詠題小品

『粗忽者』

私の生涯通算三回目になる sex は極くあつさりと終つて兄は自分の後始末だけ手早く済ませるとそゝくさと私の部屋を出て行つて了つた、だけではなくてどうやら家の外に出てつたみたいだつた。(やつぱり極りが悪いんだらうか)と思つたけどこつちはちつとも頓着しないで居間に出て父と母とテレヴィを眺めてゐると股間にどろりとした感触があつて私は「あツ」と声をあげた。父が不審さうに私を見たけどまさか先刻兄が私の膣内に放泄した精液が漏れて来ただなんて言へやしないとか思つてるうちに遂に座布団を汚してしまつた。

(うつかりしてた、どうしてタンポン入れとかなかつたんだろ)最早決定的である。誤魔化せない。父が形相を変へて「相手は誰だ!」と問ひ詰めてくるのでおろおろおづおづ「お、お兄ちやん」と答へると今度は「何遍関係した」と訊ねてきた。

「三回」である。「それなら確実だ」と父は途端に喜色をあらはにして、手踊り足踏むところを知らずといつた有様で、「よくやつた、今迄お前には兄だと云つてきたが実は流寓の貴公子なのだと私は睨んでゐる」だなんてことを抜かすので「私の夢想してた近親相姦の甘い禁断の頽廃はどうしてくれんのよおツ」と反抗はしてみたものゝ父の鞏固な確信は覆せさうにはない。「彼を癒し成長せしむる大地母神としての役割がお前には課せられてゐる」と祝祭空間からの御託宣。

茫然自失としてゐたけれどはつと我に還つて兎も角も「お父さんが変、ちよつとねえお母さん止めさせてよお」と取り縋ると母の影はゆらりと薄らいで、さうしてぼろぼろと崩壊した。

「お前が大地母神としての役割を自覚し成熟し始めた為に母さんはみづからのアイデンティティイを喪失して、結果存在し得なくなつたのだ」と父が論評を加へた。「そして、貴種流離譚のテクストとして『源氏物語』「須磨」及び「明石」の巻に依拠すると私の役割は明石の入道に該当する。従つて私は出家遁世せねばならない」と言つて念仏を口にすると弗と父の姿も掻き消えた。わあと叫んで表に飛出してその侭おいおい涕泣してゐるともと兄が帰つてきた。

私が口を開く前に「人を殺してしまつた」と彼は切り出した。「何だかマヽンが死んだやうな気がして、それで太陽がまぶしかつたものだから」

「あんた、莫迦なんぢやない」

取り敢へず、斯斯然然、事情を説明すると彼は「俺は御落胤なんかぢやない、心中しよう」と言つた。「そして誰もゐなくなるんだ」

(もーどうでもいゝんだ)と覚悟を極めて彼の歩く後にとぼとぼ跟いてくと何故か玉川上水べりに出た。

「太宰が死んだのはこの辺りだよ」と彼は言つた。「物語作家としての太宰の力倆に敬意を表してこゝで身投げをするとしよう」

なんて提案(!)「こゝ上水よ、水の供給源。こんなとこで身投げなんてしたらみんなの迷惑になんの、分つてる?」

さうすると背後から「合格」と声がして、振向くと太宰治が立つてゐた。「それに引換へお前はなんて奴だ、人間失格だ」と太宰はもと兄を抱きかゝへて入水した。私は姑くその場に佇んでゐたけれど何時迄経つても死躰は浮んできさうにはなかつた。(畢)