{錢の一體}」の少しく畫を變へたるのみにて、尚訛字といふを當れりとすべし。此の「〓{錢の一體}」の字、支那にては常に「錢」の略筆の如く使用し、我が國にては徳川初世の板本また之を用ゐ、今の「匁」の如く第二畫を横斜に曲ぐることなし。此の字を「錢」の省畫なりとは既に古人の言へる所なるが、余の淺學いまだ其の由來を明に記せる書を見ず。案するに、「錢」の金偏を省ける「戔」の篆體右方の兩點なき「戔」即「〓{戈-丶}」を重ねたる形を、匆の如く畫の斷續を混視し、「勹」の内の二線を一線にしたるにもあるべきか。然らば「〓{錢の一體}」の第二畫を曲折して今の「匁」と作るも、原形より見れば無理なる訛にもあらざるべし。錢は錢貨の稱にして又量の名、一錢量を一文目といふは錢を文に代へたるのみ、「一匁」を一文目と呼ぶはといふ語を餘分に添へたる讀法にて、又「一セン」とも讀むべきなり。匁は和字にて文目モンメと訓ずるのみ音はなしといふは、通俗の言なり、「文」の字と片假字の「メ」との合字なりといふは謬説なり。

六 鍄

をカスガヒに宛つるは、漢字に無きことなれば、和字なりと謂ふべけれど、此また訛成の字なり。カスガヒといふは、今は兩端の曲れる一種のつかみ釘に言へど、其の本は懸金の如き一種の鎖鏁なり。皇太神宮儀式帳に、「戸具、鎰一勾、鎹六勾、雉立二枚、引手二勾、徑四枚、戸坏四枚、蟹目釘十二隻」と見え、延喜の木工式に鐵工の功程を記せる處に、「擧鎹〈莖三寸環九寸〉云々」「鎹舌〈長八寸廣九寸〉云々」とし打合釘・呉釘・平釘・丸頭釘などゝ並べ出し、和名抄に門戸具の部に「鎹、功程式云擧鎹〈阿介賀須加比、今/案鎹字本文未詳〉と記せる、箋註に、此〈の〉字を皇國所製の會意の字ならんといひ、「按鎹施㆓之戸内㆒所㆔以持㆓關木㆒者、擧鎹亦鎹之一種、蓋有㆘戸内下方施㆓竪關㆒閾上作㆑牝閉ホゾアナ㆑戸則竪關下入㆓閾牝㆒不㆑能㆑開者㆖今俗呼爲㆓左留サル㆒擧鎹謂㆘持㆓左留㆒者㆖也云々」とあり。此等の鎹といふもの果して此の箋註に説ける如くなりや、俄に信ずべからずされど、今の鍄にあらざるは明なり。筆の靈に「擧鎹は今の棹かきがねなり。カスはカセ杖のカセと同じく、カヒは食合カヒといふ意にもあるべし」といへるは、管なれども大體を得たり。延喜式に鎹舌といへるもの何なるを知らずといへども、鉸具ビヂヨガネに類せる者かなども思はる。下學集に鉸をカスガヒに當てたる、參考すべし。催馬樂貫河に「かすがひも戸ざしもあらばこそ其のとむのと我さゝめ云々」といへるカスガヒは懸金なることうつなし。新撰字鏡に「録」を釋して「力玉反、具籍也,第也、加須加比」とせるは、字義いまだ知りがたし。

然るに、此の鎹の形と用法との類似せる爲なるべし、何時の程よりか今のカスガヒ釘を稱することとなり、元祿九年刊の和字通例書に「俗用㆓〓{金|系}字㆒」とあり。〓{金|系}字は系に繋・繼の義あるより造れる此の間の會意字なるべし。新撰字鏡に「鎖・鏁」を加奈保太志カナホダシと訓じたるは、文字は正に懸金の方なれど、訓は釘の事とも聞ゆれば、當時已に兩種相通の姿ありと謂ふべし。釘絆・螞蝗絆などいふ又字はカナホダシといふ語に叶へるが、今は支那にて金石陶器などを繋ぐに用うるカスガヒをば鋦といふ由なり。さて〓{金|系}字を銯と作るは、減畫の書か、物を糸して縫ひ繋ぐ義にとりて自然に訛れるか。銯の字出で來てより、糸と京と行草體して字形の相混ずるより更に訛りて鍄といふ字を成せるなるべし。カスガヒに懸金なると釘なるとの兩義ある中に、今の釘の義なるに鎹〓{金|系}字銯鍄の四字あること、文字の變遷の珍しき例といふべし。

七、栃

をトチと讀む、之を和字といふは例の難は無かるべし。さらば如何なる義にて造れるぞといふに、答ふる由なし。此の字又「〓{木|(厂+兮-八)}」とやうにも書くは、畫の類似にて定めて誤ならんと思はるれど、栃を正とし〓{木|(厂+兮-八)}を誤と判斷すべき典據はといふに、今の通用の多少の外には又答ふべき由なからん。言海には杤といふ字を當てたるが、世には杤と書くことも無きにあらず。又橡の字あり、杼の字あり。此等六字の中に何か正しきと言はゞ、今の漢字書本位の人は「橡」を取るべきか。されど此はツルバミとも讀む字にて、トチには限らず、又漢字は物名に當つること最困難にて殆推定しがたきものさへ有るを思へば、生物知のやうに斷じ過ぐるもいかゞなり。「杼」は、莊子に「杼栗」とあるより栗の屬トチならんと推定せるものか、櫲樟の櫲の傍を二分して杼とも橡とも書けらんものと見ゆるはなど思はるゝもをかし。とまれ今の人は普通名詞には此の二字の中を擇ぶなるべきが、地名に至りては、前の四字の中を書くことなるべければ、今はもはら其の四字を沙汰すべきなり。古書を調ぶるに、類聚名義抄に「杤」をトチと訓じたれば、よし傳聞の誤ありとしても新しきにはあらじ。百をドヾ又ドンドと讀み、「度」を加へて百度ヅンドなど讀むは十の十倍即十十トヽの義に取れるを見れば、万を千の十倍即十千トチと言ひなしてトチの木を「杤」と書くこと、有り得べく有りぬべきことなり。こゝに思ひつきて大日本地名辭書を撿するに、下野都賀郡の〓{栃-力+(一/力)}トチ(重松イフ、栃ニアラズ)の條下に、

