詠題掌篇

『飜車魚』

あの近代の利器たる稀代な筐体の中で嬌声をあげている彼女と此様な関係にならうとは思つても見なかつた。扉を開けると少し広めの部屋の中央にアクアリウムが据ゑてあつて、その中にマンバウがゐた。暗い部屋の中で下から照明を受けてマンバウは其腹を鈍く光らせてゐた。二人で手を握り合ひ、凝と夫(それ)を眺めた。「窮窟ぢやないの」と私が訊くと、「マンバウは海流に乗つてふんはりのんびり浮いてる丈だから」彼女は答へた、「だからこれで可いんぢやないかなぁ」「マンバウつて一度に三億箇も卵をうむんだつて、きつと瑠璃色だよ」彼女は夢見るかのやうに、云つた。そしてホウと息を衝いて、「さうしたら、少し頒けてあげるね」と言つた。独り水槽の中に閉篭められたものでも孕むことはあるのだらうか。軈てことに及んで、到頭私がをはせを彼女に挿入れんとしたときだ。マンバウと眼があつた。ふとかほをあげた其の時、正面から魚の顔をしげしげと見凝めて了つた。さうして、もう救はれないのだと悟ると私は萎えた。私を受容れようと身搆えてゐた彼女は、ンもうと言つて身を飜した。(畢)