『「小倉日記」演義』
鴎外森林太郎、折しも小倉第十二師団軍医部長に左遷せられて鬱々たり、閑官、能く相渉るべき人物之無く、ただ徒に不遇の嘆声喞々として日数のみを経りにけり。今日も亦、執務の几案、繁に文を披きて黙りと、されば忽然と或る思考おとなひて看護の女共三人ばかり呼付けつ。あはれ夕焼は切なげに残暉を硝子越しに差し遣す。
「実験に協力して欲しい」「はい」と三女音を同じうせり。
塲所は、診察の房内。三女がうち縹緻尤なるを撰みて是をして臥台に坐らしむ。
次をして観察に任じ、残余をして書記に当らしむ。三女、問ふに再び口吻を同じうす、すなはち「一体、何をするんですか」と。
寝台上のをんなに命じて曰く「自慰をし給へ」女抗じて弁ず「自慰、ですか?」
「さうだ、自涜だ。此の科学的測定を行ふ」「出来ません」「出来ない?」「はい」「如何して」「当り前です」「態々人に見せるものではない、恥かしい、と?」「えゝ」「これは。夜な夜な傷病兵相手に春を鬻いで歩く君達から耻、を教はらうとは思はなかつた。何だ其顔は、知らぬとでも思ふて居たかね、ハゝ」
一切口を緘じつ、診察台上の女著衣はだけて自慰をば始めたり。「ち、乳首が、勃起しました」「三十秒、乳頭勃起」「雛尖が、勃起しましたッ」「四十秒、陰核勃起」観察筆記の間、纔かに交す応答の声。
一分、乳頭硬化。二分、陰毛屹立。同、腺液膣口より流出。三分、乳房膨脹。五分、小陰唇硬化六分大陰唇隆起七分乳暈膨脹乳頭陥没八分小陰唇開粘膜露出十分腺液増加粘度増大十二分肛門緊張十三分陰核僅かに後没十五分腺液分泌量激増、をんな已に婬楽甚だしく呼吸常ならず、喉かはき唾飲み鼻口ともに張れり。
乃ち、台を起ちて躰をあげて迫り振掉して男を抱かんとす。
林太郎カイゼル髭うち顫はせ乍ら呶鳴りて言ふやう、「勘違ひするなツ、私は何もお前と情を通じようと云ふのではない。この徒然無聊を多少なりとて紛らはさんとした而已だ。それを此の阿魔が、増上慢奴」
女雷鳴に撃たれたるが如とびのけり。「さうだ、それでいゝ、お前なんぞに拘泥ふて居る暇はない、斯様な処には要は無い。私は早く帝都に戻らねばならぬ、医学界と文壇を迅う吾が掌中に収めねばならぬ。それは、私にしか出来んのだ」
後には、男のかんらからの哄笑ばかり房室の内に澎湃として、残れる也。(畢)