詠題掌編

『佳人』

眼醒めると俺は古への支那にゐた。身なりも全く寛かな支那服で、けれど俺の喋るのはやはり日本語支那人の話すのは支那語でそれだのに互に言はんとする情は大略(おほよそ)通ずるのが不思議だつた。大路をゆくと行交ふ人の俺を見る目に尊敬の念が充ちてゐるのを知つて、はゝあ俺は豪い役人なのだなと察せられた。支那で敬はれるのは何を措いても科挙を通過した進士でそれは渾て文人である。文明とはあひ争はぬことの謂でそれゆゑ支那の文人は皆ゆつたりとした衣を身にした、吾邦の裃の裾があんなにもぞべらぞべらとしているのは夫をまねたのである。彼等は西洋人をぴつたりと身に添う服を著てゐるのはその性、戦を好む蛮人なのだと云つて卑しんだといふ。なほも散策を続けると色街にでた。管楽の響き嫖客さんざめき殷賑較ぶべくもなかつた。更にありくと魔窟に差掛る。そのさかひには夜鷹の類ひが点々と草莽の間に蓆をのべて客を取つてゐた。なかにひとり茶を挽いて居るをんながゐた。見れば先づ美人と謂つて差支へない。風にも耐うまじい娉婷たる女で、是に客がつかぬのは或いは餘程酷い花柳病でもあるのかと訝つたが鼻筋もしやんととほつてその様子もない。ほつそりとした肢躰わけても小振りな胸が纏つた薄帛をわづかに持上げてゐるのが大層好いたらしく思はれた。支那三千年の歴史で一二を争ふ美女といへば西施と楊貴妃であらう。うち楊貴妃は太りじゝ、グラマアと言へば聞こえは良いが実際はずゐぶんと肥えた年増であつたという話である。成る程美醜の物差しは時代によつて遷変る、けれど彼女は現にいま困窮してゐるのである。之に向つて遥か後代の異境では貴女のやうな者が美人なのだと言うたとて始まらない。彼女を美しう感ずる俺が寝て遣るのが一等いゝ方策ではないか。斯くて吾等は交接をしたのだがその際のこと。彼女はまづ其のすらりと伸びた脚を差延べた。処が其足は見憎く腫れあがつてゐた。古来支那人は、女子が齢五六歳に達すると足の骨を撲砕き、更にその足を包帯状の布きれで緊くつゝみ縛りあげた。之が名高い纏足である。やがて躰は成長しようが足は已う夫にともなつて育ちはせぬ。纏足は小さければ小さい丈美しいものと看傚され、その娘の仕合せを冀うて親たちはあたふ限り早く可愛い吾が子の足を不具にした。支那の男は美事に脹れた足で己が性器を擦られるのを無上の悦びとしたと云ふ。けれど俺にとつては醜悪な陋習にすぎぬ。俺は美女に何うか包帯を解いて呉れるなと懇願した。彼女は不満気であつたが渋々客の言ふことに従つた。一点足を除いては素裸となつた彼女と闇の中で交つて俺はほどなく満足を獲たが、女は怏々として楽しまぬやうであつた。人間は性慾を如何にも自づと然する本能の如く言つてゐるがどうして本当はどんなにか深く培われた歴史囲繞された環境すりこまれた文化等々の影響を蒙つてゐるものかを俺は知つた。(畢)