一つの音韻代用

『古今集』や、『和名抄』や、『本草和名』や、あるいは後の『類聚名儀抄』等によると、芭蕉をバセヲ〔和名抄・本草和名・古今集〕、をアヲ〔和名抄〕、をセヲ、をタヲ〔以上類聚名儀抄〕と言ふ類の特殊な語形の字音語が当時一般に行はれたらしいのである。これについては、すでに古く江戸の音韻学者達が支那古韻の知識によつて解決しようと企てた事もあつたけれど〔漢呉音徴傭字例等〕、客観的に言つて到底それはものにならなかった。彼等の古韻学の知識は極めて散漫で、しかも現在の学説から見れば勿論至る所誤解に満ちて居た。そればかりではない。しかも、我々から見れば、それが概して外来の字音そのものにおいて行はれ、後字音語に入つたといふよりも、たしかに字音語にあつてはじめて発生した新語形であつたらうと推定出来る(何故なら、比較的純粋な字音を保存して居ると思はれる訓点ものの音注には、極めてまれにしかさうした形は現はれないし、又『類聚名儀抄』の「芭蕉」の項等では、和訓を「バセヲ」と注しつつ、音は「ハセウ」である)事は、何よりも彼等の主張にとつて痛切な傷手であるに相違ない。事実、かうした現象が日本字音の源流となつた隋唐の古韻史の中ですでに発生して居たとは考へられない。『韻鏡』で如上の数字を含む外転第二十五が合転であつたとは思はれないし、仮に合転であつたとしても、それは彼らが考へて居た様に、重母音の第二要素が所謂ワ行の于であると言ふ独断と何のかかはりもない事である。

かうした新語形の発生を、我々はむしろかの「借入語レーン・ヴオエルテル」について何処の国にもありがちな「音韻代用」(phonetic substitution)の一つの表現として考へる方が良いかも知れない。

それについては、実はその関係国――即ち古代日本と古代支那との音韻体系や音韻的慣習の異同を調べる必要がある。しかし、それは今は無用であらう。何故なら、古代支那語(文献時代以前は別として)が典型的な単節語モノシラビツクであり、重母音あり、内破(implosive)に終る閉音節(入声)があつたに対し、古代日本語は概して多節語ポリシラビツクであり、重母音がなく、閉音節がなく語構成に際して生じる連母音イヤテユースまでも、この国では、丁度西洋のロマンス語史が教へる様な「脱落エリジヨン」とか「省約コントラクシヨン」とか「単音化モノフトンゲゾン」とか「挿音エパンテーズ」とか「連声リエゾン」とか、あらゆる技巧によつて回避されて居た――と、その程度の事は実は現在の学界のそれこそ初歩的な常識の一つになつて居る。そしてこの二国語の問でまつ第一に発生した音韻代用は、誰でも想像出来る様に、かの国の所謂入声尾の内破音をこの国では外破(explosive)にかへ、それにカルルグレン氏の所謂「寄生母音」(parasite vowel)をそへて、その子音ぐるみ前の音節から新たな音節を抽き出さうと言ふ手であつた(ex. 葉〔ĭep͐〕>〔ĭe-p͑u〕or〔ĭe-f͑u〕)。この方法は入声尾の移入に当つて法則的に行はれた。唯これは、つまり外来の閉音節を慣習的に開音節化するための企てであつて、外来の重母音を回避すべき適当な方法は、それを連母音イヤテユース(即ち二音節)化する事の他にまだ発見されて居なかつた(尤も平安中期以後になると、第二母音に〔u〕をもつ連母音などは次第に単音化の道をたどつたけれど)。それに理由がある。即ち連母音は音韻結合の様式から言へば、古代日本語でははじめての経験であつたけれど、その各母音要素はかの入声における様に全く発音慣習を持たないと言ふ種類の音韻ではなかつたし、又その使用量においても入声よりははるかに少かつたので、学習者に取つては一応熟練しさへすれば、比較的容易に模倣し得るといふ点があつたからである(しかも平安初期には、固有語の中にさへきはめて稀な連母音があらはれて居た)。しかし外来語にうとい一般の言語社会ではやはり必ずしもさうでなかつたであらう。彼等の慣習からすれば、結合的な二個の母音の高い響きをhiareする事なく、固有語における様な音節と音節とを区切るかの「亮度の谷」がほしかつたであらう(やはりロマンス語の言語社会においてもさうであつたから)。

結果から先に言はう。彼らは「亮度の谷」を求めて、重母音から来た連母音イヤテユースを巧に回避したものと考へる。さうした回避はわづかに先立つて成功した閉音節の開音節化に準じて、同じ手順を経て行はれたのである。即ち寄生母音〔o〕の添加であつた。何故それが〔o〕でなければならなかつたか。それは前行母音〔u〕への一種の調和であると考へなければならない。何故なら、それは丁度喉内の入声尾に附加された寄生母音が法則的に前行母音と調和した(暦 reki; ryaku. 力 riki; ryoku. a・o・u→u, i・e→i)様に、本来一定の音色を持たない抽象的な母音点(ドゥ・ソスユールの用語を借用すれば――le poinnt vocalique)が特定の音韻として実現される時に、それは最も自然ななりゆきであつた。『萬葉集』における「双六乃左叡」(sa-ĭe)は、その最上の類例として、恐らく前先母音〔i〕に調和した寄生母音の〔e〕を附加したものであらう。そして、これらの寄生母音によつて抽き出された音節では、常に亮度ソノリテにおいて前が低く、後が高い。即ち相対的な開音節となり、本来の第二母音は相対的にひくめられて子音化する事により、一挙にして連母音イヤテユースを回避し、同時に二個の開音節の結合にまで変形する事が出来たのである。

単なる思ひつきであるが、私はそんなに考へて居る。


初出
『国語・国文』第9巻第3号(昭和14年3月)
底本
『朝山信彌国語学論集』(pp.91—94.)