〓{木|(厂+兮-八)}(重松イフ、〓{栃-力+(一/力)}ニアラズ)字は絶えて古書に見ざる所、云々。トチは元樹名菓名にして橡杼もしくは杤字を充用す。其杤は本邦制作の文字なれど、十千を萬とするの義に取る、會意曉然たり。鎌倉大草紙、結城陣の交名の中に、朽木・加園と見えたるは、必定本郡杤木・加園二地の在名を唱へし將士なり。〓{栃-万+(弓-┐)}字に至りて殆他に所見なし、恐らくは淺人の所爲に出で、官公誤りて之を依用したる者のみ。〓{栃-万+(弓-┐)}字は漢字典にも見えず、全く出據を缺ぐ)國誌、杤に作り、地誌提要、橡に依れり、尊攘記事は櫔字を用ゐたるが、亦一譌を加ふるのみ。

と記せり。此の文にて、栃も〓{栃-万+(弓-┐)}〓{栃-力+(一/力)}も皆訛字なるを知るべく、櫔に至りては漢學者の愚たゞ滑稽と謂はざるべからず。思ふに、杤の字は朽に誤られ、さてはクチと讀むべきに気づき、上に雁埀の二畫を増せるものが、栃〓{栃-万+(弓-┐)}〓{栃-力+(一/力)}の三字となれるなるべし。さて十千の万は〓{一/力}と作るべからざれば、〓{木|(一/力)}の訛字、〓{栃-力+(一/力)}の重訛なるは爭ふべからざるが、万は卐の變形字なりとすれば、漢字の根本に於いて万と〓{一/力}とも畢竟何の擇ぶ所なしと言はるべく、〓{木|(一/力)}〓{栃-力+(一/力)}も許容せられざるにはあらじ。橡杼杤〓{木|(一/力)}〓{栃-万+(弓-┐)}〓{栃-力+(一/力)}櫔、あゝ紛糾訛誤も是に至りて極れりといふべし。余は政府が速に栃の如き愚字を捨てゝ造字本初の杤の正しきに依らんことを希望して巳まざるものなり。

第二 擬音字

今諸學校にて生徒の誤字宛字を書く者多きを歎ずる其の宛字の多數は、世には通ぜぬ一人限の宛字にて、畢竟は誤字とも謂ふべきが、適その字音などの通ずるより許して宛字とはいふなり。國語には音訓の區別の明ならざる者あり、又字音なりとは推定せらるれど、漢籍に思ひ當らざる語には隨時おもひ〳〵の文字を擬してに合すること、無理もなき次第なれど、學者は又其の當否を研究して之を一般に報告するも無用の事にあらじ。さて前號序説に言へる、長處短處の處を所に誤り、特徴を特長とし、神髓を眞髓に作るが如き近來の誤用は姑く措きて、やゝ古く一般的なる擬音の宛字を取ひ出で見んとす。(字音を訓語に宛てたるは次章に(讓りて此に出さず。)

八 愛嬌

人の言動相に「愛嬌」といふケウの字通ずべきが如くなれど、嬌の本義より言ふときは、コブルやうの氣味ありて其の人を好く言ふ事には當らず。此の語の本字は愛敬アイキヤウにて、愛すべく敬すべき所すなはち愛敬せらるゝ所を言へるなり。かくて愛敬の二字連濁にてアイギヤウと發音し、其の敬は添字の如く意味輕く二字にて「愛」の一字ばかりの意味に用うるやうになりしが、漢字の隆興時即徳川氏の頃には此の連濁といふ事やう〳〵廢れ行きてアイキャウと發音する事とはなれり。ここに漢籍にいふ愛ケイは人を愛し敬することなれば、それを本と心得たる人は意義に相應せざる字面なるを感じ、遂にあらぬ矯の字を宛つるに至れるなり。愛ギヤウの本義は愛すべく而も敬すべく、狎るべからず、上品なるに在れば、嬌とは書くべからざるなり。同字を漢音呉音にて讀み分くること不便なりといふ人もあるべけれど、萬歳を「バンゼイ」「マンザイ」「バンザイ」と讀み分くる例もあれば、已むことを得ざるなり。

九 鹽梅

といふ字書經より出でゝ調味料理の意に廣く用うること誰しも知る所なり。然るに増補俚言集覽には之を附會なりとして安排・按排の字を取れるはいかゞ。莊子に安排の字ありといへば、それもさることなれど、尚我が國語となれるアンバイは鹽梅なるべし。按配といふ字も義をなせば、此等は適當なる塲合には通用すべきか。

十 右筆

此の字雲州消息・難太平記などに見えて執筆の義なるを、秘書の意にも用うるは右筆者の義なり。祐筆と書くが非なる由は伊勢貞丈言へり。平家物語卷一殿上闇打の段に「われ右の身にあらず武勇ブヨウの家に生れて」と弼の字を書ける本あるは、文を以て政務を補弼すなどいふ事に思ひよそヘたるのみにて、當れるにはあらじ。

十一 一應・一所・一圖・一過

國語のイチオーは一ワウにて一ワタリの義なること論なし。一往といふ語、通鑑漢献帝紀にありと諺草に云へり。一應は無意味に書き出せる字かと思ひしに、支那の俗語にありて、一切の義、「一應財物」「一應親戚故舊」なき用うるなり。往はユク・ワタルにて應とは混ずべからず。共にすることを『イッショ』といふは一處なるべし。一所と書くは字畫の簡なるを用うるなり。一緒は物好なる人の書き出しけん字か。イッシュ又はイッシュウとも言ふは訛言にて其より一集などいふ字を出でたるか。一筋なるとイチヅといふは一途の字なり。一圖と書く人あるは、近頃漢音流行して一途を「イット」と讀む別義の語あればなるべし。「一過イツクワは凌ぐ」などいふ一過といふ字當れりや。諺草に邵康節の「風花雪月一過乎眼」といふ句を引きて、「かりそめなる事」と解せる、さもあるべきか、斷じ得ず。

十二 衣桁

ケタの桁の字を書くこと,其の形より見れば通ぜざるにもあらねど、尚古來「衣架」と書けるイカの音便にて長音になれるものなること疑なし。

十三 街道

といふ字何時頃より有りや、腑に落ちず。古は皆「海道」とこそ書したれ。是は、諸國往還の大道は、東海道を海道と略稱せしに傚ひて海道といへるにて、其の義よく聞えたり。街路と言はゞ街衢の路として通ずる常語なれど、街衢を外れたる田野山澤の道を街道といふことあるベからず。

