詠題掌編

『寂かなるこの黄昏に』

誰そ彼どきの山吹と橙をこきまぜた色を基調とした光に溢れかへる一方を校舎三方を高い高いフェンスに囲まれた四角い校庭の真中にひとり彼女が立つてゐた、人気の無い空間にドヴォルザアクの「新世界」の一節が鳴響いてゐてしやうがないので僕は佇む憧れの彼女にキスをした、彼女は拒まなかつた、意外にも積極的に応じ犇と身を寄せて来た、不断臆病な僕は何故か舌を入れて遣らうか、と思ひたつた、すると彼女は掌を僕の胸に当て肘を伸ばして脣を身を離し「ぐちゆつとして気持悪い」と真摯な眼差をして云つた、そこで僕等はお互に左手の人差指を出し指の腹を強く押附けあつた、彼女は軽く頷くと合はせた僕の指に右手の人差指を自分の指には右の親指を宛てゝ両方をいつぺんに撫でた、暫くさうしてゐたけど廃めて、又、僕の顔を凝視めた、「何つちが厭」と僕が訊くと「キスのが気持悪かつた」と云つた、僕が落胆してゐた処「夢見ちやダメ」と彼女は云つた、妙にパアスペクティヴの狂つた世界だつた、「夢見ちやダメ、夢になるの」と彼女は僕に向つて云つたのだつた、さうだ、さうだつたんだ、と僕は凡てを納得した、だから僕はもう戻りません、左やうなら。(畢)