十四 岩乘

丈夫なるをいふは、馬の岩石をも乘るに堪へたる義なりといふは信じ難し。強性ガンジヤウなりといふは稍考へ得べし、或は強情にや、強盛とも書けり。東北地方にては牝馬を雜役ザフヤク、牲馬をガンジョウといふ。岩牆・岩重・五調・頑丈・岩丈・岩疊など種々の字あれども、據る所あるを聞かず。凡俗語には此の如く語原の明ならざる者隨分多し。以下悉く擧げず。

十五 鬼胎

危惧するを「鬼胎を懷く」と書くは、字面人の意表に出でて面白けれども、危殆キタイの本字なること疑ふべからず。疑殆とも宛つるは面白からず。

十六 奇態

は正しき漢語にて通ずるが如くなれども、不可思議の義には少し物遠し。「希代キタイ」の字面古より有れば、希代を正字とせざるべからず。今言ふキタイは奇の義にはあらで、めづらしく希有ケウの意なること、愛敬の愛嬌にあらざると相似たり。

十七 下郎

にても下人の義は聞ゆれど、此と對する上臈を上郎と書く事なければ、なほ下臈も捨てがたし。更に案ずるに下司ゲスといふ語も今下人の義に用うれど、誠は文字の表す如く下役人の義より一般の下人にも用うるにて、下臈も官位の低き下級官人を言へる言の轉用せらるゝなるを知るべし。此の如く我が俗語には官塲用語の成り下れる者あるを忘るべからず。

家來は家禮なるべき事古より詳説あれば、(家隷といふ説は漢語に泥みたるものなるべし)此に揚げず。

十八 火闥

の文字明ならず。饅頭屋本節用集に此の火闥といふ文字を用ゐ、骨董集には火燵と作り、今も多く使用す。また火踏といふ字あり、炬燵は最新しき字ならむ、最意を得ず。コタツのコはクワの唐音的變音なるべきは論なし、唯タツの字は闥にても燵にても通ぜず。案ずるにキャタツといふもの踏次・踏臺の如きを稱するが、言海に脚榻といふ字を充てたり。脚榻は早く庭訓往來に見えて、貞丈は之を竹床の類なりと釋せるが、恐らくは禪僧などの傳來せる足臺の類なるべく布施物を列擧せる處に掲げたるにても推想せらるゝなり。此の脚榻を昔よりキャタツと讀めるにや、榻の音タフはタツと轉讀せられざるにあらねど、此の物今の支那語にてに脚搭子キヤタツといふなり、搭と榻の假借なるべく、子を添へて之をツといふは一般の事なれば、脚榻子と書きてキヤタツと讀むが最適當なるべし。是等より推量すれば、コタツは火榻子コタツなるべく、火踏といふ字面が最近きが如し。榻の字當るべしと思ふは、コタツの出來始は專足を暖むるに用ゐしやうにて、其の時代も是等の唐音とふさはしく思はるればなり。

十九 再々

再三といふ字に對して通ずるやうなれど、さては又再三より度數の少きやうにも思はる。此は度々ドドといふ語の度々タビ〳〵を音讀せると同じく際々キハ〳〵を音讀せる者なるべし。

草紙・草子のサツ子を長音便に言へるに宛てたるなるは特に言はず。

二十 辭儀

といふ字、今の儀式の言辭といふ如き意味には適當すれど、古には無き字なり。ジギは尚時宜にて時の宜しきに叶へる挨拶の言辭・會釋・謙讓・辭退・態度等に亘りて稱する語なり。叩頭・低頭など書きてジギはオジギなど讀まするは皆振假名宛字なり。挨拶はウツ義にて應接贈答などの意は直接には無けれど、アドウツ如く彼我互に挨拶問答する禪家などの作法より今の用法に轉じたるを併せ思ふべし。

二十一 司配

といふ字、ツカサドルといふ義を聞かせんとての思付と見ゆれど、支配といふ通用字にて其の義はあるなり。俚言集覽に、尾陽漫録を引きて胡三省通鑑の注に『支は分なり配は隷なり支記は今人の品配と言ふが如し』とあるを取り、官僚の屬類を支配といふと解せるぞ當れる。かくて名詞より動詞に轉ぜるか、又は始より動詞の義もあるなるべし。

二十二 吹嘘

といふ字面、一見目遠けれども、推擧といふも事々しく當らざる塲合多きを見れば、なほ吹聽・披露などに近く、吹嘘の字の古きに從ふべし。

二十三 所帶、所爲

ショタイ又セタイといふに世間に出でゝ一身代を持つやうの意あるより世帶を正字正語と思へる人多し。されど其の帶の字の解しがたきを如何にせん。所帶は所領と同じく所帶之庄園の義にして、財産又は一家などの義と轉ぜるなり。ショをセと轉ずるは御所ゴセ膳所ゼゼの例にても知るべし。タメといふ義にセヰといふも所爲シヨヰの轉なり、セイにはあらず。此の語所以シヨイにても解すべけれど、所以といふ字は我が國にて古來音讀して用ゐぬものなれば、縁遠きなり。

二十四 千六本

大根を細く切りたるを千六本といふは面白き字面なり。されど總べて野菜などを「セン」に切るといふ、其の「セン」が「千」ならば、大根の塲合「六本」は餘分になりて整はず。「セン」は纎にて、葛切を水纎といふ如く、纎蘿蔔センローフーの轉音なり。大根は、けだし外域のものにて支那にて音譯して蘿蔔とも莱菔とも記す、その音ローフーに近きより千六本と訛れるなり。

二十五 折檻

此の字、朱雲の故事より出づといふは如何あらん。責勘などが却つて當れるにあらじか。切勘とも書きたれば、切諫の字も有るべく思はる。諫の字イサムと訓じて、同語には上より下に對するにも用うるなり。

二十六 大層

の字解しがたし。大壯・大造などの字もあれど、大相が最當れるか。或は又サマの音便なるサウにて、大樣オホザウといふ語の上を音讀せるか。

二十七 丁稚

弟子デイシを促めて言へる轉音なり。丁兒の轉かといひ、雙角を双陸の賽の重一デツチ(此も出一デイチの轉か)と見て云へるかなどいふ、皆非なり。

二十八 暢氣

呑氣など書き、又ノビ氣なりともいへど、俚言集覽に��氣ノンキなりといへるが近かるべし。��は暖と同字なり、瞹簾のナンレン・ノウレンと讀まるゝ類なり。

二十九 腑甲斐なし

の腑の字、解すべからず。或は天賦の賦にもあるべきかとも思へども、甲斐ナシにて事足りたる語なるより考ふれば、「不」の字にて二重打消の語にもあるべし、「瞹眛」「緩慢」などいふ方言の「不」も同樣なり。(腑拔フヌケの甲斐なきにはあらじ)添へて言ふ、憫然なることを「不憫」と書くは此の二重打消にはあらで、不便の誤なり。不便は便ならざる本義にて、他人の逆境に在るに同情して言ふ語なり。

三十 閉口

答へ得ずして口を閉ぢて屈服する義に通ずれど、平降といふ字も八幡愚童訓に見えて捨てがたし。又閉口は十訓抄に見えたれば新しき字にはあらず。されど俗に屈服を降參といふ如く、平降の方その義廣く、閉口は狹ければ、平降の字正しかるべし。

三十一 メウ

名字ミヤウジの誤なること定説なれど、なほ俗用には苗字を以て氏の小なることを表すべきか。

三十二 埓も無い

埓明ラチアく」は正字なるべきか、疑はしきが、「ラチもない」ラチは「臈次ラツシ」の轉音なること疑ふべからず。

三十三 亂暴

通ずるが如くなれど、語の歴史は濫妨にて、鎌倉時代に他の所領を濫に妨ぐるを稱せし語なり。其の後には亂防などいふ字もあれど尚非なり。

三十四 立派

和訓栞に、「立羽の字にて鳥の羽をのすに比したる詞なりといへり。されど立派の音なるべし、一派を立つるといふと同じ意なり」といへるは受けられず。扶桑略記に『延文四年十月廿五日行㆓幸圓宗寺㆒始修㆓二會八講㆒有㆓因明論義㆒問者云立㆓破眞僞㆒无㆑過㆓因明㆒』とあり,法然上人繪詞「凡立破の道は先所破の義をよく〳〵心得てこそ破する習なるに云々」とあり、空海秘藏寳鑰に「今造㆓諸論疏㆒者皆破㆑他立㆑自」などあれば、破他立自の論法のあざやかなるを言ふより出でたる語にて立破を本字とす。右は俚言集覽に梅園日記稿を引きて載せたる所なれど、一般の人の爲に此に掲ぐ。なほ平家物語宗論(秘句とて普通本になし)の中に、『成佛遲速の立破には云々』といふ語ありてあざやかなる義に用ゐたり。此の立破を長門本には「流派」と書き、肝文の卷及植木氏本には「リツハ」と假名に記せるを見れば、昔は之を「リウハ」とも言ひしなり。

三十五 横着、横柄

横着とは何の義ならん、東京地方にて「オーヂャク」とて、濁る處あり、もしは尫弱ワウジヤクにはあらじか。尫弱は東鑑太平記などを始め古書に見ゆる語にて、威勢なく虚弱なるをいふ語なり。此の語、人を侮蔑する語となりて、強情我慢不敵など横しまなるを憎み言ふことゝなりて横の字を宛てたるなるべし。横柄は又解すべからず。柄は權柄の柄の意か。俚言集覽に「七夕や左肩でおはすらん」といふ句に「横平に出た月の下影」といふ句を附けたるを擧げたり。案ずるに倨傲なるをオホビラといふことある、それを「大平」と書きてさて下の字のみを音讀して「オホヘイ」といふにはあらじか。試に記して大方の教を待つ。(第二をはり)

第三 音訓假借

平假名片假名が漢字の音訓を假りたる者なるを知る時は、謂はゆる宛字も亦音訓を假借するに於いて極めて自由なるべきを想ふべし。其の音にして他の音を假りたるは、前回之を擬音字として概説したれば、今は訓なるに音を假りたる、他の訓を假りたる、或は音なるに訓を假

甲 訓なるに音を假りたる
柄杓ヒシヤク美事ミゴト、面倒、腕白、可愛
乙 訓なるに訓を假りたる
穴賢ナカシコ浦山敷ウラヤマシク六借ムツカシ羽織ハオリ

の類を述べんとす。(音なるに訓を假りたる者は殆無し)而して此等の宛字を品詞の上より見るに、全然其の異同を顧みざるものにして、其の矛盾の中に一種滑稽的なるをかしみを感得したる者の如し。前例「ヒサゴ」といふ一語を「柄杓」の二字に分ち、動詞の「見」を形容詞の「美」に變へて「美事」とし、感動詞の「アナ」を名詞の「穴」にて寫し、「羨シ」といふ一形容詞を二名詞「浦」と「山」とに動詞「敷」を加へて三字とせるが如く、「也」といふ感辭を指定助動辭「ナリ」に宛て、「得」といふ動詞「共」といふ副詞を「候ヘドモ」の動詞の語尾とテニヲハとに宛て、名詞「」をテニヲハに宛てゝ「ムネの者」など用ゐ、「タク」といふ動詞を希望の助動辭又は形容詞の接尾語とし、「マツ」(變畫俣)といふ動詞を「マタ」とし、「股」の如く名詞に用うる類あり。又品詞は相當れども其の意義同じからざる者あり。「アナカシコ」のカシコは恐惶の義なれば同じ形容詞ながら「賢」とは異なるを、國語の「カシコ」は「恐」も「賢」も同義なるより相通用するなるに、漢字本位に沒頭せる人は此をも不當の宛字とすべし。「ハヌ」といふ動詞には「撥」「跳」「刎」など當れど、三字を通用しては義をなさざるは誰も知れる事ながら、「カヌ」といふ動詞の當る「兼」の字を、前以て未來を兼ぬる塲合に、「兼ねて」など用うるは誤れりとする人あるは如何あらん。「豫」は「アラカジメ」とこそ讀め、「カネテ」と讀む慣例の成り立たざる今は、なほ「兼」の字を正用のものとすべし。「難」の義の「參り兼ぬ」などは宛字の類に入るべし。

固有名詞特に地名の大部分は音訓假借の文字に依ること誰しも知る所なり。是は今の北海道樺太の地名の無理千萬なる宛字を用ゐたるにても推知すべく、古は其の上に二個の佳字を配用せんなどの餘計なる注文まで附けし爲に、愈むづかしき者となりたるなり。此等の地名が苗字となりて更に紛亂を重ねたり。明日香アスカ安宿アスカ飛鳥アスカ」 阿提アテ在田アタ足代アテ安殿アテ」 イヌヰ犬居イヌヰ」 石禾イサハ伊射イサハ」 伊能イノウ稻生イナフ」 上田ウヘダ植田ウヱダ 江藤エトウ藤」 島、島、島、島」 小坂ヲサカオホ坂」 小原ヲハラオホ原」 垣内カイトウ 海東カイトウ」 狩野カノウ鹿野カノウ野、野、野、輕野カノ、(伊豆)神野カノ(常陸)、簡野カンノ菅野カンノ加納カナウ嘉納カノウカナフ賀名生カナフ金生カナフ」 コン今野コンノコンノ、昆野コンノ金野コンノ紺野コンノ」 佐川サカハ佐河サカハ逆川サカハ酒勾サカワ」 坂田、酒田、佐方、佐潟、相方サカタ坂芥サカタ」 櫻井サクラヰ佐倉井サクラヰ柵瀬サクライ」 鈴木スヾキ鐸木スヾキスヾキ」 綴喜ツヽキ筒城ツヽキ津筑ツツキ、都筑、綴、津附」 逗子ヅシ圖師ヅシ都志ツヾシ」 土肥ドヒ土井ドヰ土居ドヰ」 半田ハンダハン田、ハン田、ハン田」 ハタハタハタ秦野ハタノ、波多野、旗野」 逸見ハヤミ逸水ハヤミ早水ハヤミ邊見ヘンミ逸見ヘンミ」 三屋ミツヤ三津屋ミツヤ御津屋ミツヤ三矢ミツヤ」 門傳モンデン門田モンデン文傳モンデン」 モリモリ毛利モウリ」 柳井ヤナヰ簗井ヤナヰ矢内ヤナイ」 猪狩ヰカリ五十里イカリ井狩ヰカリ」 此等の同音もしくは同語と見做すべき者にして文字の異なる者は實に無數にして、二種以上の記載方なきが寧極めて稀なる珍例とす。およそ此の如き者は今詳説せず。以て少しく普通語につきて音訓假借の例を示さん。

三十六 齷齪

の音轉訛して「アクセク」となりたる者と考ふるは、宛字の中にても無理のなき方なれど、固有語の形容を言ふに、「アツクリ」「ワク〳〵」「セク〳〵」などの例多きを見れば、字音説は信ずべからず。「阿房」「阿呆」「安本丹」の類も同じく愚癡を形容する固有語なり。

三十七 淺間し

の「間」の字の假惜なるは、「淺マシ」「淺マシ」など書くにても之を知るべきことなるが、更に考ふるに「淺」の字も義には當らざるが如し。さるは「アサマシ」は「淺シ」を語原とせず、又「アサム」といふ動詞よりもあらで、「冷笑アザワラフ」などの「アザム」といふ動詞よりシク活形容詞に轉じ、其のサをみたる者と解するが至當なればなり。「アザム」の語原もし「アサム」に在りとせば、「淺」の字義に叶へることゝなれど、今は「アサム」といふ動詞あるにあらざれば、「アサマシ」は「アザム」より出でて、「淺」とは直接に関係せざる者と定めざるべからず。

三十八 一天張

一向なるをいひ、一點張とも書ける、此の「天」「點」の義解し難し。此の語の賭博より出でたること明なる上は「一張」の撥音便なるべきこと推測するに難からず。(「デヾ虫」を「デンデ虫」といふ)

三十九 イトし、糸惜し

「糸惜シ」は平安朝より有る字面なるが、「最惜イトヲシ」の義にはならで假名違イトホシ」の義なり。「厭フ」の形容詞となれる「ハシ」の轉語にて、(「痛ハシ」の義にはあらじ)人の幸よからぬを厭ひ、又人の上に好からぬ事の有らんとするを兼ねて厭はしく思ふ我が心の状態にて、(「氣ノ毒」に似たる點あり)やがて人に同情することの切なる意をも愛する意をも表すなり。俗に之を訛りて「イトシ」ともいふに、「愛シ」と書くは近頃の人の強ひて宛てたるもの、固より通用すべくはあらず。小兒を「イト」といふは形容詞の語根を名詞にしたるもの、「甚」「尤」の義の「イト」といふ副詞と共に、名詞の「糸」を宛つるは寧罪なしとやいふべき。

四十 榮西

建仁寺の工事に榮西が己の名を懸聲にして呼ばしめしより起るといふは、例の牽強なり。「エイヤサ」とも「エンヤサ」とも「エンサカホイ」とも、「ヨイヤサ」とも「エツサクサ」とも「ヨイシヨ」とも色々に言ふ、皆自然の固有の聲なり。(此の類以下擧げず)

四十一 鷹揚、鷹、大手

大風オホフウなることを大樣オホヤウとも言ふを、鷹揚と書くは、工夫し得たりとも謂ふべし。されど揚は悠揚、揚々の揚にてよけれど、鷹は畢竟附會に過ぎず。凡國語の熟語は音訓相雜る重箱湯桶の類を正例とせざれど、「ヤウ」の如きは音ながら十分に國訛したる語にて、訓と同資格を有して「オホ」などの訓語と相熟するなり。次に應答の聲の「オウ」を「應」と書くも甚いはれなし。「應」は動詞にて應聲にあらず。應聲には支那に「アイ」といふ字あり、字彙に之を「慢〈ニ〉コタフル聲」と釋したれば、此の字を我が應聲「アイ」に宛てん方はやゝ恕すべし。序に「ノウ」といふ感聲に「喃」を宛つるも非なり。喃は「ナン」「ナウ」なるが、我が「ノウ」は本來「ノウ」にして「ナウ」の合呼にて「ノウ」となれるにはあらず。次に「大手」は「オフ手」とも書く、語原定かならざれば、假定と共に孰れを正字とも定めがたし。將棊の「ワウ手」といふも此の大手追手の轉用なるべきか。王將に迫る手とやうに解するも如何しき上に、將棊のワウ將はギヨク將の誤なりといへば、旁三字を合せて疑ひさし置くべきか。

四十二 可愛、廉、駕籠、瓦斯

「カハユキ」を「カハイヽ」「カアイヽ」と訛りて「可愛」などの宛字となれるは説明を要せじ。諺等に之を反對に説けるは例の漢意なり。「一廉イツカド」「前廉」「廉々」など「段」とか「件」とか謂ふべき處に「カド」といひて「廉」の字を書くこと、不當なるが如くなれど、「角」のカドと多少用法を變へたるは自然の成行なるべきが、やゝ面白し。角、廉、才、智、みな「カド」と訓ずべく、カドに段件などの義あれば、漢字を宛つる塲合には前の塲合の如き、廉の字最適せりといふべし。次に「籠」は古は「コ」とのみ言へれど、後世は専「カゴ」といへば、「籠」一字にて足るべきに、さては人間乘用の物と魚菜などの籠との區別なきにより、言葉には「ノリカゴ」と言はざれど、文字にのみ「籠」の字を加へて「駕籠カゴ」と重箱讀の如く見せかけたる、一種の現象なり。瓦斯はガスの假名違の宛字なるに、字を見て「グヮス」「グヮシ」を正音と思ふ人ありたらんには氣の毒といふべし。外國音の宛字には此の種の危險頗多し。

四十三 貴樣

昔はキヤ ̄ウと音讀せしこともあれば「貴樣」は「貴殿」と同じく貴の本義に用ゐられたるかとも思はるれど、固有語「キミ」を略して「キ」とのみ言ふこと、「樣」を「サ」、「殿」を「ド」といふと同じく古よりの慣例なれば、「キサマ」は「キミ樣」の略なりといはんが穩當なり。「兄」「ヲヂ貴」の類皆是にて、其の「キ」の敬語却つて輕蔑に近く變じたるは、「熊コウ」「八クン」「吉先住」の公・君・先生などに同じ。

四十四 草臥

「クタビレ」に此の字を用うる故由古來明ならず。「クタビレ」は又「クタブレ」ともいふ、「クタ」は��腐又は「クタ〳〵」の義、「ビレ」「ブレ」は其の状になる意味の動詞接尾語なりと見る説は大抵人の一致する所なるべし。扨その「クタ」を草臥クサブシの「クサ」に假り、「ブレ」のブのみを「ブシ」のブに宛てたりと見んはいかに。「ビレ」と「ブレ」とは相通ずるなり。諺草に「憊勞する事をいふ是山伏の入峰修行より起れる詞にして今日は平人の事にもいへり」とあるは、如何なる根據を有するにか、野伏・山伏・草ブシと並べての想像説にあらじか、「クタビル」といふ語は平安朝の半より有り、草臥を宛つるは太平記に見えたり。古事類苑禮式部に引ける和長卿記の明應九年の條に「主上(後土御門)御草臥也〈御冠許/著御〉」とあるは、正臥にあらざる草臥サウグワ即略臥にて、崩御二日前御危篤の折の樣ならんと見ゆるが、草臥サウグワといふ語もし他にも有らば、クタビレて苟且に草臥するより、結果を表す文字を以て其の原因をいふ語に宛てたりとも見るべし。併せ記して參考に供す。

四十五 怪我

「ケガ、アヤマチ」のケガに宛つるは何時頃よりならん、延寳の本朝世諺俗談及元祿の諺草には「怪瑕」に作り、享保の節用集には「瑕又作㆑我」と記せり。「思ひ設けずして疵を被るを怪瑕といふ」など釋せる、一わたりは叶へる樣にもあれど、疵・傷を瑕といふも如何なり。「怪我」の字面は過失にてすること故、「我ヲ怪ム」といふこと稍通ずれども、出典なければ决しがたし。和訓栞に、「ケガレ」の下略なりといへる、罪・過・流血などをケガレとしたる國俗より思へば誠にさなりと諾はるれど、ケガレを明にケガといへる證もなく、今のケガといふ處にケガレといひて通ずべしとも思はれず、旁我はいまだ此の語の源を定めかねたり。奇怪不思議神祕なる事に「ケチ」といふ事あるは、「怪事ケジ」の轉音なりとの説勢力あり。「モノ」を「物の」、ともじり、物怪ブツクワイより物怪モツケ勿怪モツケ)と變ずる、其の後世(平家物語など)の「モツケ」は平安朝の「物の氣」と同事ながら、怪は結局宛字なり。今方言に「氣の毒だ」を「モツケダ」といふ形容詞も名詞の物怪と同語なり。

四十六 左樣、沙汰、洒落、相

樣」「サダ」の義なることは誰もいへり。「洒落シヤラク」と「シヤレ」と混同せる近世人は實に國語に對して知覺を失へるものなり。「シヤレ」は「アザレ」「サレ」のサの拗音に變じたる者のみ、「ブリ」「メカシ」など、義近き處あり。次に、物の樣相をいひ噂の意に「サウ」といふ語あり。言海に「サマ」の音便と釋せる、一理あれど、サマをサウといふこと、「寢樣ネザウ」の外には今用ゐず。此のサウを地方によりては「ゲ」とも「フウ」ともいふ、「風」は字音に相違なきが、「樣」も「相」もよく國語に化したるもの、「人相」「家相」「福相」「貧相」の類枚擧に堪へざるばかりなれば、字音の「サウ」と見る方適切なるが如し。(尤「相」は「スガタ」にて、「サマ」といふと格段なる意義の差別はなし)此の「相」の字果して正しき時は、「サウ」「サウ」は「音に訓を宛て」たる類となるなり。

四十七 併、仕事、自墮落

「シカシ」「シカシナガラ」に「併」の字を書くこと、今の人のいぶかしく思ふは道理なり。此の語「シカ」は「然」、「シ」は「」にて「アリ」の強めにて、「サナガラ」(全然、宛然)と同義なるが、「ナガラ」といふ語には順接逆接平接の三用法ありて、「讀みながら書く」(平)、「書くことは書きながら、讀むことは能はず」(逆)など言ふ如く、一方「サナガラ」の意をなす外に他方には「シカアリナガラ」「然レドモ」の義をもなすなり。而して前者は古義にして後者は新義なるが、文字は古の儘なるにより、此の字は古義を以て解かざるべからず。即鎌倉以後の通用語なる「是併コレシカシナガラ」といふは「是トイフモ總ベテ」などの義、「併期㆓面謁㆒」といふは「委細拜眉縷述可致」と同じく、一通は言ひたれども「スベテハ」面謁を期すといふが如く、併加・都合・只管に近く「併」の字の義明に見えたり。されば日本紀には「一切」を「シカシナガラ」と訓じ、新撰字鏡に「傾城」の下に「擧城也(中畧)城志加志奈加良シロシカシナカラ」と訓釋せるは、「城ヲ傾ケテ」「城コゾリテ」「城スベテ」「城サナガラ」などの義なり、實地に用ゐたる古き例は日本靈異記中第廿七に「女 ノ ヲ テ リ ノカミノ(守ナリ) タル ノ ヲ㆒居摠 チ ヅ於國 ノ ニ㆒(中略) ノノセ惣亦一町程引上而スウ」とある字訓に、「居惣〈二合、ス/惠ナガラ〉」「載惣〈下云、/奈何良〉」とありて、「ヱナガラ」「載セナガラ」と讀むなり。又同書下第十に「 ノ リ㆑火惣家皆悉燒滅」とある字訓に「惣家〈シカシ/ナガラ〉」とありて「火發りて家シカシナガラ」と讀ませたるものゝ如し。(又「都廬」を「シカシナガラ」と訓みたるも見しことあれど何書なりしか今思ひ出でず)擧も惣も併も一切も都も皆「サナガラ」の義に用ゐたる上は「併の字に疑あるべからず。されば今の文に「シカシ」を「然シ」「而シ」など書かんは必不當とにはあらねど、慣用の儘に「併」の字を用うること何等の不理なく寧穩當なる用法と定むべきなり。此等の説、俚言集覽に出でたれど、該書に誤植ありて讀み下し難き處もあれば、今其の要を撮り補訂して此に擧げたり。

仕事・仕合・仕出・仕アゲ・仕舞などの「仕」はすべて「爲」の假借なり。此は候文には「爲」の字を使役にのみ用ゐ、又スル事を敬語にツカマツルといふ其の仕なるより之を「爲」に宛てゝ一種字面上の體裁をつくろひたる者と見ゆ。(支度・始末をも仕度・仕末など書くは許すべからず)ジダラクは固有の形容語「ジダジダ」「ダラ〳〵」などの意なるを「自墮落」など宛つるは意義を損す。

四十八 數寄

スキ好の「スキ」に數寄を宛つるは、漢語の數奇に想ひ寄せて、其の奇の字にウ冠を加ふる増畫の古習にて「數寄」といふ字は成れるなり。

四十九 達、駄目、段袋

「押シ立チ強ヒテ」の義に「タツテ」といふは「立ツテ」なるを、「達而」など書くは候文の習なり。複數の接尾語「タチ」に「達」を宛つるは其の呉音を假りたるなり。「先達而サキダツテ」は「先立ツテ」の假借なるが、登山其の他の案内者を「先達センダチ」といふは其の道の先達の士といふ義にて正字なり。之を「先立サキダチ」の音讀と誤り思ふべからず。(出立イデタチ出立シユツタツといふは先達などより惡しく聯想せる誤なるべし)

徒事・徒勞を無駄といひ又駄目といふ、「無」の字誤用にやなども思ひ惑はるれど、實は「駄」の字より始めて解せられざるなり。徒空を「ムナ」といひ「ムダ」といふに無駄の音を假り、「ムダ目」の上を略してダメといふは圍碁の術語なり。又「段袋ダンブクロ」は「駄荷ダニ袋」の義なりといふ説然るべし。「駄」は國訓化して「」とも相熟するなり。

五十 丁度、鳥渡

「チヤント」の「チヤン」の長音に變じて「チヤウド」となれる固有形容語なり。字を見てチヤウテウ渡など假名を用うべからず。「一寸」は「一時」の省畫にて「スン」にはあらず、亦「チヨト」「チヨツト」といふ形容語に宛てたり。「チヤクト」「チヤツト」などいふを「イチハヤク」の轉訛なりなどいふ説の非なるは、我が聲貌形容語に思ひ至らば、容易に悟り知るべし。

五十一 手傳、徳利

手傳テツダヒにて幇助することに解すべきか、諺草に「迭代テツダイ」といふ字を出せるは出處を知らざれども、むげに捨てがたし。迭代はカタミガハリの音讀語にて、やがて助の義ともなること「手傳」よりは心得易し。「徳利」といふ字も語も何時代よりありや調べ得ざるが、此も諺草に「陶器」と出せり。「陶器ノ銚子」の義にて、タウの一音トウとクヰクヰなどゝ等しく「クヰ」といひ、「トウクヰ」より「トクリ」などゝ變じたるか、醒睡笑の土工李トクリは假名がきに過ぎざるべし。此の二語は研究を進めば、音を訓(又は訓に近きもの)に假りたる例にならんも知るべからず。

五十二 兎角、篤と、到頭、時計、頓と

「トカク」は彼此トカク左右トカクなどの義の固有語なり。「トクト談合」などいふ「トク」は「トツクリ」などの形容語なるべし。「トウ〳〵」を「到頭タウトウ」と書く人近來特に多きは皆漢意なり、「トヾ」「トヽ」「ドヾ」などの長音となれる「トウ〳〵」にて、即「遂ニ」の別語なる「トウ〳〵」と全然同じ。此について思ひ出づるは警蹕制止などの「ドウ」と「シ」となり。「動」「止」を宛てて意義反動なりなど昔より言ひ來れる、皆漢字毒の所爲なり。時計を「ジケイ」と讀まざるは不審なり。大に俗化したる讀方にや。「斗雞トケイ」といふ音を「時計」に宛てたるなりとの説は如何あらむ。「トント」も字音にはあらじ。

五十三 途轍も無い

法外なることを言ふに、途も轍も法に縁ありて宜しき樣なれど、途轍といふ語あるべくもあらず。「途方モナイ」「方圖モナイ」といふ語ある、途方・方圖は主格名詞なるが、又「トテモ無イ」といふ語もある、其の「トテモ」は「云々トアリテモ」の義にて副詞なるを、俗には混同して種々なる訛語を作り出せるものゝ如し。まづ「トテモ」を「トツテモ」「トンデモ」など促音撥音に變じては、「飛ンダ事」などいふ奇語も出で來て、「トンデモナイ事」と同義に用ゐ、打消の徒消かとも疑はるゝに至れる他方面には、「トツテモ」といふ音を上下して「トテッ」「トテツ」と變じ遂に「途轍」など字面も工夫し出されたりと思はる。さて此の途轍に途方の「方」か「ポウ」といふ接尾語かを添ふれば「トテツポウモ無イ」となり、其の第一音の「ト」を省きて「テツポウモナイ」のナイを「無」として上に冠すれば「無鐵砲ムテツポウ」といふ一新語をも成すと解することを得べし。(「無手一方ムテイツパウ」よりも「ムテツポウ」といふ語は成るべきか。)

五十四 何卒、却々

「何トゾ」のテニヲハなる「トゾ」に「卒」の字を宛つること審ならず。もしは「ソツ」を「ソト」と假り、それを上下して「トソ」とせるか。或は又「卒」を「ソ」の音に用ゐて、テニヲハの「ト」をば書かずして讀ませたるにや。「ナカ〳〵」といふ語は解しにくゝ言ひ難き語なり。之に「却々」を宛つるは「カヘツツテ〳〵」の義なるべし。

五十五 計、斗、果敢、羽織

「バカリ」といふテニヲハに「許」を宛つるは之を接尾語風に見て其の義を取れるものなれば、正字とすべし。「計」は「ハカル」といふ動詞なるを「バカリ」に用うるは假借なり。「」の字にも「ハカル」といふ義あれど、我が國にての使用の沿革を見るに、古は「計」のみ用ゐて「斗」を用ゐず、其の「斗」に變れるは「計」の草體にして「斗」とやうに書きても尚「ケイ」の字なりしなり。「果敢」を「ハカ」とよむは、義を取れるか「クワカン」の變音を取れるか、明ならず。羽織は「ハフリ」の假借にて假名も違へるは誰しも知れることなり。

五十六 肥立つ

重箱讀なるがいぶかしきなり。「日立ツ」に從ひて肥え太るべき道理なるより混同せるなるべし。

五十七 不圖、吹聽

「フト」は「フイト」「フツト」とも言ひて固有の形容語なり。「ハカラズ」の不圖に似通へる處はあれど、なほ非なり「フイチヤウ」は「フウ聽」の「フイ」と轉じたること「ユウ緒」を「ユイシヨ」といふが如きなりといふ説當りたらん。「フイ」ならば「フキ」の音便にて訓なり。

五十八 臠、見舞、味方、土産

「見ル」の尊他敬語に「メス」「御覽」の外に「ミソナハス」といふ語あり。此は古くは「所見行」などゝも書きて「見備ハス」「見備へ賜フ」義にて「見ソナフ」と言ひしこともあり。(古事記傳には「所見行メシオコナハス」の約言と説けり)此に「臠」の字を宛つること何時頃よりにや、馬琴の物に見し覺あれど慥ならず、又其のいはれも考へ得ず。「臠」は細く切りたる肉にて、新撰字鏡に「力袞反、上、肉乃奈万須シヽノナマス」と訓じたり。此の「シヽノナマス」の「シ」を「ミ」に、「ヽノ」を合せて「ソ」と誤り、「ミソナマス」のやうにある惡書を見て珍しさに誰ぞの人の用ゐそめしなどにやあらんといふ説など參考に供すべし。

「見舞フ」の「舞」の字解しがたし、「仕舞」の舞も同じ。案ずるに此は一種の動詞の接尾語「マフ」(「カズマフ」「ワキマフ」などの)の假借なるべし。「味方」は「味」の外に「身」「御」あり、語意を考ふるに「御」ならざるべからず。又「面白味」「厭味」「辛味カラミ」「酸味スミ」などの「味」も漢語名詞の「味」にはあらずして形容詞を名詞にする固有の接尾語「み」ならざるべからず。「辛味シンミ」「酸味サンミ」の時の「味」は正字なり。「土産」を一般に「ミヤゲ」と讀ますことは不當なり。「土産」「土宜」を「ミヤゲ」にすることは多けれど、「ミヤゲ」は土産に限れるにあらず。「ミヤゲ」の義は「御上ミアゲ」即「御献物」なりともいへど、從ひがたし。さては「御上オアゲ物」の義となりて、己の献物にあらで、前者又は第三尊者の献物となるべし。此は受けたる人が頂戴し「見グル」より言へるにはあらじか。

五十九 無茶、滅多、無闇

諺草に「無差ムサ」を擧げて「ムッサ」「ムッタ」「ムタクタ」「ムタカ」は並に誤なりといへり。此の「無差」も假借なるべきが、以下すべて其の變音なるべきは明なり。「ムサ」「ムタ」「ムチヤ」「メチヤ」「メタ」メッタ」などの轉訛の次第を見るべし。「無性ムシヨウ」も「ムシャ」の長音便にして「滅相」も「メッサ」の轉か。「ムヤミ」は「ムヤ〳〵」「ヤミ」などの形容語より出でたらんとは思へど慥ならず。

六十 面倒

面伏オモブセ」を面倒と書きて音讀せるものと解くは如何あらん。「目厭メイトハシ」「メイトホシ」「メンドホシ」といふ語にて煩はしき意なるを、「ドホ」を字音のやうに聞きて活用もシク活よりナリ活に轉じ更には「メンドイ」とク活にも言ふなり。

六十一 最

中」のモは稍當れり。「最早」の「モ」は當らず「イマ」の義なるべし。「モソット」「モチット」なども「今」の「モ」にて、「スデニ」の「モ」と同じ。

六十二 矢張、矢鱈、矢來、やくざ

矢張矢鱈の義考へ得ず。「矢來」は「やら」にて人を追ひのけらふ義なり。「ヤクザ」は「アクタ」の訛か。「ヤクタイモ無イ」も同語なるべし、此に「藥袋モ無イ」と宛てゝ荊軻の折の故事など引けるものあるは面白し。

六十三 油斷

涅槃經の文を引きて説く習なれど、通ずべしとは覺えず。「ユタニス」の音便といふ説當れるが如し。「ユタニ」といふ語は古來通用せるものなれば最難なかるべけれど、慥なる證據はいまだ見出でず。

六十四 腕白

腕白き惡戯小僧ならば、さしたる程にはあらじ、此は「蠻貊」の支那音ワンパクなるべしなどいふ説は、まづ面白しとや言はん。案ずるに大人は理非分別あるものなれば「大人シ」と形容詞にして温順の義にも轉じ、小兒即「童」は分別なき者なれば「ヤンチヤ」なる義に用うるにて、「ワラハ」が「ワッパ」となることは「小童コワツパ」「河童カハワツパ」の例にて知るべく、「ワッパ」が「ワンパ」となりて下に「ク」を添へたらんとは容易に想像し得ることなるべきか。

六十五 穢多

の説は古來多し。「穢」を「ヱ」といふは古來の通用なれど、「多」の字は解しがたし。此は「穢多」が「穢取ヱトラン」と觸れ歩きし聲の「ヱタラン」と變じ「ヱタ」と下略し、「ヱッタ」ともいふにて「多」は全くの假借なるべくや。

以上三回に亘りて貴重なる誌面を塞げること讀者諸君に別して謝する所なり。此の次に繼字・振假名字などの沙汰もすべき豫定なりしも、あまり面白くもあるまじく氣づきたれば、此にて今回の「宛字」一編は完結とせんとす。讀者之を諒とし給へ。

底本 : 『國學院雜誌』第拾八卷第五號(通卷二百十一、明治四十五年五月十五日發行、pp.7-19)、第拾八卷第六號(通卷二百十二、明治四十五年六月十五日發行、pp.53-61)、第拾八卷第七號(通卷二百十三、明治四十五年七月十五日發行、pp.40-54)
Last updated : 2005-08-05
猪川まこと
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